第92話 二重スパイ

 すべりこむように前の男に続いて、開いたドアから部屋へ入ったレンは壁の時計を見た。

 9時、5分前。


 セーフか。

 ほ、と安堵したレンは、目の前の机に座っている数人の男が自分の顔を見ているのに気づく。


「遅いぞ、レン」


 奥に座っている彼の叔父、ブラック副大統領が顔をしかめて言った。


 アウトか。


「申し訳ありません」


 レンは顔を伏せ謝罪する。


「では」


 座っていた男たちが立ち上がり、ブラックに会釈すると部屋を出て行った。

 レンの前に入室した男は、ブラックの前にコーヒーを置くと立ち去る。


「……もう話は終わったんですか」


 男たちが出て行ったドアを見て、レンが叔父に聞いた。


「お前が遅すぎるんだ。早く来いと言っただろうが。……なんだお前。シワになってるぞ。ちゃんとしろ」


 コーヒーカップを持ち上げながら、レンのスーツに気付いたブラックが眉をひそめる。

 レンは心の中で笑いそうになった。

 まさか、叔父に言われるとは。

 彼の目の前のブラック副大統領は、装いに無頓着で有名だ。

 今彼が着ているスーツは、クリーニングに出したのは呆れるほど前だと思う。


「何だったんですか」


 レンは机上に残された資料に目をやる。

 その中にある数枚の写真に、レンは目を見張った。

 薄暗いバーの店内を撮ったものだろう。

 椅子に腰かけた男と、彼の前に立つ女。

 二枚は二人が会話しているのを撮った写真だが、残りの一枚は二人が抱き合っている写真だった。

 女性の顔が見覚えがありすぎるくらい見覚えがあるのに、レンは驚愕する。


「西オルガンでのパーティー後の夜、ホテルのバーで撮った写真だ」


 ブラックはコーヒーを飲みながら言った。


「重要なのは、男の方。サングラスをかけた男だ」


 いや、俺には隣の彼女の方が気になって仕方ないんですが。

 と、レンは心の中で答える。


 見覚えのある店内。

 俺と、別れた直後か。


 ブラックが手元の写真と資料を、レンの前に投げ出して言った。


「先の戦争で、暗躍したスパイだ。裏切りすぎて、裏も表も無くなった」


 目の前の写真は、先ほどの写真とは違って若い男の顔だった。


「当時は22歳だった。……奴の名前はいろいろあるが、最後の名前はジャックだ」


 レンはその写真の男の顔を食い入るように見つめた。


 暗い茶色の髪、焦げ茶の瞳。

 整った顔立ちだ。俺よりも上か。

 いや、それより。

 レンは、心に浮かんだ疑問を口にした。


「……気のせいでしょうか。……俺の友人に似てる気がするんですが」

「そうだろうな。奴は、ラリーの子孫だ」


 ブラックの言葉にレンは目を見開いた。


「かの国の英雄がやらかした罪だ。自分の子供をこの国に逃がした」


 200年前、ゼルダの国民がウイルス感染した際、ラリー補佐官の身重の妻ダイアンはこの国で子を出産した。子供は死産だったと伝えられている。


「……トップシークレットじゃないですか」


 今知った真実に、レンは心の中で叫び声を上げる。


「ゼルダが隠したい後ろめたい事実だな。ラリーの息子は、この国で育ち、子供をつくった。真実を子孫に伝えながら。……ジャックは、自分は子孫の最後の一人だと言ったらしい。自分から諜報員に志願してきた」


 ブラックはカップを置いて続ける。


「戦後、奴は姿を消した。それが3か月前、キエスタで奴を見たという情報が入った」


 3か月前。

 ゼルダの告別式爆破事件があったころか。


「彼が動き出したってことは、何か起こってるってことですか」

「だろうな。奴がどっち側についてるのか、確かめようがない」


 ブラックは椅子にもたれて天井を仰ぎ見た。


「……」


 レンは椅子に座りながら叔父の様子をうかがう。

 バーの写真を手に取り、レンはためらいがちに叔父に聞いた。


「……あのー、他にも写真ありました?」


 ……セーフか、アウトか。


 叔父が天井を見上げたまま言った。


「お前、今年で30だろうが。いい加減サカるのは卒業しろ」


 アウトか。

 あちゃー、とレンは苦笑する。


「彼……、彼女か。彼女は、キツネ野郎のものだぞ。少しは後先考えろ」


 ブラックはレンに向きなおる。


「すみません」

「くそ忙しいときにオルガンに行くのを許してやったのに。羽伸ばしすぎだ」


 ブラックは煙草をとりだしてくわえる。

 レンは反省を示しながらブラックに聞いた。


「……向こうに、何人かいるんですか」

「ああ。これをよこした奴は、もともと向こうの諜報員だった。フェルナンドに居たのを、こちら側に寝返らせた」

「……」


 その彼が受けたであろう拷問をレンは想像しかけて……やめた。

 朝っぱらからあえて気分を悪くすることはない。

 俺のまわりにも気づかないだけで何人かいそうだな、とレンは思う。


「……この彼女、この後どうなったんですか」

「奴の部屋に朝までいたらしいが。それからは、自分の部屋に戻った」

「彼女と彼の関係は……」

「たぶん、ゆきずりの関係だろうと。その諜報員の話ではだが」


 ゆきずり。


 何だよ、とレンは舌打ちする。

 久々に手に入れたいと思う彼女だった。

 彼女の未知の身体への興味もあったが、それをはるかに上回るほど彼女は美しく、何より笑顔が可愛かった。

 神秘的な声のトーンもいい。

 ワインをかけられたあと、何事もなかったように着替えて戻り、いきいきと皆に魅力をふりまく彼女の強さも気に入った。

 彼女とウーの話をしながら、目の前の彼女を手に入れることに必死だった。

 かなり、粘った。

 しかし単に彼女は気づかないふりをしているだけだということに気づき、レンはあきらめた。


 それが、その直後にこの展開かよ。


 レンは恨めしそうに写真の男を見る。


 自分より一回りも年は上だが。

 彼女は、年の離れた男が好みなのだろうか。


 ……いや、違うか。


 彼と似てたからだ。


 レンは彼女のことを思って胸が少し締め付けられた。


 彼女はキースと親友だった。

 アルケミストの絵を介して、キース自身から彼女の存在を聞いた。

 キースが消えて、傷ついているのはウーだけではないということか。


 ……バカだな、あいつ。


 レンは新聞の記事を思い出す。


 彼が爆破事件に関わっているというのも信じがたいが、ウーを妊娠させたというのも信じられない。


 あの、くそ真面目な男が規則を破るのかね。


 キースと交流した日々を思い出すと、疑いたくなる。


「ヘマやらかしたお前の友人のお陰で、彼女は有名人だな」


 ブラックが手元に残ってた写真を放ってよこした。

 美しい女性が食事している写真だった。

 彼女の目の前にあるのは、オムレツ。


 一昨日、人間離れした美女の写真が世界中の新聞の一面を飾った。

 ゼルダに残された悲劇の美女として、世界中の人の心をうった。


「入国を手助けしたのは、お前だそうだな。責任もって始末をつけろ」

「……はい」


 レンは頷いた。




 ――ゼルダの美女が世界を賑わせた数日後。

 ゼルダの事実上のトップ、トニオ氏のスキャンダルが今度は世界を賑わせた。

 グレートルイスに隠し子を持つ彼は、その後政界を失脚した。

 事実を知った叔父が、奴の天下だな、とつぶやくのをレンは隣で聞いた。――






















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