第73話 終戦・返還記念パーティー

 会場に入ったシアンは、きらびやかな人の群れと内装の豪華さに、息を思わず飲んだ。

 キルケゴールと絡ませてる腕にも力が入っていたようで、隣りの彼がささやいた。


「緊張してるのかね」


 あたりめーだよ、おっさん。

 と、胸うちでつぶやいて、シアンは


「はい」


 と、小さい声で答える。


 場内を進むと、たちまち好奇の目を向けられるのを感じる。


 男性からは、驚嘆と物珍しさと、そして粘りつくような視線。

 女性からは、軽蔑混じりの値踏みされるような視線。


 あー、ハリのムシロってこんな感じか。


 さらされる視線に、背中がぞわぞわする。


 まっすぐ前を見た先には、ゼルダの国旗がかかっていた。

 白地にコバルトブルーの双頭の獅子。


 国旗なんか見るのドミトリーの行事以来だぜ、とシアンは記憶をたどる。


 こんなに緊張するのも、久しぶりだ。

 最近だと……おっさんの相手を初めてした時ぐらいか。


 はあ、と脱力したい欲求にかられながら、シアンは微笑を保ち、歩き進む。


 それでも今回の出席者数は、去年の7割ほどだという。

 本土で起きた爆破事件の影響だ。


 最初に話しかけてきたのは、キエスタのオネーギン議長だった。


「キルケゴール様、久方ぶりです」


 同じような民族衣装をきた男性二人を従え、彼はにこやかに笑ってキルケゴールを見上げた。


「オネーギン議長。お久しぶりです」


 キルケゴールは、オネーギンの手をとり、彼の手を額につけた。

 キエスタで目下の者が目上の者にする儀礼だ。

 ウーも、こんなこと最初やってたな、とシアンは思い出す。


「傷が治られたようで良かった。災難は、いつ降りかかるかわかりません。全ては神の気まぐれです」


 オネーギンは、目を細めて彼に告げた。


「あの時、亡くなった同胞のことを思うと胸がいたみます。生き残った私が出来るのは、彼らの意志を継ぐことだけかと」


 真摯な表情で答えるキルケゴールを隣で見てシアンは、おいおいおっさん普通に仕事してるときはかっこいいじゃねえか、と感嘆する。


「こちらの美しい方は」


 オネーギンがシアンを見上げた。

 小柄な彼は、シアンより少し低い。

 シアンは微笑んで会釈した。


「シアン=メイ氏です。ゼルダでの、私の恋人です」


 キルケゴールが紹介した。


 途端にオネーギンの眉が上にわずかに持ち上がり、目が見開かれた。


 はい、はい、来たよ来たよ。

 シアンは覚悟する。


 オネーギンの後ろの二人の若者は、露骨だった。

 眉をひそめ、明らかな侮蔑の眼差しでシアンを見た。


 キエスタで、男性同士の関係は忌むべきことで部族によれば、死罪に価することもある。


 っていっても、オレは男って訳でもないんだけどなあ。


 オネーギンは、笑みを浮かべてシアンに握手を求めた。


「……我が国では、女性の髪型といえば、肩より長いのが基本です。しかしあなたを見ると、女性でもそういう長さが非常に似合うというのが分かります。髪を切る女性が、この先我が国でも増えていくのだと思います」


 無難で絶妙な受け答えだな、さすが議長さん。

 シアンは、褒めてくださってありがとうございます、と笑顔で返して彼の手を握る。


 ちなみに今までの会話は、全てグレートルイス語だ。

 この一ヶ月間、にわか仕込みの勉強をしたかいがあったわ、と、シアンは胸をなで下ろす。

 やっぱり、学生の時は勉強すべきだったな。


 去って行くキエスタ陣の若者二人から、キエスタ語の単語が聞き取れた。

 男、女……ああ、両方だと言ってるのか。

 病気……? おいおい、オレは病気でもないんだけど。


 キエスタ語はざっと復習しただけだったが、割と頭に残ってるもんだとシアンは感心した。


「こんにちは」


 ゼルダ語で、声をかけられた。


 キルケゴールとともに声の方向に顔を向けると、グレートルイスのレン=ベーカーが笑みを浮かべていた。


 レンが差し出した手を、キルケゴールは両手で包み込む。


「全快されて何よりです。叔父が心配していました」


「ありがとう。ブラックは、元気かね」


 レンの父方の叔父、ブラック副大統領は青年時ゼルダに留学していた。

 そのとき、同じく学生だったキルケゴールとは交友があった。


「はい。と、言いたいところですが、この間痛風になりました」


 愛嬌のある笑みで答えて、レンはシアンに目を移す。


「始めまして。シアンさん。お会いするのは初めてですが、あなたのお話しはうかがってますよ、彼(・)から」


 言って、レンは後ろの離れたところにいるカチューシャ市国群の中のアルケミストの方を見やって、示した。


「始めまして。シアン=メイです。ベーカー秘書官」


 シアンは笑顔でレンが差し出す手をとる。


「レンでいいですよ。未完成の彼の絵を拝見しました。彼の絵は美しいが、実物のあなたはやっぱりもっと美しかった。それに、あなたの笑顔はとてもかわいい」


 さらりと賛辞を述べるレンに、シアンはお礼を返しながら、あーこの人かなり遊んでるなあ、と感じとる。

 まあ、彼の母親はベーカー家の一員だ。

 ベーカー家で生まれた以上、そうなるのは当然か。


「アルが、あなたにどんな話をしたのか。聞くのが不安です」


「いえ、あなたが心配されるようなことは何も。ゼルダの神秘に包まれた世界を、小出しで会うたびに話してくれます」


 レンはくるくると笑みの種類を変えながらそう言うと、


「彼の絵の事であなたと彼と3人でお話したいと思ってました。キルケゴール長官、彼女を少しお借りしてもよろしいですか」


 隣りに立つキルケゴールを見る。


 キルケゴールは、口髭を動かして笑みをつくった。


「もちろん。必ず彼女を返すと約束してくれれば。さあ」


 そう、彼はレンに答えるとシアンの顔を見ながら、シアンの背中をわずかに押した。


 やたっ。

 シアンはキルケゴールに頷き、唾を飲み込む。


 レンに促されるまま、彼の少し後をついて行く。


 カチューシャ市国の人々は、二階へと上がるらせんをかいた階段の下に集まっていた。


 その中に、ひとり際立って背の高い、痩せた男を認める。

 カラスを思わせる黒いスーツ、眼鏡をかけた姿はアルケミストだ。

 キルケゴールと彼は同じ遺伝子を持ってるなんて信じられない。


 彼が、レンと歩いてくるシアンに気付いてこっちを向いた。


 く、とシアンは喉がなる。


 アルケミストが近くにいる彼らに何か話す。

 彼の言葉に、カチューシャ市国の面々がシアンのいる方向に顔を向けた――。



 ――バチャッ!


 頭に落ちて来た液体の感触に、シアンは足を止めた。

 周囲の人々が小さく声をあげた。


 振り返ったレンが、シアンを見て目を見開く。


「シアンさん! 大丈夫ですか?」


 髪や、頬を伝う薄ピンクの液体は、ワインの香りがした。


「まあ、何てこと!」


 頭上から艶のある声があがる。


 シアンは上を見上げた。


「ごめんなさい! うっかり手が滑ってしまって」


 階段の手すりから身を乗り出して見下ろしているのは、シルバーブルーのドレスを着た燃えるような橙色の髪の女性だった。


 顔にかかる、ゆたかに波打つ髪の房のあいだからのぞくのは琥珀の瞳ーーウルフズ・アイ。

 その目がシアンの黒い瞳をとらえた。


 髪からロゼ・ワインの雫を垂らしているシアンを、レンは心配そうにのぞきこんだ。


「シアンさん?」


「……大丈夫です」


 とシアンはかるく頭を振って雫を落とすと、前に向き直った。


 にっこり、とシアンは微笑みをつくり、彼に告げる。


「失礼、ちょっと化粧室へ」


 周囲の視線を独り占めにしながら、シアンは歩き出す。


 濡れたシャツが首元に張り付くのを感じる。

 ホールを出て廊下を歩くと、通りすがる人々が、自分を驚いたように見つめた。


 ホールから遠く位置する化粧室まで歩き、シアンは中に入った。

そのまま、ドアにもたれると一呼吸置いて、シアンは笑い出した。


「分っかりやす……なんつー……」


 腹の底からおかしさがこみあげる。

 ひとしきり声を上げて笑い、天井を仰ぐ。


「やってくれんなー。……さすが、ヴィクトリアさん」


 額に落ちて張り付く前髪を撫で上げると、シアンは一息ついた。


 まあ、でも、彼女のおかげで緊張が吹っ切れた。


 シアンは化粧室の磨かれた鏡前に手を着き、鏡に写った自分の姿を見る。


 彼女から脅威だとみなされたって、ことか。

 じゃあ、オレもこの中でなかなかいいセンいってるってことだ。


 大胆不敵の笑みが、鏡の中から自分を見つめ返す。


「……本領発揮しないとな」


 ……さて、そう言ってみたものの。


 冷たく感じ始めた上半身を見やって、シアンは思案する。


「どうするかな」


 服の替えなんか、持ってねえし。

 今から、急いで帰って出直すか?


 いやいや、時間がもったいねえ。

 せっかくのチャンス、無駄にしてたまるか。


 その時、化粧室の外を誰かが歩く気配に、シアンはそっとドアを開けて見る。


 廊下の壁に背をもたれて、煙草をまさに吸おうとしていたのは、スタッフの男だった。


 迎賓館の片隅に位置する化粧室だ。

 他には誰もいない。


 彼は、タキシードに似た黒い制服を着ていた。

 体型は、シアンと似たような身長でひょろっとしている。

 まだ、青年になる手前の若さの男だ。


 彼の顔に治りきらないニキビを認めながら、シアンはドアから顔を出し、彼に声をかけた。


「ちょっと、そこのお兄さん」


 シアンに声をかけられた男は、びっくりした様子で、あわててタバコを外し、こっちを見る。


「……はい!」


 ちょいちょい、と手招きするシアンに彼はタバコをしまって近づいた。


「何でしょう……」


 と、近づいた彼はシアンの美貌に気付き、目を見張って息をのんだ。


 そんな彼を、シアンはシャツの胸元をつかみ、中へ引っ張り込んだ。


 ドアを閉めて、彼の背中をドアに押し付けたシアンは、彼を見てにっこりと微笑んだ。


「サボってたの、黙っててやるからさ。おねーさんと、着せ替えごっこしよう」















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