第2話/12


「彼女について、君たちが知らないであろう事実をひとつだけ」

 そう言うと、カカシはアリスに向けて人差し指を立てた。



「――ドロシーは、FPライダーを絶対に許さない。たとえ自分がどうなろうが、ね」

「え?」

 少女の目が、信じられないというように見開かれた。



――そうして、カカシとアリスより遥か下。

 現在最強と目された若き少女FPライダーは自らの翼を手放した。空に放たれたのは光の粒ではなく、幾つもの大粒の涙だった。



 ◇






 

 そんなとこは、誰に問われるまでもなく、少女自身が一番理解していた。

「……知ってるから」


 短く切り出された言葉に、ドロシーを見下ろす双子はそれぞれ、同じように首を傾げた。

 標的の様子がおかしい。ずいぶんと傷を抉ってやったから、それは当たり前だった。願わくば自らボードを足から離して、地上に落ちてくれれば良いと思っていた。

 それはもう、叶う願いだった。なにがおかしいのか――本当ならすぐにでも気づける筈の異常に双子が気づいたのは、結末の寸前になってからだった。


「……ハンプ? そういえば――」

「あぁダンプ。同じ事を考えているみたいだね、僕ら」


 ドロシーは止まっていた――? 


 空中で? 空を走りもしないで?


「カカシのを奪ったのは、あたし。カカシからランスロットを奪ったのもあたし。あんたたちから頂上を奪ったのもあたし。そんなこと知ってるよ。そんなことは知ってるし、カカシがあたしをどんな風に思ってるかなんて、いちいちあんたたちが喋らなくっても十分にわかってんのよ」


 ドロシーは双子を――その上にいる、アリスとカカシを見上げた。飴色の髪が風に浚われる。青い瞳は……これ以上ないくらいに、仇を見つけた復讐者のように鋭くなっていた。

 ドロシーのFPボード<サンデイウィッチ>は際限なく光の粒を裏面に溜めている。それの意味するところ――彼女はのだ。

 車に例えるなら、アクセルを限界まで踏み込みながら、同じ力でブレーキをかけ続けている。エンジンの嘶きが、ボードにしてみれば小さな太陽を形成するに至っているという、単純な事実。

 

 双子は初めてドロシーを前に戦慄した。

 


 空を走るライダーにとって……否。空を飛ぶという全ての存在が、そのまま空に留まるということに対しどれだけの技術、どれだけの苦労を要するのかと、今更ながらに思い至る――!


「あいつはねえ! なのッ! どれだけ嫌いか教えてあげようか! あんたたち知りたがってたじゃない! 『自分の足を奪った奴が隣を楽しそうに飛んでるのがどんな気分か』って!」



 太陽が弾けた。押し殺され、溜まりに溜まった推進力が放たれる。

 

――ビッグベン通りを軍勢が駆け抜けた。

 


――路地裏で、四つ牙のライオンが咆哮を上げた。

 


それら全てが、少女の胸に秘めた慟哭を表すかのように。



「良い気分なワケないでしょ――それでもカカシは、自分が毎回毎回、傷つくのわかってて、それでもあたしを傷つける方を選んだの。あたし以外のライダーを知らなくたって当然よ。だってあんたたちの誰ひとり、あいつランスロットの傍まで飛べなかったんだから。だってあんたたちの誰ひとり、何であいつランスロットが空を飛んでたか勘違いしっぱなしで、なんて知らなかったんだから――!」



 その言葉の直後、時計塔の鐘が鳴った。ティー兄弟は、おそらく人生で最も速い、FPボードの疾走を見た。


 或いは、記憶に焼き付いて離れない――在りし日のランスロット伝説のそれを上回る――


 だがそれも当然だ。


――スカイフィッシュシリーズ、モデル<サンデイウィッチ>には、のだから。


「トリックトゥ・カットアウト……<ボードスパイラル>ッッ!!」


 直上に向けて飛んだドロシーは、そのまま自らのボードを。側面を踏み込み放たれたボードは、銃弾のように螺旋回転する。


 カットアウトトリック。乗り手がという、誰も使わない、空を飛ぶということに関してまったく意味を持たないそれを使ったのは、世界にただ二人。

 ドロシーと、彼らがランスロットと呼ぶ、かつての空の王者だけだった。

 人間という余計な重みを無くし、定められた風の道を一直線にジャイロ回転しながら突き進むボード。迫り来るそれを前に、双子はその名を叫んだ。



「「サンデイウィッチ――!」」


 ――それがドロシーというFPライダーの駆るボードの名前であり。そのまま彼女の渾名だった。

 チャペルの鐘に歌う、常識破りの日曜の魔女サンデイ・ウィッチ。その非常識さは見ての通りだった。




















「――落ちろ。その名前を呼んでいい人間は、この空のどこにもいない」











 誰よりも先に墜落しながら、ドロシーは手の甲を向けたVサインで『くたばれ』と舌を出す。弾丸のように飛来するボードに、スカイラウドシリーズ・モデル<ジャバウォック>は一息で砕かれた。





「え?」

 アリスは理解できなかった。カカシが何を言ったのかも、自分に何が起こったのかも、下の双子に何が起こったのかも、ドロシーが何をしたのかも理解できずに、突然の墜落に、そんな間の抜けた一文字しか、言葉を発することができなかった。

 双子のボードを撃ち砕いてなお勢いを緩めずに、サンデイウィッチがアリスのボード、クィーンオブハートをも撃ち抜く。

 遥か下に広がる水面。段々と速度を上げながら近づく青に、アリスはやっとのことでボードを砕かれたのだと悟り――


「……じゃあ、貴方の傍で飛ぶのは誰なのかしら?」


 と、届かない手を必死に向けるドロシーを見て、少年に問う。

 空中で振り向くと、そこにカカシは――HT2Sは無かった。両翼から溢れ出る光の粒を二本の帯にしながら、赤い飛行艇は時計塔の文字盤に向かっている。

 連想したのは朝顔。支柱に絡むように伸びる蔦。光の帯は、時計塔を中心に螺旋を描いて、現れた赤い飛行艇は太陽を背に、顔をこちらに向けている。


「信じられない……」


 そう言ったのはアリスで、それを同じく目撃した落ちている双子の心境も同じだった。

 上昇気流を受けながら、時計等の壁面ポールを軸に回転しながら上昇する。

 トリックトゥ・ライドオンエアー<アッパーソウル>。FPライダーの誰もが憧れる難度最高位のトリックを、カカシはこともあろうか飛行艇でやってのけたのだ。それが、前人未到の行いだとするならば。


「……レイチェル、

「了解です、マイマスター」


 落下する人間の誰よりも速く空を縦断し、下降する飛行艇の速度は、人間に到達するのは不可能なスピードだった。

 FPの推進力に加え、飛行艇が持つ本来の飛行手段……エンジンによる加速。あっと言う間もなく、HT2Sは三人をごぼう抜きにし、


「……あたしが伸ばした手が、絶対カカシに届かないんだって、知ってるもん」



――少年は、少女を捕まえた。

「でもね、知ってるよ。カカシがあたしを捕まえようとしたら、絶対に捕まっちゃうって」

 抱きとめられたドロシーは、両手で自分の両目を覆った。

「……勝手に落ちるなよ、ドロシー」

 カカシはドロシーを見ない。見ている余裕もなかった。操縦桿を片手で握り、強引に機体を持ち上げる。

 川の水面を波立たせながら、HT2Sは浮上に成功した。

「……ッ! だって、だって許せないんだぁッ! カカシはFPボードに乗れなくてっ、ランスロットって名前だって、足だって捨てちゃってっ! なのにまだ……っく、まだぁっ……まだそう呼ぶヤツが居るなんてっ! カカシが望んでないのに、カカシに望むヤツが居るだなんてっ! ひっく、うぅ……あたしはそんなの、許せないよぉ……ッ!」


「ドロシー、ドロシー。僕は――君の事が嫌いだ。大嫌いだ」


「うん、うん……!」


 水面に、三つの水柱が上がる。飛沫が飛んで、ドロシーの押さえた両手から、堪えきれずに大粒の涙が空に撒かれた。

「君はランスロットから空を奪った」

「うん、そうだよぅ……」

「昔から嫌いだったけど、そんなこともあって、僕は君が物凄く嫌いだ」

「うん、そうだよねぇ」

「だから、勝手に死ぬのは駄目だ。僕が許すまで……ずっと許さないから、僕の傍で飛んでいろ」

「……ドロシー様。空を飛ぶ条件を」

 沈黙を守っていたレイチェルが、無機質に……けれど少しだけ優しく、少女に問う。

「……ひっく。楽しいことを、考える」

 でもあたし。楽しくなんてないよ。

「正解です」

 でも、楽しいことを考えないと、飛べないんだよね。とドロシーは嗚咽を交えながら、呟いて。涙でいっぱいの両目から、手を離した。

 

滲む視界に、七色が映っている。

「……カカシ、知ってた? レイチェルもさぁ……」

「うん?」

「Pi」


 時計塔が遠ざかる。少女は目を擦って、泣いたような声で、それでも笑った。


「……虹の向こうには、宝物があるんだってさ。いつか、行こうね、絶対」


 着水ドロップアウトした三人の起こす、三本の水柱が作った虹を見ながらドロシーは言う。

 カカシの頭にも、レイチェルの搭載した情報にも……虹には終わりなんてなくて、そもそも虹というのは光の屈折が起こす一現象という、味気ない事実があったけれど。


「……そうだね、いつか行こう。宝があるなら、僕らは奪わないと」

「良い選択です、マスター」


 少女の見る、小さな夢に。ふたりは優しい嘘で答えた。



「マスター。ミスターヴァレンティーノから通信です」

「うん……レオ? どうしたの?」

『あぁ坊? 悪ィ、しくったわ。今回のヤマ、無しにしようぜ』

「うん了解。っていうか遅いよ。スズも見た感じ無理みたいだしね……今日はこのまま解散しよう……ドロシーもボード無くしちゃったしさ」

『あいよー。あぁ姫、聞いてっかぁー?』

「……なによ。あたし今、ぐちゃぐちゃなんだけど」

『フリッツ通りで新作のアイス出たってさ。坊に連れてってもらえ。そんじゃな』

「通信、終了です」

 レイチェルの言葉を最後に、暫しの沈黙が訪れた。

「……カカシ、あたしアイス食べたい」

「……わかった、行こうか。僕もちょっと暑いし」

「Pi」

「レイチェルの給油も必要だしね。今回は失敗ということで、二人とも良いかな?」

「Si.問題ありません」

「問題ないよ、カカシっ! にしし。カカシ、大好きっ!」

「僕は君が嫌いだよ」

「うん、知ってるよっ」

 こうして、ロンドンを――世界中を騒がせた事件は終わった。



 ミリオンダラーの二番【大強盗】OZと、同じく八番【怪盗】不思議の国ワンダーランドの戦いは、OZの勝利で幕を閉じ――



 その戦いを見聞きした連中が、世界中で更に声をあげた。

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