第2話/11



「貴方がドロシーを好きじゃない、ですって……?」

 問う、というよりは寧ろ、その言葉はもう一度自分自身に言い聞かせるようだった。アリスは怪訝な顔で正面――カカシを見る。風に揺れる紅茶色の髪。その下にある瞳は、ひどく冷めていた。まるで楽しいことなど一つもないとでも言いたげなほどに。

 カカシは息を吐く。覚えの悪い生徒に対する教師のようだ。

「僕としては他人の色恋沙汰に口を出すのはあんまり趣味じゃないんだけどね。事実、アリス。君が僕を欲しがる理由が何であっても――君たちの言葉を借りるなら『君の宝物が何だって構わない』んだ。それは君たちでも、ドロシーでも変わらない」

 カカシは淡々と言葉を紡ぐ。それは空中で交わすには弱く、しっかりと聴くことに意識を向けなければ耳に届かない、独り言のようだった。


 二人の間に流れた奇妙な空気。それが転機だというように、ロンドンの地上と空中は劇的に様相を変えていった。


 カカシと四人のFPライダーが飛んでいる空で、誰よりも荒々しく光の粒を撒き散らしていたドロシーは今、誰よりも下で停止している。その様子を見ている双子にも、人を食ったような道化的な動きはない。

 

 空中の動きの停滞に対して、地上は戦争のようだった。ビッグベン通りは火と煙と人々の悲鳴に日常を塗り替えられている。


 その路地裏では、目立つことなく人間の限界点を測定するような、剣と銃の一騎打ちが行われていた。


「大体さ」

 一度、間を取ってカカシは問う。

「君らも知っていることだろう? 僕からを奪ったのはドロシーだって。というか、そう言ったのは君のとこの双子――名前はなんだっけか。トゥイードル?」

「……ティーよ」

 あれだけ煽られていながら、もうその名乗りを覚えていないカカシ。下の双子が聞けば、どんなリアクションをしただろうか。けれどアリスは少しだけ疑問だらけの心を落ち着けられた。

 わたくしの知っているカカシは、そういう人間なのだ。自分の印象は間違ってない、と。

「ん、そうだっけ。まぁ良いや……それで、そう言うんだったらこう思うのが普通じゃないのかなぁ。“カカシはドロシーを恨んでいても仕方がない”ってさ」


「……仮に、そうだとしましょう。ええ、貴方のドロシーに対する感情がそれでも良いわ。でも、それでは理由がつかないの。これは、わたくしの目的に関係あるのだけれど……カカシ。なら貴方は何故、飛べないというのに、空を? ボードに乗れないからって、そんな飛行艇に乗ってまで。貴方が空を愛しているのは誰でも知っているわ。だけど、その傍にドロシーが居る理由なんて、ない筈よ」

 その言葉に、カカシは頭を掻いた。

「わかんないかぁ……自分の気持ちを言葉に出すって難しいよね。好きでもないし。それよりもアリス、気になったことがある。……今の言葉のどこに、君の目的が関係してるの?」

 頭を掻いた手は操縦桿に戻ることはなく、そのまま緩く前髪を上げて、あらわになった瞳で、少年はアリスを見つめた。

「……貴方の翼。その機体――HT2Sよ」

「レイチェルが? おかしいな、君たちライダーは空を飛ぶのはFPボードだけっていうのがプライドじゃなかったの? だから蔑むように、何度も何度も――これは君たち以外にも、出会ったライダーに言われたんだけど。というか、今、そう言ったよね? って」


 アリスは深呼吸をした。強い意志を込めた瞳でカカシの視線に応える。


「わたくしたち【不思議の国ワンダーランド】が、どうして今日、貴方たち【OZ】を迎えることが出来たのか。お互い神出鬼没の【ミリオンダラー】。その痕跡は見つけられても、こうやって直に迎え撃つなんてこと、何の準備もなく出来る事ではなくってよ」


「そうだね。武器の準備よりも、車にガソリンを入れることよりも、まず最初に必要なのはだ」


 ええ、とアリスは頷いて。


「わたくしが得た情報の報酬として、情報屋さんは貴方の愛機を指定したわ――厳密にはその機体そのものではなく【レイチェル】という名の、人格を持ったシステムを、よ」

「Pi」

 HT2SのAIシステム、レイチェルが短く電子音を鳴らした。“彼女”は主の会話に口を挟むことはない。あくまでも自分はカカシの乗る、一艇の飛行艇であると主張するのかのように。


「それは、わたくしにとっても都合が良かったわ? だって貴方を手に入れるということは、同時にレイチェルも手に入れるということだもの。面倒といえば、貴方を手に入れるということは、同時にドロシーを落とすということで、同時にレオとスズも何処かに行って貰わなきゃならないってことだったのだけれど」


 その思惑は、今の段階でほぼ達成されかかっていた。地上の喧騒の大本はし、OZの目的である時計塔の展覧会が未だ無事であるということは、辿ということに他ならず。一番の面倒事と思われたドロシーも、ハンプとダンプが完全に封殺していたのだから。


「……僕が言って良いかわからないけど、物騒だね、アリス」


 カカシは溜息を吐いた。


「そして、君が答えてくれるかわからないけど、あえて。……その情報屋って何者なの? お金以外で動く――それ以前に、レイチェルを欲しがるだなんて」


「あら、言っても良いのよ? あと、できれば驚いて欲しいわ。だってわたくしだって驚いたもの。……ねえ聞いてくれるかしら。『もしカカシがぼくに興味を見せたら、是非紹介してあげてよ!』なんて、嬉しそうに言ったのよ!」

 

その言葉には、本当に素直に。少女の願いどおり、少年は驚いた。まず、そんな大それた事を言い出したその【情報屋】に対して。


「わたくしの個人的な友人なのだけどね。……貴方はわたくしたちを全く覚えてくれていなかったけれど、この名前には覚えがなくって? ――ミリオンダラーの四番【人魚姫】。わたくしはシルフ、と呼んでいる存在を」

 

――次いで明かされた、情報屋の名前に、カカシは驚きを隠さなかった。

ことネットの海で、知りえない事はないと言われる天才ハッカー集団。

ミリオンダラーの四番。【人魚姫】DIVER-DIVA。


 空に魅せられたこのアリスや双子のティー兄弟、ドロシーたち飛行症候群ピーターパンシンドロームではなく、無限と言っても差し支えない、情報――“電子の海”を自由に泳ぐ電海妖精ダイバー


「……その一人が? 参ったな。嘘だろ、と言うしかないのに、辻褄が合いすぎる……なるほど、彼らなら僕たちの行動を知っていても不思議はないし、その報酬にレイチェルを欲しがったっていうのも納得がいく」


 ――仮の話。もし、この世の全てを知り得た人間がいたとして。

 そんな人間の前に、まったく知らない、が、断固として存在したら、その人間はどうだろう。間違いなく知ろうとする。

 それが何であるか。だって、この世の全ては知り尽くした筈なのに――まだ知らない物があっただなんて、あらゆる感動を詰め込んだ感動しか湧き上がらないに決まっている。

「わたくしたちは、そんなに興味がないのよね、実際。でもレイチェルは、見る人間が見たらお金の懸けようがない存在らしいじゃない。興味はないけれど、ええ。わかるわ? 機械が人のを持っているだなんて。そんなSF、現代では有り得ないもの。貴方のお仲間オズのおはなしだって、ソレを求めて旅をしたんだっていうのに、ね」


 二人の会話は、その後世界に発信されることはなかった。

 もしこの会話がこの場に居合わせた誰かの耳に入っていたら、世界はもう少し叫び声を大きくしたことだろう。

 世界で最大の犯罪者である、【ミリオンダラー】の二番と八番の対決。その火種が、まさか同じ【ミリオンダラー】の四番だったと知られたら、それだけで何が起こるかわかったものではない。



「……驚いたよ。でもお陰で、何が何でも君たちの仲間になる気は無くなった」

「あら。わたくしはついに、その機関銃に撃たれてしまうのかしら」


 余裕のない言葉。けれど紡ぐ口には余裕があった。


「いや、それはどうだろう。どうやら僕たちに限ってだけど――だ」


「噛み合わないわね……もう一度、おさらいしてもよろしくって? カカシ」


「いいよアリス。僕たち【OZ】の目的は、今日開催される展覧会に出る骨董品だ」


「それは構わなくてよ。だってわたくしたち【不思議の国ワンダーランド】の目的は、他でもない貴方なのだから」


「僕らの目的は、単純に日々の糧を得るためだ」


わたくしたちFPライダーの目的は、貴方を得ることで、空の王者になることよ」


「僕とそれがイコールで結ばれていることが一番の疑問なんだけどね、アリス」


「本当に無頓着なのねカカシ」

 アリスは苦笑した。


「だってそうだろう? いちいち飛べない僕を王冠代わりにしなくたって、ライダーが競い合っていれば良いじゃないか。そして一番高いところに上ったライダーが王者。それで何か問題が?」


「……全てのライダーの言葉を代弁するわ。目的は貴方だけれど、わたくしには今日きっと、その義務があると思うから」


 会話の間中続けていたバック走空を一度だけ止めて、アリスはHT2Sの周りを旋回した。


「――どんなに高く上り詰めても、上り詰めただけ空は高くなるの。地に落ちたを、誰も超えられない。伝説とはそういうものなのよ、カカシ。――偉大な海賊がどこかに宝を残して死んでしまったことと何が違うのかしら。人々はそれを求めて海に出るわ。そして見つけた宝が、それが求めていた遺産ではないと思ってしまう。だってそうじゃない? 憧れて、憧れて憧れて物が、そんな風に手で掴めてしまう物の筈がないって。日本では“あこがれ”という言葉はね、カカシ。子どもの見る夢って書くものと、決して届かない景色を見つめると書く、二つがあるのよ。全てのライダーにとって、貴方の居た場所は憬れなのよ。貴方がどう思っているのかは知らないわ。わたくしたち、全てのライダーにとっての伝説。彼らはハンプとダンプのような双子で、ひとりには空しかなく。ひとりには空なんていらなかった。隣に居る自分の分身さえいれば良かった。

でも――ランスロット空の王者という名前は、憬れが憧れになる為に……決めようの無い【一番】を決める為に、どうしても必要なの。貴方がどれだけ、空を飛びたがらなかったとしても」


 再びアリスはカカシの正面を滑る。大事な大事な宝物を抱きしめるように、瞳を閉じて、両手を組んで。


 その、全てのライダーの総意であるという言葉に、








「……そっか。わかったよアリス。君の言うことは一つもわかってあげられないけれど、やっぱり僕らの遣り取りは会話だけで終わってしまう、ということがわかった」


 カカシは、今回の事件の結末をとても簡単に予想できてしまった。

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