第2話/10

――初めに、火薬の量を間違えたのかと思った。

 次に思ったのは、起こした災害が計算を上回る結果を出したのかということ。

 時間にして一秒未満。たったそれだけの時間、それを見ただけだというのに。彼は何をどう間違えたのかを理解した。

 ――自らの心理が童話をなぞる。そう、そいつはいつだって焦っていた。間に合うか。間に合うか。急げ。急げ。早く早く。早く。

 焦燥は心の中だけで、時間の経過は訪れない。だから彼の行動は視認に費やした一秒未満を更に短縮して、可及的速やかに為された。

 起きた災害に対向車は蛇を形作るように列になって止まっている。

 彼も止まっていた。求めたのは確信――それを呪う。得たものはという、事実だけ。


 愛馬ハーレーを急発進させる。アスファルトにタイヤの痕が焼き付く。エンジンはフルスロットル。唸りを上げて、純白のハーレーは鉄の大蛇に向かって駆け出した。

 信じられない。信じられない。信じられないが、自分の起こした災害は目標を喰らわずに今、自分に向かって牙を剥いたのだ。たとえばそう、吹き荒れるハリケーンにボールを投げたような。


 端的に事実を述べるならば。


 後方に向けて投げた懐中時計型爆弾の作る火柱と、それに巻き込まれて弾けた車が、により、ホワイトラビットに向かって来た。



 時間にして一秒未満。それだけの視認で得た映像はしかし、ホワイトラビットの網膜に張り付いて今なお離れない。


 ガラスは粉々に砕け散り、もはや原型を留めていない車がバウンドする。赤々とした爆炎は膨張し続け――その地獄の中から、黒煙を纏って一台のバイクが飛び出した。ワルキューレ・モデル<オーディン>に乗って現れたスズの左手に、ショットガンはない。代わりにもっと禍々しい物があった。グレネードランチャーか、それともロケットランチャーか。いずれにせよ、相手どるのは人間ではなく、戦車という類の兵器。

 疾走しながらミラーで窺う。

 ――そうして彼は、オーディン大神の咆哮を聞いた。


 何のことはない。奴は――スズは自分の前に立ちはだかる障害を、それを上回る破壊で押し通っただけなのだ――!


 ハーレーのエンジンが悲鳴を上げる。車で構成された迷路を、全力で走り抜ける。


 ……背後から迫る破壊音は鳴り止まない。おかしな話だ、ついさっきまでそれを奏でていたのは自分だというのに。

 兎が鈍足を煽って競争を持ちかけた。相手は亀の筈だった。それがどうだ、予想できたとはいえ、追い詰められつつある。

 予想できなかったのは――そのだ。ホワイトラビットは思わず笑ってしまった。


「何もかもがあべこべで、何もかもがごちゃ混ぜだスズ。馬の名前がスレイプニール

ではなかったか。それを駆るのがオーディンの筈だろう!」


 懐中時計が宙に舞う。火柱が次々に上がる。その度に緊急停止していた車の数々が空高く跳ね上がり――そのことごとくがランチャー砲の爆発に飲み込まれた。その都度スズの手から得物が投げ捨てられる。そして、次には新たな兵器がその手にあった。

 小さな物は手榴弾から、大きな物は榴弾砲まで。既に冗談の域にまでカスタマイズされたバイクには、本当に何の冗談か、巨大な弓矢まで搭載されていた。




 交差点に差し掛かる。ホワイトラビットが見たのは、目の前を通り過ぎている真っ最中の大型輸送トラック。選択肢など生まれる筈もない。彼が取った、彼に許された、ただ一つの手段。


――トラックのコンテナに、ハーレーが吸い込まれたようだった。

 車体を強引に倒し、少しの余分もない、車体とタイヤの狭間に滑り込む。

 横転寸前、いや完全に倒れ、アスファルトで車体を削り、火花を盛大に散らしながらもハーレーは前進。二秒きっかりで交差点を抜けた。車体を戻し、再び全力の逃避行に身を注ぐ。今度はバイクを止めて確認などしない。そんな慢心は、心のどこを探しても見つからなかった。


 直後に一際大きな爆発が起こった。スズの障害突破には、先にホワイトラビットが見せたようなスマートさはまるでない。

 直面したトラックのコンテナを、文字通りして、一時もアクセルは緩めたりせず、爆発の中に突っ込み、黒煙を纏って再び現れる。


 どすん、という重々しい着地音。ぎりぎりとアスファルトを高速回転で噛み千切るタイヤの後輪。オーディンはどこもかしこも煤だらけの傷だらけ。乗り手はそれ以上にぼろぼろだった。スーツは所々が焼け落ち、何かの破片で切れた袖からは赤い血が流れている。傷顔には更なるアクセントが追加されていた。それでもスズは止まらずに――奇跡があったのならば、追跡開始直前に仕入れたサングラスだけが無事だったことか。


 時計塔は目と鼻の先。事態の異常さに気づき、本来は展覧会用に配置された警備が待ち構えている。

 なるほど。確かに奪う犯罪者側から見れば、地獄の入り口そのものの光景だ。だが『ぬるい』とホワイトラビットは思った。

 

――お前ら、そんな程度でアレの相手を想定していたのか。

 視線が通じ合うわけがない。それでもホワイトラビットは、まるで前方に展開している正義の味方に「見てみろよ」とでも言いたげに後ろを振り返った。

 

 今度こそ、その光景に瞳を奪われた。

 あり得ない。まるであり得ないし、真実その通り、あり得なかったのだが。オーディンは大神その名の通り――を率いて迫っていた。


 事実は違う。だが、そうにしか見えない程に熱狂的で、もしそうならば、かなり面白い絵だった。


 障害をことごとく破砕しながら突き進むスズを追っているのは、数々のパトカーにバイク。警察だけではなく、中には専業の賞金稼ぎ――カラーズもいるだろう。彼らはただ一様に、被害を無尽蔵に拡大させながら時計塔へ向かっている【賞金首】を捕まえようとしているだけだ。


 それが、スズの目的地であるホワイトラビットには、違って見えたのだ。


 荒野ではなく現代社会の道路を。弓と槍ではなく重火兵器を持って。砂埃の代わりに黒い煙を巻き上がらせ。兵ではなく、自身の敵を連れ迫る、神代の軍勢に。


 ただ一つ。爆弾ではない懐中時計を開き見て、ホワイトラビットは呟いた。独白する。


「……何を誤ったか。アリス――君が欲しがったものは、これほどの嵐を相手にしてさえ、大切なものだったのか……?」


 エンジンの唸り声が聞こえて、ホワイトラビットは顔を上げた。


 少女を不思議に連れ込んだ白い兎は、ブリキの兵隊に追いつかれたのだ。


「スズ――!」

「知れたこと、だ」



 本来の敵陣の目前。本来の目標到達地点。それを意に返さず、相手の表情すら読み取れる距離まで迫り、スズは仏頂面で疑問に答えた。

「お前たちが欲しがったのは、カカシだろう、だ……目的も手段も、【不思議の国ワンダーランド】は間違えた、だ。――おれ達を取りたいんだったら、正面から来るべき、で……そもそもに無断で手を出すな、だ」


 たどたどしい英語とは裏腹に、迷いなく遠慮なく高速で走り来るバイク。


 ハーレーを追い抜き際、最後に残された言葉を、ホワイトラビットは理解できずに――が彼を飲み込んだ。

 それはイメージにそぐわないほど流暢に紡がれた、東の果ての言葉だったから。




『祭りを盛り上げたいんなら、花火に使う火薬の量をケチるな。……粋じゃあ無いんだよ』




 そのままスズは時計塔を横切って、追いつ追われつから追われるだけの身になった。

 今回の事件の主犯が【大強盗】OZであると判明するまでの短い間、彼とホワイトラビットが起こした騒動は“テロリスト、ビッグベン通り横断”と呼ばれることになる。

 純粋に追っ手を振り切るために、アクセルを強め、スズは過ぎ去った時計塔を見上げる。塔の周りを、赤い飛行艇と四つのFPボードが飛んでいた。

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