第7話/4
沽券というモノには果たしていったい、どれだけの価値があるのだろうか。主催者の挨拶を包み込む拍手に加わりながらセイラは思う。
ミリオンダラー。世界にその名を轟かせる、八組の劇場型の最上級賞金首。そのひとつに――【怪盗】
沽券に関わるのだ。プライドに傷がつくのだ。自尊心に
それで、積み上げた金で豪華な家財を揃え、屋敷を構え、社交の場を催し、その人生を謳歌している。そこには金で買ったのだが、困った事に換金できないものが生まれる。
――彼らには、富豪であるというプライドがある。
だから夜会を中止しない。ミリオンダラー? 知った事か、とばかりに根底にある人間的な恐怖を押し込めて興じる。止めてしまえば、逃げてしまえば安全だというのに、その選択を、彼らは――彼らが富豪であればあるほどに、捨てざるを得ない。
安全は金で買える。或いは狙われておきながら、その凶手を撃退、免れたという未来さえ、場合によっては金で買えてしまう。
「……気持ちは、わからなくもないのだけれどね」
そう呟いてから、シャンパングラスに入ったオリーブを口に入れ、彼女は周囲に視線を巡らせた。
一目見てカラーズと解かる連中は十人ほどで、『色つき』はどうやら参加していない様子。主催者、来賓の雇っているボディガードが各要人に最低一人は付ける人数。いざという時には、それぞれの主を身を挺して守るだけの性能を持っているだろう。
それから無害そうな給仕が男女で十人単位。少なくてもサービスに支障が出るし、多すぎても今度は『場』の空気を逆に安くする。主役は今の処、この夜会に出席している人々なのだし、それより多くいても困るだろう。
――主催者が呼びつけた楽団は外して良いだろう。まさかカラーズが扮している、というびっくり事態であるなら、いっそ今回は彼らに主役の座を明け渡しても良いとさえ思える。
「ところで貴方、トランプでも武器にしてそうよね」
傍らでマティーニを飲むオリヴィエに、なんとなしの感想を口にする。
「お望みとあらば。……折角の社交界ですよ、皆様にご挨拶でもしてきたらどうですか、キャロル嬢」
「そうね……でも、少し気後れするのは否めないわ? こういった場に覚えがなくもないけれど、お父様のものと、こう、ね」
「平和に過ぎる、と?」
「そう。だから、カラーズみたいな物騒な方々が居て、ほんの少し安心できる。……染まってきてるわね。ええ、貴方の言う通り、少しご挨拶してくるわ」
深呼吸を一回。それで彼女はどこに出しても恥ずかしくない、令嬢としての笑顔を完全に装備した。
――そして、その準備を見計らったかのように。近くで仕事をしていた給仕の少年が、シルバートレイに乗せたグラスを倒してしまい、シャンパンが夫人の豪華なドレスを派手に濡らしてしまうという失態をやらかした。
「もっ申し訳ございません……!」
可哀想に。頭を下げる少年給仕は青ざめた顔で萎縮しきっている。
「まあ、大変」
豪華絢爛な夜会に興じているものの、やはりどこかで皆、今夜のことを気がかりに思っていたのだろう。ちょっとしたアクシデントで緊張のラインが跳ね上がるのを誰もが感じる視線集中。
その中に颯爽と足を進めるセイラとオリヴィエ。
「素敵なドレスですわね、奥様」
召し物を濡らされた怒りが顔を出す直前。未だ放心の余地のある貴婦人に近寄り声をかけるセイラに、
「キャロル嬢、これをご夫人に」
シルクのハンカチを手渡すオリヴィエ。
「有難う。……準備が良いのね」
「紳士がハンカチを持つのは、自分の手を拭く為ではなく、こういう時に女性へ差し出す為なんですよ」
「あら、そうなの。覚えておくわ? さあ、綺麗になりましたわ。わたくし、まだお酒の味がわからないのだけれど、上等なシャンパンはやはり良いものですわね。だって染みになりませんもの。奥様、こんなことを利用できなければお声をかけられなかったわたくしを、どうかお許しください。――セイラ=キャロルと申します。お父様の代理で招かれたのですが、周りは大人ばかりで尻込みしてしまって。お逢いできて、光栄ですわ」
すらすらと台本を読むように言葉を紡ぐセイラを傍らに、オリヴィエは少年給仕のトレイ上で自分の持っていたマティーニのグラスと、先ほど倒れたシャンパングラスを持ち換えて柔和に微笑んだ。
「これは私が頂こう」
「で、ですが……」
「なに、ご夫人のドレスでさえ飲みたくなるような良いシャンパンだ。どんな味か知りたくてね。残りが一口くらいでちょうど良い」
ひそやかな。けれど温かみのある笑い声が周りに生まれるのを確認して、オリヴィエは給仕を促す。
アドバイスをそっと添えるような自然さで、少年の顔に寄せて。
「――首尾は?」
「もうすぐお披露目。いいよなぁ、こっちは損な役周りだってのに」
「そうか。さあ、行きたまえ。君の仕事はまだまだあるだろう?」
「……失礼します。どうか、この後も良い時間を」
少年給仕はもう一度礼をし、その場を下がった。
その際に視線で示された場所に、もう一人の――並べて見でもしなければ、こんな人の多い舞台では解からない――同じ格好をした少年給仕が、自分の仕事をしている姿があった。
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