第8話/9





 そうして、彼女の番になった。



 国府宮弓は倒れ伏したまま動かない。周りには命令を待つばかりの意思無き人形と化した人々。


 それと、無数に転がる人体のパーツ。



「……ナイト君には感謝しないとなるまい。まったくまったく、どんな武器を使ったのか――」


 バラバラになったの損失を嘆きながら。


「まさに騎士だ。こんなに綺麗な状態を、守り抜くなんてねェ……感服である」



 少年が一命を賭して守り抜いた宝――制服の乱れを除けばこの阿鼻叫喚の地獄絵図において、奇跡でさえある、無事な少女の顎を、グノーツ=フェブラリィは持ち上げた。



 身体は守れた。奇跡の十全さで。蓮花寺灰音の身体には、目に見える傷さえない。



 身体しか、守れなかった。いっそ気絶でもさせてしまえば良かったのだ――今や、意識を取り留めたままの少女の精神は壊死寸前だ。



「今夜はなんと素晴らしい日だろう。何処に出しても恥ずかしくない戦闘能力の人形が三体……もう一体は惜しかった。実に。億人の相手よりも我輩の元に来てくれていればなぁ……」


「そして、君。喜びたまえ。日本人の、君くらいの女性体は需要が多いのである。いやその、食にも通じるのだけれどね? 


 飾り甲斐があり、とても良い値段で売れるよ。そんな風に少女を品定めして、グノーツは機械を取り出した。



 首の折れ曲がったトゥエリ=イングリッドの背に刺さっているものと同じ――八本のコードが蜘蛛の脚のような、小さな液晶を持った機械。



【人材派遣のパイオニア】は意気揚々と語る。少女のブレザーを優しく取って上げ、ブラウスのボタンを外し、脱がせて。



「しかして、中身までニーズに伴うというのは稀だ。そもそもキングのように戦闘用なら人格さえ要らない。もっと言うなら、君のような愛玩用にしたって、ほら」







 とす、と。























「――手ずから、好みに“設定”したいだろう? 我輩、ニーズには応えるのだよ。どうかどうか、クライアントが満足いくような人格を頂きたまえよ、君」



 八本のコードを、背骨に刺した。



「いっ……! 痛い――」


 ボタンひとつのお手軽さ。複雑な処理は此処では行われない。


「痛い、痛い、痛い、痛い、痛いよ、弓くん、弓くん、痛い、弓くん」


「あぁ、済まない。どうしても必要な工程であるがゆえに。君、パソコンは使うかな? アレは安価に新品が手に入るから知らないかもしれないが……中古といえど、良いスペックの物は多く出回っているのだ。そういうものはこうやってね、不要なファイルをアンインストールするんだ。わかるかな、アンインストール。つまりは、うん」









 痛い。痛い。痛くて、どんどん痛いのは流れ込んでくるのに。






「記憶の全てを無くしてしまうと問題が多くてね。何より頭を弄繰り回すとその後につかえるから。フォークの使い方、喋り方から教えるのは面倒だろう? そういうのは家庭で行うべきだよ。子育てなんてのは。あぁそうそう。広く扱っているよ。子どもが欲しい家庭にも、コウノトリのように届けもするさ。君はまた別だけどね」



 思い出はまだちゃんと残っている。


 でも、どんどん。弓くん。

































 灰音わたしが、消えていくよぅ――



 嘆きは少女の口から零れることさえない。彼女の身体を動かすのは今、スマートフォンほどの大きさの機械なのだ。


 何に笑い、何に泣き、何に怒り、何に心を躍らせるのか。


 記憶の全てがあった。


 けれども、それが、わからなくなる。








 ほんの少し前。別離を告げられた。


 それを悲しむ心が消えた。



 キスをした昨日の思い出が残っている。


 胸はもう、高鳴らない。

 


 繋いだ手の暖かさを、まだ覚えている。


 その温度は、響かない。



 初めて逢った記憶がちゃんとあって。


――彼女はその時感じた衝撃は、カケラも残っては、いない。







 結果として、壊死寸前の彼女の人格は、地獄の現実に破壊されずには済んだ。







 しかし、それは壊死という末路さえ、剥奪されたということだ。



 何に従い、何に喜び、泣くのかは彼女が選ぶことではない。


 それは、これからこの“商品”を手に入れた人物が一から決めること。



 瞬きさえ忘れた少女の瞳から涙が頬を伝う。




 もはやそれすら、眼球の渇きを防ぐ為の、人体の生理現象。それでも。


 悲しみが奪われる寸前。



 何もなくなってしまう前に。何もかもを奪われる前に。


 



 電気の速度を超えて想う――


































(たすけて、弓くん。)






































――その泪は、痛みさえ奪われる寸前の懇願だと、少年は信じ――瞬間。




 倒れ伏していた国府宮弓の体ごと、衝撃が蓮花寺灰音の身体を攫って後方に飛んだ。




「――なんと!」


 隠しようのないグノーツの驚嘆。パレードの先頭トラックから更に奥。未だ電飾の明かり届かない、都会の闇の中に二人の姿が掻き消える。


 まるで、そう。



 引き絞られたの弦に番えられた矢が、放たれるように。




「ジャンヌ」



 団長の声に女が頷く。未だ残る88体の“人形”に指令が下される。



「         追え        」「       捕獲して       」「       連れ帰れ       」





 ルナはゆっくりとその行進パレードを進めながら。


 それに付き従う葬列の死者が、肉体の損壊を留める意も持たず、向こうの闇へと走っていく。
















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「その時、私は魔法をかけられました。全部全部、もう何も持ってない私に、もう一度。とても足りないけれど。私の騎士で、私の魔法使いは、もう一度。灰音わたしをくれたんです」




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……弓くんしか、見えない。



 右手が私の頬を撫でる。


 指輪が嵌っていなかったけれど。それは不思議に思わなかった。今の私に、


 ただ、それまでの差異を知っているだけ。



 微笑んでいる。


 それを認識してはいるけれど。照れたりなんだりは、わからない。



 誰も、追って来ない。


 その事実も、追って来たらどうなるかも解っているけれど。だからどうということはない。



 ちょっとだけ寒かったけれど、すぐに冷たくはなくなった。


 弓くんが自分のパーカーを着せてくれた。




 そんなちぐはぐな私。




「蓮花寺灰音が好きなんだよな、オレはさ」


 弓くんは言う。


「テンパり屋で、すぐ泣くし、すぐ笑うし、すぐ怒る。ミーハーでさ。大体こんなナンパ男に引っかかるなっつー。嬉しいけどさ。三日間楽しかったよ。意外と頑固者だったりするよなお前」


 そんな彼の感想が、だからどうだというのだろう。


「そういう蓮花寺に、


 うん。


 



「これから沢山、人生ってのが待ってる。もう、あんま欲しいもの、大事なもの無くすなよ? おにーさん心配だぜ」


 うん。


 


「あーもう時間無いや。マジクソだよなパレードの連中マジ許せん。ちょっとこれから殺してくる」


 


 行かないで。もっと一緒に居たいよ。


「……もうおやすみの時間だよ蓮花寺。起きたらまた、いつもの生活に戻れる。っつーか戻れよ」


 うん。


 でもあと少しだけ。


「オレこれからどうしよっかなー。チェスのメンバーがオレだけとか意味不明なんだけど。ナイト一つで何やれっての。蓮花寺、オレと組む? ウケるぜ」


 今までクイーン不在だったのに、今度はキングとルークとビショップ不在とか。


 そうだね。変。


「あと、ごめんな」


 謝らないで、いいよ。


「……こんなクソな彼氏のことなんざ忘れて、ミーハーな蓮花寺らしく、イケメンに惚れまくって恋に落ちろ。失恋沢山して良いから、その分ちゃんとした幸せ、掴めよ」


…………。


「友達大事にしろよ」


 うん。


「――これで人格構成とか大丈夫かよマジ。不安だぜ……まぁ、オレの彼女に何処の誰か知らんド変態が手ェ出すとか我慢できねえ。残念だったな。初めては頂いたぜ。人格作る意味で」


 うあーホテル行きたかったぜー。


 なんてことを冗談のように言って。


「愛だなんだはわかんないんだよな、まだ。今年で十七歳だし。だから、どこにつけるかは蓮華寺に任せるよ」


 私の手に、小さくて、冷たくて、硬い感触を握らせて。




 がちゃん、と私の目の前が真っ暗になる。


 眠れ、と言われたし、寝よう。



――目が覚めたら、あなたの望む、私になりますように。


 背中、痛いや。



――そうして、私は。


忘れろ、なんて振られてしまいました。なんて勝手な男でしょう。












































「……お前に恋してるよ、灰音。おやすみ。そんじゃーな」



 別れ際までこんな投げやり。





















/弓 -Arc-






――八十八人分の人間のパーツが転がっている。


 その向こうに、国府宮弓は居た。



 やがて、パレードが追いついた。




「……これは」

そして、史上誰も為しえなかった、という行為を実現する。



 狂気を引き連れるハーメルンの狂人、【パレード】ルナの団長グノーツ=フェブラリィと言えど、自らのパレードを止めざるを得なかった。



「嘘ォ!? ジャンヌの兵隊みんな返り討ちィ!? 沈黙シリーズ最新作かよォォォ!」


 最前列トラック運転手、参曲にのつぎマガルのリアクションが全てだった。



「腐っても世界トップ5のカラーズなんで。時間さえくれればこの位のは打てるよ、ルナ。マジ殺す」


 その言葉に込められた殺意が本物であることを証明するように。


 ピン、と張り詰めた空気と同質の音の僅か後。ほぼ同時でさえある。



 通りの端から、斜めの弾道でそれは射出された。



 ドライアイスの絨毯を引き裂くような低弾道。


 という名の矢が放たれ――しかし重量、そして目測を誤ったその一撃は誰も傷つけず、向かい側の路地裏に消えていく。


 威嚇射撃じみた一発の先を、けれど弓は知覚できない。


 


 意識の外に行ってしまった不発弾。やる瀬ねえなあと笑った。



「ではトリックを確かめよう。その後で君を収穫する」


 グノーツはトゥエリ=イングリッドを先行させる。折れた首。しかしかつての身体機能を損なっていない、不死身イモータルと称されたチェスのキングが銃を構えて走り来る。






 ドライアイスの靄の中に散らばるパーツを踏み越える。



 その踏み込みが強ければ強いほどに。




 その一歩は、彼を本当の意味で殺した。



 踏み込んだ右足の脛から下がその場に残る。分断された残りの体が前に倒れる。コンクリートにたどり着く前に、手首は横に。左手は縦に。


 胴は斜めに、首はきちんと。






 切断され、重みからそうは至らなかった頭が反動――グノーツに跳ね返る。


 グノーツに迫った、イングリッドの弾丸めいた頭部を、ゴム製のエプロンをつけた偉丈夫が受け止めた。



「ありがとう、ココノ。……参ったな。これは――“糸”か」


 被服担当――ただし人体の――九重九ここのえココノのフォローに礼を言いつつ、グノーツはナイトの武器を口にした。



「ご明察。踏み込んで来いよ。ボス殺させやがって。バラバラにしたかったのはお前らだっつーの」




 パレードの明かりに照らされて、その瞬間までは不可視を保っていた結界が夜闇に姿をあらわす。


 様々な人間の身体を分断し、その血液を垂らして。



 両の指の全てに嵌る、指輪。


 それぞれが違う太さの糸を中に仕込んだ――国府宮弓ナイト・ザ・アルクである。


 先ほどのコインロッカーを飛ばしたのは、まさにその真骨頂だ。


 二点を分割した指輪で結び、その中心にロッカーを番え、パチンコのように放つ。



 路地を繋げるように設置をすれば、成るほど。


――、意思を殺された人間たちは、進んでギロチン台に走っていったということだ。


 夕陽丘億人を追い抜き様に多分割した技量も頷ける。



「これが、カラーズの【色つき】か。……ふくッ! ふくくくッ! 良い、欲しいなァ……!」



 パレードが行進を再開する。



――勝敗はここに決した。



 トラックの駆動を止めることなど、所詮、どんな線維にも不可能である。



 国府宮弓は動かない。


 もう、駆け出し、討ちに行く――あるいは逃走を図るだけの余力がない。


 少し前、灰音と自分を後方に弾き飛ばし、その衝撃から少女を守った時に、右足が折れている。


 それでも、しっかりと立っているのは、意地だけだ。








 カラーズの【緑】<ザ・タクティカル>チェスはこの日、全滅と言う最期を、世界に知られることもなく。【パレード】ルナの行進は誰にも知られずに完遂される。




 都市伝説のように迷宮入りをした、東京都市部、夜間集団失踪事件の顛末は、蓮花寺灰音だけが知っている。



“普通”でしか無かった自分に訪れた“特別”な日々。



 人格をされた自分。


 そんな自分をもう一度くれた少年にはもう、逢えない。



 けれど、彼女が思っている以上に。













――その結末の訪れ方は、凄まじかった。



チェスは。国府宮弓は確かに負けた。


彼女は知らない。


事実を知るのはもはや、勝利し、生き残ったルナの面々だけ。












この邂逅で、国府宮弓が成し遂げた、もはや誰にも讃えられることの無い敗北えいこうを。















 トラックが前進を再開する。



 鋼線は為すすべなく断ち切られる。



――



 トラックに断ち切られるよりも早く根を上げたのは糸ではない。


 道の両側にそびえるビルの、リングを括られた窓枠だった。手裏剣のように両側から襲い掛かる。


 仕込んだ鋼線五本分のが同じように飛来する。支えとなっていた無機物が、ジャンヌ=アリィと九重九を、圧殺と刺殺へと導く。運転席側のドア硝子をぶち破ったコンクリート片に、参曲の顎が攫われた。



 パレードを止めることは適わなかったが。



「――貴様」


「……へっ。どうした大将、余裕面を落としたぞ。


 張り巡らされた糸は既に途切れ、弓の目の前、ニメートルに展開する最後の結界は、滴る血液によって不可視を暴かれ姿を晒している。


 九重九の持っていた屠殺用の大振りなナイフを持って、結界を超え、グノーツは踏み込み――


「……なんだよ、武器の扱いトーシロくさいぜおっさん」


 避ける余力も無い弓は、刃に貫かれた。



 パレードは止まらない。


 ごふ、と咽こむ弓は、


……」


 口から流れ、唇と耳を繋ぐピアスチェーンに滴る血もそのままに、勝利はいぼくの笑みを浮かべた。






















「――――



 国府宮弓の眼前。一メートル。


 未だ血に塗れていない――肉眼視できぬほどに細い細い一本のナノカーボン製の糸が、踏み込んだグノーツの首を、それはそれは綺麗に、刎ねた。




























 パレードは霧の都に消えていく。







 そうして、路地裏。



 隣の異常を誰も察知できなかった、明かりの絶えない街並みと、誰も抜け出せなかった都市伝説のミリオンダラーが蹂躙しつくした無光の通り道。









































 その間に捨てられるように転がった、






 泪を流しながら眠る、蓮花寺灰音と言う名の少女の姿が、そこにあった。

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