異形の竈(5)
――世界は何て残酷なのだろう。
戦う力の無い人が虐げられる事は知っている、弱い人が強い人に挑む事が無謀な事だと言う事も知っている。強い人が弱い人を玩び、嘲笑い、支配する現実を知っている。
ただ、平穏の中で生きたい人達を、魔族の日常を理不尽に壊していく人達がいる事を知らない人はいない残酷な世界が広がっている事も……。
それでも……それでも人も魔族も、自分にとっての希望を見つける事は出来た。
それが自分を支えてくれる物だと、癒やしてくれる物だと分かっているから。
でも……
――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――
「………………」
「っ」
少しでもティニーの意識を逸らせればときつく、きつく抱きしめているティニーの肌を通して流れ込んでくる彼女の心がどんどん黒くなっていく事に唇を噛みしめるレラ。
(駄目、ティニーちゃんの心色がどんどん黒く……)
この子には、ティニーには救いが何も無い。
奪われる為だけに生み落とされ、役目が終わったと存在をないものにされてしまった。その上、ティニーの心の支えでもあったティファの死は生々しく脈動する血と肉に彩られ突きつけられた。
理不尽や不条理という言葉すら介在する余地のない非常な現実にティニーは負の連鎖に飲み込まれてしまった。何か言葉をかけなくてはならない、何かしなくてはならない、そう考える事が出来ても何も思いつかない、動けない事に焦りだけを募らせていくレラ。
――――ビシャッ
そんな彼女の焦りを扇動するように、レラ達の眼前。何も無い空中に鮮やかな鮮血がこびりつく。いや、レラ達の眼前だけでは無い。その向こう側に広がる白い床と壁は幾つもの血痕と血飛沫で汚れていた。
(どうしたら、どうしたら……)
レラの視界に名無の姿は無い、そしてティニーの心をここまで傷つけたクアス達の姿も。彼女の眼に映るのは耳を押さえてくなる細く甲高い金属が切れる音共に飛び散る火花と、置き去りにされる轟音を生み出しす攻撃によって瓦解していく白い大部屋。
彼女の眼で捉えられるのは名無とクアスが振りまく戦いの残滓のみ。
「――――――!」
「――――――?」
そして絶え間なく攻め立てるようにレラの鼓膜を揺らす激しい戦闘音の合間に、微かに聞こえてくる名無達の声だけ。何が起こっているのか、何を話しているのかも分からない。加えて名無が傷を負っているかも知れないという状況がレラから冷静さを少しずつ確実に削り取っていく。
(このままだとティニーちゃんの心が閉じてしまう!)
心が黒に染まりきる前にティニーに生きる希望を与える。
それがレラに取れるたった一つの選択肢であり行動で有るのだが、それをするには何もかも足りなかった。
何がティニーにとって希望になるのか考える時間も、探す時間も、何より傷つき壊れそうな心を癒やすだけの時間が。もっと言えば、レラはそれを出来る立場に無い。
ティニーの心に平穏を取り戻せる者が居るとすれば、それこそ彼女の心を守り支えていたティファだけ。しかし、そのティファは既にこの世にいない。この矛盾と事実をどうにかしない限り、レラにティニーは救うことは出来ない――
「――こりゃ驚いたね、あたしが出る幕なんてありゃしねえ」
「コ、コーディーさん!?」
ただティニーの心色が黒く染まっていく様子を感じ取るしか出来ず途方に暮れていたレラだったが、自分の背後から上がったそこに救いの声――屋敷で待機しているはずのコーディーが居ることに驚きの声を上げた。
「よう、やっぱりと言うか荒事になっちまってるみたいだな」
「ど、どうしてコーディーさんが此処に?」
「あたしだけじゃない、坊主も一緒さ」
此処にいないはずの自分の登場に驚くレラをよそに、コーディーは落ち着いた声を返し自分の背後を指差す。それにつられて出てくるようにフェイが顔を覗かせる。だが、その顔色は優れない。
「レラさんもティニーちゃんも……無事で、良かった……」
血の気の引いた表情に怯えを孕んだ視線……コーディーはともかくフェイに名無とクアスの戦いが見えはしないだろう。おそらくレラと同じく惨い姿をさらしている実験体達の光景に気分を害されたに違いない。
「………ッ………」
けれど、それだけで眼に見えて身体を震わせる程に怯えるだろうか。
直ぐにでもティニーの心を持ち直したかったが、フェイの怯えようも尋常では無いとレラはティニーを抱えながら立ち上がろうとする。
「坊主は大丈夫だ、それよりティニー嬢ちゃんの方がやべえな」
「コーディーさん……」
しかし、レラが立ち上がるより早くコーディーが膝を付き視線が合っていないティニーの顔を覗き込む。
「こいつはまじぃな」
レラのように心色を読み取る事が出来ないコーディーがそう言葉を溢せたのは、魔法騎士として幾つもの戦場を渡り歩き生き抜いてきた経験からだろう。命がけの戦場に、敗北者達に待ち受ける悲惨な現実を嫌でも目の当たりにしてきたからこそ、事の成り行きをしるレラから何も聞かずともティニーが拙い状況にあるのを察知してコーディーは何も言わず左手をティニーの眼前に掲げた。
その掲げたコーディーの手のひらに温かな白光が浮かび上がり、ティニーの虚ろな瞳は前触れもなく閉じられた。
「心配いらねえ、眠らせただけだ……とは言っても時間稼ぎにもならねえ気休めってやつだけどな」
「いえ、それでも助かりました。どうすれば良いのか考えが纏まらなくて……私だけじゃ何も……」
「何があったか聞かなくても碌でもないもんを知っちまったのは分かる。薄情かも知れないが立ち止まるか、歩き続けるかはティニー嬢ちゃんが決めることさ……で、何であたし達が此処にだったか?」
「は、はい。私達が戻るまで待っていてもらうはずですしたよね……何かあったんですか?」
「ああ、とびきりぶっ飛んだ事がね。まさか生きてる間にまじもんの地獄を見る事になるとは思ってなかったよ」
「うっ!」
「悪い、悪い。思い出したくもねえよな、つっても話さにゃならねえから坊主は耳塞いどけ。あと吐きたくなったら吐いときな、我慢しても良いことねえからよ」
「う、うん…………うぅっ……」
地上で何があったのか切り出そうとしたコーディーの言葉に表情を青ざめさせていたフェイの顔色はより血の気を失い、喉の奥からこみ上げてくる物を必死に耐える様は痛々しい。
コーディーの表情も険しい事から言葉通りの良くないことが起きたのは明白だった。
「んで話を戻すが主人殿と親玉が戦ってどれくらい経つ?」
「えっ、えっと……一刻も経ってないと……思います」
「そうかい、やっぱり上で見たのは主人殿達が原因って事かい」
「ど、どういう事ですか?」
「主人殿が戦えば戦うほど上に居る奴らが死んでいってるのさ」
「―――」
コーディーの言葉に金の双眸を見開くレラ、それは驚きで有り虚偽では無いのかという問い詰めの眼差し。見えないとは言え名無が戦っているの事実、彼女の眼で捉えきれないが確実に名無はレラ達と居ない場所にいる。だと言うのに何故こことは別の場所で死人がでるのか、そんな真っ当な疑問がコーディーに注がれる。
「レラ嬢ちゃんにゃあ早すぎて見えねえだろうが――この部屋、主人殿達の攻撃でぶっ壊れる度に直ってるんだよ」
その言葉にレラは間も止まることなく轟音を響かせる隔てられた戦場へと眼を向けた。
眼に見えなくても繰り出される斬撃が、放たれる魔法が、眼にも映らぬ移動を可能にする脚力が、次から次へと室内を破壊していく様だけはレラの眼で捉えることが出来た。
そして、レラは気づく。
数ある戦いの余波で生み出された破損箇所の家の一つを注視し、その壊れた部位が微かに発光して時間がまき戻るかのように直っていく事に。
「人の傷を治す魔法はあるが物を直す魔法なんて初めて見た、多分あれのせいで上にいる奴らが死んでいってる。それも魔力を無理矢理吸われてるなんて生やさしいもんじゃねえ……肉片残らず溶けるように消えちまってる」
「と、溶け……て……」
「ああ、ありゃ見るもんじゃない。見ないにこしたことはねえな」
コーディー達が外の異変に気づいたのは地下の施設で名無達が戦闘を開始して程なく、屋敷の地下室にて奇妙な魔力の流れが発生した為だ。
『――何だ、こりゃ? 魔力がこっちに流れてきてんのか??』
『それも凄い量みたいだね……けど、一つの所からじゃなくていろんな所からちょっとずつ……なのかな?』
『…………一回、様子見に出るぞ。付いてきな、坊主』
『ここにいなくて良いの?』
『主人殿も言ってただろ、やべえ時は逃げろって。それが今かもしれねえ、あたしの思い過ごしだったら戻ってくれば良いだけだ』
『うん、分かった』
歴戦の魔法騎士としての勘か、女としての勘かは分からない。
だが、コーディーが長年の経験から導き出した直感はフェイが信頼を寄せるには充分すぎる要素だろう。
コーディーは大斧片手にフェイを連れ地下室から屋敷の外へと足を向け、そして自身が感じた胸騒ぎが正しいものだったと証明する異変を目の当たりにした。
『……こいつが街中から魔力を引っ張ってきてる原因か』
玄関の扉を開けコーディーの眼に入ってきたのは玄関の更に奥、門を超えて区画全体を繋ぐ街路から立ちこめる赤い光。その光から微弱な無数の魔力が感じられ、この屋敷――正確に言えばこの廃墟区画の地下に広がっている施設に送られている。
それ以外に変わった様子は見受けられず、監視者がいると聞いている天蓋の空も代わらず青空を映していた。だが、それでも今までに無い現象が起きている以上、原因を突き止め迅速に行動しなくてはならない。
『コーディーさん、あの赤い光って何なのかな?』
『迂闊に近づくんじゃねえ、もしかしたら触れただけで魔力を持ってかれちまうかもしれねえ。まずはあたし達に見えてる範囲だけの現象なのか確認する、坊主は高いとこ平気かい?』
『大丈夫だよ』
『なら坊主を脇に抱えて空から様子を見っから、落ちねえように掴まっときな』
『うん』
『良し、行くか』
――風よ、今はその身を安らかに
左脇にフェイを抱えて浮遊魔法を唱え空高く飛び上がるコーディー。
浮遊魔法は風属性魔法から派生したもので、高い魔力が前提であることは勿論のこと精霊とのイメージ共有がより強固である事と高い魔力制御技術を会得している精霊騎士クラスの魔法騎士達が扱うことが出来る上位術式だ。
ただ宙に浮くだけでなく、足場の無い空中でも高速戦闘を可能とする。移動速度に関しては術者の技量によるが、浮遊魔法を使えると言うだけでも個人の力量を測る目安の一つにもなっている。
『こ、コーディーさん……あ、あれって……っ』
『…………ったく、勘が当たっちまったか』
浮遊魔法は空を飛べるのは戦闘面だけでなく情報収集の面でも優れた効果を発揮するのだが、コーディーはフェイに少なからず危険が迫る事としても今回は単独で動くべきだった。
(坊主を抱えて飛んだのはちと失敗だったねえ)
そして、その後悔を抱きながらもコーディーは眼下に広がるラウエルの惨状を冷静に受け止めていた。
――だ、誰か! 誰か助けてくれ!?――
――息……で……な……――
――手が、手!? 足も――
――身体が、動か……何が起き、憲兵はどこ……!?――
――ああっ! あなたっ!? 顔が、崩れて――
コーディー達の眼に映ったのは異様を通り越した怪異に蝕まれるラウエルの街。
第一区画から第五区画、廃墟区域を除いた全ての区画で悲鳴と怒号が鳴り響く。街の住人達は皆等しく地に伏し自分達の身に何が起きたのか理解できていなかった。
しかし、彼等の理解に構う事なく彼等の身体は、区画を禍々しく照らし満たす赤い光によってその形と機能を失っていく。
赤い光は住人達の魔力を吸い上げ、魔力が尽きれば肉体から生命力を絞り上げる。
魔力が尽きた者から順に、髪が抜けおちる者、皮膚が削れ血肉を外気に晒す者、眼球が窪み視界を失う者……手や足、耳に歯。身体の外から溶けるように消えていく。
逃げ出すことも、抵抗することも出来ずむき出しの血肉が脈打つ度に消え、骨、血管、神経――身体のあらゆる組織が何一つ残ることなく様はまさに地獄絵図。その光景を見てしまってはまともな判断を下すことも難しい。
だが、
『坊主、屋敷に戻って主人殿の所に行くぞ! 今ならまだ間に合う!!』
コーディーは思考を放棄する事無く地上へと降り立ち、フェイを抱えたまま屋敷の地下室へ向かって駆ける。
(本当にやべえ何てもんじゃねえ、やっかいどころか最悪だ! 誰が気づくんだ、こんなもんが有るだなんてよ!!)
コーディーは手に持つ大斧や、巨体に纏う鎧で屋敷の壁や床が壊れようとお構いなしに足を速める。それは脇に抱えているフェイも少なからず痛手を負っているが、フェイは目に焼き付いてしまった光景に耐えるだけで精一杯。
何よりコーディーの行動が正しいと告げるように、屋敷の外では赤い光が更に輝きをましていた。
(主人殿達がいる所まで影響が出てると考えたくはねえが……その時は腹を括るしかねえな)
地下室へと続く部屋へと到着したコーディーは、その勢いのまま階段を駆け足で降り迷うこと魔法球へ手を伸ばしフェイト共に名無達がいる地下施設へと足を踏み入れた――
屋敷の地下室で直感に救われ、この場に至るまでの成り行きを思いだすコーディーは苦虫をかみつぶしたように奥歯を食いしばり恐怖に耐える。そんな彼女の姿はレラが肌に触れずとも嘘を言っていないことを証明していた。
「……馬鹿馬鹿しいと思うかも知れないが、あたし達が見たもんとレラ嬢ちゃん達から聞いた話をすり合わせて考えた事が間違ってねえなら、あたし達がいた上の街は街じゃねえ。区画だけじゃなく空を覆う天蓋とこの地下の建物を含めた全部が……魔法具だ、それも規模で表すような超特大のな」
「この街そのものが……そんな大きな魔法具……あるなんて聞いたことも……」
「あたしだって同じさ、誰が丸々街一つが魔法具だって考えるかよ。だが、街路全部が魔方陣の役割をしてやがった……待ち伏せも考えて入ってきたんだがそれもねえ。多分だが天蓋の上であたし達を監視してた奴等も主人殿達の戦いを受け止める為の養分にされちまったんだろうさ。あたしと坊主は本当に運が良かっただけだ」
現にここに来るまでに戦闘になる事も罠らしきものが発動する事も無かった、もし監視役の憲兵達がいたのなら間違いなく刃を交えていたはずだ。それが無かったと言うことは、彼等も魔法具の餌食になったと考えるのがだろうだろう。
しかし、今重要なのは二人の戦いの方だ。
名無とクアスの戦いは何とか眼で終えるが、気を抜けば直ぐに見失ってしまう程である。あの二人の戦いが始まったと同時に超巨大魔法具が起動し、戦いが激化すればするほど地上では地獄が続く。
そして、そんな二人の戦いで施設が壊れてしまわないように続けられる阿鼻叫喚の宴も……そうだと分かっていてもコーディーでさえ二人の戦いに割って入る事は出来ない。割って入れば間違いなく一瞬で命を刈りとられるか、そんな彼女を護ろうとして名無の足を引っ張るかだ。
コーディーは自分の目の前で繰り広げられるかけ離れた戦いに、知らず知らず振るえる右手を握り混む。
「…………コーディーさん……ナナキさん、は?」
「もう大丈夫か、坊主?」
「う、ん……なんとか」
レラと言葉を交わした少しの時間で何とか気を持ち直したフェイがコーディーの横に並んだ。レラと同じくフェイの眼では見る事は出来ない、見えないからこそ不安が膨らんでいた。
「主人殿達の戦いは見えちゃあいるが分からねえ。あたしの見る限りどっちも余力を残してる……正直次元が違う、ありゃ人の域を出ちまってるレベルだ」
「ナナキさん、なら……勝てるよね」
「あたしもそう思いたいんだが、とんでもない魔法具ばっかり作る奴が相手だ……主人殿もとんでもねえが上には上がいる。坊主だけじゃ無くてレラ嬢ちゃんも覚悟はしときな、主人殿が絶対に勝つとは言い切れねえからよ」
名無が簡単に負けるとは思っていないが、勝利が揺るいでいるとも予想するコーディー。その彼女の言葉にレラの脳裏にクアスの言葉がよみがえる。
――さしもの君でも死は免れんよ――
(…………ナナキさん、どうか無事で……っ)
決して大きな声では無かったはずの言葉。
しかし、コーディーの言葉を引き金に、レラの中で渦巻く不安と不甲斐なさが否応なしに膨れ上がる。それでもレラに出来る事は何一つ無く、ただ見えぬ壁の向こうで死闘を繰り広げる名無の無事を眠りに落ちたティニーを抱きしめながら祈る事だけだった。
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