第515話 水族館デート (叶・桜)

「結局、奢ってもらっちゃったね」



 ドーナツ屋で会計を済ませると、桜は叶にそう言った。

 叶はなにが嬉しいのか、ニコニコしながら桜に返事をする。



「やっぱり予定通りに、交通費と入場料以外は俺が払うつもりだから」

「そ、そう」



 叶はレジ前に立っている店員にドーナツ代300円を支払った。そのまま2人はそのドーナツ店の敷地内から出ようとした、その時。



「あの、すいません」



 1人の中年と見受けられる、この店の制服を着たおじさんが2人に話しかけてきた。

 叶は即座にその制服についていたネームタグからその人が店長であることを確認。



「…どうかされましたか?」

「えっと、その、少々お待ちいただけますか?」



 唐突に話しかけられ、唐突に待てと言われた2人は困惑する。店の奥の方に消えていった店長は1分ほどして、小さな紙袋を片手に下げて戻ってきた。



「よかったら貰ってくれませんか? 当店自慢のドーナツです」

「えっ…あ…はい?」



 状況を飲み込めない叶と桜は目を点にする。

 そんな2人の中学生の様子を察した店長は、こう続けた。



「私、君達2人を、去年にテレビで…そしてこの間の新聞で見たんです。恥ずかしながらとても感激してね。うちのドーナツ食べにきたのを見て、なにかしたい気持ちになっちゃいまして。……うちはドーナツ屋なのでこんなことしかできませんが、受け取って頂けませんか? もちろん、他のお客様には内緒でお願いします」



 叶と桜は互いに顔を見合わせた。

 あまりに驚きの提案。とりあえず相談することに。



「(どうする?)」

「(せっかくのご厚意なんだし、貰っておいた方が良いんじゃないかとおもう)」

「(やっぱりそうだよね)」



 2人の話は決まった。



「そういうことでしたら、ありがたくいただきます」

「ええ、ええ、どうぞ!」



 ドーナツ屋の店長はとても嬉しそうに、叶に紙袋を渡す。



「ありがとうございました!」

「い、いえ、こちらこそありがとうございました!」

「あ…ありがとうございました!」



 店長が深々と見送りのお辞儀をし、2人もそれにつられて軽めのお辞儀をした。

 


「どうかお幸せに! …はっ!」



 去ろうとする2人にそう、声をかけてしまう店長は、ハッとして急いで口を紡ぐ。

 叶と桜はそれを聞かなかったことにして、そそくさとその場を去った。



「お…おお、お幸せにだってぇ」

「ははは、まだ俺達結婚しないのにね」

「ま、まだ…にぇ。えへへ」



 2人は顔を真っ赤に染めて綺麗な地下路を渡る。

 決して『まだわからないのにね』などとはお互いに言わなかった。どこかで、自分は幼馴染とずっといるのだと、互いに思い立っているために。


 叶と桜はそのまま地下道路を歩いて行き、一つの出入り口で足を止めた。



「ここを出たらあとは徒歩で水族館行けるからね」

「うん」



 そのまま外へ出る。

 叶と桜にとっては何度か通っている道ではあるが、水族館に行く時以外には通らない道。

 その道を大親友でありただの幼馴染から、最愛の恋人同士へと変わった二人は通って行くのだった。

 やがて、水族館へとたどり着く。


 その水族館は街中にあるがゆえに小型だった。

 一つ一つの水槽をじっくり見たとしても、2時間かかれば良い方。

 しかし、この地域周辺の中高生カップルには最適のデートスポットであり、また、それを理解してるこの水族館自体もカップルに対するキャンペーンを多く行なっていた。



「ここくるの何ヶ月ぶりだったかな?」

「……んーと、2年くらいかな」

「そっか」



 小中高生にとっては大きいその2年間を噛み締めながら、二人は水族館の中に入って行く。

 受付で中学生二人分計800円の入場料を支払い、入館。

 中は薄暗く、青色に漂う水槽が数多くおかれている。



「……ね、叶」

「なに?」

「もうちょっと……くっついていい?」

「うん、もちろんいいよ」



 叶のその了承の声を聞き、桜は恥ずかしがりながらも叶の腕に抱きつくように手を握った。

 互いの身体は服越しではあるが、密着している。



「歩きづらくない?」

「全然大丈夫、なれてる」

「そ、そうだったわね。….ありがと」



 桜に合わせて、慣れたように叶は歩く。

 桜はどれだけ自分が幼馴染に守られてきていたかを、さらにまた、実感することとなった。

 そのまま、二人は一つ目の水槽を覗き込む。



「いいね」

「うん」

「こういうまったりとしてるの」



 じっくりと、じっくりと二人は水槽の中の、割とメジャーな魚たちが泳いでる姿を目に焼き付けた。

 


「さんまが泳いでる。美味しそうね」

「う、うん。そうだね」

「あ、今、食い意地はってるとか思ったでしょ?」

「思ってないよ」



 微笑みながら叶は桜の頭をやさしく撫でた。

 桜は作戦通りであるとばかりに、嬉しそうにそれを受け入れる。それから二人は最初の水槽から離れ、前隣の水槽へと目を移した。

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