二章『はじまりの赤』

二章1話  祝福の五人、あの日の影


 マナが満ち、世界の組成を司る十三の精霊王たちと五柱の善神に愛された世界、ルヴェリア。

 愛と命を抱き、育む清浄の大海に四つの大陸が存在する。


 世界の西方に位置する縦長の大陸。その名を《ローレリア》

 霧の時代よりなお古い、始まりの時代の影が垣間見える神秘の大地。

 北部には《グレートウォール》と称される大山脈が広がり、大陸最北端の禁地へと続く山道はルレリア神聖国が固く塞いでいる。

 中央部には遠大な砂漠と無数の迷宮が広がり、探究心溢れる新進気鋭の冒険者らとそれを取り巻く多数の商業国家とが富や名声を巡り気炎を上げている。

 人々は《ローレリア》大陸を指し、冒険と智恵の大陸と呼ぶ。


 尽きぬ白雪が舞う厳寒の大地、霧と英雄の時代の終わり。

〝霧払い〟の末裔が率いるは強壮なる十三の騎士団と四人の英雄。

大魔たいま〟が死した地より無尽に現れる霧の魔物を滅ぼし続ける騎士と勇猛の国、ルヴェルタリアがその領土とする北の大陸、《イリル》


 灼熱と血風の混じる砂塵。

 無数の亜人種族が覇権を巡り、数百年に渡って続いた争いは岩と砂を赤く染めた。終わりなき闘争の世界についに王者が現れる。

 誰とも知れぬ骨と、由来も失われた得物が無数に立ち並ぶ無窮の荒野を統べたるは、天下に並ぶものなしと謳われる《七戦士》を配下とするダークエルフの若き皇帝ダルタニア。彼が支配をするゴーレゴード帝国は数多の血を啜った死と渇きの大陸、南洋の《ドーベルガント》にある。


 南東に広がるは《リブルス》大陸。肥沃な大地と豊かな大森林を有する大地にはいくつかの国が存在する。

 竜と争いを続ける、ウサギ型の亜人ラビール族が築きしファイデン竜王国。

〝霧払い〟より爵位を与えられし〝巨人大公〟が治める鍛冶と鉱石の国、ハールムラング巨人領。

 かつては黄金と栄華を誇り、しかして霧に没した現在では滅びと死があるばかりの罪の亡国、ハインセル王国。

 大陸中央部の大平原とそれを取り囲む山岳地帯を領土とする火と水の国、マールウィンド連邦国。


 物語はその大平原より始まる。

 マールウィンドの南も南、辺境と呼んでまるで差し支えがない土地。畑と豊かな自然、そして温厚な人々以外には何もない僻地にリムルという名の小さな村がある。

 家畜が村中を歩き、他人との垣根は低く、誰しもが優しく温かい穏やかな村だ。その奥には小高い丘があり、風に揺れる緑の草葉の上に大きな家が立っている。ペンキを塗り終えたばかりの窓から中を覗いてみると、そこには五人の男女の姿があった。





「これがお前らの赤ん坊? オレにガキが産まれた時も思ったが野生の猿みてえだよな。よお、オレが分かるか? ん?」


 並の大人よりも遥かに大きな背丈をもつ男がしゃがみ込み、自分の手のひらほどしかない小さな赤ん坊を覗き込んでいる。小心者ならば思わずすくみ上るような鋭い目線を受けても赤ん坊はまるで気にせず、柔らかい笑顔で両手を振り回している。


「先生、リディアが一生懸命に産んだ子供なんですから……からかうのはやめてあげてください」


 赤子を指先でつつく大男を金髪の優男がたしなめた。

 優男は仕立ての良い衣服で身を飾っていて、どことなく成金や貴族然とした雰囲気をまとっている。が、彼の首や指先を飾る装飾品の数々はこの柔和な笑みを浮かべる男がそれ以上の身分であることを明かしていた。

 注意を受けた大男は狼のような顔を歪ませて、「冗談さ、冗談」とくつくつと楽しそうに笑う。小さな赤子はまるで感情の読み取れない微妙な笑顔で、二人の男をじっと見つめていた。



 赤子のそばには白いシーツを敷いたベッドがあり、一人の女が横になったままに赤子を見守っている。栗色の髪の先に汗のしずくが残る彼女は母になったばかりの女だった。


「よくやったな。見届けたぞ、リディア」


 白い人影がベッドの女の枕元に寄り、言う。

 つばの広い真っ白で大きな帽子を頭に被り、着込んだローブは首元からくるぶしまで覆うぐらいに長い。衣服の色もまた雪のような白さだ。

 帽子の下からこぼれた長い髪に、ベッドの女が愛おしそうに指先で触れる。


「師匠……出産て、こんなに疲れるものなんですね。知らなかったあ……」


 疲れた顔だが、満足げな様子で女が言う。

 一方の白い女は眉根を寄せた。それからほんのわずかに微笑を浮かべ、


「まったく、馬鹿者め。私は無痛分娩の医療魔法を扱える術師を紹介してやると何度も言ったろう? だが……痛みを得てこその出産だと、お前を見た今では真摯しんしに思うよ。……頑張ったな、我が弟子リディアよ」


 仲睦まじい二人の女の様子を黒髪の男が腕を組んだままにじっと眺めている。

 壁に寄りかかり、何事かを考えている黒髪の近くへと金髪の男が寄る。二人の距離感は近く、相当に親しげな様子だ。


「フレデリック。今回は第一子の出産、本当におめでとう」


 手を差し出しながらに金髪の優男が言う。


「僕は自分のことのように嬉しいよ。ところで、いや、失礼な問いだと分かってはいるんだが……赤ん坊の名前は考えてあるのかい? もし、もしだ。考えがまだ無いのあれば、勇猛な騎士や剣士に相応しい、ルヴェルタリア伝統の名を僕がいくつか考えてきたんだ。良ければ、いや! 是非それをだな!」


 饒舌に語る貴公子然とした男へと、父となったばかりの黒髪の男が苦笑を返す。


「アルフレッド、落ち着いてくれ。大丈夫だよ、名前はちゃんと考えてあるんだ」

「なんと……いや、そうだな。それが当たり前だ」 優男が愕然とする。

「友よ。それで、彼にはどんな名を?」


 黒髪の男が小さな我が子の柔らかな手をとった。

 墨を溶いたように黒い、自分とそっくりの髪をもつ男児に温かいまなざしを注ぐ。


「ユリウス。この子はユリウス・フォンクラッドだ」


 ほう、と金髪の男があごに指をかけ、思案に目を細めた。一方の大男は狼のように厳つい顔を子供へと近づけて「オレの顏を見て泣かないたあな。大物になるぜ、こいつは」と誉めている。


「ユリウス、か……確か古い剣士の名だったか? 〝霧払い〟の時代に名を馳せた剣士と記憶しているが」

「正解だ。知識じゃアルフレッドには敵わないね。昔、ガキの頃になんとなしに手に取った本にこの名前があったんだ。〝霧払い〟のガリアンほどじゃあないけれど、彼の活躍を格好いいって思ってね。いつか子供が産まれた時に名付けたいって考えてたのさ」


 言葉を聞いてベッドの上の女性が楽しそうに笑う。彼女は黒髪の男の妻であり、幼馴染だった。幼いころを思い出した彼女が薄らと口を開き、


「それじゃあこの子もあなたやアルフレッドのような剣士になるの?」 女が悪戯っぽく笑って尋ねた。

「そうなってくれると嬉しいね。でも、出来れば俺たちのようにしんどい旅はして欲しくない。平和な世界で生きてほしい。色んな物を見て、世界の広さを知ってほしいな」」 夫もまた微笑みを返し、妻の頭を固い手の平で愛しげに撫でた。


 柔らかい空気の中、白衣装の女がはん、と鼻で笑う。

 黒髪の男を侮るような顔付き。だが目の奥の色は親密だ。横髪をかき分け、自信に満ちた調子で白いローブの女が言う。


「よりにもよって剣士など。まったく野蛮だな。私としては魔法を今から教え込むのを強~くおすすめするぞ。幼いころよりこの私が手ずからに教育を施せば、将来は偉大な術者になれるに違いないのだからな。天を掛け万雷を放つのも……」

「そりゃあお前、二人目が産まれた時にしとけって。それか自分で産んだらだな。イルミナみてえな、顏だけはいい偏屈婆さんを気に入る男がこの地上に居るとは思わねえが」


 しん、と場の空気が冷たく張りつめたのをその場の誰もが感じた。

 赤子だけは知らぬ顔で両手を振り回し「あ、あ、あっ」と赤子らしい声をあげている。


「私が……婆さんだと?」


 白衣の女が威圧を放ちながらに身を起こす。薄い金色の長髪が、風も無い室内でふわりと揺れた。


「シワのひとつも無いこの私のどこが老人に見えるのか、どうか後学のために教えて頂けないだろうか、閣下?」


 怒気をはらんだ声が静かに響いた。


「若作りしてるだけだろ、お前は。うちの国王陛下が乳母車でぎゃんぎゃん泣きわめいてる頃からお前はそのまんまの外見だったじゃねえか」

「ああ……それはきっと記憶違いだな、可哀想に。長命も良いことだけではないという好例だ。二百歳を越えようとも、《北天の英雄》という名誉を受けようともボケてしまっては醜いものよなあ」


 大男が薄灰色の瞳で白衣装の女をじろり睨む。その視線は獰猛な狼を思わせ、小心者であれば回れ右で逃げ出すほどに恐ろしい。

 他の面々は肩をすくめて傍観している。彼らにしてみればとっくに見慣れた光景だった。


「俺がボケただと?」


 大男の気配がざわつき、身の回りにぱちりぱちりとごく小さな雷がいくつか瞬く。

「おいおい……今なら許してやるよ、怪我しねえ内に謝っといた方がいいと思うぜ」

「レディを婆さま扱いするような、常識の欠如した男に対して謝罪する言葉を私は持ち合わせてはいなくてなあ。いや、すまないね。本当」 白ローブの女は怯まず、懐から数枚の羊皮紙を取り出した。紙の表面には淡い光が灯っている。


 ぴりぴりとした空気の中、母となった女性がベッドの上からまあまあと両手をあげて制し、貴公子然とした金髪の男が両者の間に割り入った。いつの間に取り出したのか、彼は片手に弦楽器を携えている。


 場の空気を読めない風変りな性格なのか、それとも丸く収める自信があるのか。

 前髪をかきあげると彼はやや酔った口調で言った。

 人の心に不思議と染み入る、よく通る声だ。


「落ち着いて下さい、二人とも。赤子の手前でいさかいを起こしては、彼が怖い思いをする。さて……争いを諫めるには歌が最良の薬であると、古い伝えにはそうあります。ここはひとつ、先人の言葉に従うとしましょう」


 芝居がかった調子で腰を折り、黒髪の男とベッドの上の女に微笑みを送る。

 

「我らが旅の仲間であり、決して忘れ得ぬ無二の友。フレデリックとリディア、二人の授かりし男児ユリウスへと僕が歌を贈ろう。我が愛しき祖国、ルヴェルタリア王国に伝わる古い歌だ。ギュスターヴ、イルミナさん、しばらくお静かに。……では」


 男が椅子に腰をかけ、弦に指をかけた。





    ……遙けき北の空

      冬鳥さえも見ることの叶わぬ北の果て

      風の行く先に一つの古い騎士の国がある


      打ち鳴らす具足は子らの為に

      誇りと白銀の鎧は祖先の為に

      かざす剣と勇猛は霧を払うために

    

      凍てついた工房に灯をともせ

      鋼を鍛えて刃と変えよ

    

      戻らぬ友に見送りの杯を

      道往く友に祈りの抱擁を


      我らが愛すはイリルの大地

      我らが愛すはルヴェリアの空


      冬の風を我らは追おう

      愛しき北のルヴェルタリア


      我らの剣が折れようとも

      晴れゆく空に涙は流さぬ……




    

「二人の友とその子、ユリウスに祝福を。僕たちがまたこうして出会えれば良いと、遠い北からいつも祈っているよ」

 

 弦の音が窓辺を越える。

 あの日の五人の男女がその頬を撫でた赤子は大きく育ち、父が祈った通りに世界への憧れを小さな胸に抱きはじめていた。


 

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