オースター孤児院

闇の中を、シーパルは歩き続けた。

何日も、何ヶ月も。

ただひたすら歩き続けた。


たまに、呼び声がするような気がする。


体は、やはり思うように動かない。

重くはない。

ただ、動かない。


一歩進むのに、何十秒もかかる。

それでも、進み続けた。


呼吸も、遅い。

体が、呼吸を必要としていないのではないかと思えた。

苦しくはない。


闇が拡がっている。

どこまでもどこまでも。

現実感など、全くない光景。


ここがどこなのかも、疑問に思わなくなっていた。


闇は、ただ深く、そして当然のようにそこにある。


自分が誰なのか、何度もわからなくなった。

その度に、必死に思い出した。


シーパル。

シーパル・ヨゥロ。


完全に忘れてしまうのは、まずい気がした。


忘却は死ではないかと、漠然と感じた。


忘れてしまえば、自分という存在は失われてしまうのではないか。


この闇と、混ざり合ってしまうのではないか。


恐怖に近い感情が、湧き上がってくる。

いや、紛れも無い恐怖だ。


闇の外から、名前を呼ばれた。

何種類かの声が、何度も何度も。

それが、とてつもなくありがたい。


この声が聞こえる間は、思い出せる。


シーパル・ヨゥロが、失われることはない。


何日が過ぎただろうか。

闇の中で、なにかが見えた。

ここで目覚めてから初めて見る、闇以外の色。


近付いていく。

何日もかけて。


最初は点でしか見えなかったそれが、次第に大きくなっていく。


それが人だと、シーパルは気付いた。


女性である。

緑色の髪をした、闇に浮かぶ女性。


シーパルを呼んだのは、この女性だろう。


ゆっくりと、近付いていく。

女性に。


だけど、それだけではない。

もっと、他のなにか。


真実だ。

真実に、近付いている。


闇の中、なぜかそれを確信した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


四囲に山がそびえる盆地に、ロウズの村はあった。


小さな規模の村である。

村人は、一千人にも満たないという。


白い雪に埋もれたような村だった。


年が明けると、積雪量はさらに増すという。


凍える寒さだが、出歩く村人は多かった。


「雪国の農村って、冬は寂れる印象があったけど、ここは逆なんだな」


雪に降り積もられると、農作業はできない。

だから、街へ出稼ぎに行く。

よって、冬の間は村は寂れる。

ルーアは、そう思っていた。


「そりゃ、ヒロンの栽培やってますから」


ティアの声は、少しだけ明るい。

昼過ぎの時のような悲壮感は、消えていた。


擦れ違う村人の何人かは、ティアに気付くと気さくに声をかけてくる。


それが、ティアに元気を取り戻させているようだった。


馬車は、村の外である。

道が狭く、大型の馬車は通りにくい。


デリフィスはシーパルを背負い、黙々と歩いている。


南国出身のテラントやパナは、震えるばかりで口を開こうともしない。


ユファレートは、魔法に無関係な話題に、積極的に加わろうとしない。


オースター孤児院へ向かう途中の話し相手は、もっぱらティアだった。


「さっきから気になってたんだけど、あの平べったい建物はなんだ?」


平たく、そして広い建物をいくつも見掛けている。


大人が、なんとか入れるほどの高さしかないようだ。


屋根に乗り、雪を掻き降ろしている村人がいる。


「畑よ」


「畑?」


「ヒロンの畑よ。野ざらしにすると、雪で潰れちゃうから」


それで、屋根や壁で畑を覆うのか。


「……大変だな」


「大変よ。て言うかもう地獄ね。延々と降り続ける雪をずっと掻いて、水や土の状態も気にしないといけないし」


「人手が必要となる訳だ」


ルーアは、村の中央にある巨大な建造物を指差した。


なだらかな丘を登っている最中である。


丘の頂に、オースター孤児院はある。


巨大な建造物は、見下ろすことができた。


「あれは、工場か?」


一際大きい建物どころではなく、その建造物を中心に村が拡がっているように見えた。


何百人単位の人々が働けるほどの大きさだろう。


「そうよ。『ヒロンの霊薬』の製造工場。及び、他の村や街から集まった出稼ぎ従業員の住居ね」


「ふーん」


おそらく、冬季の今こそが、最も忙しない時期になるのだろう。


「……煙突があるな」


そして、蒸気が立ち上っている。


「『ヒロンの霊薬』は熱や湿気に弱いけど、製造過程では熱を加えたりするらしいのよね」


「なんで?」


「知らないわよ、そんなの」


「知らんのか」


「細かい製造方法なんて知ってる訳ないでしょ。企業秘密に決まってるじゃない」


「まあ、それもそうか」


納得して、ルーアは頷いた。


「じゃあ、工場見学とかできなさそうだな」


別に、工場内部に興味はない。

ただ、田舎の村などで過ごすと、暇を持て余すことが多い。


オースター孤児院の危機的状況を考えれば、退屈することはなさそうだが。


「当然ね」


外部に情報が漏れるなど、以っての外だろう。


じゃあ余所から人を雇うなよ、とも思うが、人手不足ということなのか。


きっと、重要な管理はロウズの村の村人で行い、出稼ぎ従業員には単純な労働をやらせているのだ。


「政府で製造を取り仕切った方が、良さそうなもんだがな……」


「南国ほどの利益は、見込めないからね。民間に製造を任せて、売買は政府が行う方が、国益に繋がるとか聞いたことある」


「そんなもんか」


盗賊団に村が狙われた過去があるとか聞いたことがあるが、当然だろう。


ヒロンが栽培され、『ヒロンの霊薬』の製造のノウハウがあり、おまけに国軍に守られていない。


狙われない方がおかしいのかもしれない。


工場の隣には、軍の詰め所のような建物がある。


村人たちによる自衛の軍だろうが、いかにも心許ない。


まあ、それでも成り立っているのだ。


なにかしらの工夫をしているのだろう。


「……それにしても、よくすぐに『ヒロンの霊薬』が手に入ったな」


「ああ、あれは失敗作だと思うよ」


「失敗作!?」


あっけらかんと言うティアに、ルーアは思わず声のトーンを上げてしまった。


シーパルを背負うデリフィスなども、立ち止まりかけた。


「それで、シーパルは目覚めないんじゃないのか……?」


「あ、違う違う。効能はあるから。失敗っていうのはね、保存料との合成が上手くいかなかった物を言うの。日持ちしないんだって。そういう失敗作は、格安で村人に売られるの」


「ふむ」


シーパルが未だ目覚めない原因は、別にあるのか。


テラントの言う通り、まだ毒を分解している最中なのだろうか。


「失敗作とかあるんだな。歩留まりは、どんくらいなんだ?」


「歩留まりってなに?」


「あー……製品として売れる物の割合」


「六割とかだって」


「低……」


出来上がりの四割は不良品ということか。


もっとも、だからこそ村に出回りシーパルに投与することができたのだが。


「それにしても、詳しいな、オースター」


「兄ちゃんたちが、冬の間は工場で働いてるのよ。しかも結構偉かったりするから」


「なるほど」


「ねえ、あれってさ……」


最初に気付いたのは、視力の良いヨゥロ族のパナだった。


丘の頂上、降りしきる雪の向こう、微かに見える建物の陰。


「……見えてきたね。あたしン家だよ」


オースター孤児院の危機を、忘れた訳ではないだろう。


それでもティアの表情は、少し綻んでいた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


オースター孤児院。

現在は、三十人ほどが生活しているという。


簡単に形容を語れば、質素だが大きな家、というところか。


外観を見た限りでは、造りはしっかりしているようで、粗末な印象はない。


「ここが……」


オースター孤児院。

ティアが、幼少より暮らし育った場所。


(……ん?)


なぜか、変に緊張していることに、ルーアは気付いた。


仲間の実家、家族。

宿を訪れるのとは、訳が違う。

だが、それにしても落ち着かない。


テラントの両親などは、特に気にもならなかったのに。


庭が広い。

なんとなくそれに、好感を持った。


小さな子供たちが四人ほど、庭を駆け回っている。


中学生くらいの眼鏡を掛けた男子が、落ち着いた眼差しで庭の隅からそれを眺めている。


子供たちの面倒を見ているのは、多分ルーアやティアと同年くらいの女だった。


なぜか、背後から子供たちに飛び蹴りを喰らったりしている。


ルーアたち一行に最初に気付いたのは、その女だった。


「ティアちゃあ!?」


甲高い声音で素っ頓狂に叫び、雪に足を取られながら向かってくる。


丸顔でやや幼い顔立ちだが、なかなか可愛いかもしれない。


「え? あれ? なんで? でも取り敢えずは愛の抱擁を……!」


いきなり突進してきてティアに抱き着こうとする。


慣れた感じで、まるで闘牛士のように、ティアはひらりとかわす。


擦れ違い様に女の腕を掴むと、そのまま雪が枝葉に積もった茂みに放り投げた。


次いで、庭を駆け回っていた子供たちが、ティアに抱き着いてくる。


抱き着くというよりは、体当たりのような勢いだったが。


やはり慣れた感じで、ティアは子供たちを受け止める。


「あはは。なんかみんなおっきくなったねえ」


眼鏡を掛けた少年も、ゆっくりと近付いてきていた。


騒ぎを聞き付けたか、孤児院の玄関が開き、二十歳くらいの爽やかな笑顔の男も姿を見せていた。


「ちょおおっと、ティアちゃあ! 差別はいけないと思います!」


先程ぶん投げられた女が、茂みを掻き分け出てくる。


「可愛い弟や妹と、変態な妹では、差別するのは当然でしょ、ミンミ」


冷たい眼差しでティア。


「いやあティア、お帰り」


後から孤児院から出てきた男が、爽やかに言う。


「ただいま、ロンロ兄ちゃん」


「うわあ、ロンロ兄ちゃんだあ!」


ティアに抱き着いていたそばかすがある少年が、いきなり悲鳴のようなものを上げる。


短髪を無理にツインテールにしている少女が、なぜか泣き出す。


ロンロとやらは、優し気な眼で、少女を見つめていた。


「ああ……泣いている小さな妹を見ると、ぞくぞくするなぁ……」


おい、ちょっと待て。


「近寄らないで、変態」


ティアにしがみついていた巻き毛の少女が、毒を吐く。


「ああ……小さな妹に罵られると……」


そして、ロンロは遠くの山並みに眼をやった。


「ティア、俺な……小学校の教師になろうと思うんだ……」


「やめて。お願いだから」


オースター家のやり取りに、テラントもデリフィスもパナも、呆気に取られているようだった。

ルーアも、同様である。


唯一、ユファレートだけは平静を保っている。


以前、ロウズの村を狙う盗賊団を撃退したのが、ユファレートやハウザード、そして、ユファレートの祖父ドラウ・パーターだった。


その時に、三人はオースター孤児院で寝泊まりしたらしい。

耐性ができているのだろう。


「なあなあ、お前ら」


そばかすの少年が、無遠慮な視線をルーアとテラントとデリフィスに向ける。


「どいつがティア姉ちゃんの男だ?」


「ちょっ……チャーリー!」


「決まってるじゃないか、チャーリー」


ロンロが、爽やかに笑う。


「三人とも、そうさ」


ティアが吹き出す。


「なにぃ!? そうなのか! やるな、ティア姉ちゃん!」


「大変なんだよ、ティアは」


「そうか! 大変なのか、ティア姉ちゃんは! ……なにが大変なんだ、ロンロ兄ちゃん?」


「そりゃあ、毎晩毎晩取っ替え引っ替え……」


「ロンロォォォ!」


腹筋をティアに蹴り抜かれたロンロは、情けない声を上げて横転した。


だが、何事もなかったかのように、むくりと身を起こす。


「お兄ちゃんを足蹴にするなんて、ひどいじゃないか、ティア」


「あんたはっ……まだおかしなことを子供たちに吹き込んでんのか!?」


「はははー」


爽やかに笑うロンロ。

怒鳴るティア。

背後ではミンミとかいう女が、抱き着こうと隙を窺いながら、じりじりと近付いている。


取り敢えず、おかしいのが二人いることはわかった。


「えっと、紹介するね、みんな」


いやそれよりも、寒いから早く屋内に。


ミンミを牽制しながら、ティアが子供たちを横に整列させる。

全員、まだ小学生だろう。


「こっちから、チャーリー、ぺぺ、マーレ、ジョニーよ」


「おっす! おら、チャーリー!」


そばかすのチャーリーは元気良く挨拶し。


「初めまして。よろしくお願いしますわ」


ロンロを変態呼ばわりした巻き毛のぺぺは、年齢不相応に礼儀正しく頭を下げ。


「あのあの……よろしくですぅ……」


先程いきなり泣き出した、短い髪の毛を無理矢理縛ったマーレはおどおどとし。


「ぎゃはははははっ!」


ころころと太ったジョニーとやらは、なぜか笑っている。


なかなか個性豊かなようだが。


「……」


無言で、ルーアは空を仰いだ。

垂れ込めた雲、舞い降る雪。


(……覚えきらん)


自信がある。明日か、もしかしたら数分後か、誰が誰だかわからなくなっているだろう。


小さな子供は苦手なのだ。

できるだけ関心を持たず、距離を開けるようにしている。


人間の子供ほど、手が掛かる生き物はないだろう。


ついさっきまで整列していたのに、今はもう、チャーリーやジョニーはルーアの周りをうろうろとしている。


どうやら、伸ばした赤毛が気になるようだ。


確かに、珍しい色ではある。

男でルーアほど伸ばしている者も、そうはいないだろう。


なにはともあれ、子供に纏わり付かれるのは鬱陶しい。


微笑みながらぺぺやマーレと話しているティアに、ルーアは言った。


「足下をうろちょろされると、踏み潰したくなるよな?」


「……同意を求めないで。そんなの、あんただけだから」


氷点下な視線と口調。


「てか、そんなことしたら許さないからね……」


まあ、実際に踏み潰したりはしないが。


「……あれ、レター?」


ふと気付いたかのように、ぽつんと一人離れている眼鏡の少年に、ティアは声をかけた。


「やあ、ティア姉ちゃん」


「……なんか、雰囲気変わった?」


「いつまでも子供じゃいられないよ。小学校も卒業したしね」


レターという少年は、得意気に眼鏡を上げた。


「大人の仲間入りさ」


そういう発言をした時点で、子供である。


玄関の戸が、再び開いた。


ロンロと同じく騒ぎを聞き付けたのだろう、先日も会ったシュアだった。


驚いた表情で、そして不機嫌そうに近付いてくる。


歩く度に揺れるので、つい眼がいってしまう。


煩悩を消し去る訓練など受けていないので、人並みにあるのだ。


「もう、ティア!」


姉としての威厳を出そうとしているのか、腰に手を当て、やや強い口調である。


だが、おっとりとした顔立ちのためか、余り迫力がない。


「なんで来るのよ! あんなに言ったのに!」


「自分の家に帰るのは、当たり前よ」


「そうだけど……とにかく、今すぐ村を離れて」


「やだ。絶対やだ」


姉に口答えするティアに、ルーアはほっとしていた。


落ち込んでいるよりも、うるさい方が余程いい。


沈んでいるティアを見るのは、どうにも落ち着かないのだ。


「あなたたちも……」


「取り敢えず寒いし」


言いかけたシュアを無視して、ルーアはずかずかとオースター孤児院へと向かった。


「お邪魔しますよっと……」


南国の家よりも厚い造りの扉を開き、中に上がり込む。


「ちょっとあなた、非常識です!」


追い掛けてきたシュアが言ったが、それも無視。


拒みたければ、勝手に拒めばいい。


拒まれようと、こっちは勝手に助けるだけだ。


この孤児院の者たちを外敵から守るならば、当然ここで寝泊まりするのがいいだろう。


まずは居座り、説得する必要があるなら時間を掛けてじっくりとする。


力付くで追い払うなど、できはしないだろう。


廊下は広い。

屋内から見ても、家の造りはしっかりしているように感じられた。


「むむ! 侵入者めー!」


早くも名前を忘れてしまったが、そばかすの子供がシュアの脇を擦り抜け、ルーアを指差す。


「喰らえ、でいやぁぁぁ!」


無駄な掛け声を上げながら靴箱をよじ登ると、ルーアに飛び蹴りを放ってきた。


『喰らえ』とかは蹴りと同時に言うべきだよなー、などと思いつつ、少年の両足首を宙で掴み取る。


ぶらん、と少年は逆さに宙吊りとなった。


「うわあああー。つぅかぁまっっったぁぁぁ」


楽しそうだな、おい。


「ちょっとルーア! 乱暴は……ああ、チャーリーか。じゃあいいや」


「うわあ。久しぶりに会ったティア姉ちゃんはなんだか冷たく」


ミンミに腕を絡まれ、引き剥がそうと躍起になっているティアも、続いて玄関を潜った。


他の連中も、玄関のすぐ外まで来ているようだ。


「おい、オースター。俺たちは、どの部屋を使えばいい?」


「えっと、ユファとパナさんはあたしの部屋でいいかな? かなり狭くなっちゃうけど」


「あら、ティアちゃあはわたしの部屋に来ればいいわよ」


ティアの腕にしな垂れながら、ミンミ。


「それは嫌。危険過ぎる。えと、他のみんなは……」


「勝手に話を進めないで!」


精一杯、というふうに、シュアが声を張り上げる。


自然と、みんなの視線が彼女に集まった。


部屋から顔を出す子供たちもいる。


料理の途中だったのか、シュアはエプロン姿だった。


長年使い込んでいるのだろう。

色落ちしたエプロンの裾を握る手は、震えていた。


「……あなたたちは関係ないんだから、今すぐ出ていってください」


「……関係ないってこたねえだろ」


ルーアは溜息をついて、チャーリーを床に降ろした。


まったく、どいつもこいつも、素直に助けを求めることもしない。


「この孤児院に残るってんなら、あんたは覚悟ができてるんですよね?」


リンダ・オースターと、死ぬ覚悟が。


「……だから、なんですか?」


「そんな覚悟をしている奴を、見捨てられるか。ましてや、あんたらはオースターの家族だぞ」


ルーアは、他のオースター孤児院の子供たちに眼をやった。


ふざけていたミンミは、真剣な面持ちになっている。

玄関に戻ってきたロンロもだ。

彼らは、事態を把握しているのだろう。


だが、幼い子供たちはどうなのか。


床に座るチャーリーは、不思議そうにルーアとシュアを見比べている。


「こいつとか、絶対状況わかってねえよな? 逃がすとか、しないのか?」


「逃げ場なんて、どこにも……」


それはそうだろう。

『コミュニティ』は、どこにでもいる。


「ならあんたは、その覚悟もできてるって訳だ。チビどもが、この世から失われる覚悟も」


リンダ・オースターやシュアたちが死ねば、ついでのように幼い子供たちも殺されるだろう。


それは、シュアもわかっているはずだ。


「こいつらが殺されてもいい訳だ。ひでえ姉ちゃんだな」


「そんな訳……!」


「ないよな。助けて欲しいよな。それが本音じゃねえか」


「……!」


「巻き込むのが悪いとか、考えなくていいんで。こっちが勝手に巻き込まれるだけです」


シュアは、深く溜息をついた。


「母さんに怒られるわ、まったく……」


ティアが、シュアの手を取る。


「そう、母さんはどこ? 姿が見えないけど」


「……二日前に出掛けたわ」


「そんな! じゃあ、捜しにいかないと!」


「必要ない。母さん以上に、この辺りに詳しい人なんていないからね。捜しにいっても足手纏いになるだけよ。五日経っても戻らなかったら、避難するように言われてるけど……」


リンダ・オースターは、ストラームの仲間だという。


それも、かなりの使い手のようだ。


ストラームとこの孤児院に繋がりがあるなど、ルーアは知らなかった。


「……じゃあ、取り敢えず戻ってくるのを待つか。オースター、俺たちはどこに泊まればいい?」


「えーっと……」


ティアが口ごもる。

考えてみれば、二年ほど帰っていないのか。


孤児院だから、人の出入りも激しいだろう。

二年もすれば、部屋割りも変わる。


チャーリーが、すっくと立ち上がった。


「なんだ、お前、家に泊まるのか?」


「ああ」


「空き部屋なら、三部屋あるぞ。案内してやろー。ところで、お前、誰だ?」


「ルーアだ。お前の姉ちゃんの……仲間だよ」


「そうか。仲間か。じゃあ泊まるしかないな。ついてこい」


「おう」


なにか背後でティアが呟いたような気がしたが、聞こえない振りをした。


ずんずん廊下を進むチャーリーに、ついていく。

他の連中も続いているようだ。


チャーリーは、一枚の扉を開け放った。


「まずはここが、ティア姉ちゃんの部屋だ!」


「ちょっ……!」


ティアが慌ててチャーリーを突き飛ばし、扉を閉める。


「なにをいきなり公開してるか!」


「だって……ティア姉ちゃんの仲間だって言うから」


「だからって、部屋を見せる必要は……なんで笑ってんのよ、ルーア!」


「いや……別に……」


ルーアは顔を背け、肘の裏で口を押さえていた。


ティアの部屋。その光景。


犬やら猫やら熊やら馬やら。

大量のぬいぐるみが並んでいたのだ。


余りに女の子らしい部屋だったのだ。


ティアの年齢や外見からすれば、それは決して相応しくないということもない。


だが、普段剣を振り回す勇ましい姿を知っているだけに。


「……似合わねえ」


「うるっさい!」


尻を、思い切り蹴り飛ばされた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


チャーリーが言う空き部屋には、ティアが元々使用していた部屋も含まれていた。


その部屋は、ティアとユファレートとパナが利用することになった。


ルーアが泊まる部屋には、シーパルもいる。


テラントとデリフィスは、また別の空き部屋だった。


シーパルの眠りは、普通ではない。


魔法使いが側にいた方がいいかもしれない、という判断である。


同じ部屋にいるのに、隣の寝台から寝息などは聞こえない。


死んだのではないかと、不安になるほどだ。


時折、シーパルの鼻先に手を翳してみる。


一分くらいに一度だけの呼吸。

それを肌で感じて、やっと安心できる。


シーパルが眠り始めて、もう三ヶ月が過ぎた。


疲れているはずなのに、ルーアの眠りも浅い。


屋根から雪が落ちる音や、トイレだろうか、深夜に廊下を歩く音などで、簡単に目覚めてしまう。


本格的に眠りにつけたのは、夜が明けてからのことだった。


そのまま眠り、今は朝を過ぎて昼前だろう。


惰眠を貪っている、などと言ってはいけない。


誰に言われるでもなく、デリフィスが夜の見張りを始めた。


さすがに、一人に寝ずの番をさせる訳にはいかない。


途中で、ルーアやテラントも交替したのだ。


そのため、睡眠時間が短くなっている。


最初部屋に入った時は、鼻の奥がつんとするほど空気が冷えていた。


寝台も、凍っているかのようだった。


毛布も布団も二枚重ねにして、ようやく寒さを凌いだ。


現在は、布団の中は程よく温まっている。

当分、出たくない。


なにやら、陣形がどうのだの、斥候の報告はまだかなどと聞こえてきた。


そして。


「とつにゅー!」


「わーい!」


「そーれ!」


「きゃははははっ!」


「くたばれー!」


「とどめだー!」


次々と上がる掛け声。

次々と襲いくる衝撃。


どうやら、複数の人間に踏まれたり蹴られたりしているらしい。


まあ、多重の布団や毛布に守られた身には、痛くも痒くもないが。


ごっ、と後頭部に衝撃が走った。

次いで、なにかがなにかに叩き付けられる音。

泣き声。


「……」


蹴られた後頭部を摩りながら、ルーアは上体を起こした。


それで、何人かが寝台から転げ落ちる。


下半身の方は、太った少年が陣取っていた。


膝を踏み付けにされているので、微妙に痛い。


そして、太った少年はなぜかけたたましく笑っていた。


鼻を赤くし泣き喚いているのは、短い髪の毛を無理矢理二つに縛った少女。

名前は、思い出せない。


察するに、ルーアの後頭部を蹴ろうとして、だが躓き、壁に顔から突撃したというところか。


勝手に客人の部屋に侵入し、いきなり暴行を働き、勝手に転び泣き喚く。

笑っている者もいる。


意味がわからない。

行動に、合理性が一切ない。


「……」


ぼんやりと、部屋を見回す。


隣の寝台には、眠り続けるシーパル。


部屋をわらわらとうろつく幼い子供たち。


なにか、別の生き物のようにも思える。


自分にも、三頭身や四頭身の時代があったとは信じられない。


と。


「なにやってんのよ、あんたはっ!?」


「っ!?」


幼い子供たちに蹴られたのとは訳が違う衝撃に、ルーアは頭頂部を押さえた。


「ぐおぉ……!?」


気を抜いていただけに、かなり痛い。


見上げると、尖った拳を握り固めているティアがいた。


「小さい子供を泣かせるとか、最っ低!」


「痛ってえぇ……! なんだこのかつてない理不尽な暴力は……!」


頭をごしごし擦りながら呻く。

訳のわからない自爆をした少女のために、なんで殴られなければならないのだ。


片手を腰に当て、片手ではルーアの顔を指し、ずずいとティアが顔を寄せてくる。


余りの近さに、ルーアは身をのけ反らした。


この女は、ルーアの私的な距離まで気軽に踏み込んでくる。


まあ、男として意識されていないからだろう。


「いい、ルーア!? あんたが子供を苦手にしているのは知ってるけどねえ……」


説教を始める気配であるティアの背後に、あるいは左右に、そろそろと少年たちが忍び寄っていた。


「でも、暴力とか振るっちゃ……きゃっ!?」


さすがに寒いのか、ティアが穿いているスカートは足首まである。


悲鳴を上げたのは、いきなりそれを子供たちに捲り上げられたからだ。


一瞬慌てかけ、だがティアはすぐに両手を腰に当て、胸を張った。


ロングスカートの下には、短パン。まあ、どうでもいい。


「ふふん。ティア姉ちゃんはね、チビどもの考えなどお見通しなのだ。……って、わわわわ!? ちょっ……!?」


あろうことか、子供たちはティアのスカートや短パンに手を掛け、ずり下ろそうとした。


(む……)


つい、身を乗り出してしまう。


「ぶふっ!?」


顔面に、膝を打ち込まれた。


「おおお……!?」


鼻の奥で、微かに血の匂いがする。


景気良い音が数回響いた。

どうやら、悪戯をする弟たちの頭をティアが叩いているようだが、顔を押さえてうずくまっているのでルーアには見えない。


「……今の、俺、なにも悪くないような……」


いや、例え罪があったとしても、子供たちよりも重い罰を受けるのは道理ではないような。


「それは、つい……でも、なんかやらしい眼付きだったし……」


家庭内暴力だー、などと騒ぎつつ、子供たちが部屋を逃げ出していく。

緊張感が、全くない。


確か、現在この孤児院は、大変危険な状況にあったはずだが。


大半の子供たちは駆け去ったが、そばかすの少年は廊下から顔を出しこちらの様子を見ている。


チャーリーだったか。


最も騒がしく目立つので、その名前を覚えることができた。


廊下には、騒動に加わることのなかった眼鏡の少年がいる。


どたばた鳴り響く廊下の足音の方と、ルーアが利用する部屋の中を見比べると、どこか切ない表情を見せてから立ち去った。


大人ぶった少年だったが、そのためにみんなに混ざれなくて寂しいのではなかろうか。


子供たちが去ると、急に部屋は静かになった。


残るのは、ルーアとティアとシーパル、そして、部屋の隅に逃げ遅れたのか少女がいる。


まだ三、四歳くらいに見えた。

幼い足取りでティアの元へ向かうと、彼女の太股にしがみつく。


「あはは。懐かれちゃった」


照れ臭そうに、ティアが言う。


少女は、ティアから離れようとしない。


姉を慕う妹というよりは、母を頼る娘のように見えた。


「まあ、久しぶりに姉ちゃんに会えて、嬉しいんじゃねえの?」


「ん? 違うよ。あたしが旅に出てる間に家に来た子。会ったのは昨日が初めてだよ」


「……ふぅ……ん……」


なんとなく、言葉を失ってしまう。


知り合ったばかりの幼い子供に、なぜここまで懐かれることができるのだろう。


(まあ、精神年齢が近いからだろうなー……)


そう結論付けていると、ティアは少女の肩を押すようにして、ルーアと向かい合わせた。


「ほら、キャリー、あれやってみようか」


「……あれ?」


なんか、微妙に嫌な予感がするのだが。


キャリーとかいう少女は、しばらくルーアを見上げると、おもむろに上着のフードを被った。


「うさちゃん」


「えーっと……」


フードには、兎の耳を象ったような物がついているが。


「……ああ、兎ね。……えっと……」


それで、どう反応しろと。


「にゃー」


「いやそりゃ猫だろ」


反射的に、即座に突っ込みを入れてしまう。


キャリーの顔が、泣き出しそうに歪んだ。


「てっ!?」


ティアに、いきなり頭を叩かれる。


「お前な……さっきから気楽に殴ったり蹴ったり叩いたり……」


「そんな怖い顔で突っ込む必要なんてないのよ! なんか上手く合わせなさいよ!」


「上手く合わせろって……」


「うさちゃんよ! うさちゃんから『にゃー』の二段攻撃よ! 可愛いでしょ!?」


「いや……特には……」


「可愛いと思うわよね!?」


「……え……ああ……うん、まあ……」


ティアの剣幕に、無理矢理頷かされる。


「よし、じゃあ、もう一回。ちゃんと可愛いって言ってあげてよね! ほら、キャリー」


キャリーを宥めすかし、またルーアと正対させる。


「変な頭してるけど、怖くないからねー。もう一回やってみよ」


「……」


もう、反論する気にもならない。


キャリーがルーアを見上げ、フードを被り直す。


「うさちゃん」


「……」


期待するキャリーの幼い眼差し。


その背後では、ティアが眼付きを悪くしてルーアを睨んでいる。


『可愛いって言わなかったら、どうなるかわかるわよね?』と言わんばかりに。


もう、しんどくて堪らないのだが。


頬が引き攣るのを自覚しながら、ルーアは精一杯の微笑みを浮かべた。


「……ああ、まあ、可愛いよ、うん」


キャリーはぱぁっと表情を輝かせ、背後ではティアが嫌悪感に顔を歪めている。


「うわ……ロリコン……気持ち悪……」


「お前は俺にどうしろと言うんだぁっ!?」


ルーアが堪らず叫ぶと、声量に驚いたか、キャリーが部屋から逃げ出す。


入れ替わりに、廊下から様子を見ていたチャーリーが、べたべた足音を立てながら入室してきた。


ティアを一瞥すると、生意気そうな視線をルーアに向ける。


「お前、ティア姉ちゃんと仲いいよな?」


「……」


暴行されたり虐げられたりしているのだが。


「もしかして、ティア姉ちゃんと付き合ってんのか?」


「んなっ……!?」


チャーリーの阿呆な台詞に、無駄に反応したのはティアである。


ルーアは、溜息をついた。


「ああ、付き合ってる付き合ってる」


「なっ……!? ななっ……!?」


ティアは顔を紅潮させ、またルーアの頭を叩いてきた。


「なにを適当なこと言ってんのよ、あんたはっ!?」


「……お前、ほんとさっきから、人の頭をぱかぱかぱかぱか殴りやがって……」


「あ、あんたが変なこと言うからでしょ!」


「上手くガキに合わせろって言ったのは、お前だろうが……」


「それはっ……だからって……!」


「そうかー。やっぱ付き合ってんのかー」


チャーリーが、間抜けな声を上げる。


「早速みんなに言い触らしてくるー」


「ちょっ……待ちなさい、チャーリー!」


どたばたと部屋を駆け去るチャーリーを、やはりどたばたと追うティア。


やっと静かになった部屋で、ルーアは何度も叩かれた頭を掻いた。


「なんか、どっと疲れたぞ、おい……」


朝っぱらからこんなに疲れ果ててどうする。

まあ、昼前だけど。


寝台に横になると、開放感からか一気に眠気が襲いかかってきた。


そして。


「とつにゅー」


「またかいっ!」


再び聞こえてきた舌足らずな声に、ルーアは跳ね起きた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ティアがオースター孤児院から旅立ったのは、二年近く前のことだった。


その時孤児院に暮らす人数は、二十八人だった。

現在は、三十一人である。


ティアのように、旅に出た者もいれば、独り立ちした者もいる。


逆に、新たに孤児院で暮らすようになった者もいる。

ほとんどが、戦災孤児だ。

オースター孤児院があるロウズの村は、ドニック王国との国境に程近い。


人数が増えたためだろう、孤児院は少し拡張されたようだ。


それ以外の雰囲気は、余り変わっていない。


ただ、兄や姉たちはぴりぴりとしていた。


危険が迫っていることを、わかっているのだろう。


幼い弟や妹たちは、状況を知らされていないのか、昔と同じく騒がしい。


無駄に抱き着こうとしてくるミンミから逃げ回りながら、ティアはなんとなく皆の様子を見ていた。


ユファレートは、ティアの部屋に白墨で魔法陣を描いていた。


半年くらい前から取り組んでいた長距離転移という魔法のアレンジの研究が、とうとう終了したらしい。


本来は、術者のみが転移される魔法のはずだ。


それが、術者の周囲にいる他者まで転移可能になったということだ。


ただし、転移先は限定、転移できる限界距離も縮まるという。


魔法はとても便利な力だが、それでも万能とはいえない。


転移先が限定されていても、用途はいくらでもあるだろう。

魔法陣は、ティアの部屋にある。


これから先の出来事次第で、孤児院から引き離されることがあるかもしれない。


敵の拠点に、こちらから攻め入ることだって考えられる。


手薄になった孤児院に、移動に時間を掛けることなく帰還できるのだ。


それは、大きいことだろう。


魔法陣を描くユファレートに、姉たちはなにかと構う。


妹たちは、憧れの眼差しで見ている。


みんな、ユファレートの美貌に肖りたいのかもしれない。


兄や弟たちは、なにか神々しいものを見るかのように眩しそうな顔をして、ユファレートに近寄ろうとしない。


肌や髪の手入れもろくにしないのに、ユファレートは綺麗だった。


そして、外見の美しさに嫌味がない。


ユファレートの頭の中は、魔法を中心に組み上がっている。


自分の外見に、興味はないのだろう。

だから、鼻に掛けることもない。

嫌味を感じない理由は、それだろう。


周りから美少女だと思われるような外見だという自覚も、ないかもしれない。


子供たちに最も慕われているのは、テラントだった。


子供たちに付き纏われても、テラントはうるさそうな顔をしない。


視線を子供の高さまで下げ、上手く話し相手や遊び相手になっているようだ。


子供好きなのかもしれない。

子供はいなかったはずだが、もしいたら、さぞかし子煩悩な父親になっていたことだろう。


テラントとは逆に、子供が苦手そうなのがルーアとデリフィスである。


なぜかルーアは、孤児院一手の掛かるチャーリーに気に入られたらしく、度々ちょっかいを出されている。


チャーリーはルーアにぶん投げられたりするのだが、めげる様子はない。

むしろ、楽しんでいるようだ。


これはこれで、一つの接し方なのかもしれない。


人と人との付き合い方も、様々である。


デリフィスは、露骨に『子供は近付くな』オーラを全身から放ちまくっていた。


やんちゃな弟たちも、デリフィスには近付けない。


だが、兄たちからは人気があった。


外で見張りに立つデリフィスの長大な剣に、兄の一人が興味を持ったのがきっかけだった。


デリフィスから剣を借りたその兄は、足腰を震わせ持ち上げるのがやっとだった。


普通の剣の、三倍の重量はある、分厚い剣である。


こんな剣を振れるのかよ、そう聞いた兄の前で、デリフィスは片手で振り回してみせた。


それからである。

兄たちがデリフィスに教えを請うようになったのは。


普段は剣しか遣わないが、デリフィスは槍でも斧でも弓でも武器はなんでも万能に扱えるらしい。


武器の持ち方、構え方、一つ一つの質問に、デリフィスは丁寧に答えていく。


技術だけではなく、戦闘前の備えから戦闘中の心の持ち方といった精神面まで、デリフィスの教えは多岐に及ぶ。


いつもの無愛想さからは考えられない、懇切丁寧な指導だった。


誰しも、普段は見せない一面を持っている。


そういえば、デリフィスに剣の相手を頼んでも、決して邪険にはされない。


ルーアなどは、あからさまに嫌そうな顔をするのに。


向上心がある者が、嫌いではないのだろう。


道場など開けば、結構繁盛するのかもしれない。


シーパルは、眠り続けている。

毒は『ヒロンの霊薬』の力で浄化されたはずだが、目覚める様子はない。


このまま待つだけでいいのかと、不安になる。


もしかしたら、ルーアの言う通り、蹴飛ばしてでも起こそうとした方がいいのではないか。


だが、刺激を与えることで、取り返しのつかないことになるかもしれない。


眠るシーパルには、子供たちもちょっかいを出さない。


シュアが、きつく言い渡したからだ。


悪戯好きな弟たちも、リンダとシュアだけには絶対に逆らわない。


パナが、フードとマスクを外した。


彼女は、顔にある古傷をひどく気にしている。


以前、ヤンリの村の子供たちに、化け物呼ばわりされたことがある、と漏らしたことがあった。


幼い子供は無邪気で純粋だが、時に残酷でもある。


パナは、心に深い傷を負っているだろう。


そのパナが、顔も古傷もさらけ出した。


ロウズの村は、盗賊団に襲われた過去があり、その戦闘で重傷を負った兄の一人は、隻腕である。


妹の一人は、戦争に巻き込まれた際に膝を壊し、自力では歩けない。


体に傷を負った者は、他にもいる。

顔に傷がある者もいる。


オースター孤児院の誰もが、パナの顔の傷を気にしない。


もし悪く言う子供がいて、それをリンダが知ったら、即座に容赦なく鉄拳が飛ぶだろう。


醜いなどと思うだけで、きっとリンダは見抜く。

そして、やはり叱られる。


幼いからなどという言い訳は、通用しないだろう。


リンダは、無頓着で大雑把なところがある。


表面的で一般的な礼儀など、余り気に止めない。


だが、もっと深い、人の心に触れるような礼儀には、とても厳しい。


そのリンダに育てられたオースター孤児院の子供たちは、決してパナの心を傷付けることは言わないだろう。


ラグマ王国の酷暑でも顔を隠していたパナが、この極寒の地で、オースター孤児院の中で、顔も古傷も顕わにしている。


それが、ティアにはすごく誇らしい。


そこはかとなく緊張感が漂っているが、以前と同じく温かい家だった。

ただ、母であるリンダがいない。


その日は、何事もなく一日が過ぎた。

弟や妹たちは、終日騒がしい。


怪我をしたリンダが帰ってきたのは、翌日のことだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「リンダ・オースターは、オースター孤児院へ帰還するつもりのようです」


サミーがそう言っても、ザイアムはほとんど反応を示さなかった。


短く、そうか、と呟いただけである。


「ルーアたちの一行も、オースター孤児院におりますな」


言外に、襲撃するべきではないかと促したつもりだ。


だが、ザイアムは天井を仰いだだけだった。


その仕草だけで、サミーは恐怖した。


ザイアムの機嫌を損ねたら、サミーの体は一瞬で両断されるだろう。


獣のような肉体の持ち主である。

サミーの首くらい、簡単に捩折ることができるはずだ。


これまで、リンダ・オースターを討たなかった。


それは、ルーアたちをオースター孤児院まで向かわせるためではなかったのか。


リンダ・オースターも、ルーアたちも、オースター孤児院に集結する。


一網打尽にする好機ではないか。

ザイアムの力ならば、軽くできることである。


だが、ザイアムはなにか深い迷いの中にいるかのように、考え込んだままだ。


疑問を、口にはしなかった。

その行為だけでも、危険である気がした。


だが、その心中は推し量っていたい。


ザイアム。

おそらくは、ストラーム・レイルやエスが最も危険視する存在。


ザイアムが動いたことで、彼らは危機感を抱いていることだろう。


警戒しているのは、クロイツも同じだった。


いつ『コミュニティ』の敵に回るか、わかったものではない。


相手には、ティア・オースターやルーアがいるのだから。


裏切ることも、有り得なくはない。


ザイアムが動いたことは、エスたちにとっては最悪の事態だろう。


そして、ザイアムが組織を裏切れば、クロイツや『コミュニティ』にとっては最悪の事態となる。


ザイアムは、ストラーム・レイルと並ぶ力を持っているのだから。


いや、ストラーム・レイルよりも危険かもしれない。


あの老雄と比べ、ザイアムは若い。

まだ三十といったところだ。


ストラーム・レイルは、これから少しずつ衰えるかもしれない。


ザイアムは、これからさらに磨きがかかるだろう。


「リンダ・オースターの持つ『地図』だが……」


不意に、ザイアムが呟いた。


「あれは面倒だな。不意打ちが効かん」


『地図』とは、リンダ・オースターが所持する、ドラウ・パーターから譲られたという魔法道具のことだった。


長々しい正式名称があったはずだが、サミーはそれを覚えていなかった。

ザイアムもそうだろう。


『地図』は、一見しただけではロウズの村の周辺図にしか見えない。


だが、村に村人以外が接近すると、『地図』上に赤い印がつくのだ。


こちらの居場所は、リンダ・オースターに筒抜けである。


ザイアムの言う通り、不意打ちは効かない。


しばらく前までは、そう思われていた。


「実は、『地図』には重大な欠点があります。クロイツの調査により、それが判明しました。すでに、裏付けも済んでいます」


本当は、ザイアムは不意打ちなど考えていないだろう。


気付きながらも、サミーは話を合わせた。


ザイアムに、不意打ちなど必要ない。


その絶対的な力で、正面から敵を蹂躙すればいい。


リンダ・オースターは、逃げることはできない。


なぜなら、オースター孤児院には、まだ年端もいかない子供たちが大勢いるのだから。


そんな荷物を抱えて、ザイアムから逃げ切れる訳がない。


「欠点とは?」


ザイアムに先を促され、サミーは告げた。


ザイアムの表情が少し変わる。

感情は見えない。


それから丸一日、ザイアムは地図を睨むように見続けた。


なにを考えているのか。


サミーは、小屋の外にいることが多かった。


ザイアムと語った後は、外の空気を吸いたくなる。


ザイアム。

死神ソフィアと並び、『コミュニティ』でも最強であろうとされている存在。


嗤い、揶揄する者がいる。


ザイアムが最強でいられるのは、最高の魔法剣『ダインスレイフ』のお陰ではないか。


彼は、魔法を使えない。

ソフィアや『百人部隊』のメンバーのような、特殊能力もない。


『ダインスレイフ』がなければ、ただ身体能力に優れた一介の剣士に過ぎないではないか、と。


愚か者の言い分だ、それは。

そして、ザイアムと直接会ったことがないからこそ言えることだ。


ザイアムを直接見れば、誰でもわかる。


そこにいるという存在の重みが、常人とはまるで違う。


なにもしていなくても、畏怖してしまう。

つい、平伏したくなってしまう。


ザイアムは、あのストラーム・レイルさえ所有者となることが許されなかった、知ある魔剣『ダインスレイフ』に、唯一認められた存在なのである。


『ダインスレイフ』があるから、最強なのではない。


ザイアムが最強だから、人間の極限だから、『ダインスレイフ』は己を振るうことを認めたのだろう。


翌日、ザイアムに呼ばれた。

太く無骨な指が、地図上の一点を指す。


「オースター孤児院まで向かうのも、面倒だ。私は、ここで待つ」


深い崖がある場所だった。

等高線がある地図のため、地形を思い浮かべやすい。

実際に、現地へ赴いたこともある。


そこへ追い込めば、逃げ道はないだろう。


「お前が、ルーアをここまでおびき寄せろ」


「……ルーアを、ですね?」


リンダ・オースターでもなく、ティア・オースターでもなく。


「そうだ。できるだけ、他の者からは引き離してだ。大勢を相手をするのは、面倒だからな」


「……なんのために、ルーアを?」


質問は危険だ。

わかってはいるが、サミーは聞いた。


もしザイアムが裏切ったら。

根底には、その考えがある。


「決まっているだろう」


ザイアムの表情は、変わらない。


「殺すためだ」


さも面倒臭そうに、ザイアムはそう言った。

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