北の大地へ

ここは、どこなのだろう。

そもそも、自分は誰なのか。


暗い。

真っ暗闇の中、彼は立っていた。


両の足で立っているのに、どこまでも落ち続けているような感覚がある。


死んだのだろうか。

まだ、生きているのだろうか。

なぜ、生死など気にする。

死んでもおかしくないような目に遭ったというのか。


(……僕は……)


シーパル。

ヨゥロ族の、シーパル・ヨゥロ。

それを、ようやく思い出した。


暗い暗い闇の中にいる。


深い山中で自然に溶け込むような生き方をしているヨゥロ族は、人里で生活する人々と比べ、視力が良く夜目も効く。


だが、闇を見通すことはできなかった。


闇の先にあるものも、また闇である。


(ここは……)


どこなのだろう。

わからない。


思考が、緩慢だった。

思考だけでなく、呼吸や鼓動まで緩慢である。


緩慢な流れの中に、シーパルはいた。


声が聞こえたような気がした。

女性のものだろうか。呼んでいるようだ。


どの方向から聞こえてきたか、どれだけの距離から呼びかけられたのか、わからない。


おおよその見当をつけた訳ではなく、適当な方向に、ただなんとなくシーパルは進もうとした。


足が、思うように前に出ない。

体全体が、思い通り動かないのか。


やはり、緩慢な流れの中にいる。

まるで、普段の一秒を一分くらいに間延びさせたような。


三十秒ほど経過しただろうか。

それだけの時間を掛けて、シーパルは一歩進んだ。


それに、なんの意味があるのかもわからない。


声は、ずっと聞こえている。


闇の中、緩慢な流れの中、ゆっくりと進んでいく。


辿り着いた先に、なにがあるのか。

なにもないかもしれない。


手だけが、なぜか温かい。

まるで、誰かに手を引かれているかのようだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


一日だけ待つよう、ラグマ王国執務官ジェイク・ギャメには言われた。


ルーアたちが北へ向かうために、快速船を手配してくれようとしているのだが、手続きが色々と必要なようだ。


それはそうだろう。


軍船だという。

そしてルーアたちは、ただの一般の旅人である。


本来ならば、手続きに数日かかることだろう。


ジェイク・ギャメは、ラグマ政府内でもかなりの力を持っているようだ。


一日は、旅の準備に当てることにした。


といっても、みんな旅慣れている。


準備を終えたティアは、ルーアたちが宿泊させてもらっているテラントの両親の館を、うろちょろとしている。


ユファレートは、シーパルの側にいることが多いようだ。


その手を握り締めて、なにかに祈っているようでもある。


シーパルは、未だ眠り続けている。


今朝になって、ようやくテラントが目覚めた。


意識はしっかりしているようだが、ずっとぼんやりとしている。


ズィニア・スティマは、倒したはずだ。


妻の仇を討つという目的を果たしたはずだが、それにしては達成感など感じさせない。


なにか、虚無感に包まれているようでもある。


パナは、まだルーアたちの旅についてくるつもりのようだ。


シーパルの知人であり、容態が気になるのだろう。


パナがいてくれる方が、都合はいいのかもしれない。


ヨゥロ族同士、理解できることもあるかもしれない。


正直、どういう仕組みでシーパルがまだ生きているのか、さっぱりわからなかった。


一分間に一度だけの呼吸と脈拍。

それだけで、シーパルは数日を過ごしている。


パナの話では、これを二、三ヶ月続けられるらしい。


ドーラは、ヤンリの村に戻ることになった。


ロデンゼラーに来た理由の一つが、薬師の資格を取ることだったらしいが、見事に合格したという。


シーパルのことは気になるが、ヤンリの村でパナの薬に助けられてきた人々のことも、放ってはおけないらしい。


夫婦で話し合って、決めたことのようだ。


シーパルが会おうとしていた、リパラー・ヨゥロという男が、不審な死を遂げている。


リパラーの家で世話になっていたパナたちにも、なにか危険があるかもしれない。


そういう意味で、ドーラにも同道しないかと言った。


見える範囲にいてくれれば、大抵の危険からは守れる。


だが、ドーラは村に戻ると決めたようだ。


薬を必要としている人々のため、という二人の考え方が、ただ快い。


シーパルもヤンリの村の人々も、二人にとっては隔てなく助けるべき存在なのだろう。


『ヒロンの霊薬』を独占する、ラグマ政府への抗議デモに参加する予定もあったらしいが、ここ数日の騒動で立ち消えとなっている。


話があると、デリフィスに外に誘われた。

珍しいことである。


近くの空地で、周囲に誰もいないことを確かめると、デリフィスは話し始めた。


「……テラントの嫁さんを殺したのは、ズィニアではない。それどころか、まだ生きてるってことか?」


デリフィスが、エスやズィニアと交わした会話を端的にまとめると、そうなる。


デリフィスは、鷹揚に頷いた。


「二人は、そう考えたのだろうな」


テラントから、彼の妻マリィ・エセンツが殺された状況は聞いたことがある。


普通に考えれば、マリィ・エセンツはズィニアに殺されたとしか思えない。


だが、当のズィニアと、あのエスの会話である。


「……このこと、テラントには?」


「言ってないな」


賢明な判断かもしれない。


もし事実だとしたら、テラントにとっては天地がひっくり返るようなものだろう。


正確なことがわかるまでは、安易に伝えないほうがいい。


なにか、感づいてはいるのかもしれないが。


ぼんやりとしていたテラントの様子を、ルーアは思い出していた。


(……いや、いいことなんだよな……)


愛する妻が、実は生きていたとしたら。


テラントにとっては、いいことであるはずなのだ。


だがそうだとしたら、なぜマリィ・エセンツは、テラントの前から姿を消した。


まだまだ、裏があるのかもしれない。


「デリフィス、あんたはどう思う?」


「わからん。俺の頭で考えられることを、超えている」


デリフィスは、自分の首に手を当てた。

鈍く、関節が鳴る音が響く。


考え過ぎて首や肩が凝った、と言いたいのかもしれない。


「俺ができることは、眼の前の敵を倒すことだけだ。細かいことを考えるのは、お前の方が得意だろう? はっきり言って、面倒なことはお前に全部丸投げにして、押し付けてしまいたい」


「うん。ぶっちゃけ過ぎだ、この野郎」


真顔のデリフィスに、ルーアは笑顔で返した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


二日間ほど、意識がなかったらしい。


テラントが目覚めたのは、両親の館だった。


同じ部屋には寝台がもう一つあり、シーパルが横になっている。


ずっと治療をしてくれていたのか、疲れきった表情でほっとするユファレートがいた。


体が、動かない。


ユファレートに頼んで、上体を起こすのを手伝ってもらった。


横になっているようユファレートは言ったが、まだ眠ったままのシーパルを見ると、それは許されないような気がした。


食事は体が受け付けなかったが、水だけは飲めた。


尿瓶などが用意されていたが、使用するつもりはない。


催した時は館の執事を呼んで、トイレまで連れていかせた。


寝台の上で、考える。


マリィを殺したのは、ズィニアではなかった。

誰が、マリィを殺したのか。


ズィニアを追い続け、必死に戦い殺し、だが、マリィの仇を討った訳ではない。


シーパルにしてくれたことへの、借りは返せたのかもしれない。


なぜ、生き延びることができたのか。

死んで当然の負傷をしたはずだ。


テラントを発見したのは、城外演習中のロデンゼラーの一部隊だったという。


この館へ運ばれた時には、すでに応急処置がされていたらしい。


誰が、行ったのか。


ズィニアとの戦闘の後、意識を失う直前、誰かの足音を聞いたような気がする。

気のせいかもしれない。


意識がない間に、次の目的地が決まっていた。


ホルン王国北部にある、ロウズの村である。


ティアの故郷であり、ヒロンが栽培されているという。


到着しさえすれば、シーパルを救えるのではないか。


かなり遠方だが、テラントは反対しなかった。


ここ数日、『ヒロンの霊薬』が手に入らないかと全員で情報を求めたが、有意義なものはなかった。

動くこともできなかったのである。


例えどれだけ遠方でも、どれだけ可能性が低くても、動くきっかけを得たといえる。


ただし、その旅についてはいけない。


キュイの助命と交換条件に、軍へ復帰する約束をしていた。


だが、ジェイク・ギャメが館を訪れた。


少しは知っている男だ。

確か、キュイと同郷だったか。


まだテラントが軍属だった時は、文官に将来有望な者がいると噂になっていた。


順調に出世したらしく、今は執務官である。


このまま旅を続けるように。陛下のお言葉です。

そう、耳打ちされた。


どういうことなのか。


キュイへの処分が変更されたりはしないようだ。


訝しく思うが、旅を続けられるのは望むところだ。


まだ、マリィの仇を討っていない。


旅立ちの朝、デリフィスとルーアの肩を借りて、船へと向かった。


ロウズの村は遠い。

到着する頃には、体も動くようになっているだろう、とテラントは思った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


快速船は、普通の船よりも船底が尖っていて、水をよく切るらしい。


櫂の数も多く、帆や船尾の櫓の形も、通常と異なるとかなんとか。


ティアには細かいことがよくわからなかったが、とにかく速く航海できるという。

その分、揺れるようだ。


船酔いで、気持ちが悪くなった。

一日目だけだ。


体が慣れてしまったのか、翌日からは平気だった。


みんな、似たようなもののようだ。

ただ一人、例外を除いて。


トイレの扉が勢いよく開き、赤毛の男が廊下に倒れ込む。


低く、地の底から響くように呻き声が聞こえた。


スカートの裾を押さえながら、見下ろす。


「……ルーア、なんか軽くホラーなんだけど」


「うるせえ……」


「あと、なんか酸っぱい」


「だから……うるせえって……」


呻きは、弱々しい。


そう、以前フレンデルからヴァトムへ向かった時もそうだった。


馬車などの乗り物は平気なのに、なぜかこの男は船にだけ酔う。


快速船で揺れるためか、前の船旅よりも酷く、度々トイレに篭っては嘔吐している。


「そろそろ戻らないと。お昼ご飯の時間よ」


「あんまし食べたくないんだけどな……」


「お粥でも作ってあげようか?」


「絶対いらん!」


身を起こし、すぐにへなへなと崩れる。


「あー……力入らん……」


「……今のルーアなら、片手でも勝てそう」


「お前な……」


「とにかく、戻りなさいよ」


「動きたくねー……」


「……」


廊下の床にべったりと顔をつけているルーアに、ティアは咳払いをした。


「……戻りなさいって」


「……あん?」


ルーアが顔を上げて、ティアの顔を見遣った。


次いで、トイレの方へと眼をやる。


「ああ、ションベンか……」


「うっさいわね!」


三十人ほどが乗れる中型の軍船である。


女性が乗船するなど考慮されておらず、非常に困ったことに、トイレが一箇所にしかない。


「あー、うん、あれだ。俺に特殊な性癖はないから、なんも聞こえない振りしてやるぞ」


マジ最低だ、こいつ。

どれだけデリカシーがないのだ。


「あんたがどっか行けばいいだけの話でしょうが!」


寝転がるルーアを、ティアは全力で蹴り飛ばした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


昼食を食べ終え甲板に出ると、先に席を立っていたパナがいた。


手摺りにもたれ、遠い眼で海を眺めている。


顔の傷はやはり見られたくないのか、フードを被りマスクとマフラーを着用していた。


「パーナさん」


寂し気に見えて、ティアは声を掛けた。


考えごとでもしていたのか、パナがちょっと驚いた顔をする。


「あ、ああ……あんたかい」


強気で堂々としている印象をパナに持っていたが、乗船する前からどこか落ち着きを失っていた。


「ちょっと風に当たろうと思ってね」


聞いてもないのに、そんなことを言ってくる。


「あたしゃ船に乗るのは初めてだけど、風が気持ちいいもんなんだね。なんか、肌がベタついてくるけど」


「ドーラさんなら、大丈夫ですよ」


ドーラは、ヤンリの村に戻っている。


夫が側にいない。

それが、パナが落ち着きを失った原因だろう。


ティアよりは年上だろうが、そわそわしているパナはどこか可愛く見えた。


「そうかねえ……」


「大丈夫ですって。護衛の方も付いていますし」


ジェイク・ギャメが気を効かせてくれた。


『コミュニティ』に狙われることを考え、護衛をドーラに同行させたのだ。


村に着いても、しばらく様子を見るために滞在させるという。


「まあ、それも心配なんだけど」


「?」


「ほら、ドーラって、あんなかっこいいじゃない?」


「……え?」


ドーラの、熊のような外見が脳裏に浮かび、一瞬凍り付く。


「……あ、ああ、うん、かっこいいですよねー……はは……」


「あたしが側にいないことで、村の女たちが言い寄ってくるんじゃないかと……」


「それは……えっと、心配ですよねえ……」


適当に相槌を打ちながら、フードやマスクで隠されたパナの表情を盗み見る。


冗談を言っている訳ではないようだ。


(って、失礼よね、パナさんにもドーラさんにも)


「大……丈夫ですよ。ドーラさんて、真面目そうだし」


「そうだけどねえ……」


これは、なんと言うか。


恋は盲目というやつか。

夫婦なのだから、愛は盲目とでも言えばいいのか。


と、これも二人には失礼な感想だろう。


「そういうあんたはさ、随分平然としてるよね?」


今度は、パナが聞いてきた。


「シーパルが、あんななってるのに」


「……もちろん心配ですけど、みんなも心配だろうし……。あたしがそわそわし過ぎると、みんなの不安もそれだけ大きくなると思うんですよね……」


「そりゃそうだろうけど、あんたはあいつの恋人だろ?」


「……へ?」


いきなりな台詞に、きょとんとしてしまう。


「へっ……て、あんた、前にヤンリの村で、言ったじゃないか。シーパルの恋人だって」


「……あたし、そんなこと言いましたっけ……?」


まったく記憶にない。


「えーっと、はは……」


「……冗談だったのかい。まあ、いいけどさ」


言いながら、また海を眺め出す。

もしかしたら、気を悪くしたのかもしれない。


「……ああ、それにしても、パナさんが来てくれて、ほんと助かりました。あたしたちだけじゃ、細かいとこまで気が回りませんし」


シーパルのために、床擦れの塗り薬を調達してくれたのは、パナだった。


薬師の彼女の知識は、今後もシーパルの助けになるだろう。


「……褒めたって、なんも出ないよ」


そっぽを向くが、少し顔を赤らめたような気がする。

照れているのかもしれない。


顔を覗き込もうとすると、パナはフードを深く被り直した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


政治的なやり取りがあるのだろう。


船長は、ホルン王国の海域へ入る前に、使者を乗せた小船を送り出し、一日停船させた。


ヴァトムの街並みが見えたところで、再び使者を出す。


『ヴァトムの塔』は、街並みよりも先に見えていた。


小船には、争う意志がないことを伝えるためか、白旗が掲げられていた。


ヴァトムからも、使者が来た。

船長やラグマの兵と、なにやらやり取りをしている。

それで、また一日経過した。


夜の闇の中でも、『ヴァトムの塔』は深紅に輝いていた。


ロデンゼラーを発ってから、すでに一月以上が過ぎ去っている。


ティアたちが乗る快速船が入港できたのは、翌日だった。


「ああ……揺れない足下、母なる大地……あなたを俺は愛しています」


船から降りることができたのが余程嬉しいのか、拷問から解放された囚人を思わせる表情で、ルーアがそんなことを言う。


シーパルは、担架でラグマの兵に運び出されている。


まだまともに歩けないテラントと、船酔いでふらふらしているルーアに肩を貸しているデリフィスは、いつも以上に憮然としていた。


ヴァトムの兵に、取り囲まれている。


馬上のリトイ・ハーリペットの姿も見えて、ティアは緊張した。


この街で騒動があったのは、春先である。


もう、半年以上前の出来事になるのか。


ティアたちは、それに充分過ぎるほど関わった。


リトイ・ハーリペットは、知人と言ってもいいかもしれない。


そして、完全な敵ではないだろうが、味方とも言えない。


今度は、船長とリトイ・ハーリペットのやり取りが始まる。


距離があるため、会話の内容は聞き取れない。


ティアは、焦れていた。

シーパルに、あとどれだけの時間が残されているのかわからないのだ。


だが、癇癪を起こしても、事態が好転することはないだろう。


最も我慢強さが足りないかもしれないルーアも、じっと耐えている。


単純に、船酔いの影響でそれどころではないだけかもしれないが。


今するべきことは、解放された時に要領よく動けるように、段取りを考えておくことか。


馬車と、馬を購入する。

そして、北へ向かう。


これから、寒い季節になる。

防寒着なども購入した方がいいかもしれない。


考えていると、ヴァトムの兵の一団が近付いてきていた。


「事情は伺っております。こちらへ。すぐに出立できるよう、馬車を準備させております」


みんなで、顔を見合わせた。

ティアたちのために、リトイ・ハーリペットやヴァトムの軍が、わざわざ馬車の用意をしてくれたというのか。


案内された場所にあった馬車は、立派な造りの物だった。


それに、四頭立ての四輪馬車だった。


ティアたち全員が横になれるだけのスペースが、充分にある。


馬の見立てはよくわからないが、駿馬なのだろう。


いい馬だ、とデリフィスが呟くのが聞こえた。


ティアたちが乗り込むと、すぐに馬車は動き出した。


人通りはない。

ヴァトムの兵が、市民の通行を規制しているようだ。

わざわざ、ティアたちのために。


街の門まで、止まることなく馬車は進んだ。


街の外の光景に、息を呑む。

街道にも、人通りはなかった。


街道の両脇に、ヴァトムの兵たちが一列に並んでいた。


それは、地平線まで続くようであった。


敬礼する兵たちの間を、馬車は猛烈な勢いで駆けていく。


「ちょっ……」


舌を噛みそうになりながら、ティアは身を乗り出した。


路面を叩く馬蹄の響きと、車輪が回る音がうるさい。


声量を上げなければ、御者台にいる兵たちに、声は届かないだろう。


「こんなペースじゃ、ロウズの村まで……!」


とても、馬が持つとは思えない。


「心配無用であります!」


兵も、声を張り上げる。


「次の街で、替え馬の用意をさせております! その次の街でも! それは、ロウズの村まで続きます!」


「え……?」


「私たちには、『ヒロンの霊薬』を用立てることはできませんでした! ですからせめて、あなた方を無事に、ロウズの村までお送りします! ヴァトムの兵の誇りにかけて! 一分でも、一秒でも早く!」


「なんで……」


なんで、そこまでしてくれるのだ。


「あなた方は、ヴァトムの街を救ってくれました! ですが、リトイ・ハーリペットは、この街に、ヴァトムの民に必要な領主です!」


それは、以前ヴァトムの市民と触れ合ったことのあるティアには、よくわかることだった。


リトイ・ハーリペットの存在が、どれだけ彼らの支えになっているか。


「ですから、あなた方のことを、あの事件の真実を、公にすることはできない!」


『コミュニティ』という組織を抜きに、真実は語れない。


そして、リトイ・ハーリペットは『コミュニティ』の一員である。


それが世間に広まれば、リトイ・ハーリペットはヴァトムの領主ではいられなくなるだろう。


知る必要のない真実というものが、世の中にはある。


「あなた方の戦いを歴史として残すことも、記録に記すこともできない! ですが、我々ヴァトムの兵は、生涯忘れません! あなた方が、街のために、民のために、領主のために戦ってくださったことを!」


兵の列から、喚声が上がった。

どこまでも、地平までも響いているかのように、ティアには感じられた。


「……あんたらがあちこちで色々しているのは、よくわかったよ」


笑いながら、パナが言った。


ローブの膝の辺りを掴んでいるユファレートの手が、震えている。


テラントとデリフィスは、頻りに遠くを見ていた。


「あたしたちがしてきたことって、無駄じゃないんだね……」


精一杯頑張って、懸命に努力して、それが必ずしも報われるとは限らない。


だけどきっと、完全に無駄になったり、無意味になったりはしない。


ロデンゼラーの兵とは、敵対に近い関係にまでなった。


それでも、ジェイク・ギャメやロデンゼラーの兵たちは、力を貸してくれた。


今、リトイ・ハーリペットやヴァトムの兵たちが、力を貸してくれている。


シーパルを助けたいという、ティアたちのために。


船酔いの影響がまだ抜けていないのか、ルーアは寝転がっていた。


頭から濡れたタオルを被り、表情はよく見えない。


「……なんて言うか、暑苦しい連中だな、まったく」


皮肉気にそんなことを言いながらも、微かに見える口許は、笑みを浮かべているようだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


掌底が、兵士の顎を打ち抜く。

頚椎がねじ折れる感触が、確かにリンダに伝わってきた。


山中での戦闘だった。

相手は、『コミュニティ』の構成員たち。


「ル・ク・ウィスプ!」


魔法を叫ぶ声がして、リンダは木の幹に身を隠した。


地面や木立に光弾が突き刺さる音が響く。


(あと、三人……!)


兵士たちは十人ほどいたが、それは全員倒した。


残る相手は、動き出した死人ではなく、人間である。


意を決して、リンダは木の陰から飛び出した。


右に、魔法使いと剣士。

左に、投擲用の短剣を構えた男。


逡巡せずに、リンダは右に向かった。


横手から、短剣が飛んでくる。

この攻撃が、最も鋭い。


手甲で弾き、魔法使いの前に出た剣士に接近する。


この剣士が、最も未熟であるようだった。


わずかに積もった雪に、足を取られている。


下段からの大剣の一振りを、半身をずらしてかわし、リンダは剣士の懐に潜り込んだ。


脇の下の急所に、肘を突き立てる。


悶絶したところで、すかさず膝を蹴りつけた。


リンダが履くブーツには、底には鉄板が、踵には刃が仕込まれており、骨程度なら簡単に砕ける。


たまらず転ぶ剣士の顎を、踏み砕く。


「フォトン・ブレイザー!」


また、魔法を叫ぶ声。

飛び退ったリンダがいた空間を、光線が貫く。


木立が薙ぎ倒される音を聞きながら、リンダは魔法使いへ向かい前進しようとした。


だが、投擲された短剣に遮られる。


魔法使いの掌。


「ル・ク・ウィスプ!」


なかなかの魔法の発動速度。


無数の光弾を、全てはかわせない。


観念して、リンダは歯を喰いしばった。


かわしきれなかった光弾が、右肩と脇腹に着弾する。


リンダが着る黒いボディスーツは、ドラウ・パーターに貰ったものであり、材質はよくわからないが多少の魔法は弾く。

多少はだ。


肩と脇腹が痺れるのを感じながら、リンダは前進した。


左から投げ付けられる短剣。

頭部と、膝を狙ったものだ。


左手を一振りして、リンダはそれを防いだ。


一本は叩き落とし、一本は掴み取っている。


左手を一閃させ、魔法使いに短剣を投擲する。


魔法使いは咄嗟に反応したが、短剣はその首筋を深く斬り裂いていた。


掌の先に集束していた光が、霧散する。


リンダが放った前蹴りが、魔法使いの体の中央を貫いた。


(あと一人……!)


短剣使い。

まだ若いが、なかなかの腕前だ。

だが、相手が悪かった。


ストラーム・レイルの女なのだ。

殺すには、あと五十年は修業が足りない。


投擲が通用しないと悟ったか、若い『コミュニティ』の構成員は、腰から細剣を抜き放った。

突き出してくる。


手甲の表面を擦らすようにして逸らし、リンダは男に近接した。


「フッ!」


息吹。掌底。


リンダの掌が、男の眼窩の下を砕いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ジェノラー隊が全滅。

ザイアムがその報告を受けたのは、ロウズの村の南方にある山に建てた、小屋の中でだった。


駆ければ、一日と掛からずロウズの村に着ける。


すぐに、オースター孤児院に戦闘を仕掛けられる位置といえた。


「五十人ですぞ……それを、三日と掛からずに……たった一人で……」


報告に来たサミー・ロジャーの表情は、強張っていた。


額が広い以外は、余り特徴のない男にザイアムには見えた。


この地域一帯にいる、『コミュニティ』の構成員を取り仕切っている男である。


魔法使いであるが、強靭な魔力は有していない。


戦闘員ではなく、研究者として『コミュニティ』に属している男なのだ。


それは、クロイツとの繋がりが強いということである。


「……この三ヶ月の間の犠牲は、これで四百を超えました……」


「そうか」


素っ気なく、ザイアムは頷いた。


別に、驚くことではない。

相手は、あの『鉄の女』と呼ばれている、リンダ・オースターなのである。


ストラーム・レイルに味方する者の中でも、その戦闘能力はトップクラスだろう。


近接の戦闘ならば、死んだランディ・ウェルズにも伍する実力の持ち主。


正面から掛かれば、五十人だろうと返り討ちにされるだけだ。


遠距離からの魔法攻撃も、通用しにくい。


彼女の装備やオースター孤児院の建物自体が、ドラウ・パーターの細工により魔法を防ぐのだ。


だが実際のところ、リンダ・オースターを殺すのはそれほど難しくない。


彼女には、オースター孤児院で暮らす子供たちが大勢いる。


何人かはそれなりに戦えるようだが、リンダ・オースターにとっては足手纏いにしかならないだろう。


五十人で孤児院に襲撃をかければ、子供たちを守りながらリンダ・オースターは死ぬ。


「次は、どういたしましょう?」


「さあ、どうするかな……」


この地域一帯の『コミュニティ』の構成員に命令を出す権利が、サミー・ロジャーにはある。


だがザイアムが来ると、彼は指揮権の全てをザイアムに委ねた。


そんなものはいらないと突っぱねたが、サミーは認めなかった。


ザイアムは、『コミュニティ』のトップの一人である。


指揮権を委ねるのは、当然と言えば当然だった。


ザイアムにとっては、ひたすらに面倒なだけだったが。


仕方ないから、命令を出した。

リンダ・オースターを殺さず、彼女の子供たちを殺さず、だがリンダ・オースターに襲撃をかけ続けろ。

人選は、サミーに任せた。


一応、命令通りにリンダ・オースターも彼女の子供たちも死んではいない。


そして、リンダは疲弊していく。


『鉄の女』といえども、疲れ切れば容易く折れるだろう。


なぜ殺さないのか、サミーは当然疑問だろう。


疑問をそのまま口にしない習性でも、あるのかもしれない。


ザイアムのことを、観察しているような雰囲気はある。


そこまで深い理由はなかった。

オースター孤児院が落ちれば、ティアやルーアは来ないのではないか、と思っただけだ。


わざわざ、こちらから向かうのも面倒である。


彼らもそろそろ、自身の力を自覚してもいい頃だ。


「ルーアたちは、今どこだ?」


「数日のうちに、ロウズの村に到着します」


「そうか」


思ったよりも、ずっと早い。


到着するのは、どれだけ急いでも年が明けてからだと思っていた。

まだ、十二月である。


「何人ほど、動かせる?」


「今すぐに、とおっしゃるのならば、兵士は、百人強というところでしょうか。ただし、失敗作のため、動きは悪いでしょう」


兵士の全てが、まともに動く訳ではない。

なにしろ、死体なのだ。


不良である兵士は、人体実験などに回される。


「私の助手たちが、八人。今も外にいますが、会われますか?」


「……一応、顔を合わせておこうか」


八人が入ってくるには、小屋は狭すぎる。


ザイアムは、外に出た。

サミーの指示に従い、寒風が吹きすさぶ中、八人が並ぶ。


「端から順に、ガイケル、ドリ、シャルル、ランワゴ、アリノリ、ジャック、ガンジャメ、アルベルトとなります。全員が、魔法使いです」


「……そうか」


二人目の時点で、覚えるのは諦めた。


「……よろしく頼む」


おざなりの挨拶をして、小屋に戻る。

サミーだけが、ついてきた。


「……お前の、兄弟かなにかか?」


「事情を知らない者には、兄弟や親戚と紹介しております」


八人は、よくサミーと似ていた。

兄弟のように、ではない。

サミー当人とほぼ同じ顔の者が、八人並んでいたのである。


だが、微妙に違う。

それは、眼の大きさであったり、鼻の高さだったり、耳の形だったりする。


「……クロイツの実験体か?」


「その、失敗作でありますな。私たち九人は」


特に卑下することもなく、自分たちのことを失敗作と言う。


「あと、クロイツが是非作戦に参加させてくれと、二人寄越しています」


「……誰だ?」


「サムとダワンダの兄弟です」


「知らんな……」


正直に、ザイアムは言った。


サミーの、口が割れる。

笑ったのだと、ザイアムは気付いた。


「『天使憑き』ですよ」


「……」


舌打ちしそうになる。


クロイツの目的が、微かに見える。

彼は、どこまでザイアムの思惑を見抜いているのか。


「とても、全員覚えきらん。お前たち九人の、見分けもつかん。今後とも、お前に指示を出す。定期的に私の所へこい。他の者には、お前が伝えるのだ」


苛立ちを隠しながら、ザイアムは言った。


サミーは、まるで忠実な部下であるかのように、丁寧に頭を下げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


馬車での移動となり、一週間ほど経過してからか。


パナが、体調を崩した。

冷や汗をかくようになり、吐き気がするらしい。


普通の乗り物酔いとは、やや症状が異なるのかもしれない。

血色が悪く、手足が痺れるようだ。


翌日からは、ティアにも同様の症状が出るようになった。


環境の変化が原因だろう、とルーアは思った。


ほぼ一日中、激しく揺れる馬車の上なのだ。


食事なども、車上で済ます。

眠る時も、馬車は走り続けている。


止まるとしたら、街や村で馬を替える時と、排泄行為の時くらいか。


ティアも体調を崩した翌日からは、馬車の速度を落としてもらった。


一刻も早くロウズの村へ向かいたいが、そのために誰かが重大な病などになっては、本末転倒である。


三時間に一度、休憩時間を取るようにした。


また、パナがなにやら薬を調合した。


それ以来、体調を崩す者はいない。


ルーアは、乗り物酔いなど起こさなかった。

これまでの人生でも、船以外の乗り物で酔ったことはない。

ただ、ストレスが溜まった。


元々の六人に、パナと交代の御者。

さすがに、馬車の中は狭かった。


それに、毎日毎日ほぼ二十四時間誰かが側にいるのである。


彼らのことを、嫌ってはいない。

好きか嫌いかで分けるなら、間違いなく全員が好きな分類になる。


それでも、一人の時間がないのはストレスが溜まった。


些細なことで苛立ち、爆発しそうになる。


そんな時は、眠るシーパルの顔を見た。


ルーアだけでなく、みんなが少なからず堪えているはず。


自分だけが苛々としている訳ではないのだ。


北国出身のティアとユファレートの薦めで、まだ涼しいうちから防寒着を購入した。


急激に冷え込む時期になるという。


ルーアは、『バーダ』という部隊に所属していた。


半分警察、半分軍隊というような組織である。


真冬に、何日も外で張り込みをしたこともあった。


寒さには強いつもりだったが、甘かった。


十一月の後半になると、急に寒さの質が変わった。


今まで経験したことのない寒さである。


寒さが痛さに変わり、やがて感覚を失う。


体の芯まで冷えているのが、よくわかった。


ほんの少し前まで、南国ラグマにいたのだ。


真夏から真冬に叩き落とされたような気分だった。


ラグマ出身のテラントなど、口を開こうともしない。


ティアやユファレートは、わりと平然としている。


道は、除雪されていた。

道の端にどけられた雪は、ルーアの肩の高さまである。


ティアたちの話によると、年が明けると、今以上の降雪量となるらしい。


まだ、十二月である。

ロウズの村には、あと数日で到着するだろう。


ロデンゼラーを出発してから、三ヶ月が過ぎた。


たった、三ヶ月しか過ぎていない。


半年以上かかるはずだった。

半分の日数である。


ロデンゼラーの人々、ヴァトムの人々、多くの協力があった。


恩がある、とラグマ王国執務官ジェイク・ギャメは言った。


リトイ・ハーリペットやヴァトムの兵が力を貸してくれるのも、似たような理由だろう。


それほどのことをしただろうか、と思ってしまう。


頼んでもいないのに、彼らは協力してくれている。


仲間、というものをしばしば考えた。


もし、ルーアが独りだったら。

独りで誰かを助けようと必死になったとして、こんなにも協力してくれる者が現れるだろうか。


独りの旅だったはずだ。

独りじゃないと気付かされたのは、いつからだろう。


記憶を辿っていく。

もしかしたら、あの時かもしれない。


独りで戦い続け、傷付き、敗れ、ティアに胸倉を掴まれた時。


仲間だと言われた時。


ティアの顔を、盗み見た。

寒さのためか、鼻や頬が赤い。


視線に気付いたのか、ティアが見返してくる。


なんとなく、ルーアは視線を外した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ロウズの村の南に、名もない村がある。


雪に埋もれるような、山間の小さな村である。


十二月も後半となっている。


ティアたちがその村に到着したのは、日が沈んでからだった。


ロウズの村まであと一日というところだが、無理はできない。


雪は、止むことなく降り続いている。


その日は、村に一軒だけある宿に泊まることにした。

一階は、食堂となっている。


夕食中の来訪者に、ティアは立ち上がった。


「シュア姉ちゃん!」


同じオースター孤児院で育った、ティアにとっては姉となる人である。


孤児院の中では母であるリンダに次いでの年長であるため、子供たち全員の姉だった。


「シュアさん!?」


ユファレートも、驚いた様子を見せる。


以前、ロウズの村は盗賊団に狙われたことがある。


助けてくれたのは、ユファレートや彼女の祖父であるドラウ・パーター、そしてハウザードだった。

その時に、ユファレートたちはオースター孤児院に宿泊している。

家族とは顔なじみなのだ。


シュアが、ティアの名前を呼びながら、近付いてくる。


その背後で宿の扉を閉めている男性は、ホルン王国の軍服を着ていた。


「ティア、久しぶりね。ユファレートちゃんも」


肩の雪を払い、厚手のコートを脱ぐ。


でけえ、とルーアが呟くのが聞こえた。


シュアは、実に女らしい体つきをしている。


「みなさん、初めまして。妹がいつも世話になっています」


そう言うシュアに返答するテラントやデリフィスの視線も、シュアの首と腹の間をうろうろしている。


男なんて、死んだ妻一筋と宣う者も、いくらクールに振る舞う者も、どいつもこいつも結局そうなのだ。


ユファレートに、肩を叩かれた。


「どんまいティア!」


どういう意味だ。


「シュア姉ちゃん、どうして……」


「これを……」


脱いだコートのポケットから、取り出す。


衝撃吸収材の代わりか、ハンカチで包んだ小瓶。


小瓶の中には、エメラルドグリーン色をした液体。


「『ヒロンの霊薬』!?」


「急いでるんでしょ?」


馬や御者の準備のため、ヴァトムの兵がティアたちより一日先行していた。


シュアの背後に控える軍服の男性が、それだろう。


ロウズの村まで窮状を伝えてくれたのか。


それで、シュアが『ヒロンの霊薬』を持ってきてくれた。


ヴァトムの兵に渡してくれるだけでも良かったような気もするが。


『ヒロンの霊薬』を受け取った手が、震える。


「パナさん、これを……」


「うん……うん、わかってる」


さらにティアから手渡されたパナも、動転している。


やっと、やっと手に入ったのだ。

念願の『ヒロンの霊薬』が。


二階にあるシーパルを寝かせてある部屋に、みんなで駆け込んだ。


注射器に『ヒロンの霊薬』を移すパナの手も、震えている。


「……パナさん」


「ああ、わかってるって」


一旦、パナは深呼吸をした。

そして、シーパルの腕に注射を打つ。


「……どうだ?」


誰かが、呟いた。


みんなで、シーパルの顔を見つめる。


「……おい、起きねえぞ」


十数秒経過したか、ルーアが呻く。


ティアは、パナの袖を掴んだ。


「パナさん……」


「あたしにもわかんないよ……」


この眠りは、ヨゥロ族でもごく一部の者だけができるという特別な眠りである。


その仕組みを理解できている者は、いない。


シーパルも、わかっているのかどうか。


話によると、二、三ヶ月眠り続けるという。


そして、三ヶ月以上が過ぎていた。


「叩き起こすか?」


短絡的に言うルーアを、テラントが止めた。


「まあ、待て。毒を分解している最中かもしれん」


さすがに年長者らしく、落ち着きを取り戻していた。


「『ヒロンの霊薬』は打ったんだ。しばらく、様子を見よう」


テラントの提案に、デリフィスも無言で頷く。

それで決まりだった。


「ありがと、シュア姉ちゃん」


シュアは、遠慮がちに部屋の入り口近くにいた。


「……大丈夫なの、あの人は」


「大丈夫だよ、絶対……」


大勢の人々が協力してくれた。シュアも。


シーパルは、必ず助かる。


「彼が眼を覚ますまで、待ってね。そしたら、村に顔を出すから」


「あら、駄目よ」


「え……?」


意外な言葉に、ティアは戸惑った。


シュアは、昔からのおっとりとした喋り方で続ける。


「『ヒロンの霊薬』はその人に打ったんだし、もう村に用事はないでしょ?」


「えと、いやでも、ここまで来たんだし……」


先程微かに感じた疑問が、頭を過ぎった。


わざわざシュアが来なくても、ヴァトムの兵に『ヒロンの霊薬』を渡せば良かったではないか。


この村まで来たのは、ティアに告げるためなのではないのか。


「ティアは、ユファレートちゃんのお兄さんを捜す旅の途中なんでしょ?」


「うん、だけど……」


「だったら、旅を再開して、早くハウザードさんを見付けなきゃね。ユファレートちゃんのためにも。ね?」


「シュア姉ちゃん……?」


なにかおかしい。

噛み合わない。


ロウズ村は、もうすぐそこなのだ。


村へ立ち寄り孤児院に顔を出すことは、当然だとティアは考えていた。


そして、シュアも孤児院のみんなもそれを望んでくれているはず。


むしろ、二年も帰省していなかったことを、怒られるのではないかと思っていた。


そして、無理矢理にでも村へ連れていかれるはずだった。


廊下に出たシュアが、窓に眼をやる。

吹雪始めているようだ。


「……今日は、ロウズ村まで帰れそうにないわね。今晩は、ここに泊めてもらうとするわ。部屋、空いてるといいけど」


「待ってよ、シュア姉ちゃん!」


立ち去ろうとするシュアの腕を、ティアは掴んだ。


「あの……なんで……? なんか変よ! ……もしかして、怒ってる? あたし、二年も帰らなかったから……」


「……そんなことないわよ」


「だって……」


尚も喰い下がると、シュアは溜息をついた。


「……ティア、あなた、レボベル山脈で古代遺跡を発見したでしょ?」


「……え。……うん」


いきなり古い話題を持ち出されて、ティアはまた戸惑った。


随分と昔の話である。

まだ、ルーアたちと出会う前、ユファレートとの二人旅だった時。


レボベル山脈で偶然発見した古代遺跡。


その時に得た財産が、現在のティアとユファレートの旅の資金源となっている。


「それで、孤児院にもお金を入れてくれた」


「……うん」


「だけど、新聞にまで載ったのはまずかったわね」


「え……?」


「それからね、何度か孤児院が泥棒や強盗に狙われたの。幸い、怪我人とかなかったけど」


「あ……」


絶句する。


確かにティアたちも、何度か襲われた。


剣を遣わなければ、撃退できないこともあった。


孤児院も、危険な目に遭っていたのか。


「最近ようやく、そういうこともなくなったの。でも、ティアが孤児院に戻ったら……わかるでしょ?」


「……」


シュアの表情は、穏やかだった。


言葉が出てこない。


ティアの背後にいたルーアやユファレートに頭を下げて、シュアは立ち去った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


絶対に、なにかがおかしい。

少しずつ平静を取り戻したティアは、まずそう思った。


浅はかな行動をしたかもしれない。


孤児院に、たくさんの迷惑をかけたかもしれない。


でも、そうだとしても、ティアの帰省を拒むなんて真似を、オースター孤児院のみんなはしないはずだ。


シュアも、あんな言い方はしない。

もっと言葉を選ぶ。


なにかを隠している。

なにか理由があって、ティアをロウズの村から遠ざけようとしている。


「シュア姉ちゃん!」


シュアは、宿の受付で部屋を取っているところだった。


ティアに向けて、うるさそうな表情をする。


部屋の鍵を受け取り、階段を上がっていく。

ティアは、それを追い掛けた。


「絶対、なにか隠してる! ちゃんと話してよ! なにがあったの!?」


「……別に、なにも隠してないわ」


「嘘! 絶っ対に嘘!」


廊下で溜息をつき、それからシュアは部屋へ入っていった。


扉を閉ざされる前に、ティアは体を滑り込ませた。


「シュア姉ちゃん!」


シュアはまた溜息をつき、ティアの手を取った。

部屋にある椅子に、ティアを座らせる。

そして、再び溜息。


「……だから、無理だって言ったじゃないですか」


「……え?」


ティアがきょとんとすると、シュアの隣の空間が揺らめいた。

白い人影が、ぼんやりと現れる。


「ふむ……」


「ちょっ……!?」


椅子から、転げ落ちそうになった。


「エ、エ、エスさん!?」


そう、突如部屋に現れたのは、全身が真っ白なエスだった。


「なんっ……え!? なんで!?」


「落ち着きたまえ、ティア・オースター」


いつもの口調。


「説明してあげよう。オースター孤児院でなにが起きているのか。君が知らない、リンダ・オースターの真実を」


エスの横で、シュアは溜息をついていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


その日、ティアは初めて知った。


母であるリンダが、ルーアの師でもある英雄ストラーム・レイルの仲間であったことを。


若い頃は、共に旅をしていたのだと。


ずっと、『コミュニティ』と戦っていたのだと。


「現在も、『コミュニティ』と交戦中だ」


「だったら……!」


ティアは、思わず立ち上がっていた。


「あたしたちも、一緒に戦います! それで……」


「だから、駄目なのよ……」


シュアが、眉間を押さえながら溜息をつく。


「リンダ・オースターが相手をしている者たちの背後で指揮を執っているのは、ザイアムだよ」


「……ザイアム?」


初めて聞く名前だ。

それなのに、エスが口にしたその名に、不吉なものを感じた。


「彼は、『コミュニティ』の最高幹部の一人だ。ボスが死んだ現在では、実質上のトップだな。彼の戦闘能力は、私でも測りきれない」


「……でも、どんなに強くても、みんなで力を合わせれば……」


「力を合わせれば、か……」


呟くエスの言葉には、憐れむような響きがあった。


「君は、彼と同じ立場である、ソフィアと会っているね?」


「はい……」


ソフィアと会ったのは、ここホルン王国の、ヴァトムの街だった。


まざまざと思い出す。


美しい表情。

妖艶な微笑み。

圧倒的な戦闘能力。

巨大な禍々しい鎌。


ルーアの左腕を破壊し、一蹴したのだった。


デリフィスが助けにこなかったら、ルーアもティアも、殺されていただろう。


「違うな。ルーアとデリフィス・デュラムの二人が相手だったから、ソフィアは引いたのではない」


ティアの思考を、エスは読んだのかもしれない。


「ただ彼女は、君たちを殺すつもりがなかった、それだけだ。もしテラント・エセンツやシーパル・ヨゥロ、ユファレート・パーターがいても、彼女がその気になっていたら、全員殺されていたよ」


「そんなこと……」


否定しようとした。

だが、想像できなかった。


軽くルーアを捻り、駆け付けたデリフィスにも動じることのなかったソフィアを、倒すことが。


「ザイアムには、ソフィアの『邪眼』のような特色能力はない。魔法も使えない。だが、地力だけならソフィアよりも上だ」


「……!?」


「君たちが力を合わせ、知恵を持ち合い巧妙な策略を巡らし、全力を振り絞り幸運にも恵まれたとしてもだ、ザイアムには傷一つつけられないだろうよ。ハウザードやズィニア・スティマも、彼に比べたらかわいいものだ」


淡々と、エスは言葉を紡いでいく。


薄暗い部屋で、エスの白い姿は鈍く輝いて見えた。


「対抗できるとしたら、ストラーム・レイルくらいなものだろうな。君は知らなかっただろうが、私たちと『コミュニティ』は、絶妙なバランスで戦力を拮抗させていた」


ベッドが軋む音がした。

黙って聞いていたシュアが、腰を降ろしたのだ。


「私が『コミュニティ』の頭脳を牽制し、ストラームやドラウ、そしてランディやリンダが、ソフィアを筆頭とした『コミュニティ』の戦力を押さえていた」


母の名前に、ティアは顔を上げた。


いつの間にか、俯き加減になっていた。


「押さえることができていた。均衡の中で、私が最も恐れていたのは、ザイアムが動き出すことだった。彼は、争いに無関心だった。彼が動かないことで、かろうじて均衡は保たれていた」


「……」


「これは、最悪なことだよ。均衡は、一気に崩れる」


「……勝てないって言いたいことは、よくわかりました。でも、まだ母さんたちは戦ってるんですよね? だったら、避難させるだけでも……」


「まだ、わかっていないようだね」


エスが、溜息をつく。

ベッドの上で、シュアが何度目かの溜息をつくのも見えた。


「ザイアムがそのつもりになっていれば、リンダ・オースターはとっくに殺されている。オースター孤児院も潰されていただろう。なぜ、それをしないか。君たちをおびき寄せるためだろう」


「あっ……!」


「君たちが向かうことで、ザイアムは躊躇うことなく行動を起こせる訳だ」


リンダや孤児院のみんなを、死なせることになる。

エスは、そう言いたいようだ。


「君たちがロウズの村に向かわなければ、リンダ・オースターはまだ殺されないかもしれない。時間を稼げるということだ。なにか、手を打てるかもしれないな」


「あたしたちは、なにをすれば……」


「なにもするな。ロウズの村にも近付くな。それが、君の家族のためだ」


断言されて、ティアは視界が眩むのを感じた。


それなのに、エスの姿だけははっきり認識できる。


「……時間を稼いで……手を打つって……当ては、ありますか?」


「ない。リンダ・オースターを見捨てる公算が高い」


「そんなっ!?」


ティアは、また立ち上がっていた。

勢いで、椅子が後ろに倒れる。


「嫌です! そんなのって、納得できない! あたしは、村に行きます! それで、母さんもみんなも助けて……!」


「君にとって、仲間がそんなに軽い存在だとは思わなかったよ」


「……え?」


「君が家族を救いたいと願い、ロウズの村に向かう。君の仲間たちは、どうするか……考えるまでもないだろう?」


「……」


一緒に来てくれる。きっと、いや、絶対に。


「さて、相手はザイアムだ。ストラーム・レイルの無数にある化け物染みた伝説は、いくらでも聞いたことがあるだろう? 彼に匹敵する、ザイアムが敵だよ。ただ、死体が六つ増えるだけだ。ああ、今はパナという者もいたね。もしかしたら、七つかな」


エスが近付き、ティアの肩に手を置いた。


「家族も仲間も死なせるか、それとも仲間は死なせずにすませるか。君は、どちらを選ぶかね、ティア・オースター?」


◇◆◇◆◇◆◇◆


ティアの様子がおかしい。

姉だというシュアと話してからだ。


宿の個室に閉じ籠もり、誰とも顔を合わせない。


ユファレートが呼び掛けても、返事がない。


ルーアは、放っておくことにした。

これまでも、そうだった。

誰にだって、プライベートな事情はある。


以前シーパルがヨゥロ族のことで悩んでいた時も、無理に聞き出そうとはしなかった。


テラントは父親と上手くいっていないようだったが、それに関わることはしなかった。


ティアには、ユファレートがいる。


落ち着いたら、そして誰かに話す必要があるのなら、彼女に言うはずだ。


それまで、待てばいい。


翌朝、吹雪は治まっていた。

雪は、深々と降り続けている。


シュアは、ルーアが目覚める前にロウズの村に戻ったようだ。


ティアが、部屋を出てきた。

心配するユファレートに、微笑み返している。


シーパルは、未だに目覚めない。


気付いたのは、昼食後だ。

ティアが、いなくなった。

宿にも、村のどこにもいない。


ルーアは舌打ちをして、適当な木に蹴りを入れた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


なにをどうすればいいのか、わからない。


それでもティアは、ロウズの村に向かっていた。


家族を見捨てるなんて、できない。


だからといって、きっと力になんてなれない。


家族を助け、守りたい。

だけどきっと、独りでは余りにも無力で。


頼めば、きっとみんなは力を貸してくれる。


みんな、ティアよりもずっと強い。

それは知っている。


でも、敗れたことがあることも知っている。


今度の相手は、彼らを敗った者たちよりも、強敵だという。


(……どうすれば……いいんだろ……?)


家族を助けたい。

だけどそのために、仲間たちを巻き込めない。


独りで、ロウズの村に向かっていた。


みんなには、なにも告げていない。


ついて来ないよう言ったところで、納得しないだろう。


ちょっと出掛けてくるなどと嘘をついても、彼らが騙される訳がない。


書き置きや伝言も、意味がないだろう。


だから、なにも言わずに宿を出た。


今頃、みんな捜してくれているだろうか。


もう、ティアの行き先に気付いたかもしれない。


彼らに追い付かれたら、どうすればいいのか。

どうすれば追い返せるのか。


それ以前に、どう接すればいいのか。

それすらも、わからない。


背後から、風を切る音がした。

舌打ちも、聞こえたような気がする。


だから、ユファレートではない。

ユファレートは、舌打ちなんてしない。


わざわざ飛行の魔法を使って追ってきたのか。


こんなに寒いのに。

飛行の魔法は、とても疲れるらしいのに。


「……早過ぎるのよ、バカ」


思わず、ティアは呟いていた。


まだ、なにを言えばいいのか、纏まっていないのに。


どんな顔をして接すればいいのか、わかっていないのに。


長い赤毛をたなびかせ、先回りをしたルーアが着地する。

不機嫌そうな表情で。


「あー、くそっ! 寒い! くそっ! 顔痛え! 耳痛え!」


一頻り喚くと、ティアを睨みつけてきた。


「馬鹿。おい、馬鹿。弱っちいくせに、なに一人でうろちょろしてんだ、馬鹿」


苛立っている。

当然かもしれない。

逆の立場だったら、ティアも腹を立てる。


腹を立てられていることが、嬉しくもあり辛くもある。


優しい言葉をかけられても、嬉しくて辛かっただろう。


「……」


上手く、喋れなかった。

なんと言えばいいのか、まだわかっていなかったのだから。


ティアが進んでいた方向を、ルーアは一瞥した。


「こっちは、ロウズの村の方だよな? ロウズの村に行くんだな? わかった。一緒に行ってやるよ。いいな?」


「……駄目」


ようやく出せた声は、自分でも驚いてしまうほど弱々しかった。


「あたし一人で行くから、ルーアたちは来ないで……」


「わかった。納得できる理由があるなら、そうする」


そう言うと、ルーアは一歩近付いてきた。


「なにがあったか、話せよ。嘘はつくなよ。嘘をついたら、ひっぱたく。マジで」


やっぱり、怒っている。


「……昨日ね、お姉ちゃんと話していたら、エスさんが来たの」


「……エスが?」


「母さんね、ストラームさんの仲間だったんだって。ずっと、『コミュニティ』と戦ってたんだって。今も……」


「わかった」


ルーアが、頷いた。


「『コミュニティ』が相手なんだな、わかった。なんだ、いつも通りじゃねえか。いつも通り、ぶっ潰せばいいんだな? わかったよ」


「駄目だよ……」


「なにが駄目だ?」


「凄く、強い人みたいだよ。あのソフィアって人よりも、強いかもって。ストラームさんくらい、強いって。あたしたちじゃ、絶対勝てないって」


「ほー。そりゃきついな。けどまあ、なんとかするさ」


「……なんとかって?」


「知るか。なんとかはなんとかだ」


「……」


やっぱり、駄目だ。

根拠もなく、強がっているだけだ。

巻き込めない。


「……あたしだけで行くから」


「お前だけで行って、なにができんだよ? 俺も行ってやるっつってんだ」


唇を、噛んでいた。


「あたしだけで行くから……」


「……要するに、お前はあれか。俺たちのことが、信用できない訳だ。エスの野郎の言うことを、信じる訳だ」


「……あたしは、巻き込みたくないの……」


ルーアが、手を上げた。

叩かれるのかと、思った。


「……あー、糞ムカつく! マジムカつく!」


勘違いだった。

ルーアは、乱暴に苛々と自分の頭を掻きむしっている。


「お前なぁ! お前……お前が言ったんだぞ!」


「……え?」


「お前……ああ、ヴァトムでだ! お前が……俺のことを仲間だって言ったんだぞ! あれは、嘘なのかよ!?」


「……嘘じゃないわよ……」


「だったら……仲間だってんなら、巻き込めよ!」


「だって……」


「だって、じゃねえ! いいか!? 俺も、お前のこと、仲間だって思ってるから……」


そこまで言って、急にルーアは頬を引き攣らせた。

顔を赤らめていく。


「くっそ……! こんなこと言わせんなよ! キャラじゃねえんだよ! 最悪だ! 人生の汚点だ! 黒歴史だ!」


「……なに言ってんのよ」


「いいか!?」


こちらの顔に、指を突き付けてくる。


「お前の家族も、お前も、絶対に守ってやる。当然、俺たちの誰も死なない」


ふっと、ルーアの表情に陰が差す。


「……シーナにも、似たようなことを言った」


「……」


「あんな失敗は、もう二度としないから。なにがなんでも、なんとかしてやるから。それに……」


顎をしゃくる。

ティアの背後を示しているようだ。


「あいつらも、手伝うってよ」


馬車が、向かってきていた。

遠いため断言はできないが、御者台にいるのは、おそらくテラントとデリフィスか。


ヴァトムの兵たちには、村に残ってもらったのだろう。


「俺たちで、なんとかしてやる。これまでも、なんとかなってきただろうが」


「……」


無言で、ティアはルーアを突き飛ばした。

その脇を、通り過ぎる。


「……おい」


ルーアの、苛立った声。

ティアがそれでも独りでロウズの村へ向かうつもりだと、勘違いしたのだろう。


肩を掴んで、無理矢理振り返らそうとする。


仕方ないから、ルーアの胸にティアは額を押し付けた。


「…………あれ?」


ルーアの声が、固くなるのがわかる。


「……勘違いするなよ、バカやろー」


ティアは言った。


泣きそうになってしまったのだ。

その顔を、見られたくなかった。

だから、背中を向けた。


それなのに、無理矢理振り返らそうとする。


こうしないと、顔を隠せなかったのだ。


「……俺たちで、なんとかしてやるから」


「……うん」


頼っていいのだ。

巻き込んでいいのだ。

この仲間たちなら、きっとなんとかしてくれる。


「……みんなを、助けたいの。……お願い……力を貸して……」


「おう。貸してやる。任せとけ」


馬車は、まだ遠い。

こちらの様子は、よく見えないだろう。

勘違いされることもない。


もうしばらくは、馬車がもっと近付いてくるまでは、こうしていよう。


ティアは、そう思った。

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