太陽のない空

ラシィは、軍事基地の敷地内にいた。

建物には入らない。


ズィニアが戦闘中なのだ。

竜巻の中に入るようなものだろう。


基地の内部に、どれだけのズターエ王国の軍人が残っているのか。


ズィニアにしては、随分と時間が掛かっていた。


それでも、トゥと兵士たちに攻略させるよりも、ずっと早いだろう。

戦力の損耗もない。


時折、ズィニアの狂ったような高笑いが聞こえた。


そして、思い出したかのように、基地の窓を突き破り、斬り裂かれた軍人の死体が落ちてくる。


時間が掛かっている原因はそれだった。

つまり、遊んでいるのだ。


大方、全滅させるつもりなのだろう。


逃げる者、隠れている者まで、狩っている。


基地から逃げ延びた者は、サイラスやエランに始末させている。


トゥだけは、建物の中にやっていた。


すでに、『ジグリード・ハウル』までの道は切り開かれているかもしれない。


焦るな、とトゥには言い含めてある。

自分にも、言い聞かせた。


建物の外。

両手両足を拘束された、サンとエミリアがいる。


二人を奪還しようとする者が来るだろう。


それを阻止するための、こちらの戦力は、ラシィ、サイラス、エラン、兵士が残り十六人。

充分な戦力といえた。


ルーアたち六人全員が、ここまで来ることはないだろう。


六箇所の基地を教えてやった。

戦力は分散されているはずだ。


すでに、ハウザードに消されている者もいるだろう。


ズィニアによって、遠からず基地は落ちる。


『ジグリード・ハウル』を起動できるトゥも、すでに送ってある。


目的の達成は、目前だった。

だから、焦る必要はない。

着実に事を進めればいい。


焦って失敗をし、全てが台無しになることだけは、避けたかった。


焦るなよ。

もう一度自分に言い聞かせて、ラシィは建物を見上げた。


窓を突き破り、また死体が落ちてきた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


基地の敷地へは、裏門から侵入した。

風下だったからである。


深夜だった。

風に運ばれ、些細な物音でも、驚くほど遠くまで響くことがある。


裏門には、見張りなどなかった。

軍人の遺体が転がっているだけである。


戦力を固めているのか。


やはり、ユファレートが担当となったこの基地が当たりだ。


気は逸るが、ティアは慎重に進んだ。


建物の外、たむろしている者たちがいる。


魔法の明かりの下、サンとエミリアが、身動きが取れないように縛られ転がされていた。


ラシィがいる。サイラスもエランも、兵士たちも。

二十人くらいか。


ティア一人では、どうしようもない。


(……ユファは?)


先に到着しているはずだ。

道に迷ったか、シーパルの言う通り、途中で戦闘になったのか。


シーパルと合流できたのか。


しばらく前に、遥か遠くで、花火とは違う炸裂音がしていたのはわかっていた。


住居の近くで、ユファレートやシーパルが破壊的な魔法を使うだろうか。


激しい戦闘だったのかもしれない。


ここまで辿り着けない可能性もある。


(どうすれば……)


百歩は離れた距離。

倉庫らしい建物がいくつも並んでおり、その陰にティアは隠れていた。


これ以上は近付けない。

きっと、ラシィやサイラスに気付かれる。


夜の闇がなければ、ここまで近付けなかった。


一人で突っ込んだところで、勝機はない。


残された時間は、あとどれくらいなのか。


それでも辛抱強く、好機を待つしかない。


全員に隙ができて、サンやエミリアを救い出せる好機を。


そんな有り得ない、奇跡のような好機を、待つしかない。


息を潜めて、眼を男たちからは逸らさずに。


そして、絶望感に押し潰されないように気を張りながら、ティアはただその好機を待ち続けた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ユファレートは、呆然としていた。


なにも考えられない。

それなのに、ハウザードの姿が思い浮かぶ。


冷笑が、冷たい手が。

冷たい言葉が、頭の中で響く。


体は、なにも感じない。

左肩に刺さった短剣をシーパルが引き抜いた時も、痛みすらなかった。


治療をしながら呼び掛けてくれているようだが、ユファレートは反応できなかった。


対岸から話し掛けられているかのように、遠くから聞こえる。


そして、話し掛けられていることが、他人事のように思われた。


そっとしておいた方がいい、と彼は判断したのかもしれない。


傷口を塞ぐと、警官たちの治療に移った。


猛烈な冷気に襲われた警官たちは、誰一人動けないようだ。


なんだったのだろう。

たくさんの人たちが死んだ。


警官だけでなく、住民まで大勢死んだ。殺された。

殺したのは、ハウザード。

なんで、そんなことを。


『コミュニティ』のメンバーだと言っていた。


ユファレートのことは、利用していただけだと。

妹だと思ったことなどないと。


また、視界が滲んだ。


デリフィスが戻ってきた。

基地へと向かおうとしていたのだ。

だが、道がなくなっている。


ハウザードが起こした地震の魔法により、数キロに渡る深く長い亀裂が、大地にできあがっていた。


いくらなんでも、威力が強力すぎる。


地下に、細工でもしていたのかもしれない。


あるいは、街の地下に空洞でもあったか。


北にあるビビラという街には、いくつも地下迷宮があることで有名だった。

他の街にも、そういう話はある。


この街の地下に未知の空洞があっても、それほど不思議ではなかった。


この威力で、なぜ生存者がいるのか。


警官や軍が基地へ向かえないように、街を破壊することが目的だったのか。


ついでに、身を守るためにも警官たちを殺した。


「シーパル、向こうに行きたい。俺を運べるか?」


「……もうしばらく待ってください」


大地の割れ目を、飛行の魔法で越える。

かなりの魔力を消耗するだろう。


ただでさえ制御の難しい魔法であり、さらに人を運ぶとなると、術者に掛かる負担は相当なものになる。


疲労し、負傷したシーパルでは、今すぐというのは無理な話だった。


魔力の回復を待たなければならない。


周囲の空気には、ハウザードの魔力が充満していた。


強力な魔法が連発されると発生する現象だった。


他人の破壊の魔力に包まれた状態だと、魔法を扱うのが難しくなる。


悪意が、強烈な意思が、集中を阻害する。


まるで、魔導災害の現場のようだった。


「亀裂を避けて走るのと、どっちが早い?」


「そうですねえ……」


「……無駄よ」


どちらにせよ、何時間か掛かるだろう。


ハウザードは、間もなく『ジグリード・ハウル』が起動すると言っていた。


今から基地に向かっても、間に合わない。


「起動を止めるなんて、できない……」


「そうか」


デリフィスの眼は、冷たかった。


ハウザードの眼を思い出す。

ユファレートに対して、失望した眼。


「俺は、別の道を捜すことにする」


勝手に諦めていろ、デリフィスの眼は、そう言っていた。


実際に口に出さないのは、半年間の付き合いがあるからか。


それとも、ユファレートが絶望の淵にいるからか。


『ジグリード・ハウル』が発射される。

また、人が死ぬ。

戦争のきっかけにもなるだろう。

大勢が死ぬ。


『コミュニティ』のボスになる、と言っていた。

ハウザードが関わっているのか。

ハウザードの指揮なのか。

ハウザードのせいで、また大勢が死ぬのか。


「……シーパル、手伝って」


「……ユファレート?」


「お兄ちゃんを、『ジグリード・ハウル』を止めなくちゃ……」


「だから、そのために……」


「それじゃ間に合わない! 一つだけあるの……止める、方法……」


ユファレートは、顔を上げた。

シーパルが、見つめてくる。


立ち去りかけていたデリフィスは、立ち止まっていた。

肩越しに振り返っている。


ユファレートは、小さな少女の姿を思い出していた。

ヤンリの村で知り合った少女。


肩を震わせ、刃物を手にし、姉を止める決意をしていた。


今なら、その気持ちが、辛さが、よく理解できる。


(リィルは、強い……ね……)


ハウザードを殺してでも止めるなんて、できそうにない。


実力の問題ではなく、心の問題だ。


そしてようやく、ルーアが旅の行く先を変えた理由が、わかった気がした。


「……どうやって、『ジグリード・ハウル』の発射を止めるのです?」


「……発射は、止められないよ……間に合わないから……」


ユファレートは、遠い基地を見つめた。


「……『ジグリード・ハウル』から放たれたエネルギーは……」


背後には、やはり遠くカルキン会館。


ユファレートは、今度は上空を見上げた。

暗い夜の空。


「わたしたちの頭上を通るよね……」


「まさか……馬鹿な……!」


シーパルが絶句する。


「……ここで、受け止めるの」


「そんな……! 無理です! できるわけがない!」


「嫌ならいいよ。わたし一人で、勝手に止めるから……」


杖は壊れた。

崩れた杖の残骸、端を手元に転移させて、ユファレートは地面に魔法陣を書き始めた。


少しでも、防御魔法の強度を上げなければ。


無茶だ、とシーパルが呟くのが聞こえた。


デリフィスは、腕組みをしていた。


「止められるのか?」


「止めるよ」


ユファレートとシーパルを見比べている。


シーパルは頭を横に振った。


「無理ですよ……」


「……と、シーパルは言ってるが」


ユファレートは、作業の手を止めた。

シーパルの青白い顔を見つめる。


「できるよ。きっとできる。わたしとシーパルが力を合わせれば」


「……と、ユファレートは言ってるが」


「はは……」


シーパルは、強張った笑みを浮かべた。


「ユファレートは狡いですよ……」


「……狡い?」


「そんな顔をして、そんなふうに言われたら、やらないわけいかないじゃないですか……」


よく意味がわからなかった。

ユファレートは、ただ微笑んだだけのつもりだった。


「……デリフィスにお願いがあります」


「なんだ、シーパル?」


「準備をしている間、そして、受け止めている間、僕たちは無防備となる。……守って欲しいのです」


デリフィスは、夜の地平線にぼんやりと浮かぶ基地を眺めた。


「……いいだろう。どうせ間に合わん、ということだったからな」


鷹揚に頷く。


ユファレートは、魔法陣を描く作業を再開した。

シーパルも加わる。


(……わたしが、止めるから)


ハウザードは、罪を犯した。

失われた人命は、もう戻ってこない。


また、罪を犯そうとしている。

これからも、罪を重ねていくかもしれない。


(……わたしが、全部止めるからね、お兄ちゃん)


それが、きっとわたしの役割。


妹だと思ったことなどない、そう言われた。


でも、ユファレートは知っている。

ハウザードが優しかったことを。

優しい笑顔を。

温かい手を、言葉を。温もりを。


妹だと思われていなくても、兄だと想い続ける。


ずっと一緒に暮らしていたのだ。

ドラウ・パーターの元で、同じ訓練を受けてきたのだ。


同じことで苦しみ、笑い合ってきた。


だからきっと、兄だと想い続けることくらい、許される。


◇◆◇◆◇◆◇◆


デリフィス担当の基地も、空振りだった。


ユファレート担当の基地へ向かう途中。


遠くで、激しい魔法戦闘があったことが伝わってきた。


そして、その場に近付けそうにない。


空気中を漂う強力な破壊の魔力を、ルーアは感じていた。


多分、ユファレートやシーパルも上回る魔力。


大地が割れていた。


離れているここも、道は目茶苦茶になっている。


馬車を降りなければならなかった。


(……ハウザード、か……?)


全盛期のドラウ・パーターに匹敵する、あるいは超越する魔法使い。


つまり、ストラーム・レイルとも同等でもあるという魔法使い。


ハウザードを殺せ。

その指令が出された理由が、わかった気がした。


「ユファレートたちが、いるかもな……」


テラントが言った。


今は、戦闘は行われていない。

破壊の魔力の残滓に、空気が唸っているだけだ。


「お前の魔法で、向こうに行けるか?」


「やめとこう」


危険なことだった。

飛行の魔法は、魔力の消耗が激しい。


「あんたを抱えて往復なんてしようとしたら、確実に魔力が尽きる」


戦闘があったのは、亀裂の向こう側。

基地は、こちら側にある。


みんなと合流できたとしても、戦えないくらい疲れ果ててしまっては意味がない。


それにしても、この充満する魔力。


(……まるで、魔導災害の現場だな)


昔のことを思い出していた。

十四歳の時。

リーザイ王国の王都ミジュアの、第九地区で起こった魔導災害。


ミジュアの人口と土地の、約十分の一が消失した。


『ティア』も死んだ。

ルーアだけが生き延びた。

そして、ストラームとランディに拾われた。


あそこに満ちる瘴気と、この破壊の魔力は似ている。


ハウザードを殺せ。

指令が、脳内で響く。


ハウザードが、あそこにいるのかもしれない。


(まあ、そうだとしてもよ……)


基地へ眼をやった。


(こっちを放り投げるわけにもいかねえよな、ストラーム?)


サンがいる。エミリアがいる。

そして、おそらくラシィたちが待ち受けている。


『ジグリード・ハウル』が発射されようとしている。


何人が死ぬのか。

そして、戦争の火種となる。


止められるのは、ルーアたちだけなのかもしれないのだ。


「行こう」


テラントに言った。


「もしかしたら、俺たちだけかもしれねえけど……」


「その時は、半分ずつな」


テラントと二人。


基地を見据えて、ルーアたちはまた走り出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ダネットや警官たちの治療は、命に別状はないところまで回復させて中断した。


彼らには悪いが、今は少しでも魔力を温存したい。


ユファレートと二人、いくつもの魔法陣を描き、重ねていった。


ユファレートの横顔。

悲壮な決意をした表情。


立ち直ったと言えるのだろうか。

そうだとしたら、予想していたよりもずっと早い。


そして、思っていたよりもずっと、心が強い。


立ち直るために、数日、数ヶ月掛かるのではないか、あるいは、一生立ち直れないのではないか、そこまでシーパルは思っていた。


魔法陣が完成した。

直径二十メートルほどの魔法陣。


二人で並び、その上に座った。

魔法陣には、魔力の回復促進の意味も持たせてある。


『ジグリード・ハウル』を受け止めるその時まで、できるだけ回復しておきたい。


「魔法陣の効果は?」


周囲に気を配りながら、デリフィスが聞いてきた。


「防御魔法の強化、魔力の強化、発動時間の延長、範囲の拡大、魔力の回復、魔力の転送、その他諸々……」


「魔力の転送?」


シーパルは、太陽のない空を見上げた。


「僕らの頭上を、『ジグリード・ハウル』の力は通るでしょう? そこを中心に、魔力障壁を発生させなくてはならないので」


「なるほど」


「……『ジグリード・ハウル』って、どんな古代兵器なんですか?」


今度は、シーパルから聞いた。


この手の話が好きなユファレートが、今はまったく反応しない。


膝を抱え、ただ静かに、物思いに耽っている。


「強力なものになると、街の一区画くらいは軽く消滅すると聞きましたけど」


「そうだな」


デリフィスが頷いた。


彼は、幼い頃から何度も戦争に参加している。


その脅威を目の当たりにしたことも、恩恵を受けたこともあるだろう。


「強力な物になると、確かにそれくらいの威力は出せる。弱い物になると、家一軒を吹き飛ばすのが精々だな」


超々遠距離狙撃に使われるのだ。

強力な物だと覚悟しておいた方がいいだろう。


「稼動時間は?」


「短い物で一瞬、長い物で十数分」


「まずいですね……」


シーパルは、夜空を見上げた。

月と、無数の星々が散りばめられた夜空。


「どういうことだ?」


シーパルに倣い、デリフィスも空を見上げる。


「月と、あの星とあの星があるでしょう?」


シーパルは、指で差していった。


「……どれのことかよくわからん」


「……」


シーパルは、指を引っ込めた。


わからないのも無理はない。

一際輝く星、というわけでもないのだ。


魔法陣は、太陽や月、星々の、距離や位置の影響を受ける。


星の一つ一つにも名前があり、魔法陣に与える意味も変わる。


だが、あまり細かい説明を剣士であるデリフィスにしても、仕方ないだろう。


「魔法陣は、空の影響を受けます」


「と言うと?」


「月や星の位置で、魔法陣の効果が変わるのですよ。威力が落ちたり、半減したり、まったく発動しなくなったり……意味が逆転することもあります。そして、空は常に動き続けている」


「どう、この魔法陣に影響する?」


「今日の午前三時、防御強化の意味が逆転します」


花火は零時までだった。

それから、どれくらいの時間が経過したか。


一時間か、それとも二時間か。

忙しい状況が続いたため、時間の感覚がすっかり失われていた。


空を見た限りでは、三時までそれほど遠くではない。


「防御強化から、攻撃強化へと意味が変わる。そうなったら、終わりでしょう。止められるわけがない」


テラントやルーアやティアはどうなったのか。


彼らが『ジグリード・ハウル』の発射を食い止められるなら、それでいい。


発射されるのならば、三時までにエネルギー放出が止まらなくては困る。


「……戦争にも使われていますよね。どうやって攻略しているのです?」


「……『ジグリード・ハウル』に限らず、戦争に用いられる古代兵器は、大概が遠距離攻撃できる物だ。当然、その起動を阻むことは困難になる」


「そうでしょうね」


「魔法使いが総出で、一度防ぐ。次弾が放たれる前に、接近して潰す。こちらにも古代兵器があるなら、打ち返してもいい。それで先制攻撃するのも有効だ」


「次弾のエネルギー装填までの時間は?」


「それこそまちまちだが、早い物で数分、遅い物で数日」


三時以降に発射されたら、どうしようもなかった。


ここにいない三人を信じるしかない。


「……シーパル、そろそろ来るよ」


ユファレートが立ち上がった。


彼女の魔力を探知する能力は、尋常ではなかった。


古代兵器のエネルギーは魔力とは違うが、それでも感じるものはあるのだろう。


シーパルも立ち上がった。

肌がちりつくのを感じる。

汗が頬を通った。

唾を呑み込む。


来る。それを予感した。


「……デリフィス、逃げてください」


「受け止め切れなかったら、お前たちはどうなる?」


「当然、死にます」


「なら、俺もここに残ろう」


(……この人は)


奮い立たせてくれる。

止めなければならない理由が、また一つ増えたではないか。


ダネットや警官もそのままだ。

今回だけは、魔法陣の精製と魔力の回復を優先させた。


デリフィスに運んでもらうのも、やめてもらった。


彼には、シーパルとユファレートを守る役割がある。


離れられるわけにはいかなかった。


なによりも自分たちを、ここで受け止めることを優先してきた。


「まず、僕が受けます。ユファレートは補助を」


「……うん。ごめんね、シーパル。わたしが言い出したことなのに」


「とんでもない」


謝罪するユファレートに、シーパルは笑顔を向けた。


負担は、まずシーパルに掛かる。

体に掛かる負荷や衝撃も、より大きいだろう。

それだけで、内臓が破裂する可能性もあった。


だが、防御と回復の魔法だけは、ユファレートよりも上であると自負している。


だから、止める。


ユファレートだけに、これ以上背負わせられない。


魔力を、上空に転送させる。


遥か彼方で、光が瞬いた。

太陽のない空を、切り裂いていく。


瞬間、シーパルとユファレートは声を重ねていた。


「ティル・サイファ・ラズ・ルーン・シールド!」


地面から天空まで覆うような、巨大で分厚い魔力障壁が展開された。


それに、ユファレートの魔力が加わる。


古代兵器の一撃に、大地が削れ、捲り上がり、融解して蒸発する。


そして、シーパルの体に衝撃が襲い掛かった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


シーパルとユファレートが声を合わせて、巨大な魔力障壁を展開させる。


それを、閃光が撃つ。

のしかかっているようでもあった。


耳が馬鹿になるのではないかという轟音。


大地が激震している。

衝撃に息が詰まる。


なんという圧迫か。

デリフィスは、無様に尻餅を付きそうになった。


こんな力を受け止めている二人は、平気なのか。


そんなわけがなかった。


ユファレートは、長い黒髪を逆立て、体を震わせていた。


少しずつ、まるでこちらに引きずられているかのように押されている。

苦悶の呻きが漏れていた。


それ以上の負荷が掛かっているはずのシーパルは、さがらない。


それは驚くべきことで、腰まで地面に埋まっているのではないかと、デリフィスに思わせた。


シーパルが咳き込んだ。

顔に掛かるものがある。


血だった。吐血している。

内臓を損傷したのか。


なにもできない、手伝えない。

ただ、見守ることしかない。


否。


背後から、何十人と近付いてくるのを、デリフィスは感じた。


俺の出番だ。

俺の戦いが始まる。


何十人いようと、何百人いようと構わない。

ズィニア・スティマだろうとハウザードだろうと、二人は必ず守ってみせる。

指一本触れさせはしない。


古代兵器に立ち向かう二人の姿を見ているのだ。


これで守り切れなかったら、一生の恥だ。


剣を握り締める手に、かつてなかったほどの力が篭る。


デリフィスは振り返り、そして意表を衝かれた。

予想していた敵とは、大分違う。


何十人といる。

『フォンロッド・テスター条約』のための、儀式の礼服を着た者たち。

女も何人かいた。


避難させるためにカルキン会館へ向かっていた、テラントの元部下だというラグマの軍人、キュイの姿もある。


ほとんどが魔法使いのようだ。


四十代に見える男が、一人だけ少し前に出た。


礼服の胸に、ズターエ王国の紋章がある。


「なるほど。確かにキュイ殿の連絡の通り、カルキン会館へ『ジグリード・ハウル』が放たれている」


その男が言った。


魔法使いが何十人といる。

シーパルたちと同じように、『ジグリード・ハウル』を受け止めにきたのか。


ハウザードが暴れたことが、彼らを呼ぶことになったか。


それならそれでいい。

シーパルもユファレートも助かるだろう。


魔法使いたちが、軍が隊伍を組むように整列する。


だがそれは、デリフィスの眼前、シーパルとユファレートの後方でのことだ。


力を貸す気はない、ということなのか。


「おい……」


腹が立った。

斬り殺してやろうか。


傭兵団にいた頃のデリフィスならば、実際に斬り殺していただろう。


共に旅をする者ができて、少し考え方が変わった。


滅びる時まで、力の限り剣を振ればいい、と思っていた。


今は、剣を振る時を選ばなければ、共に旅をする者が迷惑することまで考えられる。


シーパルとユファレートには、この魔法使いたちの協力が必要なのではないか。


そして、感情のままに斬り殺してしまうと、デリフィスだけでなく、みなが追われることになる。


「見ての通り、私たちは『ジグリード・ハウル』を止めています。協力してもらえませんか?」


じろりと、男が無遠慮な視線を向けてくる。


「ヨゥロ族。長い黒髪の女魔法使い。長大な剣を持った男」


刺々しい口調。


「目撃情報の通り。警官殺しの犯人たちか」


「……! デルチャー殿! ですからそれは誤解だと……!」


キュイが声を上げる。

それを、ラグマ王国の宮廷魔術師らしい年嵩の男が窘める。


ズターエ王国国内で、ズターエ王国の警官が殺害された事件ついて、他国の軍人が干渉するべきではない。


「情報提供があってね、君たちには、別の嫌疑もある」


デルチャーと呼ばれた男は続けた。


「ミド・アラエルの遺児、サン・アラエルを立て、ズターエ王国の転覆を企てていると」


集まった宮廷魔術師たちがざわつく。


「馬鹿な……」


デリフィスは、ただ呟くしかなかった。


『コミュニティ』の策略か。


この男も、『コミュニティ』の手の者なのかもしれない。


「……サン・アラエルではない。サン・オースターだ」


「いや、サン・アラエルだ」


「……」


サン・アラエルとして、処分したいということか。


確かに、現在のズターエ王国にとって、サンの存在は災いにもなろうが。


となるとデルチャーは、ズターエ王国に仕える者として、サンを消したいということになる。


『コミュニティ』の者ではないのか。

よくわからない。判断ができない。

少し混乱している。


「……ご覧の通り、私たちは『ジグリード・ハウル』を止めようとしています」


「……一見するとな。だが、自作自演かもしれん」


「……!」


かっとなった。


眼が節穴というわけではないだろう。


状況を理解した上で、自作自演と言った。それがわかった。


それは、シーパルとユファレートを侮辱していることになる。


殺す。

今この場に、二人を侮辱する言葉があってはならない。


踏み出しかけたところで、足首を掴まれた。


地面に寝転がっている、ダネットだ。


それで、なんとか堪えることができた。


(これが俺の戦いか……)


デルチャーは、そしてズターエの現王制は、サンをミド・アラエルの遺児として、始末したがっている。


サンと行動をしていたデリフィスたちも、邪魔なのだろう。


デルチャーを叩き斬ることは容易だが、立場はますます悪くなる。


『ジグリード・ハウル』を止めようとしていると理解しておきながら、犯罪者として陥れようとしている。


なにがなんでも消したいのだろう。


この男を、言い負かさなければならない。

自分たちが無実だと、サンがズターエ王国の転覆など謀っていないと証明しなくてはならない。

弁論しなければならない。


それは、デリフィスが最も苦手にしていることだった。

最悪な戦いだ。


「私たちは、警官殺しなどしていない。サンも、反逆など考えていない」


「どうだろう? それは、君らを捕らえた後、じっくりと調べさせてもらうよ」


駄目だ。どうせ、有りもしない罪を捏造されるだけだ。


(……どうする?)


苦しい。戦場で一日中剣を振り回している方が、余程楽だ。

全身が、嫌な汗で濡れている。


ズターエ王国は、サンを消したい。


それを阻止するには、どうすればいいか。


損だと思わせるしかない。


サンに手を出しても、ろくなことがない。

放置しておく方がましだ、と思わせなければならない。

だが、どうやって。


「……サンには、妹のような存在の女がいる」


「……妹?」


考えがまとまらないうちに、デリフィスは話し始めていた。


戦場では、考える暇もないことがしばしばある。


そういう時は、一瞬の閃きに頼るしかない。


「……その女には、共に旅をする五人の仲間がいる」


「……それがなんだと言うのかね?」


「その六人を、敵に回すことになるぞ」


「くっ……」


デルチャーが、肩を上下させた。

笑いを堪えているのだ。


「六人? 六人で国家に対抗すると?」


「一人は、テラント・エセンツ」


また、ざわつき出した。


主に、ラグマ王国の紋章を礼服に貼り付けている者たちから、ざわめきは発生しているようだ。


「国に仕えるあなたたちならば、その名を聞いたことがあるのではないですか?」


デリフィスは、儀式の参列者たちを見渡した。

上手く利用しなくてはならない。


「テラント・エセンツ。ラグマ王国の『若き常勝将軍』と呼ばれていた男だ。最も精強な部隊を率いた、最も勇猛な将軍。彼は二つ名の通り、全戦全勝、数多の軍を打ち破った」


「なるほど……」


デルチャーの表情。

事前に、こちらの名前くらいは調査してきたのだろう。

動揺はまったく見られない。


「『若き常勝将軍』が率いていると。だが、たった五人だろう?」


「一人はヨゥロ族の、族長候補にもなった男だ」


デリフィスは、肩越しにシーパルを見た。


彼は、『ジグリード・ハウル』を受け止め、耐え続けている。


「全員が優秀な魔法使いだというヨゥロ族。その力は、現在あなた方がご覧になっている通りだ」


デリフィスは、また参列者たちへと視線を戻した。


「一人は、ドラウ・パーターの孫娘。彼女には、その血が脈々と流れている。そして、一人はストラーム・レイルの弟子。彼は、その戦闘技術を受け継いでいる」


「あの英雄たちの、孫娘に弟子だと……!?」


声。参列者たちの誰かだ。


「なるほどなるほど……」


デルチャーが、何度か頷いた。


「つまり、全員が一騎当千と言いたいわけだ。だが、それでも六人だ。たったそれだけで、なにができる?」


「あなたは、なにもわかっていない」


「……なに?」


「その六人が、何百、何千と膨れ上がるとしたら、どうする?」


「そんなことがあるわけ……」


ここからは、はったりだ。

デルチャーを騙さなければならない。


嘘をつくのは苦手だった。

だから、はったりではなく事実だと、自分に思い込ませろ。


「ヨゥロ族の族長候補の彼は、現族長の従兄弟となる。関係は良好で、一族の者たちからの信頼も篤い」


夜で助かった。

顔はあまり汗をかくことはないが、胸や背には衣服がへばり付いていた。

昼間だったら、発汗が尋常でないことが知られていただろう。


「彼になにかがあったら、何百というヨゥロ族が、山を下り大挙して押し寄せてくる」


はったり。ヨゥロ族は滅ぼされている。


だが、その事実を掴んでいる者はいるのか。


ヨゥロ族が部族以外の者と関わることは、ほとんどない。


およそ人々が足を踏み入れない山奥で、外界との接触を断っている。


滅ぼされた事実は、民衆の噂に上がっていない。


シーパルでさえ、従兄弟のパウロとやらに聞かされるまで知らなかったのだ。


「一人一人が優秀な魔法使いであるヨゥロ族。それが何百と。次々と街は抜かれていくだろう」


「……なるほど、脅威ではある。だが……」


「ドラウ・パーターとストラーム・レイル。彼らが、孫や愛弟子を害されて、黙っている御仁だと思うか?」


世界を三度救ったと言われている英雄たち。


その発言力は、時に一国の王にすら匹敵する。


「彼らがズターエを敵にする、と言ったら、果たしてどうなるかな? 彼らにどれだけの協力者がいるか、ご存知か?」


二人を直接は知らない。

だから、これもはったりだった。


あるいは、孫娘や弟子を殺されても、諦観する人物かもしれない。


「テラント・エセンツは……」


キュイだった。


「軍を去った今でも、若い将兵たちからは、軍神のように畏敬されている男です。彼らが、テラント・エセンツになにかあったとして、黙っていられるかどうか」


「控えられよ、キュイ殿」


初老のラグマ王国の宮廷魔術師らしき男が、咎める。


キュイは軽く頭を垂れて黙したが、効果は抜群だった。


デルチャーの顔は、はっきりと強張っている。


ダネットが、上体を起こした。


「そしてこの男は、デリフィス・デュラムと言いましてな。私は、以前ザッファーにいましたから知っておりますぞ」


まだ魔法の影響があるのか、顔をしかめる。


だが話す言葉は、しっかりとしていた。


「弱冠十八歳にて、一千の傭兵たちを率いた男です。荒くれ者共が、彼の前では借りてきた猫のようになっていた。テラント・エセンツとの一騎打ちは、語り種となっています」


ダネットもまた、はったりに協力してくれている。


昔から、外見のわりには頭の回る男だった。


「みなが彼を慕っていた。彼がもし、無実の罪により裁かれたとしたら、一千の猛者たちもまた、ズターエを敵とするでしょうな」


とんでもない嘘だった。

慕われてなどいない。

恐怖と力で従えてきた。


不甲斐ない者や命令を聞かない者を、斬り殺したりしたのだ。


「……だが、サン・アラエルの存在を容認するわけには……」


デルチャーの顔には、汗がびっしりと浮かんでいた。


「あくまでも、私たちを敵としますか? それもいいでしょう。共に滅びようではないですか」


キュイたちラグマ王国からの一行を見ながら、デリフィスは言った。


はったり。架空の戦力。

実際に争うことになれば、ズターエ王国は大きな痛手を負うことになるだろう。


そうなれば、どうなるか。


隣国には、虎視眈々とズターエの隙を狙っている、ラグマがあるのだ。


デルチャーは、ずっと沈黙していた。

汗が、顎先から滴り落ちている。


切り札を出すタイミングは今だ、とデリフィスは判断した。


「今回の一件の首謀者は、ラシィ・マコル」


「なっ……!?」


「彼を知らないとは言わせません。ズターエ王国の宮廷魔術師。自作自演は、あなたたちではありませんか?」


「……マコルは!? ラシィ・マコルはどこだ!?」


デルチャーが、ズターエの宮廷魔術師たちに問い掛ける。


「それが……ずっと姿が見えませんが……」


答えたのは、まだ若い男だった。

ざわめきが、大きくなった。


「ここで街を破壊し、私たちを襲った魔法使いは、ドニック王国の宮廷魔術師のローブを着ていたようでしたが……」


警官隊の隊長らしき男だった。

ダネットに支えられ、身を起こしている。


「レセンブラ殿の姿が、見当たりません……」


ドニック王国からの使者たちの方から、呆然とした声が上がる。


それは失言だろう。ドニック王国にとっては。


レセンブラとは、ハウザードの偽名だろうか。


ざわめきが、さらに大きくなる。


「ドニック王国の宮廷魔術師が、反乱に荷担している……?」


「ズターエの宮廷魔術師と結託して……」


「だが、そんなことが……」


ざわめきが、疑心が、波紋のように拡がっていく。


デリフィスは、視線をデルチャーに突き付けた。


本来なら、剣を突き付けるところだ。


「サン・オースターは、捕らえられ利用されているだけ。私たちが、この反乱を鎮めましょう。ラシィ・マコルを討ち、その首を持って参ります。その後に、サン・オースターをどう扱うかを、じっくりと審議されるがよい」


各国の使者たちの前で、サンに非はないことを告げているのだ。


無実の罪をサンに着せることは、もうできないのではないか。


自信はなかった。


政治というものに、あまり関心がない。

ただ、剣を振り回し生きてきた。


「サン・オースターは、職を転々としてきた。人間関係は希薄で、このアスハレムに友人らしい友人はいない。仲間を作ろうとせず、孤独にひっそりと生きてきた。それは、反逆の意志はなく、ただ静かに暮らしたいだけ、と捉えられませんか?」


背後の音が途切れた。

光が消失していく。


何百というガラスが、一斉に割れるような音が響いた。


『ジグリード・ハウル』の破壊の力が、受け止める魔力障壁が、消失していく音。


ざわめきが、どよめきへと変化する。


「『ジグリード・ハウル』を……!」


「止めた……?」


「二人だけで……本当に……」


「こんな力を持つ魔法使いが……何百人だと……?」


「私たちを守って……」


シーパルが、仰向けに倒れる。

胸が激しく上下し、口からは血が溢れていた。


ユファレートも、へたり込んでいる。


彼らの戦いは終わった。

俺の戦いは、まだ続くのだろうか。


なにかおかしい、デリフィスはふと思った。


剣の切っ先のような男、ハウザードには、そう言われた。


いい例えではないか。


ずっと戦場の中で生きてきた。

傭兵団では、常に先頭で斬り込んだ。


旅をするようになっても、それは同じだった。


並び立つことが許されたのは、テラントくらいなものだろう。


先頭で、剣を振ってきた。

それが今、旅の連れや赤の他人のために、弁を奮っている。


慣れないことに、座り込みたいくらい疲れている。

だが、それはできない。


デルチャーや宮廷魔術師たちに見られる。

はったりの効果が薄まる。


(これが俺の戦いか……)


サイラスという老人がいた。

久しぶりに、斬りたいと感じさせる男だった。


決着を付けることは、できないだろう。


ここで、デリフィスは戦っているのだから。


「……シーパル、ごめん。治療は、あと少しだけ待って」


「……ユファレート?」


立ち上がる気配を、背中で感じる。


「もうすぐ、三時になるよ……」


魔法陣の効果が変わる。

防御の強化から、攻撃の強化へと。


「まさか……あなたは……」


シーパルが、呻く。


「今度はこっちの……わたしたちの番よ……!」


ユファレートの戦いは、まだ続いているのか。


デリフィスは、全身に鳥肌が立つのを感じていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


『ジグリード・ハウル』から放たれた閃光は、明らかにカルキン会館まで届いていなかった。


途中で止めているのは誰か。

すぐに、ティアの脳裏に浮かんでくる顔があった。

みんな、戦っている。


ティアは、サンとエミリアに視線を戻した。


『ジグリード・ハウル』が発動している衝撃に、空気が震えている。

閃光。轟音。


それらすべてを無視して、ティアはサンたちを凝視した。


やがて、『ジグリード・ハウル』から放たれていた光芒が消え失せた。


「馬鹿なっ……! そんな馬鹿なっ……!」


ラシィが叫ぶ。

全員が、驚愕の結果に眼を奪われていた。


古代兵器の光が失われ、急に暗闇に落とされたように感じられた。


だが、ティアがサンたちを見失うことはない。


ずっと、眼を離さなかったのだ。

頼りない魔法の明かりの下の二人を、しっかりと視界の中心に捉えている。


轟音のせいで、耳が痛い。

余韻で大気が震え、肌を打っている。


視覚も聴覚も触覚も、鈍くなった状態。


ラシィたちは全員、カルキン会館の方へと眼を奪われていた。


誰も、サンたちへ注意を向けていない。


考える前に、ティアは行動を起こしていた。

待ち続けた、千載一遇の好機。


今なら、足音も聞かれない。

近付いても、肌で悟られることもない。

接近できる。


サンの側にいた兵士を、ティアは蹴り飛ばした。


小剣で、サンの足の縄を斬る。

わずかに肌も斬ってしまった。


「サン・アラエルを……!」


サイラスが気付いた。


だが、兵士たちに遮られている格好だった。

すぐにはこちらに来れない。


兵士たちは、虚を突かれ反応が鈍い。


「走って!」


サンの背中を押した。


エミリア。無理だ。

一人では、片腕では、二人は助けられない。


眼が合った。

強い眼。意思が流れてくるのを感じた。


わかっている。まず誰を助けるべきか。


(ごめんなさい……!)


胸中で謝り、サンを押し駆ける。


追い縋る剣を、小剣で払いのけた。

簡単に、兵士は体勢を崩す。


闇に、闇の中に紛れてしまえば。


サンの手首を縛る縄も、斬り落とす。


これで、かなり走りやすくなるだろう。


逃げる。背後から飛んできた物が、体を掠める。

矢。地面に突き立っている。


体のどこかに、衝撃を感じた。


それが、全身に拡がっていく。


ティアは転倒した。

痛みが、背中にあった。

矢が当たったのか。


「馬鹿者! サンに当たったらどうする!?」


エランの声。


(もっと早く止めなさいよね……!)


地面を掻きむしりたい。

だが、小剣は手放せない。


先に行かせていたサンが、戻ろうとする。


「……逃げて!」


立ち上がることができない。


サンが、ティアの手から小剣を奪おうとする。


駄目だ。サンでは、兵士たちを止められない。


背後から迫ってくる。

ティアは、振り返った。


先頭はエラン。何人もの兵士が続いている。


頭上を、誰かが飛び越えた。


飛び蹴り。飛行の魔法で飛んできたのだろう。

だから、本当に飛び蹴りだった。


両腕を十字にして受けたエランが、堪らず吹っ飛び後方の兵士たちと揉みくちゃになる。


飛行の魔法を解除して、降り立つ姿。


長い赤毛、黒いジャケット、その背中。


「ルーア……」


この男は、またか。

『ヴァトムの塔』の時と、同じではないか。


本当にピンチの時には、必ず助けに来てくれる。


兵士たちが、体勢を立て直した。

ルーアへ武器を向ける。


たが、その間に割り込むように現れた影に、怯む。


「ティア、いい仕事したぜ……!」


光の剣を構えるテラントだった。


頭に手を置かれ、ティアはびくりと身をすくませた。


ルーアの手。

剣の訓練のためか、固い掌。


体が硬直するのを、ティアは感じていた。


「……お前、あとで説教な。無茶し過ぎなんだよ」


息を吐きながら言う。

そのまま頭を撫でられた。


「……けど、よくやったよ」


「……うん」


なんだろう。妙にどきどきする。

矢で射られたショックのせいかもしれない。


「あとは、俺たちに任せろ」


ルーアは、剣を抜き放った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


申し合わせをしたわけではない。

だが、テラントならば合わせてくれる、とルーアは確信していた。


敵の前面にいるのは、エランと兵士たち。

ラシィとサイラスは少し遅れている。


ルーアは腕を振り上げた。


最大の目的は二つ。

『ジグリード・ハウル』を撃たせないこと。

サンの身柄を取り返すこと。


『ジグリード・ハウル』は撃たれた。

だが止めた。

きっと、シーパルとユファレートだ。


サンを奪還したのは、ティアだった。

あとは、守り、奪わせないことだ。


兵士に担がれたエミリアと、眼が合った。


強い眼。母親の眼だと、ルーアは思った。

互いに頷く。


テラントが踏み込んだ。

エランと兵士たちが身構える。


その隙に、ルーアは魔法を発動させるために集中した。


「その魔法は……!」


魔力の質で察したらしいエランが、反応する。


「てめえの真似だよ!」


言って、ルーアは魔法を発動させた。

発生した霧が、辺りを覆い隠す。


ルーアは、すぐに踵を返した。

ティアを担ぎ上げ、サンの襟首を掴む。


背後から剣を斬り結ぶ音がした。


ルーアの意図をすぐに理解してくれたのだろう。

倒すためではなく、敵を撹乱するために、テラントが目茶苦茶に光の剣を振り回しているようだ。

その音も、すぐに途切れる。


エランたちの動揺が伝わってくるようだった。


大人数の欠点の一つは、混戦となった時に、同士討ちをしてしまう可能性が高いことである。


「落ち着け!」


一喝。サイラスか。


「出入り口を固めろ! 奴らのペースに巻き込まれるな!」


さすがに場慣れしている。

このまま脱出できるほど、甘くはないか。


ルーアがサイラスの立場ならば、同じ指示を出していただろう。


出入り口を塞ぎ、基地の敷地に閉じ込める。


あとは大人数の利点を活かし、しらみつぶしに隠れられそうな所を捜していけばいい。


とりあえず、倉庫と倉庫の間に身を潜めた。


足止めしていたテラントも、すぐに駆け込んできた。


まだ、敵に見付かってはいない。

それも、時間の問題だった。


最優先は、サンを安全な所まで連れていくこと。


すでに出入り口は封鎖されていた。


ルーアは、基地の敷地を取り囲む塀を見上げた。


一飛びで越えられる高さではない。


飛行の魔法で高度を変えるには、多少手間が掛かる。


重力の中和をしなくてはならないからだ。


サンを担ぎながらでは、尚更だろう。


当然、ラシィやエランに、魔力を探知される。

そして、撃墜される。


ゆっくり浮遊している状態ならば、ルーアだけを狙い撃つくらい容易いことだろう。


塀を破壊しようにも、耐衝撃用の紋様が刻まれていた。

破壊する前に、気付かれる。


「なあ、君……」


小声で、サンが言ってくる。


「ティアを……治してくれよ。血が……こんなに……」


「駄目だ」


ルーアは、即座に断った。


「魔法を使うと、奴らに見付かる」


「そんな……」


「あたしは、平気だから……」


座り込んだティアは、さすがに弱々しい。


だが、そこまで深手ではないようだ。


弓勢がそれほどでもなかったのだろう。


左の肩甲骨の辺りに矢は刺さっているが、骨を貫いてはいない。


骨に亀裂くらいは入っているだろうが、今すぐに命がどうこういう傷ではない。

ただ、表情は真っ青だった。


「ルーア」


テラントが、顎で基地の裏門を指した。

兵士が四人いるだけである。


ルーアは頷いた。


「おい、ヘタレ王子。俺たちで道を切り開く。お前は、オースター背負って突っ走れ。食い止めてやるからよ」


「待てよ! それじゃあ、母さ……あの人はどうなる……!?」


ルーアは、半眼になった。


「……べつに、ママでいいじゃねえか。なんでわざわざ言い直すかね」


サンの顔に、朱が差す。


「誰が、あんな奴……」


「まずはお前が優先。エミリアは、あとで助けられるなら助ける」


「その前に、なにかあったら……?」


「見捨てる」


「なっ……!?」


サンが、サン・アラエルとしてラシィたちに利用されたら、戦争が起きかねない。


大勢の命とエミリア一人の命。

比べることではない。


頭で理解してはいるが、感情では納得していなかった。


それでも、優先しなければならないことはある。


「くそっ……!」


サンは、地面に拳を押し付けていた。


「俺はべつに、あんな奴どうなってもいいんだ! だけど……!」


エミリアに捨てられた。

恨み、憎んだだろう。


孤児院に預けられたことに、理由があった。

それでも、蟠りはあるだろう。


そして、心のどこかでは、母親だと認めているのではないか。

だから、葛藤する。


「……問題が繊細すぎる」


ルーアは、ぼそりとぼやいた。


捨てられた子供。施設育ち。片親。


そして、父親はミド・アラエル。

ズターエ王国前国王にして、国賊として処刑された男。

王族の血筋。犯罪者の息子。


たかだか十七年しか人生経験を積んでいないルーアが、おいそれと口を出すべき問題ではない。


「……けどよ、これだけは言っとくぞ」


「……なんだよ?」


「あんたが遅めの反抗期だろうと、エミリアのことを嫌っていようと、正直どうでもいい。親に反抗したことのない奴よりは、余程健全だなって思うだけだ」


「……」


「けどよ、エミリアはあんたのこと、すげえ大切に想ってる。それだけは理解して、反抗してやれよ」


「……俺を大切に? なんでそんなことがわかる?」


「わかるさ。あんたの母親だろうが」


サンが笑った。いくらか自嘲気味に。


「なんだ君は。まさか、この世の親はみんな、子供に愛情を持ってるなんて言うつもりか?」


「そんな、脳味噌お花畑なこと言わねえよ。糞みたいな親は、いくらでもいるからな」


親に望まれず、捨てられる子供がいる。


親に祝福されず、殺される子供だっている。


「けど、エミリアは違うよ」


「……だから、なんでそんなことを言い切れるんだ……」


「あんたの名前だよ、サン」


「……俺の名前……?」


「あんたの名前、エミリアが付けたんだってよ。で、エミリアは古代語ペラペラなんだろ?」


「それが、なんだよ……?」


「……これだから、浅学な奴は……」


義務教育も受けていない自分のことは棚に上げて、ルーアは溜息を付いた。


「『サン』ってのはな、古代語で、『太陽』って意味だ。あと、『息子』。文字や発音がちょっと違うけど」


「『太陽』……『息子』……」


「なあ、祝福されずに生まれてきた子供が、そんな名前付けられると思うか? あんたの親父については知らねえ。興味もない。けど少なくともエミリアには、あんたは望まれて生まれてきてんだよ」


サンが顔を下げた。

微かに声が聞こえたような気がした。

顔を上げようとはしない。


「……エミリアは、あんたが無事助かることを望んでいると思う。だから、まずあんたを助ける」


ルーアは、サンに背を向けてテラントの後ろについた。


サンの表情を見ようとは思わない。


「オースターは任せるからな。いくぞ、テラント」


「おう」


飛び出すタイミングは、テラントに合わせた。

ルーアよりも、勘が良い。


裏門まで、塀沿いに倉庫が建てられている。


ルーアとテラントは、その横を並んで走った。


裏門まで、あと少し。


「ファイアー・ウォール!」


声が響き渡った。

行く手を、炎の壁が遮る。


物陰から、ラシィと兵士たちが姿を現した。


「……俺たちの行動くらい、お見通しってか……」


「それを特に誇ろうとは思わんよ。これだけ、こちらが有利な状況ではな。君たちの選択肢は、自ずと限られる。さて、サン・アラエルがいないようだが……」


ラシィは、ちょっと表門へと眼をくれた。


「別に陽動でもなさそうだ」


表門の方から、サイラスとエラン、残りの兵士たちが向かってきていた。

まだ、かなり遠い。


「サン・アラエルはどこかね?」


「……さあね」


それを聞くということは、潜伏していた所は見られていないということだ。


ルーアが惚けると、ラシィは指を鳴らした。


兵士の一人が、エミリアを担いできた。

無造作に地面に転がす。


「サン・アラエルはどこだ?」


「……だから、知らねえって……」


「ル・ク・ウィスプ」


無数の光弾が、エミリアの足下に突き刺さる。


悲鳴。怯えた表情。

手足を拘束されたまま、エミリアが這うように逃げる。

すぐに、倉庫の壁に追い込まれた。


巻き添えを恐れたか、兵士も離れる。


「サン・アラエルはどこだ?」


「……しつこいな」


ラシィが放った指の太さほどの光線が、エミリアの首の近くを通り、倉庫の壁に穴を穿つ。


怯えた眼。怯えた姿。


「サン・アラエルはどこだ?」


(くそっ!)


優先順位はわかっている。

だが、エミリアの姿に心は揺れる。


エミリアの眼から、怯えが消えた。


ルーアとテラントを見つめる瞳。

強い意思を取り戻した光。

覚悟を決めた眼。


だから、ルーアたちが揺らぐことはできない。


「……知らねえ」


光線が、今度はエミリアの頬を掠めた。

灼き切れた肌に、血が滲む。


エミリアは、まったく怯えなかった。

毅然とした態度である。

全ては、息子であるサンのため。


「サン・アラエルはどこだ?」


「知らねえ……」


ラシィは、指先をエミリアの胸へと向けた。


「同じ質問をするのは、次が最後だ。私が満足する答えが得られなかった場合は、彼女には人質の価値もないと判断する。当然、処分させてもらうよ」


「ぐっ……!」


「サン・アラエルは、どこだ?」


静かな問い掛け。


エミリアが、頷いた。


「……知らねえ……!」


ラシィは、小さく溜息をついた。


「……そうか」


指先から、細い光線が放たれる。


間に合わないと悟りつつ、ルーアもテラントも駆け出していた。


なにかが、倉庫の陰から飛び出す。


いつからだろう。

まったく気が付かなかった。


いつの間にか、サンが倉庫の陰に隠れていた。

エミリアを突き飛ばす。


そして光線が、サンの腹部を貫いた。


「……バカ王子!?」


「なにっ!?」


驚愕するラシィ。


悲鳴。ティアのものか。

同じく倉庫の陰に隠れていたらしいティアが、サンに駆け寄る。


すでに動いていたルーアとテラントも、合流した。


「ガン・ウェイブ!」


衝撃波で、倉庫の扉を吹き飛ばす。


背後ではテラントが、ラシィと兵士を牽制している。


ルーアは、ティアとサンとエミリアの三人を、引きずり、あるいは蹴り飛ばすようにして、倉庫の中に押し込んだ。


ゆっくりと、振り返る。


ラシィがいる。合流してきたサイラスが、エランが。兵士が十五、六人。


「……近付いてきた奴から殺す」


自然と、そう言っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


なけなしの金を払い、捜した。

人を雇ってまで、求めた。


顔を見て、すぐにエミリアはサンだとわかったようだ。


少し、顔付きは似ているかもしれない。

父親と似ているかはわからない。


エミリアは、何度も謝った。

涙を流し、額を地面に付けるような勢いで、何度も謝罪した。


捨てたことを。孤児院に預けたことを。


そんなエミリアに、サンは冷たい言葉をかけた。


保育園に勤めていることに、皮肉を言った。


作り過ぎたと言っては、よく手料理を持ってくる。


その度に、邪険に扱い、追い返した。

怒鳴り散らかしたこともある。


憎んだ。恨んだ。嫌った。


それなのに、なんでだろう。

勝手に体が動いていた。


エミリアを突き飛ばすとほとんど同時に、腹を光が貫いた。


「バカ王子!?」


声。あいつの声だ。


誰が馬鹿だよ。

お前だって、馬鹿みたいに派手な頭をしているくせに。


本当に口が悪い。失礼な物言いで、ムカつく奴で。


ヘタレで悪かったな。

こっちは、お前みたいに戦闘バカじゃないんだ。


なんでお前みたいな糞ガキに、説教されないといけないんだよ。


意識が途切れ途切れになった。

仰向けにされている。

腹が痛い。すごく痛い。


死ぬのか。


そういえば、エミリアも同じような怪我をしていた。


でも、生きている。

じゃあ、俺も助かるのだろうか。


ティアがいた。

大きな眼から、ぼろぼろ涙を零している。

妹として、兄の死に泣いている。


兄としか見られていない。それはわかっていた。


幼い頃からずっと一緒だったと、ティアは思っているのだから。


けどそれは、間違った記憶。


ティアが孤児院に来たのは、彼女が十四の時。

サンは十七歳だった。


最も異性を意識していた時期。

一目で好きになってしまった。


兄としか思われていない。

だから妹だと、自分に言い聞かせてきた。


でも、無理だった。


何度も名前を呼ばれた。


サン。『太陽』。


なんて名前を付けてくれたのだろう。

とんだ名前負けじゃないか。


俺は、こんなにもみっともない男なのに。


空に太陽はない。

暗い。星も月もない。

なにか建物の天井のようだ。

いつの間に、こんな所に。


エミリアも泣いていた。

あんなにも、冷たく接してきたのに。


当たって、悲しませて、嘆かせて。

どれだけ傷付いただろう。


それでも泣いてくれるのか。

母親でいてくれるのか。


サン。『息子』。


顔に、頬に、エミリアの涙が落ちた。


せめて、あなたの、もっとましな息子でいたかった。


太陽のない空を、サンはまた見上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます