捨てた仮面
このラシィ・マコルという男を、どう見るか。
立ち位置としては、エミリアを守っていた。
だが、味方と考えていいのか。
エミリアが、ラシィに集まったルーアたちのことを紹介していく。
エミリアが初見の者は、サンが紹介する。
ラシィは、一人一人丁寧に挨拶していく。
ルーアは、その顔を見つめていた。
いきなり現れた男を仲間として迎え入れられるほど、寛容にできていない。
初めて顔を合わせる者に対して、まず疑うところから入ってしまう。
例え、味方のような行動を取られてもだ。
根が捻くれている、と言ってもいい。
ティア、ユファレート、テラント、デリフィス、シーパル、この五人は、信用していい。
旅を始めてから、とっくに半年以上は過ぎているし、何度も共に死線を潜り抜けてきた。
ダネット。
このスキンヘッドの警官も、まあ信用していいだろう。
それは、ルーアよりも人付き合いが悪いであろうデリフィスが、信頼しているようだから。
豪快な言葉に、裏表はないと思われる。
サンについては、それほど信用していない。
確かにおいそれと話せることではないだろうが、妹同然だというティアにでさえ、自分の出生を秘密にしていた。
当然、その母親だというエミリアについても、完全には信用していない。
この二人がいきなり、今までの話は全部嘘です、と言い出しても、それほど驚きはしないだろう。
こんな疑い深い性格をしているルーアが、いきなり現れた男を信用できるはずもなかった。
ティアなどは、ラシィ・マコルを信用しているようであった。
それを、咎める気はない。
他人を疑うよりも、信じる方が美徳に決まっている。
だが、今は命懸けで戦い守っている非常時。
誰か一人くらい、疑い深い奴がいた方がいいだろう。
もしこのラシィ・マコルが敵だとしたら、まんまと懐に潜り込まれたことになるのだ。
誰かそれとなく監視していた方が無難で、それは疑い深いルーアが適任といえた。
対峙した時の、暗い眼をルーアは思い出していた。
「ん……? ラシィ・マコル?」
ふと、引っ掛かるものがあった。
聞いたことがある名前。
もしくは、見たことがある名前。
最近の記憶である。
脳の片隅にあったその名前を、ルーアは引っ張り出していった。
「……ズターエ王国の、宮廷魔術師の?」
ほんの微か。
ほんの微かだが、ラシィに動揺が走るのをルーアは見逃さなかった。
「……私のことを、ご存知なので、ルーア殿?」
「……ご存知ってほどでもないですけどね。紙面で見ました。あなたの名前を。『フォンロッド・テスター条約』の儀式の、参加者名簿にね」
「なるほど……」
顎に手を当て、頷くラシィ。
得心した、というように見えるが、動揺を隠しているようにも感じられた。
なぜ、動揺する必要があるのか。
単に、いきなり素性を言い当てられたからか。
実はやっぱり『コミュニティ』のメンバーかなにかで、敵であるルーアに表の顔を知られていたからか。
それとも、ズターエ王国宮廷魔術師の身分でありながら、国賊として斬首刑となった『魔王』の息子とその母親との、繋がりがあることを知られたくないからか。
「……ルーア殿は、儀式の参加者全員の名前を覚えておられるので?」
「まさか。たまたまですよ。たまたま……」
尋ねられているというよりも、探られているような気分にルーアはなっていた。
儀式の参加者全員の名前を暗記するほど、暇ではない。
もちろん、何十人といるズターエ王国宮廷魔術師全員の名前を、知っていたわけでもない。
ラシィ・マコルの名前を覚えていた理由は、口に出しては言えない。
口が裂けても絶対に言えない。
ラシィという名前からして、女だと思っていた。
だから、少しだけ気になり、記憶の片隅に残っていたのだろう。
理由としては、あまりにもくだらなすぎる。
だが、いい揺さ振りにはなったかもしれない。
暗い眼と、微かに見えた動揺。
その二つは、忘れずにいた方が良さそうだ。
リビングに集まった。
いくらか疲れている者がいる。
特にティアは、朝から動き詰めらしく、負傷したこともあって憔悴していた。
ルーアは、ほとんど疲れていない。
精々、サイラスの相手に神経を擦り減らしたくらいのものだ。
その対峙も、短い時間でしかなかった。
シーパルとユファレートが、家を直したり怪我人の面倒を看ている。
現状確認と今後についての話し合いもしなくてはならない。
会議兼休憩というような感じになっていた。
サンの守護。それが、まず第一だと確認された。
判明している敵は、サイラスとエラン。
二人だけならそれほど問題ないが、背後にズィニア・スティマの影が見え隠れしている。
そして、この場所は敵に掴まれていた。
いつ何時襲撃があっても、おかしくはない。
一人だけ場を離れていたテラントが戻ってきた。
『フォンロッド・テスター条約』の儀式の参加者は、現在カルキン会館という所にいるらしい。
この別荘とはそれほど離れておらず、テラントはそこへ行っていたのだ。
「援軍だ」
男たちを、十一人連れていた。
一人を前に出させる。
虎髭の男だ。
鋭い眼をしているが、それが澄んでいる。
軍人の眼だ、とルーアは思った。
「こいつは、キュイという。昔の俺の部下だった。たまたま、ラグマ王国からの儀式の参加者にいてな。まず、裏切ることはない。信用していい男だ」
「キュイと申します」
はっきりとした口調だった。
背筋を伸ばし、敬礼する。
「事情は伺いました。私と、私の部下十名。これより皆様の力となるべく全力を尽くします」
そして、てきぱきと指示を出し、部下を別荘の周りに配置していく。
キュイ自身は、玄関を守っていた。
指揮官が優秀であると、軍人はその影響を受ける、とルーアは思っていた。
キュイの部下たちは、みな愚直なまでに命令に従いそうだった。
別荘の周囲を巡回する姿には、気力が満ちている。
「本当は、巻き込みたくなかったんだがな……」
テラントが呟いた。
今は、信頼できる戦力が一人でも欲しい。
「まあ、いいんじゃねえの」
わざと、ルーアは軽く言った。
『コミュニティ』のサンの利用の仕方によっては、ラグマ王国に悪影響が出る可能性だってあるのだ。
「にしても、よく我慢できたな」
儀式の参加者の中には、ズィニア・スティマがいる。
援軍を呼ぶというのは口実で、勝負を挑む気なのではないかと、ルーアは思っていたのだ。
「まあ、いなかったしな」
もしいたら、どうしたのだろう。憤怒を抑えられただろうか。
口に出しては聞かなかった。
「では、話を進めますね」
ラシィが言った。
リビングにいるのは、ルーアたち六人に、サンとエミリア、ラシィである。
九人で円陣を組むように座っていた。
「先程も少し申し上げましたが、私とエミリア殿は以前からの顔見知りでした。共に、王宮に出仕しておりましたので」
ラシィは宮廷魔術師、エミリアは王子の教育係だったらしい。
「二十年前、先代のミド・アラエルが捕らえられた際、私がエミリア殿に、王宮から脱出する手引きをいたしました」
「私はその時すでに、身篭っておりましたので……」
王宮にいては、殺されていただろう。
ミド・アラエルの家族は全員処刑されている。
「サン殿がお生まれになりました。だが、ズターエ国内におられるのは危険すぎる。私たちは相談して、国外の孤児院へとサン殿を預けたのです」
サンが、顔を伏せる。
ルーアは、黙ってその様子を見ていた。
ふと、思い浮かぶことがある。
「ねえ」
隣のティアが、ルーアの袖口を引っ張った。
「なんだ?」
「なんでにやにやしてるの?」
言われて、ルーアは口元を隠した。
「……べつにしてねえけど」
「……」
ティアが、半眼になる。
仕方なく、ルーアは白状した。
「いや、なんかさ……王子様だったかもしれない男が、フリーターってのが……。その落差が、ちょっと面白い」
「そんなことで……」
ティアが呆れたように呻く。
「ん……あれ? ちょっと待てよ……」
また、ふと気付いたことがあった。
「今度はなに?」
「いや、あのな……俺、前に、バーダに所属していたことは言ったよな?」
「うん。聞いたことある」
バーダは、リーザイ王国の特殊部隊だった。
その第八部隊にルーアは所属していたのだが、諸事情により辞めている。
「未だに繋がりはあるんだけど、表向き俺は、除隊処分となっているわけなんだが。ということは、世間一般の人たちから見たら、俺は……」
「ニートね!」
なんで眼を輝かせる。
「……まあお前も、同じだけどな」
「なっ……ち、違うわよ! あたしにはちゃんと、こう……肩書きが……そう、トレジャーハンターよ! トレジャーハンター!」
「……とれじゃあはんたあ……?」
「なによその疑わし気な眼は!? レボベル山脈で古代遺跡を発見したことは、世間的にも超有名!」
「いや、まったく聞いたことないし。お前が収入得てるとこ、見たことねえし」
「それは……充電期間というやつよっ!」
「ティア、その発言は自爆だと思うわ」
ユファレートが、ぽそっと突っ込む。
「ユファだって同じじゃない!」
「わ、わたしは、ちゃんと飛び級で、大学まで卒業してるし……」
さりげに才女アピールするユファレート。
「なあ、ユファレート」
ルーアは、ユファレートの顔を見つめた。
「卒業したってことは、もう通ってないんだよな? それで職に就いてないってことは、やっぱり……」
「違うわぁぁ!」
なにやら認めたくないものがあるのか、頭を抱えるユファレート。
べつに他人の脛をかじっていないなら、そこまで気にしなくてもいいと思うのだが。
「デリフィス」
「傭兵だ」
デリフィスの切り返しは、短く、そして鋭かった。
「……オースターと同じく、あんたが誰かに雇われている姿を、ここ何ヶ月……」
「傭兵だ」
なにやら譲れないものがあるのか、頑なに言い放つ。
「……シーパル」
「はい、ニートですよ」
朗らかにシーパルは認めた。
いっそ清々しい。
「テラント」
「働いたら負けだと思ってる」
お前は開き直りすぎだ。
「あの、みなさん……」
ラシィが、遠慮がちに声を掛けた。
「話を、続けたいのですが……」
「待って! 待ってください、ラシィさん!」
ティアだった。
「みんな聞いて! とてつもなく重要なことに気付いたわ!」
「どうせしょうもないことです。お話をどうぞ、ラシィさん」
「ユファぁぁ!」
「なによ、うるさいわねえ……」
「ほんとに大事なことなのっ! みんな、ちゃんと聞いて!」
床をバンバン叩きながら、身を乗り出す。
「……じゃあ、言ってみろよ、オースター」
「うん、あのね。気付いたんだけど……サンが王子様ってことは、必然的にその妹であるあたしは、お姫様ということに……」
「ならねえよ」
「ならないわ」
「なりませんねえ」
「ならんな」
「ならんならん」
「な、なによ! みんなでそんな一斉に……」
サンとティアは、同じ孤児院で育った間柄であり、血の繋がりはない。
ティアの言い分は無理がありすぎる。
「てか、貧乳に姫様は務まらんだろ……いって!?」
「胸、関係ねえ……」
ルーアの太股に、ぎりぎりとティアが爪を立てている。
「あ、あの……話を……みなさん……」
非常に申し訳なさそうに、ラシィが言う。
「ああ、話を脱線させてすみません。まったく、こいつがバカなこと言ったせいで……」
「出だしはルーアだったよね!?」
「もう、お前ら二人、黙ってろ。真面目な空気が消え失せる」
テラントが言い、ラシィを促す。
「それでは……」
ラシィは、一度咳ばらいをして、眼を光らせた。
「みなさん、『コミュニティ』という組織をご存知でしょうか」
何人かが頷く。
「サン殿の身柄を狙っているのは、そのメンバーです。先程、みなさんも戦われた……」
「まあ、利用価値は計り知れないからな」
テラントが言い、デリフィスも頷く。
「彼らがなにをするつもりなのか、実はわかっているのです」
「情報源は?」
黙っていろと言われたが、ルーアは聞いた。
このラシィ・マコルのことを、まだ完全に味方だと思っていない。
『コミュニティ』のメンバーの可能性だってある。
彼が話す情報は、全てこちらを罠に嵌めるためのものかもしれないのだ。
「……それを話すことは、ご容赦願いたい。ただ一つ。私は宮廷魔術師、とだけ申し上げておきます」
他人には話せない情報筋があると言いたいのか。
単に、はぐらかそうとしているだけかもしれない。
「彼らの目的ですが……アスハレムには、いくつも軍事基地がありますよね?」
前国王ミド・アラエルが、市民の暴動を抑止、威嚇するために築かせたものである。
「基地には、ある古代兵器が設置されています」
「古代兵器?」
ユファレートが反応する。
「『ジグリード・ハウル』です」
「おい……」
ルーアは、思わず呻いた。
「なにそれ? 古代兵器ってことは、『ヴァトムの塔』みたいな?」
「あんなもんが、いくつもあってたまるか……」
あっけらかんと言うティアに、ルーアは額を押さえた。
「まあ、すごく端的に言えば、古代の一般的な大砲だな……。放つのは弾丸じゃなく、魔法エネルギーに近い力だけど」
強力なものになると、街の一区画くらいは消滅させることができるらしい。
普通は、外敵に備えて城壁などに設置される。
そんなものを市民に向けるとは、さすがは『魔王』というべきか。
「『コミュニティ』のメンバーは、軍事基地を占拠するつもりなのですよ。そして、『ジグリード・ハウル』を、『フォンロッド・テスター条約』のためにカルキン会館に集った、各国の要人たちへと放つ」
「……」
「そして、声明を出すのです。ミド・アラエルの遺児、サン・アラエルの名で」
「戦争になる……」
「まさしくその通りです、ルーア殿」
胃が痛くなるような話だった。
「サン殿の身柄、そして『ジグリード・ハウル』。両方を手中にしたら、彼らはすぐにでも事を起こすでしょう」
「このことを、王は?」
「もちろん伝えました。サン殿のことは言えませんが。ですが、異常なまでに軍と警察の動きが悪い」
すでに、『コミュニティ』が介入しているということだろう。
「両方、守る必要がある……」
ルーアは腕組みをした。
様々な利用方法があるサンを、守らなくてはならない。
サンがいなくても、『コミュニティ』は『ジグリード・ハウル』を奪ったら、放つかもしれない。
その後サンを捕らえ、声明を出せばいい。
カルキン会館に各国の要人が滞在するのは、あと二日。
その間守り切れば、勝ちとなる。
「だが、守ると言ってもどうする? 基地は、何十とあるはずだ」
テラントの言う通りだった。
基地は街中のあちこちに築かれている。
「その点については、私が調査したことがあります」
ラシィは、ローブの懐から地図を出した。
「二十年の間に、『ジグリード・ハウル』が取り外された基地はいくつもあります。基地自体が撤去されている所も」
地図には、印がいくつか付けられていた。
「そして、『ジグリード・ハウル』には、当然射程距離があります。まだ基地に『ジグリード・ハウル』があり、尚且つカルキン会館が有効射程範囲にある、それは……」
次々と、地図上の印を指していく。
「この六箇所に絞られます」
「六箇所か……」
まだ多い。
それでも、大分減った。
サンを守る。
基地を守る。
エミリアも、守らなくてはならないのか。
サンに対して人質の価値はあるだろう。
「まず、サンとエミリアさんだけど……」
すでにこの場所は知られている。
このまま留まれば、襲ってくれと言っているようなものである。
「どこか、安全な場所に……と言ってもな」
「キュイ」
テラントが呼ぶと、キュイはすぐにやってきた。
「なんでありましょうか、将軍?」
「話は聞こえてたな?」
「はっ」
「二人を、カルキン会館内の、お前たちラグマ王国使節団が匿う。……できるか?」
「なるほど!」
ラシィが、膝を叩いた。
「ラグマ王国からの使節団と一緒ならば、簡単には手を出せない。ラグマ王国と争うことになりますからな。しかもカルキン会館内なら、『ジグリード・ハウル』も放てない」
サンが死んでしまう危険がある。
各国の使節団のメンバーには宮廷魔術師も多くいるので、あるいは『ジグリード・ハウル』を防ぐ可能性もある。
だがその場にサンがいては、その後彼の名前で声明を出しても、信憑性はないだろう。
しばらく瞑目していたキュイが、眼を見開いた。
「できます」
「よし」
テラントは頷いた。
「俺たち六人は、警察に追われていて、思うように動けん。お前が、カルキン会館までお連れしろ。そして、二日間守れ」
「はっ」
「それでいいか、みんな?」
「いいんじゃないでしょうか。と言うよりも、それしかないというような気がします」
「ああ」
シーパルの言葉に、デリフィスも同意する。
ルーアは、地図に眼を移した。
「俺たちは二日間、基地の見張りだな」
「じゃあ、キュイ、頼むぞ」
「はっ」
「俺も付いていこう。ズターエ王国の警官が一人いる。それだけで、意味は大分変わる」
ダネットが言った。
「私も行きましょう。私も、ズターエ王国宮廷魔術師ですから。こんな格好ですけどね」
ラシィは、身に纏う安物のローブを撫でてみせた。
「ああ、そうそう、ラシィさん」
「なんでしょうか、ルーア殿?」
「今、テラントが言った通り、俺たちは警察に追われています。警官殺しの罪でね」
「ほう……」
ラシィが眼を細め、警戒の色を見せる。
「もちろん、俺たちはそんなことしていない。『コミュニティ』の策略です」
ラシィは、ダネットを見遣った。
スキンヘッドの警官が、頷く。
「冤罪でしょうな」
「ふむ……」
顎髭に手をやり、考え込む仕草をする。
「あなたの力で、俺たちの無実を証明できませんか?」
「それではこうしましょう。失礼ですが、私の方でもみなさんのことを調査させてもらいます。みなさんの無実を確信できたら、私から警察へ掛け合ってみましょう」
「……お願いします」
宮廷魔術師ならば、少なからず軍や警察とも連携することがある。
つまり、発言力はあるということだ。
ルーアの要望へのラシィの応対は、宮廷魔術師として、そして味方として、最も予測できることだった。
(……味方、と考えていいか?)
ダネットと同じ理由で、キュイのことも信用できた。
テラントはキュイを信頼しているようであるし、キュイはテラントを慕っているようである。
ラシィにだけ、疑念を持ってしまう。
暗い眼を見てしまったからかもしれない。
キュイたちが出発することになった。
目的地は、カルキン会館。
サンとエミリアを守るのは、ダネット、ラシィ、キュイ、キュイの部下十名の、総勢十三人。
馬車の中にサンとエミリア、ダネットとラシィを置き、それを取り囲むようにキュイの部下が付く。
配置を決めたのはキュイである。
自身は、先頭で騎馬を駆るようだ。
盤石の態勢に思えた。
ダネットもキュイも、並の佇まいではなかった。
キュイの部下たちも、相当の訓練を受けているらしく、隙がない。
もしラシィが敵だとしても、これはどうしようもないだろう。
サイラスやエランにも、同じことが言える。
一行を征するには、同人数以上の『コミュニティ』の兵士が必要となるはずだ。
それだけの人数が戦うのは、ちょっとした抗争になる。
街中で、そんな迂闊なことはなかなかできないだろう。
しかも相手は、ラグマ王国の軍人に、ズターエ王国の宮廷魔術師と警官である。
唯一懸念があるとしたらズィニア・スティマだが、いくらなんでもこの人数を瞬殺できるわけがない。
『フォンロッド・テスター条約』の関係で、街のあちこちで警官や軍人が眼を光らせている状態である。
少し時間を掛けるだけで、彼らが駆け付けてくるはずだった。
ルーアは、外に見送りに出ていた。
ユファレートとシーパルとデリフィスは、室内で地図を睨んでいる。
テラントは、キュイとなにか話していた。
細かい打ち合わせでもあるのだろう。
サンと話していたティアが、ルーアの方へと寄ってきた。
ここ数日の不機嫌はどこへやら。
ほとんどルーアはティアに無視されていた。
今は、妙に機嫌がいい。
手洗いに行っていたエミリアが、家から出てきた。
ルーアとティアに、軽く頭を下げる。
「ああ、エミリアさん」
馬車へ向かいかけたエミリアに、ルーアは声を掛けた。
「なんでしょう?」
「王子の、古代語の教育係だったんですよね?」
「はい」
「じゃあ当然、古代語はペラペラ?」
「……そうですね、一般的な会話なら、問題なく」
「ふむ」
わざと、ルーアは会話に間を開けた。
ティアが、不思議そうにルーアとエミリアの顔を見比べている。
「サンの名付け親は、どなたですか?」
「それは……私です」
「なるほど。いや、ちょっと気になって」
意図が伝わったのだろう。
エミリアの瞳を見て、ルーアは確信した。
「それでは、私はこれで……」
また、頭を下げた。
「……どういうこと?」
馬車が去った後、ティアが聞いてきた。
「エミリアが、すごく母親だってことさ」
「うん?」
不理解な顔をするティアに、ルーアは苦笑した。
あの親子を守ってやろう。
そういう気分になっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
馬車に揺られ、十分ほど経過したか。
一行は、目立たないように静かに進んでいた。
深夜ということもあり、人気はほとんどない。
元々、廃れている地域なのだ。
雑木林に遮られ、母の別荘はとうに見えなくなっている。
もうしばらく進むと、繁華街に出るはずだ。
サンは、地図を思い浮かべた。
別荘と繁華街の、中間地点辺りになる。
不意に、胸騒ぎがした。
今が、最も襲われる可能性が高いのではないか。
馬車の中の顔に視線をやった。
ダネットは、鋭い眼光で外を警戒している。
別荘を出発した時から、ずっとだ。
エミリアは、ラシィの隣で落ち着いた表情をしていた。
それほど信頼しているのか。
ラシィとは、サンが生まれる前からの付き合いだという。
馬車の外は、ラグマ王国の軍人十一名が固めている。
これなら、なにがあっても大丈夫、とでも思っているのだろうか。
そしてラシィ。
サンは、鳥肌が立つのを感じた。
口の端を上げ、冷笑を浮かべている。
人間が変わった、サンはそう感じた。
微かに洩れたラシィの笑い声に、エミリアが反応した。
「どうしたのですか、ラシィさん?」
「いやなに、エミリア殿。彼が、ルーアという赤毛の少年が、ずっと私のことを敵だと疑っていたのに、気付かれましたか?」
「ラシィさんを?」
「そう。ダネット殿やキュイ殿のことは信じているようだったのに」
「ラシィさんが、私たちに危害を加えるはずありませんわ」
まだ、気付かないのか。
ラシィは、完全に豹変している。
サンは、いつでも引き寄せられるように、エミリアに手を伸ばした。
「エミリア殿、あなたは、とても知的だ。明晰な頭脳をお持ちだ。だが、判断力が鈍ることがある。それは、大事な息子であるサン殿、そして、信頼する私が関わっている時ですよ」
「……ラシィさん?」
「あなたからの絶大な信頼を得るまで、実に二十年が掛かった」
ラシィが、含み笑いと共に言葉を並べる。
「彼もまた、判断を誤った。ズターエの警官? ラグマの軍人? 私が、そんなものでこの機を逃すものか。国際問題になどならんよ。どの国の政府の、どの組織にだって、『コミュニティ』の手は伸びているのだから」
ダネットが、腰の剣の柄に触れる。
「ダネット殿」
機先を制するように、ラシィが言った。
「……なんですかね?」
「彼に伝えてください。私以外の人間を信じすぎたこと、私の実力を見誤ったこと、それが、君の敗因だと」
ダネットが、剣を抜きかけた。
瞬間、馬車の壁ごと吹き飛ばされる。
御者台からも、人が消えていた。
体になにかが絡み付いてくるのを、サンは感じていた。
重く、冷たいなにか。
身動きが取れない。
半壊した馬車。
キュイは、驚愕した様子を見せながらも、すぐに剣を抜き部下たちに指示を出した。
「ラシィ・マコルを取り押さえろ! ザム! カイン! テラント将軍に連絡を!」
二騎が馬首を返す。
いくつもの剣先が、ラシィへと向く。
ラシィが、体を揺すった。
ラグマの軍人たちが騎乗する馬が、次々と脚を折られていく。
(……なんだよ、これ……?)
鋼鉄の鱗を持つ尻尾が、ラシィのローブを突き破り生えた。
サンには、そう見えた。
尻尾という表現は、正しくないのかもしれない。
大人の一抱えほどある太さのそれは、臀部からではなく、ラシィの背中から二本生えていた。
長さは十メートルはありそうだ。
一本はサンとエミリアを束縛し、一本は馬を叩き潰し、ラグマの軍人たちを払い飛ばしていく。
すでに、立っているのはキュイだけになっていた。
足を払う一撃を跳躍してかわし、猛然とラシィへと突進する。
尻尾が返り、キュイを背後から襲う。
地を這う蛇のような動きだった。
尾の先端を受け止めたキュイの剣が折れる。
もんどり打って倒れたところを、鋼鉄の尻尾が叩いた。
「かっ……!?」
地面で一度跳ね、キュイの体は転がった。
「これで……」
なにか言いかけ、だがラシィが体を震わせるのが伝わってきた。
なんとか体を捩り、様子を見る。
ラシィの口元から、血が一筋流れていた。
目玉が、左下へと動く。
ダネットがいた。
剣が、ラシィの脇腹に突き刺さっている。
「どうだ、化け物め……!」
「化け物か……」
ラシィが呟き、ダネットに掌を向けた。
眼を見開くダネットの体を、電撃が貫く。
「正確には、『悪魔憑き』という。死ににくくできていてね、腸をえぐられた程度では、まだまだ……」
剣を、引き抜く。
血が溢れ出した。
ローブが朱に染まっていく。
凄惨な姿だが、ラシィは平気らしい。
「その中でも、私は特別だ。ほら、もう傷が塞がり始めている。……おっと、聞こえていないかな? 加減はしたつもりだが……」
地に伏したダネットは、動かない。
キュイが、身を起こそうとした。
鋼鉄の尻尾が、その体に打ち下ろされる。
「さて、キュイ殿。ダネット殿がこの様子だ。彼らには、あなたからこの状況を伝えるといい」
キュイは尾にかじりつき、鱗の間に折れた剣を突き立てようとしていた。
尾が振り上がり、またキュイの体に叩き付けられる。
鈍い音が響き渡った。
それでももがくキュイ。
まだ意識はあるようだが、思うように身動きが取れないようだ。
「では、参りましょうか、サン殿、エミリア殿」
「な、なんだ貴様はっ!?」
騒ぎを聞き付けて、ズターエ王国の警官や軍人たちが駆け付けてきた。
ラシィは悠然と進み、尻尾で邪魔者たちを払い除けていく。
馬車がやって来た。
サイラスとエランだった。
「上手くいったな」
「ええ、サイラス殿。ですが、まだ本番はこれからです」
「うむ、わかっておる」
「さあ、始めましょうか。サン・アラエル王子。玉座を、取り戻すための戦いを」
サンは抵抗した。
だが、いくらもがいても鋼鉄の尻尾の束縛が緩むことはない。
余りにも。余りにも無力。
血が出るほどに、サンは唇を噛み締めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ダネットからラシィの伝言を聞いて、ルーアは家の壁を殴り付けた。
甘く見ていた。
まさか、使い手十二人を、そんな短時間で捩じ伏せるほどの力があったとは。
傷だらけになったキュイとダネットは、それでも状況を伝えるために戻ってきてくれた。
今は、シーパルとユファレートの治療を受けている。
キュイは、床に手を付いていた。
「申し訳ありません、将軍……! 将軍のご期待を裏切り、お二人をむざむざ敵の手に……。私は、なにもできませんでした……! 私が未熟であるばかりに……!」
「もういい、キュイ。顔を上げてくれ。お前の責任ではない。俺たちの誰も、ラシィ・マコルの力に気付けなかったんだからな」
警戒はしていた。疑っていた。
ラシィ・マコルの方が、役者として一枚上手だったということか。
そして周到だった。
二十年掛けて、エミリアの信用を積み重ねてきたという。
ルーアたちにとっては有益となる情報を渡してまで、味方だと思わせようとしていた。
やはり、甘く見ていたのだ。
「お前の部下たちは、どうなった?」
「……五人が死にました。三人は動けません。二人、カルキン会館へ向かわせております」
「そうか。手塩に掛けた部下たちを、失わせた。すまない」
デリフィスも、ダネットに労いの言葉を掛けていた。
長い付き合いだからだろう。
掛ける言葉は短いが、通じ合っているものがあるようだ。
「ねえ、みんな。これ、どう思う?」
ティアは、拡げられた地図を指していた。
ラシィが置いていった、王宮周辺の地図である。
印が、七箇所につけられていた。
カルキン会館と、その周囲にある六箇所の軍事基地である。
基地を占拠し、『ジグリード・ハウル』を奪いカルキン会館へ放つ。
それが、ラシィが語る計画だった。
「ラシィさんが敵なら、情報はでたらめかな?」
ティアの指も声も震えていた。
サンが再度攫われたことで、さぞかし動揺していることだろう。
感情を押し殺しているのは、キュイやダネットに気を遣っているからかもしれない。
ティアの動揺に気付かない振りをして、ルーアは地図を見遣った。
「嘘である可能性は、充分ある。けど、嘘を並べれば、その分ぼろが出やすくなる。ラシィが目的の第一を、俺たちを味方だと騙し、サンを奪うことにしていたのなら……」
「なにがなんでも信用を得たい。嘘をつきぼろが出ることを、ラシィが恐れていたのなら、信じていい情報だな」
テラントが、ルーアの言葉を続けた。
デリフィスが、ダネットの肩を叩いた。
「ダネット」
「……王宮の周りの基地は、優先的に潰されてきた。王宮の、つまり会館の近くに残っている基地は、その六箇所だけのはずだぜ。……俺の記憶に間違いがなければ、だけどな」
正しい情報かもしれない。
このダネットがいる。サンも、エミリアもいた。
地形が関わることで下手に嘘をつくと、地元の人間にばれてしまうだろう。
「まあ、他に手掛かりはないからな。アジトとかあるとしても、場所がわからん。まさか、カルキン会館に帰ることもないだろうし」
「とみせかけて、また裏をかいてくるかも」
ティアの声は、やはり震えていた。
「そんな裏のかき方なら、好都合。自爆行為だからな」
多くの宮廷魔術師たちが、カルキン会館にはいる。
いくらラシィでも、取り押さえられるだろう。
ルーアは、意味もなく地図を指先で叩いた。
「基地の占拠ってのは、本気な気がするんだよな……」
「なんで?」
「事実を教えて、俺たちを足掻かせる。それを見てほくそ笑む。あいつは、そういう人間な気がするんだよな」
ラシィの暗い眼を、ルーアは思い出していた。
「しかも六箇所。俺たちは六人。嫌らしい性格が出てるじゃねえか」
横になっていたダネットが、身を起こした。
「……今、十一時前くらいだよな? ……今日の夜十一時から零時まで、王宮の周りでは花火が打ち上げられる」
それも、儀式の一環だろうか。
『フォンロッド・テスター条約』の儀式は、フォンロッド・テスターの偉業をなぞっている。
史実に照らし合わせて言えば、現在は、各国の王をフォンロッド・テスターがズターエ王国に招き、歓迎している場面となる。
一時間に及ぶ花火は、相当うるさいことだろう。
「基地の占拠なんて、そう静かに行えることじゃない。だから……」
「花火の音に紛れて、事を起こす。あんたはそう思うんだな、ダネット?」
「俺なら、そうする。もちろん、いつまでも隠し通せるものではないが、時間稼ぎにはなる」
「なるほど……」
ルーアは、地図を見つめた。
この別荘は、カルキン会館のほぼ真南になる。
基地は六箇所。
カルキン会館の西に二箇所。北西に一箇所。北に三箇所。
「六人で六箇所か……」
「みんなで手分けする?」
「ラシィは、それを望んでいるだろうがな……」
テラント、デリフィス、シーパルを見た。
この三人なら、一人で基地に向かい、何十人を相手にすることになっても、なんとかするような気がする。
ルーアも、自信はあった。
勝てるという自信ではなく、生きて戻れる自信である。
何十人に取り囲まれても、身一つで突破し、他の者へ連絡する。
やってやれないことではない。
(……問題は、こいつらだ)
ルーアは、ティアとユファレートへ視線を送り、溜息をついた。
ティアが、頬を膨らませる。
「……どういう意味?」
「腕、上がるか?」
「う……」
傷痕を押さえ、ティアは呻いた。
ユファレートが、自身の顔を指す。
「私は……?」
「方向音痴」
「……」
それも、一人で出歩かせられないほど酷い。
以前のように実力を疑っているのではない。
遠距離での戦闘ならば、六人の中で最強は、ユファレートだろう。
対抗できるとしたら、シーパルくらいなものだ。
「二人一組か三人一組になって、複数回るか?」
「けど、その分時間が掛かりますが……」
テラントが意見を言い、シーパルが欠点を指摘する。
「どのみち、俺たちがどう動いても、不利な状況は変わらない」
そう言うデリフィスに、ルーアは頷いた。
どう考えても人数が足りない。
「『ジグリード・ハウル』を撃たせない。それを最優先で考えるなら、一番惜しいのは時間だ」
危険には眼をつぶる。
この程度の賭、これまでに何度もあった。
「オースター以外の五人で、分担しよう。ユファレートは、誰かと一緒に行動」
「ちょっと……」
ティアの不平は、もちろん無視した。
元々実力で劣り、さらに負傷しているのだ。
「カルキン会館も基地も、相当でかいぜ。他の建物よりも高いから、かなり目立つ。そっちの方向音痴だというお嬢ちゃんでも、一人で行けるんじゃないか?」
ダネットが言った。
「……行けるか、ユファレート?」
「……それなら、さすがに大丈夫よ」
「本当に? 大丈夫か?」
「……ねえ、ルーア。心配してくれてるのかな? それとも、バカにしてる?」
ルーアは、視線を逸らした。
「基地は六箇所、こっちは五人。誰か一人は、二箇所担当となる」
「ルーア……」
ティアが、険悪に声を上げる。
「自分の担当基地に異常がなければ、隣の基地へと向かう」
「ねえ……」
「一人で無理はするなよ。止められるなら止める。倒せるなら倒す。危険なら、一旦退き、誰かの到着を待つ。俺たちなら、二人でも充分戦える。誰と誰であってもな」
「無理に戦わなくてもいいなら、あたしでも大丈夫だよね?」
「……」
「置いてくなら、空いてる基地に勝手に行くから」
ルーアは、頭を抱えた。
なんでこの女はいつもいつも、安全な場所で待つという選択をできないのか。
「サンとエミリアさんが捕まってるの。あたしも行くから」
「諦めろ」
テラントが呟く。
ルーアは、息を吐いた。
「六人で、六箇所だ!」
半ばやけくそに、ルーアは言った。
「……うん!」
「自分の担当箇所に敵がいなければ、近くへ救援に回る。絶対に無茶はするなよ」
ルーアは、念を押して言った。
最初から無茶な戦力差なのに、なにを言っているんだか、と思いながら。
「くじでも作りますか」
シーパルが立ち上がった。
ユファレートが地図に番号を書いていく。
カルキン会館西の基地には、一と二と。
北西の基地は三。
北の基地は当然、四、五、六となる。
デリフィスが、傷だらけのダネットの肩に手を置いた。
「まだ動けるか?」
「おう」
「警察へ行って連絡してくれ」
「あいよ」
警察も軍隊も、いつものように『コミュニティ』が介入している。
それでも、警官であるダネットが言えば、動いてくれるだろう。
ただ、すぐに動くかは疑問だった。
仰向けになっていたキュイが、顔を上げた。
「私……も、カルキン会館へ戻り……避難するよう言ってみます」
「すまん。頼む」
テラントが、軽く頭を下げる。
シーパルが、六枚に細く破いた紙を手に、戻ってきた。
ルーアは、その一枚に手を伸ばした。
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