不機嫌な女

なにもしていなくても、じっとりと汗が滲んでくる。


座っているベッドのシーツが、湿っているのをルーアは感じた。


せっかく、風呂でさっぱりしてきたというのに。


南国であるラグマの夏は厳しい。

そして、不快指数が高い。

まるで、蒸し風呂に入っているかのような湿度である。


また、汗が顎を伝った。


ここは、ラグマ王国王都ロデンゼラーのとある宿。


ティアとユファレートの二人が、この街に立ち寄った際にはいつも利用する宿らしい。


わざわざ薦めるだけはあって、安価な宿泊代の割にはこざっぱりとしている、良い部屋だった。


久しぶりの個室である。

他の連中に気兼ねすることもなく、のんびりできる、はずだった。


寝る前に飲み水を補充しておこうと、階下の食堂に向かったところ、ばったりとティアに出くわした。


適当に就寝の言葉を言い、部屋に戻ったのだが。


ベッドに寝転がったところで、いきなりティアに部屋の鍵を針金でこじ開けられた。


まずティアは、散らかした状態に文句を言ってきた。


ルーアは、荷物や脱いだ衣服を床に放り投げる。


ティアは、それが気に喰わないらしい。


服に皺が入ることなど、ルーアは気にしたことがなかった。

着て歩けば、そのうち消える。


口うるさいのを鬱陶しく思っていると、ティアはまたいきなり、今度はベッドへと上がり込んできた。


なんとなくベッド上で逃げても、その分ティアは詰め寄ってくる。


「……なんだよ?」


聞くと、ティアは半眼になった。


「……なんか、隠してるだろ」


「べつに……」


顔を背けても、その先に回り込んでくる。


「ルーア、リーザイ王国に帰るんだったよね?」


「……ああ」


「ヤンリの村から、東のクカイに行くって言ってたよね?」


「……言ってたかなぁ……?」


「言ってたわよ!」


ここロデンゼラーは、ヤンリの村からは、南となる。


リーザイ王国には、日々遠ざかっていた。


「なにを隠してんのよ?」


「べつに……」


「じゃあ、なんで?」


「だから……ほら、あれだ。テラントに協力してやろうと思って」


テラントにとっては妻の仇であるズィニア・スティマは、ズターエ王国へ向かったらしい。


それを、テラント、デリフィス、シーパルは追っている。


ロデンゼラーからは西へ向かえば、ズターエ王国だった。


「まあ俺も、あいつらとは半年の付き合いとなるわけだし、こう……手伝ってやろうかな、と……」


協力、手伝い等の単語を口にした途端、頬が引き攣る自分が悲しい。


「……嘘つき」


「……なにが嘘なんだよ?」


「だってだって、ルーアってそんなキャラじゃないもん。テラントたちほっぽいて、リーザイに帰るような奴だもん」


「いや、あのな……」


即否定できないのが、また少し悲しい。


「前に言ったよね? ルーアが隠し事したらわかるって。一応、あたしも気を遣ってるんだから……」


「気を遣って……?」


「人に言いたくない事情があるのかなって思ったから、みんながいない時に聞いてるでしょ?」


気を遣うならば、こっちが聞かれたくないことを聞かないで欲しい。


旅路を変更したことについて、他の連中もなにか察してはいるだろうが、なにも聞いてはこない。


「さあ、白状しなさい!」


(言えるか!)


ルーアの今の目的地は、ズターエ王国。

目的は、ハウザードの殺害。

その指令は、ストラームから受けた。


ハウザードは、ユファレートにとっては兄のような存在。


ルーアも、ユファレートに対して少なからず仲間意識があった。


そして、ティアとユファレートは親友のような間柄である。


言えるわけがない。


「……なんも隠してねえって……痛っ……!」


逃げようとしたところ、伸ばした赤毛を引っ張られて妨害された。


頬に触れられ、眼が合うように顔の向きを変えられる。


「ちゃんとあたしの眼を見て。ねえ、なに隠してんの?」


「だからな……」


つい、眼を泳がせてしまう。

体温が上がるのを感じた。


「……顔、近いって」


「それがなによ?」


(……このやろ)


ティアは、まったく平然としている。


不覚にも多少動揺してしまったことに、腹が立った。


「なあ。もう夜なんだけど」


「だから?」


「ここ、俺の部屋なんだけど」


「だから、なんなのよ?」


「……」


この酷暑に、最も辟易していたのは、北国育ちのティアだった。


最近は、いつも臍を出しているし、スカートの丈が短い。


風呂上がりなのだろう、石鹸の香りがした。


茶色の髪の毛が、しっとりとしている。


「お前ってさ……」


「なに?」


「……いや」


風呂上がりに薄着で、夜中に部屋で二人きりになっていても平気でいる。


(俺のこと、男として見てねえよな……)


ついでに言えば、女としての自覚が足りない。


「この状況だと、俺になんかされても、文句は言えないよな……」


「……ほら」


「……なにが『ほら』、なんだ?」


「やっぱりなんか隠し事してる。やましいことがあるから、冗談にもキレがない」


「……」


まあたしかに、なにもするつもりはないのだから、冗談になるのだが。


やはり、男として見られていないのだろう、警戒されていない。


「とにかく、白状しなさいよ!」


「だから!」


腕力で劣るはずがない。

ルーアは、ティアの手を引きはがした。


「なんも隠してねえって!」


「……あっそう……」


ティアの表情が、険悪なものに変わる。


「じゃあもういいわよ! せっかく人が心配してあげてるのに! バカ!」


言ってベッドから飛び降りると、大股で部屋から出ていった。


「なんなんだよ、あいつは……」


イライラしながら、ルーアはベッドを降りた。


とりあえず、ドアくらい閉めていけ。


「大体、なにが『心配してあげてる』だ。恩着せがましい言い方しやがって」


どうせ、ただの興味本位だろうに。


ぶつぶつぼやきながら、ルーアはドアを少し乱暴に閉めた。


変に眼が冴えてしまった。

意識が高ぶっている。

眠るのに苦労するかもしれない。


この日からだった。

ティアが、妙に不機嫌になったのは。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「なあ、オースター。水を……」


テーブル上の空になった食器が浮かび上がり、コップが倒れそうになるほどの勢いで、水差しが置かれる。


他の客に注目されるのを、ルーアは感じていた。


「……ありがとう」


一応礼を言ってみるが、取ってくれたティアの横顔はまったくの無反応。


隣の席で、黙々と新聞に眼を通している。


(……いつまで不機嫌なんだ、この女は)


コップに水を注ぎ、喉を潤し。


「……なあ、読み終わったら、次、読ましてくれよ……んぶっ!?」


顔面に、新聞が投げ付けられる。

また、衆人の注目が集まるのを感じた。


ティアは、しれっとコップに口をつけている。


同じテーブルにいるユファレート、テラント、デリフィス、シーパルは、ルーアたちのやり取りに極力関わらないようにしていた。


「……」


腰を浮かし掛けて、ルーアはなんとか思い止まった。


(……落ち着け俺。よく考えよう)


怒ってもいいのだろうか。

不機嫌なティア相手に怒ると、収拾がつかないことになる。


それは、ラグマ王国王都ロデンゼラーを発ち、ズターエに入国し、この王都アスハレムに到着するまでの間に、散々学んだ。


(キレるのは駄目だな。かと言って……)


話し掛けても、ぞんざいな反応が返ってくるか、無視される。


機嫌を取ろうとしても、まともに相手をされない。


誰かに仲介してもらおうか。

ティアの態度が悪いのは、ルーアに対してだけだった。


(……なんなのかね、この俺差別は。てかなんで、こいつのご機嫌取りとか考えないといけないんだ、馬鹿らしい……)


気を取り直し、ルーアは新聞を拡げた。


読みたい記事がある。

『フォンロッド・テスター条約』を結ぶために、各王国からアスハレムに集った要人たち。

彼らは、二週間をかけてアスハレムの街を回る。

その道筋を知っておきたい。


一団の中に、ドニック王国からの使節団の一員であるハウザードはいるはずだ。

彼は、ドニック王国の宮廷魔術師である。

その情報は、エスから得た。


(明日か……)


明日、この宿の近くを通る。


ハウザード。

大分前だが、彼のことを直接知るユファレートとティアに、特徴は聞いている。


世界最高の魔法使いであるドラウ・パーターに師事した、ユファレートの兄同然の男。


二年ほど前に失踪したらしいが、ユファレートが言うには、その時点でドラウ・パーターに匹敵するほどの魔法使いだったらしい。


つまり、魔法戦闘ではまず歯が立たないと考えていいだろう。


ハウザードが並以下の魔法使いならば、超遠距離からの魔法による狙撃を行うのだが。


(……どのみち難しいか)


集団で行動する。


そして、七年に一度、今回は二十一年ぶりとなる行事。


周囲は、野次馬で溢れ返るだろう。


無関係な者を巻き込まずに、ハウザードだけを撃てる自信はなかった。


この街に到着した時から、人の多さが気になった。


一国の王都だからという理由だけではない。


おそらく、『フォンロッド・テスター条約』のために、観光気分の旅行者が世界中から集まっている。


(明日は顔を拝むだけにしとくかな……)


長身長髪のかなりの美形らしい。

話には聞いているが、しっかりと外見を確認しておきたい。


ハウザード殺害について尻込みしていることに、ルーアは気付いた。


人殺しにはいつだって抵抗感はあるが、今回については大問題が二つある。


一つは、ハウザードがユファレートにとって大事な人であるということ。


一つは、殺さなければならない理由がはっきりしていないということ。


ただ、ストラームからの指令があったから動いている。


ストラームは、いつも『コミュニティ』を激しく敵視していた。


だが、これまでにただの一度も、誰か個人を殺害しろと指令を出したことはない。


ハウザードとは、それほどまでに危険で重要な存在なのか。


それとも、なにか複雑な事情があるのか。


理由不明なまま、殺していいものなのか。


眉間に皺を寄せて、ルーアは新聞を丁寧に折り畳んだ。


宿の利用客のために、食堂に用意されていた新聞である。

あまり雑に扱えない。


ルーアは椅子に腰掛け直し、周囲に眼をやった。


夕食にはまだ早い。

ルーアたちも、午後の間食のために集まっていた。


そんな時間帯にしては、食堂は混雑していた。


宿の宿泊客以外にも、食事だけを目的に訪れている者もいるようだ。


やはり多くの旅行者が街に滞在しているため、他の飲料店なども混んでいるのだろう。


この宿も、空き部屋はもうなかった。


ロデンゼラーに続いて、ここもティアたちの行き着けの宿である。


ティアと同じ孤児院で育った男が、アスハレムに住んでいた。


今でもティアとは手紙で連絡を取り合っているらしく、宿は彼が予約していてくれた。


それがなかったら、どの宿にも泊まれなかったかもしれない。


ティアが言うには、今日の午後三時くらいに、この宿にくるということだった。


一応挨拶くらいはしておくかと、間食ついでに食堂に集まったのだが。


なにか予定が狂ったのか、なかなかやってこない。


間食はすでに平らげている。

なにか、追加注文でもするべきか。


考えていると、ティアが席を立って手を振った。


「サン! こっちこっち!」


新たに宿に来た客に、声をかける。


鮮やかな金髪をした男が、微笑みながら手を振り返した。


他の客をよけながら、向かってくる。


中肉中背、多分二十歳くらいだろう、やや童顔だが整った顔立ちの男だった。


「サン、久しぶり~!」


「ああ、久しぶり。遅くなってごめん。しばらく見ない間に、少し背が伸びた?」


「うん! やっぱりサンはよく見てくれているよね」


ティアは、にこにこしている。


「去年よりね、一ミリ伸びたの!」


「あ……ああ、そう。やっぱりね……」


サンとやらの声が、いくらか引きつっている。


(まあ、社交辞令で言っただけだろうからな……)


一ミリの成長など、普通はわからないだろう。


ティアは上機嫌だった。

ルーアが声をかけたら、また晴天から土砂降りになるのだろうが。


「みんな、紹介するね! サンは、あたしと同じ孤児院で育ったの。まあ、お兄ちゃんみたいなものね」


サンが、控え目な笑顔を見せた。


ティアが、テラント、デリフィス、シーパルを、サンに紹介する。


ユファレートとは顔見知りらしい。


「これは、ルーア」


(……これってな)


「ああ、君が……」


「ん?」


サンが、ルーアには真似できそうにない爽やかな表情をした。


「ティアからの手紙に、みなさんのことは書いてありましたから」


(どうせ、悪口ばっかなんだろうな……)


「いつも、ティアがお世話になっています」


白い歯が光った。


「この街に長く滞在されるなら、その内、案内させてもらいますよ。じゃあ、今日のところは、俺は家に帰るから」


途中から、ティアの方に顔を向けて言う。


「え!? もう?」


「なんかバイトが忙しくなっちゃってね。明日早いんだ」


「看板屋さんのバイト?」


「ああ」


なるほど。遅れたのは仕事が長引いたからか。


服のあちこちに、ペンキがこびりついていた。


「じゃあ、帰るから」


「あ。そう言えば、引っ越したんだっけ」


「うん」


「どんなとこ?」


「どんなって……普通だよ。安かったから、引っ越しただけ」


「ふーん……」


兄妹の会話を、ルーアは頬杖をついて聞いていた。


「ねえ、どんな部屋か見てみたいな」


「今から?」


「うん」


「今からだと、宿に戻るのは夜になるよ」


「いいよ。今日はサンのとこに泊まるから」


顎が、掌からずり落ちた。


「おい、オースター……」


「ん?」


「なによ?」


サンとティアが、同時に振り返る。


「……」


サンもオースター孤児院育ちである。


彼も、オースター姓を名乗っているのか。


(まぎらわしい……)


ルーアは、ティアの顔を指差した。


「えっと……残念な方のオースター」


「残念てなにがっ!?」


気に喰わなかったのか、憮然とした顔をする。


「色々と……。ああ、じゃあ……女の方のオースター」


腰に手を当て、深く溜息をつくティア。


「……なによ?」


「いや……」


なんで声を掛けてしまったのか。

不機嫌になるのはわかっているのに。


「ああ……これ、直しといて」


新聞を突き出す。

しばらくティアはそれを睨みつけ。

なにやら怒りながら、ふんだくるように新聞を受け取った。


「サン、行くよ!」


「じゃあ、みなさん。失礼します」


遠慮がちに、サンが頭を下げる。

ティアがその手を引っ張り、宿を出ていく。

一応、ちゃんとフロントに新聞は返していってくれた。


「俺ら集まる必要なかったな」


テラントが呟く。


「まあ、取り敢えず部屋に戻っとくわ」


テラント、それにデリフィスとシーパルも席を立った。


「それにしても……」


「血の繋がらない兄の家に……」


「お泊りですかぁ……」


次々と呟く。


ルーアは、コップを取り落とした。

水滴で滑ったのだ。


ユファレートは無表情で、コップに残った氷で遊んでいた。

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