混乱の渦

ふと、眼を覚ました。


「……」


寝起きは、いつも頭が回らない。


ティアは、ぼんやりと辺りを見た。


狭い馬車の荷台で、雑魚寝をしている状態だった。


全員が、ぐったりと眠りについている。

みなが、無理をしてきた。


ティアも、ユファレートの肩を借りる形で眠っていたようだ。


首が少し痛む。


いつ頃から眠っていたのか。

五分、十分前からではないだろう。


ユファレートの肩を揺さ振った。


なぜ起こそうとしているのか、よくわからない。


少し騒がしい。


ティアは、荷台の後方のカーテンを開いた。


(これって……)


大勢の街の住民と、移動中だった。


多分、二、三百人はいる。


(やっばぁ……!)


自分たちの状況を思い出し、冷水を浴びせられたように眼が冴えた。


狙われているのだ。


そのせいで、宿の人々は襲われたのではないか。


御者台の兵士たちは、ティアたちの都合を知らない。


ごく自然な成り行きとして、他の住民と移動を始めたのだろう。


誰かが起きていて、兵士たちに指示を出すべきだった。


いや、誰かではなく、ティアが起きておくべきだった。


ティア以外は、負傷をしているか魔法を使いすぎている。


休息を必要としている状態だった。


今はいったい何時なのだろう。


正午までに、ダリアンを倒さないといけないのだ。


すっかり明るくなっていた。


ティアは、慌てて荷台前方のカーテンを開いた。


狭い荷台を這うように移動する途中で、ユファレートの足を思い切り踏み付けたが、気にしている場合ではない。


「すみません!」


急に荷台から顔を出したティアに、兵士たちは驚いた顔をした。


「今すぐに、ここから……」


ティアが最後まで言い切る前に、兵士二人が水色の触手に打たれ弾き飛ばされた。


「!?」


ついで、馬を枝が貫いていく。


馬車が横倒しになり、ティアは地面を転がった。


そして、馬車に火球が投げ付けられ、火柱が上がる。


「ユファ!?」


避難中の人々からも、悲鳴があがる。


「手並みは見させてもらった。この程度では、死なんよな」


火球を放ったレオンが、腕から伸びた枝を、馬の胴体から引き抜きながら言った。


馬車が焼け崩れる。

ユファレートが、咄嗟に魔法の結界を張ったらしく、全員無事だった。


炎も消えていく。


「ようやく見つけたぞ……」


バラクだった。


「傷は癒したが、まだ足が疼く……」


どうやら、左足を斬られたことが、相当癇に障ったらしい。


倒れているルーアには見向きもしないで、ティアを睨む。


まだ、運が良かったのだろうか。

あと一分でも襲撃が早ければ、なにもできずに殺されていた。


「俺は乗り気ではないのだが、相棒の頼みだからな」


レオンが、無数の枝を広げる。


「君らは、こういう攻撃に弱いのではないか?」


(まさか……!)


「逃げて!」


ティアは叫んだ。


枝が、四方八方に伸びる。


街の人々を、次々と打っていった。


悲鳴が飛び交う。


「やめて!」


「殺すつもりはない。だが、べつに死んでも構わない。勢いで、何人かは死ぬかもしれんな」


集団の先頭にいた、七、八人の騎兵が、異変を察して馬を返す。


だが、いきなり十数人の男たちが飛び掛かっていった。


不意を突かれ、為す術もなく倒されていく騎兵たち。


「説明するまでもないと思うが、あれは『コミュニティ』の兵士だ」


枝が、レオンの手元に引き戻されていく。


街の人々と同じような格好をさせ、すでに集団に潜伏させていたのか。


「実は、リトイの部下に手を出すのはまずいのだが、ばれる前に気絶させれば問題はない。仮にばれたとしても、まあ構わんさ。ダリアンに責任はとってもらう」


その姿が消える。


「なぶらせてもらうぞ。せいぜい足掻くがいい」


続いて、バラクの姿も消える。


まったく別の位置で、悲鳴が起こった。


「こんな……」


無差別攻撃。


『コミュニティ』の兵士たちが、また集団へと潜り込む。


それでさらに悲鳴があがった。


どうしようもないほど、混乱していた。


蜘蛛の子を散らすように人々は逃げ惑うが、行く先にレオンとバラクが現れては、打ち倒していく。


『悪魔憑き』二人の、魔法と触手と枝は、あまりにも混乱の中の無差別攻撃に向いていた。


いずれも広範囲の攻撃なのである。


ユファレートが杖を振り、兵士の二人を光が撃った。


いつの間にか、ティアの背後から近付いていた兵士の首筋を、小剣で斬り裂く。


普通の住民と兵士の違いは、一目瞭然だった。


元が死体だけあって、土気色の顔をしているのである。


暗がりならともかく、太陽の下では見間違うはずもない。


だが、住民はそんなことは知らないだろう。


ティアたちの行為に、さらに混迷は深まった。


いきなり、住民同士で殺し合いを始めた、と思うのだろう。


混乱して逃げ惑う住民に紛れての攻撃。

たしかに効果的な戦術なのだろうが。


ティアたちを、敵として認めたということなのだろうが。


「男のくせに、せこい真似してんじゃないわよ!」


ティアは叫んだ。


「あたしたちは逃げも隠れもしないから、正面からかかってきなさい!」


また、レオンの枝が何人かの住民を撥ね上げた。


ユファレートが、接近してきた兵士たちに、電撃を浴びせる。


こうも混雑した状況では、思うように魔法を使えないのだろう。


二人は焼き焦げるが、一人は逃れていた。


ティアは駆け寄って、その背中に小剣を叩き込んだ。


いつもならダガーを投げ付けるところだが、もしかわされて住民に刺さったら、と考えてしまう。


近くで金切り声が聞こえて、ティアは顔を向けた。


頬から血を流した女性が、腰を抜かしている。


その側に、剣を手にした兵士の姿。


剣を振り上げる。


「このっ!」


兵士に、ティアは突っ込んでいった。


体当たりのような勢いで、兵士にぶつかる。


息を切らしながら、ティアは小剣を引き抜いた。


背後で、爆音が響く。


レオンが放った火球を、ユファレートが魔力障壁で防いだところだった。


「ユファ!」


ユファレートは、ルーアたちを庇いながら戦っているため、まともに身動きが取れない。


ティアは、駆け戻ろうとした。


ばしゃ、と地面に水を撒いたような音が、耳に滑り込んできた。


顔を向ける。


バラクがいた。


嘲笑を浮かべ。


水色の触手が、ティアの顔を目掛けて向かってきた。


(よけ、きれな……!)


体を捩る。


ぶちっ、と嫌な音がするのを、ティアは聞いていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


水色の触手が鞭のようにしなり、ティアが弾け飛ぶ。


それを、心臓が跳ね上がるのを感じながら、ユファレートは見ていた。


「ティア!」


叫びながら駆け寄ろうとするが、レオンが遮る。


諸手を広げ、枝を伸ばしながら。


そのレオンに、いきなり横から馬が突っ込んだ。


「ぬぅ!?」


枝をクッションにして、突進を止めるレオン。


馬の乗り手が、宙に放り出される。


テラントだった。


人込みの中を、馬で駆け抜けてきたのか。


くすんだ金髪が、日光で映える。


テラントは手綱を離さなかった。


体の上下が逆さまになった状態で、光の剣を振る。


枝を犠牲にしながら、なんとかレオンは避ける。


テラントは、宙で体を反転させ、足から着地した。


ほとんど曲芸である。


テラントが、レオンの相手をしてくれる。


ユファレートは、杖を振った。


ティアに止めを刺そうと手を向けるバラクに、光のつぶてが次々と着弾する。


水のようなその体が、溶けるように崩れる。


「ティア!」


無傷ではない。


赤い飛沫が散るのを、ユファレートは見ていた。


兵士たちが立ち塞がる。


四人。


もう、死なせることを迷っている場合ではなかった。


時間をかければかけるだけ、犠牲は増える。


範囲内に住民はいない。


それを確認して、ユファレートは杖を向けた。


「ファイアー・ボール!」


火球が兵士たちの足下で爆発して、その体を炎が包み込む。


不意に、左手の手首に、なにかが巻き付いた。


「!?」


水色の触手。


その先には、バラクの無傷な姿。


(さっきのは、幻影の魔法……!)


普段なら気付くことができた。平常心を失っているのか。


締め付けられ、左手首が軋んだ。


肩の関節が外れるような勢いで、引っ張られる。


ユファレートは、地面を引きずり回された。


「くぅ……!」


杖に魔力を込めて、触手を叩き切る。


それで、ようやくユファレートは解放された。


杖をついて立ち上がる。


左手首が、じんじんする。指を動かせない。


痛いというよりは、熱かった。


骨折でもしたのだろうか。


これまでに大怪我をしたことがないユファレートには、わからなかった。


「力はあっても、所詮は女か。一般人が巻き込まれ、仲間がやられた途端に、これだ」


兵士が、ティアに駆け寄る。


その胸元に、ダガーが突き立った。


ふらふらしながら、ティアが立ち上がる。


ダガーは、左手で投げたようだ。

それは、初めて見る。


ティアは、右腕を力無く垂らしていた。


小剣を取り落とす。


右肩から、出血していた。


服に赤い染みが広がっている。


なんとか、致命傷は避けたらしい。


だが、その足は覚束ない。


ユファレートは、頭痛を感じていた。


引きずり回された時にぶつけたのか、手首の痛みが脳にまで響いているのか。

魔力が尽きかけると、まれに偏頭痛があるが、それかもしれない。


負傷のせいで、隠れていた疲労が一気に吹き出した感じだった。


(……テラントは?)


彼は、レオンと対峙していた。


魔法よりも、枝に苦戦しているようだ。


斬っても斬っても、際限ないかのように生え変わる。


こちらの手助けをする余裕はないだろう。


自分たちでなんとかするしかない。


だが、気持ちとは裏腹に、杖の先に集中させていた魔力が霧散する。


限界かもしれない。


左手首が痛む。


経験したことのない、泣き喚きたくなるような激痛だった。


「ほぉう……」


バラクが、なにか面白い物でも見つけたかのように眼を細めた。


ユファレートたちを見ているのではない。


その視線を追った。


バラクが見つめているのは、馬上にいる壮年の男性だった。


位の高そうな堅苦しい格好をしているが、それが乾いた泥や埃で汚れていた。


「領主様……」


住民たちの間に、さざ波のようにざわめきが広まる。


(……この人が)


ティアから、事情は聞いている。


ヴァトム領主、そして、『コミュニティ』のメンバー、リトイ・ハーリペット。


敵が増えたことになるのだろうか。


だが、ダリアンという男とは仲違いしているようだった、とティアは言っていた。


「……私の民に、これ以上手を出さないでもらおうか」


低い声が、響く。


リトイは、単騎だった。


「まあ、領主様としては、そう言うしかないな」


バラクが、嫌らしく笑った。


リトイの側に、レオンが転移する。


「リトイよ」


街の住民たちが、動揺する。


領主が危険だ。

そう思うのだろう。


「俺だけなんだ」


レオンは、馬上のリトイを見上げながら自分の胸を撫でた。


「『塔』の起動法は、ホルン王国の最大の秘匿」


たしかにそうである。


知るのは、王家に連なるほんの一握りの者だけだという。


「独自に解析した『コミュニティ』にも、知っている者はほとんどいないだろう。ダリアンの部下では、俺だけだ」


両手を、無防備に広げる。


「俺さえ殺せば、『塔』は起動しないな。ヴァトムの民も、ジロの民も助かる」


(……どういうこと?)


リトイを、まるで挑発しているかのような。


リトイは、明らかに平静を失っていた。


体を震わせ、息が荒く、尋常でない発汗だった。


テラントが、レオンの背後から斬り掛かる。


枝が、それを迎え撃つ。


「なにが、俺を殺せば、だ。殺される気、まったくねえだろ」


テラントは、犬歯を剥き出しにした。


「それに、お前をぶった斬ったところで、他のが来るだけだろ」


「たしかにな。だが、時間は稼げるだろう? 東側の住民も、避難させられるかもしれない。あるいは、ジロの民も、助かるかもな」


ヴァトムの東側は、『ヴァトムの壁』に包まれている。


『壁』は乗り越えることは不可能な高さであり、地下道などもない。


地中深くまで掘っても、どこまでも『壁』が根を張るようにあるという。


街を出るには、西側に行くしかない。


正午までの避難は無理だろう。


日当たりや交通の便が悪いが、その分土地が安価なため、それなりの人口なはずである。


「じゃあ俺が、お前を殺してやるよ!」


テラントが、枝を斬り落としていく。


だが、直ぐさま生え変わる。


その再生速度に、テラントはレオンに近付くこともできない。


「接近戦しかできない者では、相性が最悪だとは思わないか?」


逆に、あまりのレオンの枝の数に、後退させられる。


「リトイが来たからな。これ以上ここで争うつもりはない。なにしろ、こちらからは手を出せないからな」


騎馬隊の一団が、土煙を上げながら向かってきていた。


リトイを追ってきたのだろうが、それにしては時間差がある。


リトイは単独行動でもしていたのだろうか。


「そろそろ、退却させてもらうか。リトイ、俺たちがどこに帰るか……わかるな?」


手を振り上げる。


「その気になったら、来るがいい。歓迎する」


閃光の魔力を察知して、ユファレートは眼を強くつぶった。


レオンの手から、まばゆい光が弾ける。


単純な眼眩ましである。


視界を奪われ、住民たちが悲鳴を上げた。


レオンとバラクが、集団の外に転移する。


彼らは、悠然と去っていった。


ユファレートは、なにもできずに見送るしかできなかった。


もう、戦闘を熟せるだけの魔力が残っていない。


左手首の痛みは、耐え難いものになっていた。


テラントでさえも、動けなかった。


おそらく、彼のことだから、眼眩ましなど喰らってはいないだろう。


さすがに、あの『悪魔憑き』二人相手に、一人で戦うのは無謀だと判断したのか。


呻き声が聞こえた。


リトイの呻き声だった。

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