死神の鎌

「ル・ク・ウィスプ!」


ろくに確認もせず、ルーアは背後に魔法を放っていた。


追いかけ回されている。


相手は、二十人ほどの『コミュニティ』の兵士。


前方を、一人が遮った。


低い体勢からの斬撃。


それを二回、ルーアは剣で弾き返した。


反撃が、浅く兵士の体を捉えるが、手応えが少しおかしい。


服の下に何か着込んでいるのだろう。


顔面を、剣で殴り飛ばしてやった。


さらに二人が、前にいる。


「くそっ!」


ティアの手を引き、別の通りへと進路を変える。


『塔』の方へと、なかなか向かえない。


むしろ、遠ざかっている。


領主の館は街のほぼ中央にあった。


泊まっていた宿は、西北西の方向である。


『塔』は街の西だった。


まずは宿に戻るつもりだったが、思うように進めない。


北へ北へと追い込まれていた。


嫌な予感がする。


「オースター! 抜け道とか、いい隠れ家とか知らねえか!?」


「知らないわよ!」


「ここ、お前の国だろうが!」


たしか、ホルン王国の出身だと言っていたはずだ。


「あたしは北の出なの! この街は何度か来たことがあるだけで……」


「くっそ! 使えねえ!」


「な、なによそれ!? ムカつく……!」


ルーアは、ティアの二の腕を掴んだ。


「フライト!」


飛行の魔法を発動させて、男たちを引き離していく。


「……い、痛い痛い! 腕がもげる!」


思うように速度を上げられない。


夜で視界が悪く、おまけに地震の影響で、瓦礫が飛び出していたり道を塞いでいたりする。


一旦、魔法を解除する。


兵士の二人が突出していた。


彼らにも個性があるのだ。


全員が同じ身体能力ではない。


できるだけ魔力は温存したい。


剣で斬り倒していった。


また、ルーアはティアを連れて走り出した。


これを、何度か繰り返している。


「ちっ!」


十字路。

前の道が、崩れている。


左には、黒装束を着た男の姿があった。


右に曲がり、ルーアはすぐに足を止めた。


『ヴァトムの壁』がそびえ立っている。


左右の建物は倒壊していた。


(……袋小路か)


『壁』は、間近で見ると、また一段と不気味だった。


毛細血管のように、いくつも線が走り、それが脈動している。


「エア・ブリッド」


試しに簡単な魔法をぶつけてみるが、傷一つつかない。


さすがは、何百年もこの地で、風化することもなく在り続けた、古代兵器である。


追い込まれたルーアたちの背後に、兵士たちが現れた。


「……四人か」


逃げ回っているうちに、かなりの人数を撒けたようだ。


「たった四人なら……」


ルーアは、一歩前に出た。


だが。

少し遅れていた兵士たちだろう。


三人が、敵に加わった。


「七人くらい……」


そして、さらに次々と兵士たちが集まってくる。


「十の……十五の……」


ルーアは、そこで数えるのをやめた。


ごみ箱に捨てた、領主の紹介状。


ふと、それを思い出した。


領主の使いが宿にきたことを、従業員や他の客は見ている。


きっと、テラントたちが第六感を働かせ、領主の館に向かったルーアたちが、危険な眼に遭っていると察してくれるだろう。


そして、いまルーアたちがここにいることを第六感で嗅ぎ取り、颯爽と助けにきてくれる。


『よお、ルーア、待たせたな』と。


「……アホか!」


「な、なにが?」


自分の妄想に、ルーアは声を上げていた。


別に、彼らは仲間というわけではないのだ。


ただ、同行しているだけ。


ルーアの仲間は、リーザイと、ヘリク国の土の中にいる。


「自分で、なんとかするしかねえよな」


ルーアは、肩を回した。


魔力は温存しておきたかったが、そうも言ってられない。


幸い、まだ兵士たちは、遠くから様子を窺っているだけである。


攻撃の機を探っているようだ。


ルーアにとっては、大勢で一気に押し寄せられる方が、苦しいことになっていただろう。


距離があるうちに、こちらから仕掛ける。


ルーアは腕を振り上げ、兵士たちへと向けた。


掌の先の空間が軋み、小さな暗黒球が生まれる。


「ギルズ・ダークネス!」


ルーアの意思に従い、暗黒球は兵士たちの中央へと転移し、膨張した。


触れた者の体が腐敗し、崩壊していく。


「うあ……えぐい……」


ティアがそんなことを言うが、構ってられなかった。


闇の系統の魔法は、扱い方が難しいが、回避が困難で強力だった。


集団の中央で発動させれば、かなりの人数を仕留められる。


七、八人は逃げ遅れたはずだ。


「……よし」


避難していた兵士たちが、再度前方を塞ぐが、十人もいない。


なんとか倒せそうな人数である。


剣の柄を握り締める。


「あたしも……」


前に出ようとしたティアに、ルーアは手を向けた。


「邪魔。下がれ。自分の身だけ守ってろ」


ティアがムッとする雰囲気が伝わってくる。


言い方が悪いかもしれないが、言葉を選ぶ余裕がない。


摺り足で、一歩進んだ。


兵士たちは、向かってこない。


むしろ、後退した。


随分と消極的である。


(……もう一発喰らわすか?)


ルーアが腕を上げると、魔法を警戒して、兵士たちは散らばり物陰に身を隠した。


そこから、こちらの様子を窺っている。


「……なんで、攻撃を仕掛けてこない?」


いつもなら、ダガーでも飛んでくるところである。


まるで、時間稼ぎでもしているかのような。


「私が、いるからでしょ」


聞き覚えのある声に、ルーアは心臓が跳ね上がるのを感じた。


声の主を捜す必要はなかった。


その女は、ルーアの視界の中心にいた。


二十歳ほどに見える。

女にしては長身だろう。


艶やかな黒髪を、長く伸ばしていた。


体の輪郭がはっきりわかるボディスーツを着ている。


ユファレートにも劣らない絶世の美女であるが、向かい合っていると、心臓を鷲掴みにされた気分になる。


知っている女だった。


「……死神ソフィア」


「……いつの間に?」


ティアも驚いている。


「さあ、いつからでしょう?」


ソフィアは、妖しく微笑んだ。


「……綺麗な人」


ティアが、小声でぽつりと呟く。


(……なにを呑気なことを)


ルーアは、脳内で視界を巻き戻していった。


肌が粟立つ。


いきなり現れたように感じたが、違う。


先程、ルーアが闇の魔法を放った少し後。


その時から、この女はそこにいた。


(ずっと視界の中にいて、気付けなかったのか!?)


有り得ないほどの隠密術である。


「……何をしに……?」


ルーアの問い掛けを無視して、ソフィアは兵士たちに手を振った。


「あなたたちは、もういいわ。ダリアンの所へ帰りなさい」


兵士たちが頷き、散開していく。


「なにをしに、来た!?」


唾を飛ばしながら再度ルーアが問い掛けると、ソフィアは妖艶な笑みを見せた。


恐怖に飲み込まれそうになる。


「私の役目、知っているでしょ?」


「裏切り者の始末と、スパイの洗い出しだったな……」


「ヘリク国に用事があったんだけどねー」


ソフィアが、右手を軽く上げる。


「私ね、獲物を横取りされるの、大っ嫌いなの」


「グリップ、だったか? あいつらを殺したのは、俺じゃねえぞ……」


「でも、無関係とは言わないわよね?」


手を開く。


「おいで」


ソフィアが呟くと、虫の羽音のような微かな響きと共に、手の中に鎌が現れた。


身の丈ほどもある大鎌である。


(……くそっ!)


ルーアは歯噛みした。


ソフィアとは、一年ほど前に、リーザイで戦ったことがある。


その時に思い知らされた。


この女は、一対一においては無敵だった。


おそらく、ストラームでも勝てない。


負けないかもしれないが、勝つことはできない。


最低でも、二人掛かりでないと、互角の勝負はできない。


「……オースター、逃げるぞ」


ティアと二人で協力して戦うのは、無理だった。


力量不足過ぎる。


ソフィアならば、ルーアの相手をする片手間に、ティアを殺せるだろう。


「逃げ……るの? でも……」


背後は『壁』、左右は倒壊した建物。


道は前にしかないが、ソフィアが立ちはだかっている。


そこまで広い道ではない。


端を進んでも、鎌は届くだろう。


「……なんとか逃げる隙くらい作ってやるさ……見落とすな!」


ルーアは、ソフィアに突進した。


「フォトン・ブレイザー!」

「ルーン・シールド」


放った光線は、ソフィアが展開した魔力障壁にたやすく阻まれるが、ルーアはその間に接近した。


様々な武器の扱い方を、ストラームやランディに習ってきた。


長い武器は、攻撃範囲が広いが小回りが利かない。


接近戦になれば、ソフィアの大鎌よりも、ルーアの剣の方が有利なはずだ。


並の相手ならば必殺となるルーアの斬撃は、しかしソフィアにあっさりと受け流された。


「ちぃっ!」


反撃させてはならない。


とにかくルーアは、剣を振り続けた。


余裕の表情で、ソフィアはそれをさばいていく。


「おああああああっ!」


剣を振り回しながら、ルーアは自然と叫んでいた。


気迫が満ち溢れているのではない。


恐怖を紛らわすためだった。


焦りばかりが募る。


『剣と魔法、両方で、お前に優る者はそうはいない』


少し前に、ランディにはそう言われた。


自惚れかもしれないが、確かにそうかもしれないという思いはある。


そんな人間は、まだ二人しか知らない。


一人はストラーム。


もう一人が、このソフィアだった。


危険な女だった。


ルーア以上の魔力の持ち主で、ルーアよりも武器の扱いに長ける。


誰にも真似できないような隠密術もある。


だがそれらの技能は、彼女の強さの一端に過ぎなかった。


死神ソフィアの真の恐ろしさは、魔法とは違う彼女だけの特色能力。


邪眼。


ソフィアは、相手の数瞬先の未来が視えるらしい。


ルーアの斬撃の軌道が、わかっているのだ。


そして、技量はソフィアの方が上。


通用するはずがなかった。


ルーアが蹴りを放とうとした瞬間、ソフィアに軸足を払われた。


体勢を崩したところに、胸を鎌の柄で小突かれる。


距離が開いた。


「今度はこっちの番ね」


ソフィアが、無造作に鎌を振る。


なんとか剣で弾き、ルーアはまた接近することを試みた。


しかし、鎌が回り込んでくる。


(くそ……!)


ソフィアには、全てが視えているのだ。


ルーアが移動する先々に、鎌が襲い掛かってくる。


なんとか防ぎ続けた。


斬撃に、それほどの勢いはない。


手を抜かれている。

それがわかった。


遊ばれているのだ。


悔しがる暇もない。


鎌がかすめ、耐刃繊維でできているジャケットのその前が、簡単に裂ける。


「この……!」


苦し紛れの反撃に、ルーアは低い位置から剣を振り上げようとした。


その先に、ソフィアの掌。


魔力の波動。


(やべっ……!)


慌てて剣を引っ込め、身を翻そうとするが。


「遅いわよ」


ソフィアの呟き。


「ガン・ウェイブ」


衝撃波に、剣が粉々に砕けていく。


なにか、ひどく鈍い音がしたような気がした。


ルーアは、もんどり打って倒れた。


それでも、すぐに立ち上がる。


(……?)


なにかおかしい。


左腕が、思うように動かない。


肩を脱臼でもしたのか。


じわじわと、なにかが競り上がってくる。


「……!?」


衝撃波を、完全にはかわせていなかった。


指が、おかしな方向に曲がっている。


手の甲を、折れた骨が突き破っていた。


それだけではない。


手首も、肘も、上腕も、指先から肩までが、壊れている。


骨は折れるか砕けるかして、筋肉はずたずたになっているようだ。


これまでの数多くの負傷の経験が、ルーアに左腕の状態を伝えてくれた。


「……あ……あ……あ……!」


ルーアは、膝をついた。


痛みが脳にまで達する。


気を失ってしまいそうな劇甚な痛みに、ルーアは絶叫した。


「……うるさいわねぇ」


ソフィア。

ルーアの顎を蹴り上げた。


次いで、腹を蹴りつけられ、ルーアは地面を転がった。


横隔膜を蹴り抜かれて呼吸困難になり、ルーアの絶叫は止まった。


右手で、地面を掻きむしる。


「この辺りは避難勧告が出ているから、住人はいないはずだけど」


ソフィアは、仰向けに倒れたルーアの胸を踏み付けた。


「夜の悲鳴は響くでしょ? 誰に聞かれるかわからないじゃない」


鎌を、振り上げる。


「やめて!」


ティアの声。


まだ、逃げていなかったのか。


小剣を抜く。


ソフィアが、軽く手を振り、なにか魔法を使った。


ティアの体が浮き上がり、『壁』に叩き付けられる。


そのまま、ずるずると崩れ落ちる。


それでも、ティアはもがきながら肘を地面につき、身を起こそうとした。


馬鹿。


死んだフリでもしてろ。


それで、あるいはティアだけでも見逃してもらえるかもしれない。


「やっぱりルーア、あなたは違った」


ソフィアが、そんなことを言った。


「あなたは、しょせん彼のおまけに過ぎないのよ」


鎌が、振り下ろされた。


眼をつぶる。


急に、胸に掛かっていたソフィアの重みが消えた。


そして、何か重量感がたっぷりある轟音がした。


薄く眼を開くと、金属が見えた。


厚い剣である。


デリフィスだった。


ソフィアを目掛けて剣を振り下ろしたのだろうが。


剣の先は地面をえぐり、刃はルーアの首に触れる寸前で止まっていた。


「……危なかったな」


デリフィスが、剣を担ぎ上げる。


「……助けてくれたことは礼を言うが」


痛みに呻きながらも、ルーアは身を起こした。


「今ので、斬首刑を受ける罪人の気持ちが、よくわかった……」


「それは、貴重な経験だな」


デリフィスは、ルーア、なんとか立ち上がったティア、そしてソフィアを見た。


「……女に負けたのか?」


「やかましい」


少しでも気を緩めたら、失神してしまいそうな激痛に襲われながらも、ルーアはデリフィスと並び立った。


二人なら、ソフィアに対抗できる。


「……怪我人は下がっていろ」


「駄目だ」


デリフィスが、睨み付けてくる。


「デリフィス……あんたが強いのは知っているが、あの女にだけは、一人で戦うな」


「二人ならいいみたいな言い方ね」


ソフィアが言った。


「わかってんだ……あんたの邪眼は、相手の先を見る能力……」


「そうよ」


「その力……一人の先しか見れないんじゃないか……?」


痛みで目眩がする。


汗がだらだらと流れ落ちた。


「あら、気付いてたのね」


あっさりと、ソフィアは認めた。


「一年前……ライアと二人掛かりなら……あんたを退けられたからな……」


ソフィアが、吹き出した。


「ああ、やっぱり。勘違いしていたのね」


「……勘違い?」


「あなたは、彼を、ライア・ネクタスのことをどう思っているのかしら?」


「どうって……」


左腕が熱い。


その熱が、体中を駆け回っているかのようだった。


視界が霞む。


「同僚? 友人? 仲間? 自分と同等の力を持ったライバル?」


ソフィアは、自分の髪の毛で手遊びしながら、悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「可哀相に……」


「可哀相……?」


「教えてあげる。一年前、あなたたち二人が相手だったから、わたしは引いたんじゃないの。ライア・ネクタスが相手だったから、引いたのよ。意味、わかるわよね?」


「……」


「今晩あなたと遊んだのはね、確かめるため。それが目的。やっぱり、あなたじゃなかった」


ソフィアの手から、鎌が消えた。


「システムの中心にいるのは、やっぱりライア・ネクタス。あなたはそのおまけに過ぎない。殺す価値もない、取るに足らないどうでもいい存在……」


「……なんだと」


ソフィアの言うことを、全て理解した訳ではない。


だが、馬鹿にされていることはわかる。


「それにね、言ったでしょ? わたしは、獲物を横取りされるのが大っ嫌いなの。だから、人の獲物はできるだけ横取りしないようにしているのよ」


武器を消しても、ソフィアには隙がない。


デリフィスも、迂闊に踏み込めないようだ。


「あなたたちは、ダリアンの獲物だから、見逃してあげる。一対二だと、こっちにリスクがあるのも否定できないしね」


ソフィアの姿が一瞬で消えて、かなりの後方に現れる。


瞬間移動の魔法だった。


かなり高度な魔法である。


ルーアも使えることは使えるが、実戦で使用したことはほとんどない。


平衡感覚を一時的に失ってしまい、次の行動に遅れが出るのだ。


ソフィアの周囲に魔法陣が展開する。


そして、今度は完全に消え失せた。


長距離転移の魔法。


「……そんな魔法も使えるのか」


瞬間移動よりも、さらに高度な魔法である。


難易度が高すぎて、現在では使い手がほとんどいない。


数十キロを、一瞬で移動できるらしい。


ただし、発動までに時間を要する。


瞬間移動の魔法で距離を取ったのは、時間を稼ぐためか。


「化け物め……」


呟き、ルーアは再び膝をついた。


意識を保つのが難しい。


せめて、気を失う前に出血だけは止めなければ。


体に刻み込まれた敗北の跡。


ルーアは、左手の甲に触れた。

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