この判断に間違いはない

「この『ヴァトムの壁』はね、上空から見ると……」


「ああ、そうだな」


テラントの相槌のタイミングがおかしいことに気付いて、ユファレートは口を尖らせた。


「ねえ、ちゃんと聞いてる?」


「……あ、ああ、聞いてる聞いてる」


「……ほんとに?」


「本当だって」


テラントの頬が、少し引き攣っているような気がする。


ヴァトムの街は、地震の影響で混乱していた。


ユファレートたちは通りすがりの旅人に過ぎないが、見過ごすことはできなかった。


今日は、ユファレートの他にも、テラント、デリフィス、シーパルがボランティアとして救援作業に参加していた。


ティアは、バテたルーアと宿で留守番である。


ユファレートたちの魔法は活躍した。


テラントやデリフィスの身体能力が凄いのはわかるが、こういった場面では魔法に敵うわけがない。


ユファレートとシーパルは、生き埋めになった人たちの元へと行き、瓦礫を撤去していった。


そして、その傷を癒す。


それを、夜半まで続けた。


今は、ボランティアに配られた、かなり遅めの夕食を採っているところである。


地べたに座って食べる、質素な食事だったが、もちろん文句はない。


多くの被災者が、今も苦しんでいるのだ。


さすがに疲れ切っていたが、心地良い疲労感だった。


人命救助、怪我人の治療。


最も正しく、最も誇れる魔法の使い方。


ふと思い返して見れば、最近は魔法を、戦闘で活かすことしか考えていなかったような気がする。


テラントに、ユファレートの魔法は否定された。


そして、シーパルには徹底的に打ちのめされた。


二ヶ月前のことである。


以来、テラント、デリフィス、シーパルとは、できるだけ行動を共にするようにした。


そして、観察してきた。


不足しているものを、埋めるためである。


テラントとデリフィスは、危険がないか常に注意をしている。


おどけている時も、食事の時も、おそらく、眠っている時でさえ。


シーパルには、何度も手合わせをしてもらった。


魔法の基礎力は同程度だと思う。


だが、応用力が違う。


そして、シーパルには無駄がなかった。


効率的で、臨機応変。


まだ、勝ったことはない。


それでも、最近は互角の勝負ができるようになった。


「ええと、どこまで話したっけ?」


『ヴァトムの塔』と『ヴァトムの壁』の説明を求めたのは、シーパルである。


もう、十分以上ユファレートは話していた。


なにせ、七百年以上昔からある、旧人類が遺した古代兵器。


その歴史を語るには、どうしたって時間がかかる。


「いあ、もうそろそろ……」


なにやらもごもごと口を動かすテラント。


「もう一度、最初から説明した方がいいかな?」


「いやそれは、もうほんとマジ勘弁」


そして、いきなりテラントはシーパルの胸を裏拳で叩いた。


どごむ、と鈍い音が響く。


「ぐっ!?」


息を詰まらせるシーパル。


「……なにやってるの?」


「いや、こいつが余計なことを聞くから……じゃなくて、なに、あれだ、新しい形のスキンシップ? ハイタッチみたいなもんだ」


「……酷いです、テラント」


シーパルが、弱々しく呻く。


「『壁』についての説明からだ」


そっぽ向いて食事を進めていたデリフィスが、ぼそりと言う。


デリフィスは、傭兵出身らしい。


それにしては、デリフィスの食事の仕方は、妙に上品だった。


それが、なにか面白い。


傭兵なんてやっている人種は、野蛮で粗野だと、ユファレートが勝手に思い込んでいたせいかもしれない。


「そう、『壁』の形だったわね」


ユファレートは、鉛筆大の木の枝を拾うと、地面に線を引いていった。


「上空から見ると、こう……街の東半分を包むような形をしてるの。まるで、弓のような形。そう。弓なのよ」


ユファレートは、今度は街の西の外れの位置に、小枝を刺した。


「それに対して、『塔』は、言ってみれば弦を引き絞った手の位置に当たるわ!」


段々と興奮してきて、ユファレートは地面を叩いた。


シーパルが、びくりと身を震わせる。


「『壁』と『塔』は、まさに弓と矢なのよ! 『壁』は大気中からエネルギーを集め、増幅させて、『塔』へと転送させる! 『塔』は、莫大なエネルギーを一つにまとめ、噴射させる!」


「……これ、誰か止めろ……」


テラントが何か呟いたが、ユファレートにはよく聞こえなかった。


「その力は、人のみを消滅させる! 建物や人以外の生物には一切影響を与えない! 現在の魔法学では解析不能な、摩訶不思議な力にして、強烈無比な……」


「ちょっと、僕はトイレに……」


「あ、俺も」


立ち上がりかけたシーパルとテラントの服の裾を、ユファレートは掴んだ。


「もう少しで終わるから、待ちなさい!」


無言で立ち去ろうとするデリフィスの足首を、テラントが掴んだ。


デリフィスは、なんとか振り解こうともがいている。


「お前も道連れじゃ……」


「くっ……」


テラントは小声だったので、やっぱりよく聞こえなかった。


「ヴァトムとジロが、小国として、独立していた時代、両国は激しく対立していた……」


ユファレートは、遠くを見つめた。


「当時のヴァトム政府が造り上げたのが、兵器『ヴァトムの塔』と『ヴァトムの壁』……」


無論、シーパルたちの服は離さない。


「けどその力は、あまりに強大すぎた。起動したら最後、制御不能なほどに。だから、偶然完成してしまったという説もあるわ」


デリフィスが、足首を掴むテラントの手を、自由な足で蹴りつける。


「『塔』起動後、『塔』にいたヴァトム人は驚愕した。だって、自分たち以外の人間が、ジロだけでなくヴァトムからも消滅してしまったのだから」


させじと、掴んだデリフィスの足首を捻り上げるテラント。


「こうして、ヴァトムとジロの両国は、事実上消滅、ホルン国に併合されることになった。七百年以上も昔の話ね」


デリフィスは、華麗に受け身をとった。


「次に『塔』が起動したのは、三百五十年前。ラグマ軍がレボベル山脈を越え、ジロを占拠した時のことよ。あ、そういえばテラントは元々ラグマの軍人さんだったっけ?」


「……お。あ、ああ、そうそう。だからその辺りの話は飛ばしてくれても……」


「でも、シーパルやデリフィスは詳しく知らないんじゃない? 聞きたいわよね?」


「え、えーっと……」


「……」


「聞きたいわよね? ね? ね?」


「そ、そうかもしれませんねぇ……」


「俺は、ほら知ってるから……ぐぇ!?」


デリフィスが、立ち上がりかけたテラントの首に無言で腕を回す。


「ラグマ軍の騎馬隊は精強だから、当時のホルン国王シシア三世は焦ったでしょうね」


ジロから北は、平地が広がっている。


騎馬隊を、思うがままに駆けさせられるのだ。


「ラグマの騎馬隊に、蹂躙されることを恐れたシシア三世は、泣く泣く『塔』を起動させたわ。避難に遅れた多くの住民の命と引き換えに、ラグマ軍を消滅させた」


結果的に、それがシシア三世を失脚させることになった。


多くの人民が失われたのだ。


「いい天気だなぁ、シーパル……」


「お昼の台詞ですけどね、テラント……」


「ちゃんと聞いて!」


まだまだ、話さないといけないことが、いくらでもあるのだ。


『塔』を起動させると、あまりに莫大なエネルギーのため、次の起動に何十年、あるいは何百年という充電期間が必要だということ。


二度も滅んだに拘わらず、今ここに、街があるという事実。


『塔』と『壁』という兵器。


どうしても軍が駐屯し、管理する必要がある。


そして、当然軍人にも生活がある。


行商人が出入りするようになり、今度は宿が必要となる。


その家族のために店や学校ができあがる。


そうして、時間をかけて街の姿を取り戻していく。


元々、『塔』が起動しても建物などには被害は出ていないのだ。


「……というわけよ、わかった?」


「あ、あー、うん。よくわかった。すごいタメになった。んじゃそろそろ……」


「まだよ。まだ半分くらいしか話は進んでないわ」


「……」


「『塔』の制御の仕方として、現在研究されているのが……」


「ユファレート、マジでストップだ」


テラントが、表情を変えた。


真剣というよりも、張り詰めたものになっている。


それに、ユファレートは戸惑った。


「お嬢、さん。すみま、せん」


背後から、声を掛けられた。


随分と土気色をした顔の男である。


「道を、道を、お伺い、したいのですが」


「あ、えと、わたしも地元の者じゃないので……」


ユファレートが言い終える前に、男が後ろ手に隠していた何かを振る。


さらにその前に、テラントが光の剣で男の体を跳ね飛ばしていた。


「……え?」


「道を……みち……」


倒れた男は、眼を見開き、まだ口を動かしていた。


手には、ナイフが握られている。


他にも二人、近寄ってきていた。


一人をデリフィスが切り伏せた。


男の体から、血が流れ出る。


「……え?」


状況の、あまりの急激な変化に、頭がついていけない。


もう一人は、踵を返した。


ユファレートと同じく、呆気に取られている他のボランティアの所へと向かっている。


その膝を、シーパルが放った光球が砕いた。


さらに、背中を打ち抜く。


「『コミュニティ』の、兵士……」


テラントが呻いた。


死角から、地を蹴る音が聞こえた。


ユファレートは、慌てて杖を向けた。


(……もう一人、いた!?)


やはり、土気色の顔の男である。


動揺していることを、ユファレートは自覚した。


「ル・ク・ウィスプ!」


精神状態が安定しなくては、どうしても狙いに誤差が生じる。


ユファレートが、咄嗟に選択した魔法は、回避が困難な魔法だった。


無数の光の弾丸が、男の体で破裂した。


もんどり打って倒れる。


蜂の巣のように、いくつも穴を開けた男の死体に、ユファレートは胃が締め付けられるような気がした。


彼を、人間と分類するべきかどうかは、わからない。


分類することに、意味があるのかどうかもわからない。


だが、殺したのは間違いなくユファレートだった。


初めての経験だった。


ティアは、これを何度か経験しているのか。


それも、剣を扱う。


手には、人を斬った感触が残るだろう。


魔法よりもよほど、人を殺した実感があるはずだ。


戦闘者としてはティアよりも劣る、以前テラントに言われたことを思い出した。


デリフィスの舌打ちが聞こえて、ユファレートは我に返った。


短い間の、いきなりな出来事。


周囲には、他のボランティアの姿がある。


恐慌が起きる寸前。


ユファレートはそれを感じた。


「こいつら、領主様を狙っていた連中だ!」


訳のわからないことを、テラントが叫んだ。


「領主様が危ない!」


そして、急に走り出す。


「領主様が……?」


ボランティアの一人が、呟いた。


デリフィスが、テラントの後を追う。


ユファレートも、シーパルに手を引っ張られて走り出した。


「どういうこと……?」


「あのままだと、僕らが人殺しだと大騒ぎになる。だから、彼らは領主の命を狙っているとして、悪人だとみんなに思わせたのでしょう」


「なるほど……」


領主は、民に人気がある。


街の人々にとっては、領主の命を狙う者は悪人、それを退治した者は善人になるのだろう。


街の人々を敵に回さないため、テラントはあんなことを叫んだのか。


よくぞ瞬時に思い付くものである。


ユファレートは、自分の気持ちを落ち着かせることで精一杯だった。


「……大丈夫ですか?」


シーパルが聞いてきた。


「……平気よ」


彼が、何に気を遣ってくれているのかは、わかっていた。


テラントは少し先で待っていた。


全員が揃ったところで、口を開く。


「あいつらは、『コミュニティ』の兵士だった。前触れもなく襲い掛かってきたが、それは置いておこう。俺やデリフィスは、何度も『コミュニティ』とは戦っている。眼を付けられていても、おかしくないからな」


かなり、早口だった。


切迫していることが、ユファレートにも伝わってくる。


「問題は、たった四人だったということ」


デリフィスが、無言で頷く。


「兵士四人で、俺たち四人の相手ができるわけねえ。様子見、挨拶代わり、挑発、そんなとこだろ」


まだまだ、襲撃がある。

テラントはそう言っているのだ。


「そして、危険なのは、俺たちだけじゃないと思う」


「……ティアたちが!」


意味を悟って、ユファレートは声を上げていた。


「俺たちは昨日、六人で行動していたからな。宿に急ぐぞ」


言い終えると同時に、テラントたちは走り出していた。


ユファレートだけ、少し遅れる。


テラントとデリフィスは、かなりの走力である。


離されないために、ユファレートとシーパルは飛行の魔法を時折使わなくてはならなかった。


負担はかかるが、仕方ないことである。


地震のために、あちこち脆くなっている路面を走り続けているテラントたちの方が、疲れるはずだ。


夜の街は、何かを予感させるかのように静まり返っている。


ほどなくして、宿に帰り着いた。


テラントが、何か感じることがあったのか、入口の扉に伸ばした手を一度引っ込める。


彼は、デリフィスと顔を見合わせた。


頷きあってから、扉を開く。


鉄の臭いがした。


「……なによ、これ」


薄暗い食堂。


テーブルや椅子は横倒しになり、床には料理と割れた皿が散乱していた。


七人倒れ伏している。


黒装束を着た者の死体もあった。


揺れる明かりに照らされ、人ではなく岩のようにも見える。


テラントが、二階へと続く階段を指した。


デリフィスが、無言で駆け上がっていく。


部屋は、二階に取ってあった。


それを思い出し、ユファレートもデリフィスを追いかけた。


ティアの部屋。


デリフィスがドアノブを回すが、鍵が掛かっていた。


躊躇わず蹴破るデリフィス。


ティアの姿はない。


荷物は残されていた。


暗くてわかりにくいが、部屋はきちんと片付けられていて、争った形跡はないようだ。


「ごみ箱とシーツと椅子」


それだけ言って、デリフィスは部屋を出ていった。


「え? な、なに?」


「シーツと椅子に体温が残っていないかと、ごみ箱のごみの量を見ろ」


ルーアの部屋の扉を蹴破りながら、デリフィスが補足した。


「えと……」


椅子やシーツに触れてみる。


熱が篭っていることはなかった。


ごみ箱の中は、底が見えない程度溜まっている。


それを、どう判断すればいいのか、ユファレートにはよくわからなかった。


探偵ではないのだ。


デリフィスが、戻ってくる。


「どうだ?」


「えと、シーツと椅子は冷たかった。ごみは少し」


「そうか」


そして、階段を駆け降りていく。


一階の食堂では、テラントたちが死体を調べていた。


「どうだった」


「いない。争った形跡もない。気になったことと言えば、ルーアの部屋のごみ箱が、片付けられていたくらいか」


「そか」


「そっちは?」


「短時間で、ろくに抵抗もできずに、てとこか。周りの住人が異変に気付けないくらいにな」


テラントは立ち上がると、頭を掻いた。


「くそっ! なんでわざわざ客を殺した……。デリフィス、お前なら、客が生きてたらどうする?」


「……ルーアたちの行き先を知らないか、聞くな」


「それかな。争った形跡がないってことは、ルーアたちは事前にどっか出かけてた。行き先を俺たちに知られないように、宿にいる奴を殺した」


「そんな!」


ユファレートは、自分のローブの胸の辺りを掴んだ。


「たったそれだけのために……」


テラントが、掌を見せた。


「気持ちはわかるが、それも置いておこう、ユファレート」


「ルーアたちは、どこに行ったのでしょう?」


「わからん。手掛かりがない」


テラントは、苛々しながら、歩き回った。


「捜すか?」


デリフィスの提案に、テラントは苦い顔をした。


「この広い街を、なんの手掛かりもなく、か?」


「分かれて捜せば、効率は上がるが……」


「こういうときは、一箇所にまとまっているのが、セオリーなんだがな」


「俺たちだけのことを考えると、その方が賢明ではあるが」


「でも、それだとティアたちが……」


ユファレートは、すぐにでも宿を飛び出したかった。


だが、そういう行動をとると、テラントたちに迷惑がかかる。


「……捜しにいこう」


熟考をしてから、テラントが言った。


壁に掛けられた、大まかな街の地図を見遣る。


「現在地は、街の西北西ってとこか。……よし、デリフィスは街の北、シーパルは中心を、俺は南に行く」


「……わたしは?」


「留守番」


「……わかった」


またか、と思ったが、反論はしなかった。


前回のことがある。


テラントたちは、ユファレートのことを役立たずだと、まだ思っているのだろう。


「……勘違いするなよ?」


テラントは、ユファレートの顔に指を突き付けた。


「この二ヶ月、君が何をしていたか、俺なりに見ていたつもりだ。……だから、戦力として数える」


「……え?」


少し意外な言葉に、ユファレートはきょとんとした。


「ここに、ルーアたちは戻ってくるかもしれない。『コミュニティ』の兵士がまた来る可能性だってある。ここも、重要な場所だ」


「……」


「……本音としては、女の子には安全な場所に隠れてて欲しいんだが、人数不足だしな」


「……わかった。ここは任せて」


自然と、身が引き締まるのをユファレートは感じていた。


「ルーアのことだ。事が起きているとしても、無抵抗にやられることはないだろ。必ず戦闘の痕跡は残る。それを見落とすな。特にシーパル」


「わかっていますよ」


シーパルは、緊張した面持ちで頷いた。


「魔法を使ってくれれば、僕にはわかる。だから、一番広い中央区に僕を行かせるんですよね」


「そうだ。警察には頼るなよ。『コミュニティ』のメンバーが潜り込んでいるだろうからな」


「見つけられる可能性は、かなり低いが」


「わかってる、デリフィス。いないと思ったら、宿に戻れ。遅くなっても、朝日が出る頃までには、宿に戻るつもりでいてくれ。当てはないんだ。それぞれの勘頼りになる。捜すも戻るも、戦うも逃げるも、自分の判断でしてくれ」


ちらりと、ユファレートの方へと眼をやった。


「みんな、自分の身は自分で守ってくれ」


そして、テラントたち三人は、夜の街へと散っていった。


一人になると、ユファレートは急に心細くなった。


強く頭を振る。


テラントは、戦力として数えてくれたのだ。


そして、この場を任せてくれた。


ただ待っているだけじゃ駄目だ。


できることを探さないと。


倒れている人々は、みな絶命している。


宿は三階まであった。


一泊したが、三階から客が降りてくるところは見ていない。


誰もいない可能性が高いが、何もしないよりはましだろう。


だいいち、ここでじっとして死体と時を過ごしても、頭がおかしくなりそうだ。


食堂が薄暗くて、本当に助かった。


何か物音がして、ユファレートは背筋が凍るのを感じた。


(……なに?)


呻き声のようにも聞こえる。


耳を澄ます。


食堂の奥。


従業員たちの部屋から聞こえる。


従業員といっても、中年の恰幅のいい女性と、幼い女の子しか見ていない。


(……そういえば)


今になって気付く。

その二人を、見かけない。


テラントたちも、失念していたようだ。


あれほどの男たちでも、焦りはあるということか。


ユファレートは、慎重に奥へと向かった。


自分の身は自分で守れ。

その言葉を意識しながら。


奥の部屋。

収納戸の下から、血が流れ出ている。


呻き声も、はっきりと聞こえた。


ユファレートが戸を開くと、中から二人が転がるように出てきた。


呻き声を上げていたのは、まだ五歳くらいの女の子だった。


母親らしき女性に、口を押さえられている。


女性の腹には、ナイフが刺さっていた。


意識を、完全に失っている。


それほどの傷にも拘わらず、ここで女の子を守っていたのか。


襲撃者に見つからないように、口を塞ぎ、声が出ないようにしていたのか。


意識はない。


だが、女の子の口を塞ぐ力は、とんでもなかった。


指を一本一本剥ぎ取っていかなければならなかった。


「ママが! ママが!」


女の子が、半狂乱になって叫ぶ。


あまり大声を出されるのはまずい。


まだ近くに敵がいる可能性もある。


「大丈夫。絶対助けるから、落ち着いて」


根拠はないが、ユファレートは断言した。


女性の腹からナイフを抜くと、血が溢れ出た。


すぐに、癒しの力を流し込む。


(かなり深い……でも、女の人。間に合うかも!)


回復魔法は、一般的に対象が女性の方が効果が大きいと言われている。


傷も残りにくい。


理由は定かではないが、ユファレートも女性の方が回復させやすいと思っていた。


女の子の口の周りは、女性の手の跡で、赤く腫れ上がっている。


どれだけの強い想いで、我が子を守ろうとしていたのか。


自然と、視界が滲んだ。


ユファレートは、母親のことをよく知らない。


ユファレートを産み、母は死んだ。


母の、子を想う気持ちとは、こんなにも強いものなのか。


(絶対に、助けます!)


全力で、魔力を流し込んでいく。


数分かかったが、傷は塞がり出血は治まった。


だが、これまでの失血が酷い。


かなり体力を消耗していた。


このままでは、衰弱死してしまう。


(シーパルと二人掛かりなら……!)


だが、もう随分前に宿を出ていってしまった。


大きな魔法でも打ち上げれば、異変に気付いて戻って来てくれるだろうか。


それだと、敵を呼ぶことにもならないか。


そうなったら、一人でこの母娘を守り切れるのか。


(どうしよう……どうすれば……)


自分で判断しろ。

そう言って、テラントは出ていった。


だから、自分で考えないと。


(……そうよ! 別に、身内の魔法使いじゃなくてもいい)


ユファレートは、行方不明の兄を捜していた。


ユファレート以上の魔法使いである。


何か手掛かりは得られないかと、立ち寄った街では、腕がいいという噂の魔法使いには、必ず会っていった。


この街にも、そういう魔法使いはいる。


(たしか、夫婦で魔法医を経営していた……)


「地図! 地図はない!?」


女の子は、泣きながら女性の体を揺さ振っていた。


「ママを助けるの! 地図はどこ!?」


助ける、という言葉に、女の子は反応した。


机を指す。


ユファレートは机に駆け寄ると、引き出しを開けた。


地図を取り出し、ページをめくっていく。


手に付いた女性の血で本が汚れるが、知ったことではなかった。


「どこ……どこだっけ……」


この近くだったような記憶がある。


実は軽く方向音痴なため、地図を見るのは苦手だった。


女の子の所へと戻り、本を拡げる。


「ねえ! えと……ワッツ、そうよ! ワッツってお医者さんの診療所! 病院! どこかわかる?」


「ワッツ……さんは……」


たどたどしい手つきで、女の子が地図を指でなぞっていく。


ユファレートは、女性を抱えようとした。


重い。


七十キロはあるだろう。


部屋の隅に台車を見つけた。


置いてあるいくつかの花瓶を払い除ける。


何個かは、カーペットではなく床に直接落ちて割れてしまうが、気にしている場合ではなかった。


ユファレートは苦労して、女性を台車に乗せた。


「ここ!」


女の子が、地図を指す。


利発な子だ。


自分がこれくらいの歳だった時、地図を見れただろうか。


「行こう! 絶対、ママを助けよう!」


宿に残れと、テラントには言われた。


だが、自分で判断しろとも言われた。


女性を助けるために、宿を出る。


この判断は、間違ってはいない。


自分たちのことをだけを考えるのならば、四人で一緒にいれば良かった。


そうしなかったのは、ティアたちが心配だからだ。


同じことだった。


この女性が心配だから、助けたいから、宿を出る。


この判断が、間違っているわけがなかった。

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