第9話 粉々に砕けた○○○

 闇は霧散した。


 そして、わたしの部屋の窓ガラスも、粉々に砕け、そして部屋の床に降り注いだ。


 闇を追い払った代償が窓ガラス1枚程度で済んだのだから、安いものだけれど。


「翔汰……」

「ったく、なにやってんだよ、いくあ」


 深いため息を吐いて、呆れた表情で翔太がわたしを見る。


「そんな、だって……」

「いくあになにかあっても、おれはここより先には行けないんだから。いくあがこっちに来てくれないと、おれにはいくあを助けることができないだろ」

「そんな余裕、なかったんだもの」

「……まぁ、間に合ったからよかったけどな」


 そう言って、翔汰がわたしをぎゅうっと抱き寄せる。


「あっ、ちょっと、翔汰!」

「助けてやったんだから、このくらいご褒美もらったっていいだろ」

「でも、ちょっと……」


 顔が、近すぎて困る。

 けれど近くから見る翔汰の瞳は、もうすっかりいつもの黒色に戻っていた。


 いつも、そうだ。


 本人は、自分の瞳の色が変わることに、気づいているのかな。

 訊いたことがないから、定かじゃない。


「いくあ、助けてもらったら、なんて言うんだよ?」


 瞳の色に気をとられているわたしに、翔汰が言葉を促す。


「……ありがとう」


 わたしが言うと、翔汰が満足そうに口角を上げた。


「おう」


 あどけない顔で嬉しそうに返事をすると、ぐりぐりと頭をわたしに押し付けてくる。

 そんな翔汰を押しのける気にならず、わたしはなすがままに翔汰を受け容れる。


 翔汰には気をつけなきゃいけない。

 お兄ちゃんにくどいほど言われているし、わたしもわかってる。


 でも、今、わたしを助けてくれたのは翔汰だ。

 だから、このくらい、許してあげてもいいんじゃないか、って思う。


 ぼさぼさの黒い髪の毛を、わたしは手ぐしでそっとといた。

 すると、思いのほか簡単に、髪の毛がさらさらになった。

 手触りがよくて、つい何度もなでてしまう。


 そより、と風がベランダを吹き抜ける。

 と、翔太ががばっと顔を上げた。


 おもむろに、風の吹いてきたほうを見て、鼻をくん、と上げる。


「このにおい……キか?」


 呟く翔汰の表情が、険しい。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 翔汰は軽く頭を振ると、わたしを抱く手に力をこめて、再び自分の頭を押し付ける。


 今日だけは、翔汰の気が済むまでやらせてあげようと思いながらも、翔汰の反応が心に引っ掛かっていた。


 翔汰の呟きは、小さくてよく聞きとれなかった。

 けれど、こう、聞こえたような気がした。


 このにおい……コウキか?


 と。


 お風呂に入ったわたしからは、昼間助けてもらったコウキさんのにおいは消えているはず。


 それに、そのにおいは風にのって翔汰の鼻に届いた。

 こんな時間、こんな場所にコウキさんがいるはずがない。


 それなのに、どうして――。


 心の中で、漠然とした不安が頭をもたげていた。

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