▼第一章『仄暗い水の底から』 ♯4

 宇宙空間は基本無重力であり、また真空である。

 そして真空であったならば、大気や水等を伝播して発生する音が響くことは無く、いかなる時も無音である。

 音にあふれた地球地上で誕生進化した人類は、宇宙でのグォイドとの戦いにおいて、音の無い環境に耐えきれず、わざわざ状況に合わせた人工効果音がブリッジに鳴り響くシステムを作ったほどだ。

 だがそれはあくまでブリッジ内だけの、人間の大いなるワガママで設けられた機構であり、宇宙でのグォイドとの戦いの根幹的な部分において、音を聞く鳴らすという行いの必要性は無かった。

 少なくともこれまでは……。

 だから〈じんりゅう〉はもちろん、SSDFのいかなる航宙艦にも、音を用いた索敵システムの類は装備されてはいない。

 あまりにも当然な判断であった。

 だが、今の〈じんりゅう〉船内にある機材諸々で、【インナー・オーシャン】海中内での音を用いた索敵が不可能かというと、そうでも無かった。

 艦内各所には、艦内通信用の端末が多々あり、それには応答用マイクとスピーカーが備えられている。

 艦内各所の監視カメラもまた同様だ。

 呼吸用空気の節約と火災予防等の観点から、戦闘時は船殻付近の船内各区画は真空状態にされているが、機密が維持されている限り〈じんりゅう〉艦内部すべてを呼吸用エアで満たすことも可能であり、そういった状況での艦内各部にいるクルー同士のコミュニケーションを、音声を用いて行うための装備であった。

 ケイジはそれらを利用すれば、この状況下での音による索敵が可能だと考えたのであった。

 それぞれのマイクの感度を限界まで上げれば、今は・・音の響く船外からの音を拾えるはずだからだ。

 そしてその音は、いわゆるパッシブソナーとして使えるはずであった。

 ケイジは音による索敵エコーロケーション……すなわちソナーの知識を、過去の人類同士の地球洋上で行われた戦争の歴史や、それを描いたフィクションから知っていた。

 そしてソナーによる索敵にはアクティブソナーとパッシブソナーの二種類があることも知っていた。

 積極的に音を発し、その反響から位置情報を推測するアクティブソナーは、同時に自分の存在と位置を知られる危険性がある。

 〈じんりゅう〉が今いる場所を考えれば、あまり使いたいとは思えない。

 故に、いざとなればアクティブソナーを使うことも矢房かではないが、まずはパッシブソナー……すなわちこちらからは音を発さず、聞こえてくる音のみから位置情報を探る手段の実現を優先した。

 そしてケイジのアイディアは、エクスプリカの操るヒューボによる作業と、再起動した〈じんりゅう〉メインコンピュータによる運用プログラムの構築により実行可能の見込みとなった。












「…………なんか……あんまり……良く分かんないね…………」

[…………]


 〈じんりゅう〉浮上から約45分後――


 ケイジがメインビュワーに映った映像を見ながら呟くと、エクスプリカは微かな電子音で呻いた。

 パッシブソナーシステム構築作業により、当初の予定より再潜航が遅れつつあったが、ケイジは徐々にだが焦りを克服しつつあった。

 ソナーシステム以外にも潜航前に準備していくことが必須な事項は多々あり、焦っていてはとてもこなせなかったのと同時に、もし、【ガス状巡礼天体ガスグリム】内のグォイドが〈じんりゅう〉を沈める気ならば、とっくに沈めているはずだと思いはじめたからだ。

 少なくとも、海上から見渡せる【ガス状巡礼天体ガスグリム】内の空間には、〈じんりゅう〉迎撃のために襲来してくるグォイドの影も形も観測できなかった。

 【ガス状巡礼天体ガスグリム】内のガス雲は、艦のセンサーを遮ることが分かっており、それが【ガス状巡礼天体ガスグリム】内の全容をケイジ達に教えないのと同時に、〈じんりゅう〉をグォイドから隠している可能性を、ケイジは信じ始めていた。

 そしてケイジは、より入念に再潜航の準備に注力することにした。

 まずエクスプリカからはオリジナルUVDを再起動すべきかについての判断を委ねられた。

 オリジナルUVDは、UVエネルギーの放出こそ途絶えていても、その表面の螺旋紋様は盛大に明滅しており、クルー達と【ANESYS】中だと推測されている。

 ケイジは今オリジナルUVDに下手に刺激を与えるべきではないと判断し、いつでも再起動可能なよう準備だけをさせておくに留めさせた。

 それは同時にこれからもしばらくは、〈じんりゅう〉は補助エンジンの人造UVDしか使えないことを意味していたが、ケイジはこれを許容することにした。

 そもそも身を隠す目的で潜航した状態では、オリジナルUVDは出力渦状で目立ってしまいそうにも思えたのだ。

 また再潜航後の〈じんりゅう〉の推進方法も悩みの種であった。

 先刻浮上した時のように、また海水を水素と酸素に分解のうえスラスターから噴射爆発させて進むのは、あまりにも乱暴であり、とても目立ち過ぎる。

 そこでケイジはかつて木星深深度ガス雲に潜る時に乗った〈ユピティ・ダイバー〉の推進方法を参考にすることとした。

 艦を包むUVシールド表面に、艦首から艦尾に移動するリング状のバルジ出っ張りを設け、それで海水を後方に蹴って進む方式だ。

 これならば補助エンジンのスラスターを使うよりはるかに静かに推進できるはずであった。

 問題は再潜航し、海中での移動手段を確立できたとしてどこへと向かうかであった。

 ケイジはサティとはもちろん、〈ナガラジャ〉〈ファブニル〉とも合流するつもりであったが、かといって現実的に〈じんりゅう〉がとりうる選択肢に限りがあることも、認めたくはないがよく分かったいた。

 行うべきことと出来ることに優先順位をつけ、時に諦めなければならないこともある……。と

 〈ナガラジャ〉〈ファブニル〉が墜落したと思われる方向と位置は、メインコンピュータである程度予測できており、〈じんりゅう〉はそこへ向かうという選択肢をすでに得ていた。

 だが、サティについては、合流する為の情報や手がかりが皆目見当たらなかった。

 ケイジは何も思い浮かばないまま時間を浪費するくらいであれば、すぐにでも〈ナガラジャ〉〈ファブニル〉の予測位置への移動を開始するのが論理的だと分かっていた。

 それでも、これまで幾度となく〈じんりゅう〉やケイジを救ってくれたサティを見捨てることなどしたくなかったし、なによりいてくれないと寂しくてたまらなくなりそうだった。

 だからケイジは、今ようやくメインビュワーに映り出した映像に期待し、結果として内心落胆した。







 ビュワーに映っていたのはケイジのアイディアにより、艦内各所の監視カメラ、艦内通信用のマイクから得た音データから、〈じんりゅう〉それ自体から発している音を除外し、船外から聞こえてくる音のみを収集、かつて〈じんりゅう〉が木星ガス雲に潜航する際に使用した位置情報視覚化LDVシステムに取り込んだ上で映像化しメインビュワーに投影したものであった。

 全長350m、全幅150mもある〈じんりゅう〉の端から端までに存在するマイクから収集した音データは、当然、収集した艦の位置によって差異が生じる。

 艦内各所で観測されるその際の分布から、音の発生源の位置情報や規模を三角測量的に推測しよう……というのがケイジのアイディアの原理であった。

 が…………ケイジの前に映されたのは、青い海中映像に、濃淡がうっすらとついただけの画面であった。

 当然、ケイジがその映像から、どこに何があるのかという情報などなどまったく読み取ることはできなかった。。


[採集デキタ音ソレ自体ガ茫洋トシテイル上ニ、コノ海デ聞コエル音ノ音紋でーたガマダ少ナ過ギテ、音源ノ推測ガ難シイノダ!

 水中光学観測でーたモ含メテ、今モ位置情報視覚化LDVしすてむデ映像ヲあっぷでーとシ続ケテハイルガナ…………]


 映像を見たケイジのリアクションに、エクスプリカが不愉快そうに答えた。

 要するに、この海では地球に比べて静かで音も乏しく、聞こえくる音も音源が何かという記録が無いので、音源の推測のしようが無い……とエクスプリカは言いたいらしい。

 ついでに水中から見た光学観測データも位置情報視覚化LDVシステムに加味させたが、ここの海の海水透明度は地球と同じくらいであり、やはり限界があるようだった。

 今行ったパッシブソナーの索敵結果が、実はメインビュワーに映った通りで、本当にこの海には何もないスッカラカンの状態であったが故に、音がそもそも響いておらず、存在しない音は拾うこともできずにビュワーには何も映らなかった……という可能性も無いではないのだが…………ケイジは自分の雑な記憶を元に実行したパッシブソナーが上手く機能しなかった可能性の方を疑った。。

 ケイジはただ海上に浮かんでるだけでも、普段は聞くことなどありえない風の音や波が艦を叩く音が、船殻を通して聞こえてくることから、ソナーによる索敵がもう少しうまくいくような気がしていたが、それは甘い考えだったようだ。

 だが同時に、音を使った索敵手段をなんとしても今構築しておかねば〈じんりゅう〉に未来は無いとも考えていた。

 さもなくばサティを探すことはもちろん、〈ナガラジャ〉〈ファブニル〉の墜落予測位置に行っても再合流が不可能に思えた。

 ケイジは船内マイクによる音の収集ができた時点で、すぐにサティからの声が聞こえてきはしないかと期待していたが、それは無かった。

 つまりサティは声を出せない状態でいるか、かなり遠くにいる可能性が高い。

 ケイジはサティが無事でいることは確信していたが、再合流できるかはますます不安になってきていた。

 ケイジは必死にこれまで見た潜水艦の登場するアニメや映画の類の記憶を呼び起こすことにした。

 20世紀後半以降の潜水艦全盛期では、当然音の索敵以外の手段を補助的に使っていたはずだ。

 そもそも音だけで位置情報を探ること自体、宇宙暮らしの長いケイジには想像を超えた所業であった。

 今の地球の海にも潜水艦がいないことはないはずだが、ケイジは大昔に潜水艦に乗って、命がけの戦いをしていた人間に少し呆れた。

 ケイジはふと、今メインビュワーに映る光景を見つめているうちに、何か気になるものを感じた。

 今映されているのは、〈じんりゅう〉各部のマイクで聞こえる音の方向や距離、強さを現したものだが、画面上ではなんとなくの濃淡でしか分からない。

 だがその何となくしか分からない濃淡の形状が、ケイジには〈じんりゅう〉の周囲に漂う薄く白く濁ったカーテンか何かのように見える気がしたのだ。

 ケイジはそう思った瞬間に、記憶と知識がカチリとはまったような気がした。


「エクスプリカ、赤外線センサーのレンジを最大にして、周囲の海中を見てくれ!

 そいで分かった温度分布を現状のパッシブソナー情報と合わせて、位置情報視覚化LDVシステムで映像化してくれ!」


 ケイジが叫ぶように命じると、エクスプリカは単眼カメラを明滅させながらすぐに命令を実行した。

 それからしばらくして[……ナルホド]と小さく呟いた。


[潜水艦ノ索敵方法ニ関スル諸々ヲ、うちじんりゅうのノめいんこんぴゅーたモ理解シ始メタヨウダ。

 ドウヤラ、コノ海ノ〈ジンリュウ〉周囲ニハ変音層ガアッタラシイ。

 ソレガ収集スル音ヲ偏向シ、妨ゲテイタミタイダナ]


 そうエクスプリカが説明する中、メインビュワーに映る光景が、赤外線映像とパッシブソナー映像とが合わさったものへとじわりと変化していった。

 〈じんりゅう〉の周囲に薄く微かに見えたカーテンが、明確な白く揺らぐオーロラのような壁となり、その向こうの景色を遮ってしまった。

 その壁は〈じんりゅう〉の斜め右前方から後方にかけて際限なく伸びており、当然、その向こう側の情報が得られようはずがなかった。

 艦の反対側にも距離はかなり離れているが、同種の壁が揺らめいており、少なくともその手前側には何もなく、その向こう側に何があるかは分からない状態だった。

 〈じんりゅう〉下方にも、同じく白く揺らぐ絨毯のようなものが漂っている。

 その壁は、ケイジの理解が正しければ変温層と呼ばれる〈じんりゅう〉が今いる部分とは異なる水温の海との境界であった。

 光がプリズムやレンズの類を通過する際に偏向されるように、水中を進む音もまた、温度の違う水の層を通過する際に偏向されるのだという。

 ケイジの記憶では、20世紀以降の人類同士で行われた潜水艦戦闘において、この変温層の影に隠れることで、敵のパッシブソナーを欺く戦術が使われていたはずであった。

 その現象が、今の〈じんりゅう〉のソナーによる索敵の障害となっているらしい。

 つまりこの海では音が無いのではなく、温度の違う海水の層で〈じんりゅう〉が囲まれていた結果、周囲の音が〈じんりゅう〉まで届いていないだけなのだ。


[〈ジンリュウ〉ノ両舷ヲ斜メニ挟ム水温ノ違ウ海水ノ層ハ、〈ジンリュウ〉トノ相対速度差数十のっとデ移動シテイル、言ワバ潮流ノヨウダ]


 エクスプリカが告げた。

 ケイジはこの変温層が邪魔してソナーが使えない問題の解決方法を考えるのと同時に、新たにぶつかった疑問に思考を奪われた。


 ――ってことは…………変温層潮流を生み出す温源がどっかにあるってこと? ……――


 ケイジは今さらながら、【ガス状巡礼天体ガスグリム】の内壁に存在した海【インナー・オーシャン】について、もっと興味をもつべきだったべきかもと思い始めた。 

 記憶が正しければ、地球の海に潮流が起きるのは、地球の自転による日照の変化が、そもそもの原因であったはずだ。

 赤道で暖められた海水が、極点で冷やされる云々もあったはずだが、究極的には太陽の熱が海水を潮流として動かす原動力と考えて間違いないはずだ。

 それと同じことがこの【ガス状巡礼天体ガスグリム】でもおきているとでもいうのだろうか?

 【ガス状巡礼天体ガスグリム】の内側に水が存在した経緯については、ケイジは【インナー・オーシャン】の存在を知ってからこれまでの間に、なんとなくだが分かるような気がしていた。

 ケイジが〈ウィーウィルメック〉で亡命グォイドであるアビーから聞いた話によれば、【ガス状巡礼天体ガスグリム】は優に数十億年前から宇宙を巡礼していたことになる。

 【インナー・オーシャン】の海水は、その間に【ガス状巡礼天体ガスグリム】が受け止めた星間物質なのではないだろうか。

 【ガス状巡礼天体ガスグリム】が希薄なガスの空間を通過するだけであっても、それが数十億年と続けば、海を形成するのに充分な量の水が溜まる気がしないでもない……というより、そうなるのが自然だ。

 それが液体として、【ガス状巡礼天体ガスグリム】内壁に張り付いているのはやはり不思議だが…………。

 そして液体となった水に潮流と温度差があるのは、何がしかの作用があってのことな気がしてならなかった。


[けいじヨ、ぱっしぶそなーガ使エナイ理由ハ判明シタガ、解決ハ難シイゾ……タダ一ツノ手段ヲ除イテナ]


 エクスプリカが言いたいことは、ケイジには訊かずとも分かった。

 アクティブソナーを使うしかないかもしれない。

 強力な音波を発すれば、力任せに変温層を超えて、その向こうの状況を索敵することが可能な気がした。

 変温層で音は偏向されるかもしれないが、データを蓄積すれば、コンピュータでの補正も可能なはずだ。

 それは艦首バルバスバウ内部のフレームを、ヒューボがハンマーでぶっ叩くことでピンガー《探信音》を発信するという……極めて高度に科学的な手段であったが、アクティブソナーの準備も、艦内ですでに完了している。

 当然、こちらから音波を発すれば、〈じんりゅう〉の存在をまだ気づいていないグォイドにまで盛大に宣伝することになってしまうが、リスク無しには何も前に進むことができない状況に思えた。


「…………分かったエクスプリカ……アクティブソナーを使おう……全艦、戦闘配置、急発進急速潜航に備えたうえで、ピンガー《探信音》発信用意……」


 ケイジは覚悟を決めると命じた。

 光学観測と現状のパッシブソナーで分かる範囲内では、水上も水中も艦影は無く、仮に敵艦や何がしかの危険が迫っていたとしても、時間的に対処は可能なはずと信じることにした。


[了解けいじ…………各準備完了、あくてぃぶそなー・かうんとふぁいぶデぴんがー発進スル。

 五秒前……四……三……――――!?]


 エクスプリカがカウントを最後まで続けることは無かった。

 突如ギィィ~ンという金属と金属を擦り合わせたような深いかつ甲高い音が響き渡ったからだ。














[俺ガ出シタ音ジャナイゾウッ!!]


 思わず顔を見合わせたエクスプリカが、疑われたと思ったのかそう叫んだ。

 その言葉さえも、〈じんりゅう〉のバトル・ブリッジの空気さえ震わせる勢いで響く高音に、ケイジにはよく聞こえなかった。

 その高音は間違いなく〈じんりゅう〉の外から響いているのだ。

 しかも幸か不幸か、その高音がソナー代わりとなって〈じんりゅう〉周囲に変温層を超え響き渡ったことにより、なし崩し的に〈じんりゅう〉周囲の海中の状況が分かってしまった。

 最初に届いた高音が、〈じんりゅう〉周囲にある様々な物体にぶつかり返ってきたからだ。

 ケイジは、位置情報視覚化LDVシステムが投影したメインビュワー内で、〈じんりゅう〉前方やや右・一時方向から巨大な震える壁となって届いて来た高音が、霧を晴らすかのように映像内の光景を様変わりさせ、真実の姿がさらけ出されるのを確認した。

 まずケイジはこの【インナー・オーシャン】が深度2000mほどであり、その海底がおそろしく平坦であることを知った。

 巨大な震える壁となって表現された高音が洗った海底には、凹凸がほぼ見えなかったのだ。

 まるでプールの底のようであった。

 凹凸は〈じんりゅう〉のはるか前方彼方にわずかに見えるが、直下や左右および後方には皆無に近かった。

 ただ僅かに浅い段差が、斜めの縞模様となって海底に際限無く広がっているだけだった。


[けいじ! 今ノ正体不明ノ高音ニヨリ〈ジンリュウ〉周囲ニ複数ノ動ク物体ヲ発見!

 右舷後方4時方向!]


 ケイジがエクスプリカの声に慌てて振り返ると、そこには慌てたかのように〈じんりゅう〉から遠ざかる複数の細長い黒い影が見えた。


 ――……ウナギ? ――


 ケイジにはその陰がヘビやウナギなどの生物の影にしか見えなかった。

 ケイジはその物体が一瞬サティだったら……と願ったが、その影は高音が止むと同時に、再び戻ってきた変温層の壁の彼方に逃げ去るように消え、それ以上の観察はできなかった。

 サティなら〈じんりゅう〉から逃げるはずはなく、それになによりも、今見えた物体はサティよりもはるかに巨大であった。

 全長だけなら〈じんりゅう〉と同等の巨大なウナギめいた生物らしき物体が、気づかれることなく〈じんりゅう〉のそばを泳いでいたのだ。


[けいじ、分カッテイルトハ思ウガ、今ノデ我々ノ存在ト位置モ露見シタ可能性ガアルゾ]


 エクスプリカが思い出したかのように告げた。

 今の高音の音源が何なのかは不明であったが、どちらにしろ今の高音に〈じんりゅう〉船体も衝突し、その反響によって〈じんりゅう〉が発見された可能性は危惧すべきであった。

 ケイジは次にすべきことはすぐに分かった。


「エクスプリカ、潜航しよう! 今すぐ!」

[了解! ソレガ良イ! 〈ジンリュウ〉直チニ潜航開始スル! Gきゃんせらー出力ヲまいなす20%マデ――――]


 エクスプリカもケイジと同意見だったようだ。

 だがまたしてもエクスプリカの行動は遮られた。


[何ダ……アリャァ…………]


 エクスプリカが先刻の高音時でも出さなかった驚きの声を漏らした。

 エクスプリカが何に驚いたのかはケイジにもすぐに分かった。

 エクスプリカの視線の先、まだ潜航する前の〈じんりゅう〉の海上前方やや右1時方向、遥か彼方のガス雲で隠れた【ガス状巡礼天体ガスグリム】の奥から、ガス雲を突き破り、上空から海面へと突き刺さる巨大な黒い柱が現れたのだ。

 黒い柱と表現してしまえばそれまでだが、その柱はあまりにも長大であった。

 それは人類の立てた軌道エレベーターに匹敵する規模であった。

 その頂点部分は【ガス状巡礼天体ガスグリム】の中心軸に部分を覆うガス雲に消えて見えないが、海上からそこまで5000キロはあるはずだ。 そして下方に見える柱の太さは数十キロはあるはずであった。

 それはガス雲の流れに隙間ができたが故にたまたま〈じんりゅう〉の視界に入ったのでもあったが、同時にその黒い柱自体も、〈じんりゅう〉右舷前方から左舷方向へとゆっくりとだが移動していた。

 ケイジはその巨大な黒い柱がいったい何な目的で存在するのか、当然すぐに分かるわけなかったが、瞬時に分かったこともあった。

 その黒い色と、その表面にわずかに見えたディティールから、それは間違いなくグォイド製であった。

 そしてその黒い柱を目撃した直後に、再び先刻の高音が響き出したことから、ケイジは一つの結論に至った。

 あの海上を斜めに移動する巨大な黒い柱こそが、このやかましい高音の音源なのだ……と。





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