▼第十一章 『アップ・ライジング』 ♯1


「ああぁ~…………アンタら、本当に覚悟はいいのか?」

「良くない! 良くないけれど……やるしかない!」


 ――【ザ・ウォール】西端・異星遺物到達まであと2時間――。

 ――〈びゃくりゅう〉大食堂――。


 フォセッタがやや呆気にとられて見守る中、ユリノ艦長はケイジ三曹の用意した(作戦前に食す)最後の食事をかき込みながら答えた。

 ちなみに献立は、クルーらのたってのリクエストによりトンカツとビーフシチューだった。

 フォセッタは知らなかったが、由緒正しき大戦おおいくさの前に食すべきメニューらしい。

 ようするにゲン担ぎだ。

 もちろん、ケイジ三曹がかつて振舞って好評だったという理由もある。

 ちなみにデザートには、アイスクリームがどっさり用意してあるそうだ。

 全て〈アクシヲン三世〉食糧庫にあった食材から、ケイジ三曹が調理したものだった。


「いやまぁその通りなのだが……」


 フォセッタはユリノ艦長の謎の迫力に軽く圧倒されながら、自らもシチューを急いで口に運び続けた。

 トンカツはさておき、シチューのおかわりは姉やクィンティルラ達との争奪戦に突入しかかっている。

 ぼやぼやしてはいられない。

 フォセッタはビーチでのバーベキューの時以来、自分がこんなに食い意地が張っていたことを知り驚いた。


『まぁ~フォセッタったら、普段は食事なんてめんどくさいって言ってレーションで済ましてば~っかりだったのに、こんなにはしたなくガッついちゃって……』

「うるふぁいよ! スキッパー!!」


 どことなく嬉しそうなスキッパーの言葉に、フォセッタは行儀悪く言い返した。

 フォセッタは食い意地云々というだけでは無く、ケイジ三曹の作った食事が気に入っているのかもしれないと思い始めていた。

 でなければ説明がつかない。

 あるいは、姉や他のクルー達と食事をするという行いが気に入ったのか…………こういう賑やかな食事が楽しいということに、フォセッタは初めて気づいたのかもしれなかった。


「……まったく、こんな時によくそんな食欲がわくものだ……」

「フォムフォム……妹よ……どの口が言うか……」


 それでも減らず口を叩きながら、フォセッタは同じ顔をした姉妹との会話を内心微笑ましく思っていた。

 周りではスキッパーがシチューのおかわりを注いだり、食後のコーヒーやお茶を用意している。

 常識的に考えれば、今はそれどころではないはずなのだが……。


「すべきことも、できることも全部やってはいるんでしょ? なら私たちにできることは、自分自身のコンディションを万全にすることよ。腹ごしらえとかね……」

「実際、条件付きですが、フォセッタ中佐のプラン通りフェイズ1と2は進行中です」

「その条件付きってのが問題なのだがな……」


 ユリノ艦長がナプキンで口を拭きながら言うと、サヲリ副長が続いたが、それでもフォセッタの不安は消えなかった。

 まったく不可思議なことに、約10時間前の【ANESYS】の前までは、どちらかというとフォセッタの方が自信をもってイニシアチブをとり、『【ザ・ウォール】脱出作戦』を進めていたはずだった。

 フォセッタはユリノ艦長達が「そんな無茶よ!」「不可能だわ!」などと言い出す可能性を想定し、「他に選択肢は無い」「生き残りたくば出来ることをやるしかない」「勝ち目の無い戦いなど無い、勝算ゼロなど信じない」等々の言葉をもってして説得するシミュレーションを脳内で行っていたのだが……。

 …………いたのだが、【ANESYS】後は見違えるようにバイタリティーと取り戻した〈じんりゅう〉クルーに、気が付けばフォセッタは軽く気圧されてしまっていた。

 そしてフォセッタは軽い戸惑いを覚えたまま、ユリノ艦長らと共に、【ANESYS】の結果を元にして直ちに『【ザ・ウォール】脱出作戦』の準備が再開させた。

 サティの報告から、フォセッタはケイジ三曹と共に、死んだはずのレイカ艦長の人格との再会に、ユリノ艦長達が心に傷を負ってはしないかとひやひやしたのだが、それはまったくの杞憂だった。

 むしろ【ANESYS】でのレイカ艦長との再会により、彼女らはより一層奮起したらしい。

 いったいどんな再会をしたのか知りようがないフォセッタ達には、ただ受け入れる他無かった。

 やる気がわいてきたなら良いことには違いない。

 とはいえ、悪いニュースもあった。




 まず今から約2時間後に、〈アクシヲン三世〉やSSDF航宙艦が眠るこの位置が、【ザ・ウォール】西端の異星遺物に達する。

 そしてそれとほぼ同時に、トータス母艦・グォイドとトゥルーパー超小型・グォイドが【ザ・ウォール】東方向より襲来するという【ANESYS】の予測というか予言が出た。

 フォセッタ達はこの瞬間と場所を、仮に“バニシングポイント”と呼ぶことにした。

 まったくなんてというタイミングなのだろうか! とフォセッタは一瞬天を仰いだ。

 この四年と半年、黙々と『【ザ・ウォール】脱出作戦』の準備を進めている間は何も起きなかったくせに、〈じんりゅう〉が墜落してきたと思ったら、同時多発的に【ザ・ウォール】を作った異星遺物への到達と、忌々しいあのグォイドが再び襲来してくるという。

 フォセッタはその出自の関係上、基本的に神や宗教への信仰心の類は持ち合わせてはいなかったが、この状況に対し、何かシナリオライター的な存在を感じずにはいられなかった。

 まるで仕組まれたかのようなタイミング過ぎる。

 問題は異星遺物到達とグォイドの再襲来に合わせて〈じんりゅう〉が来たのか? あるいはその逆か? であったが、今のところその判断は不可能だった。



 実は2時間後の【ザ・ウォール】西端の異星遺物への到着については、ユリノ艦長らが【ANESYS】を行うまでもなく、キャピタンの感知したテレパシーによりある程度予測されていた。

 それを事前にユリノ艦長達に言わなかったことを、フォセッタは今更のごとく後悔し、それはもう脂汗を垂らしながら彼女らに告げたのだが、ユリノ艦長らはそれを咎めるようなことはしなかった。

 キャピタンのテレパシーを根拠にした予測は、〈じんりゅう〉クルーくらいの経験値でも無ければ普通は信じられないし、それにフォセッタ中佐は予測に関係なく、すでにできうる限りの【ザ・ウォール】脱出作戦の準備を進めていてくれたから……とユリノ艦長は言った。

 ……だからとても責められはしない、とも。

 確かにフォセッタがユリノ艦長らに教えなかった理由は、あまりにも根拠が曖昧な情報だからだったが……フォセッタはそれで素直に安堵できはしなかった。

 なにしろ「じゃぁビーチで遊んでる場合じゃなかったじゃ~ん!」と言われたら、返す言葉がほぼ無いからだ。

 仮にビーチで遊ばなくとも、〈アクシヲン三世〉内の受け入れ態勢が出来ていないので、どちらにしろ『【ザ・ウォール】脱出作戦』にクルー達が寄与できることはないのだが、それを口にするのは、今のフォセッタには何故か躊躇われるようになっていたのだ。

 この約五年間の〈アクシヲン三世〉内での生活では、とうてい考えられないような急激な感情の変化だった。



 作戦の準備を始めた頃は、準備が整ったら実行すれば良いという程度の考えだった。

 しかし、この悪魔的間の悪さで起きる二つの事態に対し、『【ザ・ウォール】脱出作戦』は、クリアせねばならない重大な問題を抱えたまま、否応もなく準備から実行の時を迎えざるをえなくなっていた。

 幸い作戦準備工程の内、離陸用ロケットの準備や、UV弾頭ミサイルの積み込みなど、作業の九割が現時点で完了していた。

 が、残りの一割の遅れが致命的になりかねなかった。

 それが二つ目の悪いニュースだ。

 フェイズ1『〈じんりゅう〉の残骸から本艦へのオリジナルUVDの換装作業』が間に合わないかもしれないのだ。

 当然ながらフォセッタ達は、一週間前に〈じんりゅう〉が墜落してくるまで、『【ザ・ウォール】脱出作戦』に、〈じんりゅう〉搭載のオリジナルUVDを使おうなどとは思いもしなかった。

 故に、〈アクシヲン三世〉へのオリジナルUVD搭載の決定も準備もこの一週間で行われたことであり、他の作業に比べ圧倒的に進んでいなかったのだ。

 オリジナルUVDは、サイズ的に〈アクシヲン三世〉艦首の〈びゃくりゅう〉ユニットの主機関室に入れるしかなかったが、そこへの移送、固定、くみ出されたUVエネルギーを〈アクシヲン三世〉に行きわたらせる為のコンジット伝導管の調整等々の作業が、タイムリミットまでに終わるかは、正直なところ微妙であった。



 フォセッタはあわよくば〈じんりゅう〉クルーの【ANESYS】によって、迫りくる異星遺物のAIとやらとコンタクトして、ここへの到達を僅かでも遅らせられなしないかと思ったのだが、その試みは今のところ上手くはいっていない。

 〈びゃくりゅう〉バトルブリッジでの【ANESYS】は、あれからさらに二度行ったが、対トータス母艦・グォイドとトゥルーパー超小型・グォイド戦術が見いだせた以外の成果はなかった。

 どうやら異星遺物のAIとのコンタクトは、ある程度異星遺物に接近しないとできないようであった。

 【ザ・ウォール】は弧を描いている為、天井であるアウター《外側》ウォールの影に異星遺物が隠れて見えない間は、コンタクトが出来ないのだと【ANESYS】は分析した。

 つまり、異星遺物のAIとコンタクトできるとしたら、〈アクシヲン三世〉から異星遺物が見える位置まで接近した時から……ということになるわけなのだが、異星遺物は秒速1000キロでこちら向け移動していることを考えると、コンタクトが開始できるのは、異星遺物到達直前ということになる。

 信じがたいことだが、異星遺物は、遥か彼方で視界に入ったかと思うと、ものの数分で〈アクシヲン三世〉の位置に達するのだ。

 どう考えても余裕があるとは言えなかった。

 仮に異星遺物とのコンタクト可能レンジに入った瞬間に【ANESYS】を行い、異星遺物のAIとのコミュニケートに失敗してしまった場合、二度目のチャンスはない。

 キャピタンと違い、〈じんりゅう〉クルーの【ANESYS】は一度行うと再び実行するのに1時間かかるからだ。

 その前に確実に〈アクシヲン三世〉が飛び立てなければ、この艦はは異星遺物に飲み込まれ、【ザ・ウォール】の一部となるだろう。



 この事態に対し、事前にできることは〈びゃくりゅう〉ユニットへのオリジナルUVDの換装作業を急ぐことだけだったが、フォセッタはただキャピタンの操るヒューボ群に、少しでも早く作業が終わるよう任せることしかできなかった。

 他にどうしようもなく、生身の作業員が一人加わったところで、作業の進捗率は、生命の安全にヒューボ達が留意せねばならなくなる分、逆にわずかに遅れかねない。

 ユリノ艦長ら〈じんりゅう〉クルーも、フォセッタと動機は違えど、バニシング・ポイントまでの時間は、オリジナルUVDの換装作業の手伝いではなく、それ以外の準備にあてて過ごした。

 【ANESYS】が考えた対トータス母艦・グォイドとトゥルーパー超小型・グォイド戦術の準備や、発進後の〈アクシヲン三世〉の操舵の準備などにだ。

 しかし、ケイジ三曹だけは違った。

 というより、〈じんりゅう〉の彼女たちは、ケイジ三曹がオリジナルUVDの換装作業に加わったからこそ、安心してそれ以外のすべきことに集中しているようにフォセッタには見えた。

 ようするに、彼はユリノ艦長ら〈じんりゅう〉クルーにとても信頼されていた。

 そしてキャピタンや【ANESYS】ではなく、ケイジ三曹の出したアイディアだけが、バニシング・ポイント到達までにオリジナルUVDに換装し、使用状態にできる可能性を秘めていた……かもしれなかった。

 その為に、ケイジ三曹は自分が調理した食事を〈びゃくりゅう〉の食堂で皆ととることもなく、〈アクシヲン三世〉の船外で作業にあたっていたのである。

 フォセッタはキャピタンですら思いつかなかったケイジのアイディアに、呆れると同時に否応もなく納得し、彼の好きにさせた。

 

 ――いったい彼は何者なのか……?


 〈じんりゅう〉に残されたキルスティ・プロトコル等々の記録から、三鷹ケイジ技術三曹がいかにして〈じんりゅう〉に乗り込むに至ったか、一応のあらましは知ってはいたが、フォセッタにはそれではとうてい理解できない〈じんりゅう〉クルーとの絆のようなものを感じていた。

 フォセッタはキャピタンから常時送られてくる作業の進捗情報と共に、ケイジ三曹の動向に留意し続けずにはいられなかった。









『ケイジさ~ん! 分かっているとは思いますがぁ! 落っこちないでくださいよ~』

「わ~ってるよぉ! もし落っこちたら~! サティがキャッチしてくれよな~!」

『分かりましたぁ~! じゃぁ落っこちる時は~! 事前に教えて下さいね~!』

「そ~するよぉ~!」



 ――〈アクシヲン三世〉船体艦首上部・〈びゃくりゅう〉ユニット後部――。

 ――バニシング・ポイントまであと1時間――。



 アウター外側ウォールの上は、UVエネルギーによって疑似重力が働いてはいても真空には変わりなく、当然風が吹くこともない。

 だから無暗に大声で話さなくても問題ないはずだったのだが、地上500mという高所での作業のイメージから、ケイジはなんとなく上ずった大声でしか会話できなくなり、サティもそれにつられていた。

 もし違うシチュエーションであったならば、ケイジは〈じんりゅう〉の先祖と言える航宙艦〈びゃくりゅう〉に触れられたことに、大いに喜んでいたであろうが、今はそれどころではなかった。

 普段は宇宙空間という高いどころではない場所で作業をしているのにも関わらず、たかが500mごときで恐怖を覚えるのは不可解な気もしたのだが、疑似重力があることもあって、ケイジはこの場所での作業を買って出たことを後悔しはじめていた。

 装甲宇宙服ハードスーツ姿となったケイジは、〈びゃくりゅう〉艦尾船体左舷側船殻に設けられたラッタルに、命綱代わりのワイヤーガンを絡め、ひたすらしがみつきながら作業の進捗を見守り続けていた。

 地上500メートルの高さでむき出しで外に立つことなど、地球で生活していた頃にだって経験したことがなかった。

 サティが心配した通り、万が一ここから落下しようものなら命は無いだろう。

 全高が1キロある〈アクシヲン三世〉であったが、下半分はアウター外側ウォールに埋まっている為、これでも半分の地上500メートルで済んでいるのだが、地上で生まれ進化したが故の本能か、怖いものは怖かった。

 〈じんりゅう〉クルーの皆は、作業に行くと言った瞬間は一応心配だ、危ないなどとと言ってはくれたが、思いの他すぐに「じゃ仕方ないわね」とケイジを送り出してくれた。

 ケイジは〈じんりゅう〉クルーの信頼が、嬉しいやら切ないやらだった。


「サティ~! お前ももう登って! オリジナルUVDを中から引っ張り上げてくれ~!」

『あい~』


 ケイジの呼びかけに遥か眼下にいたサティが答えるなり、細長くなって張り付きながら、〈アクシヲン三世〉艦首を登ってきた。

 ケイジが、オリジナルUVDの換装作業時間の短縮の為に進言したアイディアとは、ようするにサティに助力を頼むということだった。

 変幻自在であり、パワーもそこそこにあり、サイズもオリジナルUVDを取り扱うのに申し分ないサティは、現状況において使わない手は無いカードだった。

 ケイジにしてみれば至極当然の選択肢だったのだが、サティをまだよく知らないキャピタンとフォセッタ中佐にとっては、思いもつかないアイディアだったようだ。

 〈じんりゅう〉クルーの【ANESYS】の方は、わざわざ進言せずとも、どうせケイジが言い出すだろうというスタンスだった。

 つまりサティに頼むというケイジのアイディアは、有効だと見なされたらしい。

 ケイジはオリジナルUVDが重ヒューボによって〈アクシヲン三世〉外殻まで搬送されると、すぐさまサティと共に船外へ出て換装作業に加わった。

 ……といってもケイジは基本ただ見守っているだけだったが。

 まずサティには、オリジナルUVDを船外から搬入すべく、〈アクシヲン三世〉を分厚く覆う霜のうち、艦首の〈びゃくりゅう〉ユニット左舷艦尾から、直下のアウター《外側》ウォールにかけてを食してもらった。

 これで分厚い霜が障害物になることを心配せずにすむ。


『う~ん、水っぽくてあんまり美味しくないんですよね~』


 とサティは述べていた。

 彼女の好みはケイ素系物質で、霜は食べても糧にはあまりならないらしい。

 ケイジとしては、障害物の除去が目的だったので、それで良しとしておいた。

 こうして出来上がった道を通らせ、オリジナルUVDを〈びゃくりゅう〉まで引き上げる作業が始まった。

 こういう時は下を見るな! と映画やアニメやらでは言われているのを思い出したが、この作業では下を見ないわけにはいかなかった。

 〈びゃくりゅう〉艦尾外部に据えられた大型クレーン二基で、ワイヤーをひっかけた水平状態のオリジナルUVDを引き上げつつ、重ヒューボで下からも押し上げる。

 無重力宇宙空間ならさして難しくもない主機関換装作業が、疑似とはいえ1G重力下ではかなりの難易度作業であった。

 しかしその作業も、邪魔な霜が無くなり、その霜を食したことでサイズを増したサティがオリジナルUVDを下から押し上げることで、いくらかの時間短縮が出来た。

 目的地の〈びゃくりゅう〉ユニットには、遠隔地で〈アクシヲン三世〉を守れるように元から分離・再合体機構があった。

 今回はその機構の一部を利用し、〈びゃくりゅう〉の船体を前方にスライドさせ、その一方で艦尾メインスラスターを後方にスライドさせておいたことにより、それらの間に、オリジナルUVDの搬入口が設けられていた。

 〈アクシヲン三世〉が【ザ・ウォール】に突入し、トータス母艦・グォイドとトゥルーパー超小型・グォイドと交戦した際に、元々搭載してあった人造UVDを投棄した経路でもある。

 そこへケイジの指示により、先に〈びゃくりゅう〉主機関室内部へと這い上がって来ていたサティが、内部から触腕を伸ばしてオリジナルUVDを引き入れた。

 巨大なオリジナルUVDの円柱が眼前を横切って船内へと納まって行く光景を、ケイジは半年前にも見たことがあったはずだが、地上500mの重力下で見るのとでは緊張感が違った。


「………よし!」


 ケイジは目先の難関の一つを乗り越えたことに、思わず片手でガッツポーズした。

 あとは内部でオリジナルUVDを固定し、各UVエネルギー伝導管コンジットを接続し、起動させるだけだ。

 作業のうち半分は、ヒューボ群が行ってくれる。

 それにこれで船内に戻ることができる……。


『あ、ケイジさ~ん!』

「なに!?」


 一刻も早く船内に戻りたかったケイジは、ひょっこり主機関室内部から触腕だけ出したサティに急に呼び止められ、上ずった声で何事か尋ねた。


『ケイジさ~ん、【ザ・ウォール】の東方向に見え始めましたぁ~!』

「見えたって何が!?」

『例の異星の遺物ですぅ~!』

「なにぃ!?」


 ケイジは一旦船内に入りかけた身体を、再びハッチから出し、その目でサティの言う【ザ・ウォール】の西方向に目を凝らした。

 【ザ・ウォール】に降り立ってから約一週間、まったく変わることが無かったはずの西方向の風景に、確かに変化が起きていた。

 これまでは、上向きの弧を描くインナー内側ウォールとアウター外側ウォールに挟まれている為、東西の景色は、薄灰色の地面であるアウター外側ウォールが緩やかに上向きの弧を描き、はるか彼方で薄灰色の天井であるインナー内側ウォールの水平の線となった境界へと消えていって見えていたはずだった。

 が、今はそのインナー内側ウォール東方向の天井との境界に、新たな水平の線が追加されていた。

 最初は白に、よく見れば鏡のような銀色であることが分かった。

 恐ろしく横に長く、恐ろしくまっすぐな水平の銀に輝くリボンが、天井のインナー内側ウォールから降下しているのだ。

 実際には秒速1000キロでこちら側が移動し、接近しているのだが、感覚的には巨大な包丁かカッターの類が、東の彼方に降下しているように見えた。

 その銀色の横長の直線こそが、異星遺物に違いなかった。

 ケイジは大慌てで装甲宇宙服ハードスーツのバイザーを下ろし、バイザー搭載のカメラを使ってさらに彼方へと目を凝らしてみた。

 だが大きさの尺度が桁違い過ぎて、すこし望遠カメラで拡大したくらいでは、見える景色にさしたる違いは無いように見えた。

 が、ケイジはその水平なリボンの下の辺から、水平かつ直線の光を放っているのが見えた気がした。

 数秒後に、それは気のせいではないと確信した。

 確認してからの僅かな合間に、水平で直線の光が輝きを増していったからだ。

 ケイジは個人ではもちろん、人類がかつて見たことのないような光景を初めて目にし、軽いめまいを覚えて危うく転落するかと思った。

 目測では彼我の距離など想像もつかないが、理屈では数百万キロの彼方にある、地球直径の数十倍の横幅をもつ人工物を見たことになるのだ。

 脳が現実を受け入れるのを拒んだ。


「ケイジより全クルーへ! 見えてますか!?」


 ケイジは悲鳴混じりに船内に問いかけた。


「ケイジより〈アクシヲン〉船内へ! 誰か――」

『副長よりケイジ三曹、こちらでも観測しました』


 ケイジが返事が無いことに焦りかけたところで、サヲリ副長の声がヘルメットに響いた。


『異星遺物は全幅約30万キロ、全高は観測できる範囲で約2キロ、前後幅は約20キロ、平たくした環状物体と思われます。

 ケイジ三曹は、オリジナルUVDの収容が済んだのであれば、ただちに船内に戻ってください!』

「了解! すぐ戻ります!」


 ケイジは副長の告げた異星遺物のスペックに驚くのは後にして、指示に従い今度こそ船内に戻ろうとした。

 異星遺物……それは観測した通りなら、ベルトの金具の一部のような、細切りにした油揚げのような、幅広輪ゴムを潰したような形状らしい。

 超巨大ベルトコンベアのような【ザ・ウォール】を生み出し、また動かしているのであれば、その形状は納得のいく姿ではあった。

 ケイジが見た水平の光は、その潰した輪ゴムの内側から放たれている光らしい。

 つまり、見えたものが確かならば、自分らのいるアウター外側ウォールは、その光の中へ飛び込んでいくことになようだ。

 自分たちが何も策をうたなければ、〈アクシヲン三世〉含む周囲の〈じんりゅう〉その他の航宙艦の残骸もまた、その光の中に飲み込まれ、分解され、【ザ・ウォール】を形成する材料へと変えられてしまうのだろう。

 ケイジは早く船内に戻ろうと思っているはずなのに、なかなかハッチを潜ることができなかった。

 恐ろしいことに、今【ザ・ウォール】西方向に見える光景は、見ている最中にも刻々と変化し、確実にこちらへと異星遺物が接近していることが目測で分かってしまったのだ。

 それは地球で言うなら風の強い日の雲のように、一見動いていないように見えて、確実に動いていた。


「ああ……チクショー!」


 ケイジは動かない脚に苛立ちながら、何とか船内へのハッチを潜ろうとした……ところで――。


『ああ、ケイジさぁ~ん!』

「今度はなにさっ!?」


 ケイジはちょっと泣きそうになりながら、呼び止めたサティに尋ねた。


『今度は【ザ・ウォール】西方向を見て下さい! 何か黒くて細い線が、こちらに向かってませんかぁ?』

「!」


 ケイジはサティに言われた方向を見ないわけにはいかなかった。

 実際に目で確認するまでもなく、ケイジは今サティが言った黒い線に心当たりがあったのだ。

 〈アクシヲン三世〉東方向……〈じんりゅう〉の残骸がある方向のはるか彼方、緩やかに弧を描いて昇っていき、天井のインナー内側ウォールの陰へと消えるアウター外側ウォールの地面と天井との境界から、サティが言う通り、細く垂直に降下してくる黒い線が見えたのだ。

 ケイジは即座にバイザーのカメラで拡大して見た。

 遠すぎて見える景色にあまり変化は無かったが、それでもケイジはその黒い線の正体を確信していた。

 あの細い線は……あれはトゥルーパー超小型・グォイドの群だ、と。




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