▼第五章 『トゥルーパーズ イン スターシップ』 ♯1
エクスプリカはようやく【ANESYS】の
――ヤハリソッチヲ選ンダノカ……
エクスプリカは【ANESYS】に抱いていた淡い期待が、脆くも砕けてしまったことを認めざるをえなかった。
【ANESYS】の選択はつまり、〈じんりゅう〉がこれまで有していた慣性速度を完全に捨てさり、来た道をほぼ引き返えそうと試みるものであった。
仮に
当然、それだけ敵が攻撃を行なえる時間も延びるのだ。
この時点で、サートゥルヌス計画は失敗し、〈じんりゅう〉は敗北したも同然であった。
このマニューバをとれば、仮に〈じんりゅう〉が【ザ・ウォール】内で無事にいられたとしても、盛大にUVエネルギーの光を発し、存在をアピールしてしまった今、敵の本拠地から来る迎撃部隊や、各迎撃拠点からの実体弾砲撃によって、袋叩きにあう可能性が極めて高い。
それを抜きにしても、インナー《内側》ウォールの壁面に現れた新種のトータス・グォイドに対し、
未知のグォイドに対し、撃破されてしまう可能性だってあった。
良いニュースは【ANESYS】を持ってしても来たりはしなかったのだ。
エクスプリカは【ANESYS】の
そして直接送られてくるデータによって、彼女からとても面倒な役割を押し付けられたことに、機械なり暗澹たる気持ちとなった。
[かおるこトけいじハ武装ノ上、艦尾側ニアルはっちニひゅーぼヲ率イテ急行!
エクスプリカは
[るじーなハ艦内ニ侵入シタ敵ノ位置情報ヲ元ニ、ひゅーぼヲこんとろーるシロ! さてぃハ遊撃要員トシテ苦戦シテイル場所ノ応援ニ向カエ! 〈じんりゅう〉ハオ前達ノ移動ガ完了次第、回頭スル!]
エクスプリカが指示を伝えた途端、ケイジ達から質問の嵐がやって来た。
[【ANESYS】ノ思考統合可能時間ハ、〈じんりゅう〉回頭直後ニ終了ノ予定ダ。ソレ以降、オ前達ハ
エクスプリカはケイジ達の問いを無視して告げた。
基本的に人類は……というよりSSDFは、グォイドとの戦いにおいて、航宙艦に白兵戦用の備えが必要になるとは想定していなかった。
何故なら、グォイドとの遭遇以来、戦闘は艦と艦とで行われるものであり、人とグォイドとが直接戦うような、いわゆる白兵戦という状況には行きあたったことが無いからだ。
当然といえば当然であり、また搭載物は可能な限り軽量コンパクトを旨とする航宙艦においては、デッドウェイトとなる装備は乗せないに越したことは無かった。
しかし、だからといって白兵戦用装備がまったく搭載されていないわけでは無い。
対テロ装備という名目で、僅かだが銃器が各航宙艦内のガンロッカーに保管されている。
同じ人によるSSDFの艦への犯罪行為が、ごく少ない例だが近年も発生しており、それに対する備えとして積まれていたのだ。
【ANESYS】はケイジ達が武装完了するまでの間、該当箇所の人工重力による慣性相殺システムの効きを良くしておいてくれたのか、ケイジは主機関室からスムーズに〈じんりゅう〉中央艦尾側の備品庫奥にあるガンロッカーまでたどり着けた。
「少佐! カオルコ少佐!」
彼女はケイジに気づくと微かに汗を浮かべた顔で、無言で頷くだけだった。
ケイジはカオルコ少佐のかつて無いシリアスな表情に、事態の深刻さを実感した。
「ケイジよ、コイツの撃ち方は知っているな?」
認証コードでロックを外し、ロッカーの中から一丁のブルパップ式アサルトライフルを取り出すなり、ケイジに突き出しながら彼女は尋ねた。
ケイジは両手でそれを受け取りながらカクカクと頷いたが、カオルコ少佐が言う「撃てる」と自分の
「撃ったことがある」には大きな隔たりがある気がしてならなかった。
確かにケイジは一度だけ、渡されたのと同じSSDF制式航宙艦用・全環境適応型アサルトライフルを撃ったことがある。
もちろん訓練での話であり、まだ宇宙に上がる前、地球重力化の屋内訓練施設での話だ。
ケイジにはもうはるか遠い昔の記憶に思えた。
SSDFへの入隊志願者は、志願すれども航宙士に適さないとみなされ、航宙艦には乗らない地上のSSDF基地保安要員などになる場合にそなえ、まず一通りのごく初歩的な対人戦闘訓練が行われる。
少なくともケイジの場合はそうであった。
本当に対人戦闘をさせるつもりの訓練というよりも、SSDFの一員として、歯車となる覚悟を確認する為の訓練だったのでは? というケイジの印象ではあったが、ともかくその時にこの型のアサルトライフルは撃った。
撃ったといっても動かない的を、射撃場でマガジン一個分撃っただけだ。
軽量・小サイズを旨とする航宙艦の備品として、トリガーグリップの後ろ側に
反動も少なく、動かない標的にであれば、ケイジでも充分弾を命中させることができた。
ケイジはこういった銃器が活躍する昔の映画は大好きだったが、自分が撃ちたいとは、あまり思ったことは無かった。
銃を撃つ状況に陥るということは、撃たれる可能性も同時に考えねばならなくなりそうだからだ。
ケイジは今持っているライフルなどで撃たれたくはない。
だが、グォイドにはもっと殺されたくは無かった、自分も他のクルーの誰かも。
対人用ライフル弾がグォイドにどれくらい通用するのかがそもそも怪しかったが、ケイジは覚悟を決めると、ライフルのレバーを引き初弾を装填した。
「少なくとも【ANESYS】が終わるまでは、わたし達で事にあたらねばならない。なんとかその時まで持ちこたえてくれ。無理無茶はしなくて良いからな、まずはヒューボに任せるんだ」
カオルコ少佐が
ケイジも彼女の行動を見て慌てて
忘れがちだが、サヲリ副長に次ぐ〈じんりゅう〉三番目の指揮官であるカオルコ少佐は、艦の保安責任者でもあり、本格的な銃器の取り扱い訓練を受けている身分であった。
この状況下で、たまたまカオルコ少佐が【ANESYS】に参加していなかったのは、ひょっとしたらかなりラッキーだったのかもしれない……カオルコ少佐のテキパキとした準備を見ながらケイジはそう思うことにした。
「時間が無い、装備が済んだらまずは所定の配置に着くことを急ごう!
わたしは右舷側に、お前は左舷側にスタンバイだ。
質問は移動しながらにでも訊いてくれ! とりあえずライフルの銃口は上に向けておけば良い、お前が撃つのは最後の手段だからな。
あとどうしても撃つ時はスーツのヘルメットをかぶることを忘れるな、発砲のうるささで鼓膜をやられるぞ」
カオルコ少佐はブルパップを背中に背負い、もう一丁ブルパップとは別の長く大きな銃を構えて全ての装備を終えるとそう言い残し、踵を返して出発しようとして「あっ!」と立ち止まり、振りかえった。
「忘れ物だ!」
カオルコ少佐はとても堂々とそう言うと、呆然と見送っていたケイジにずずいと歩み寄り、熱い抱擁をしてきた。
といっても
「…………!」
「…………こういうのもフラグになるのかな?」
フリーズしたケイジの耳元に、カオルコ少佐は囁くように訊いた。
もちろんケイジは返答どころでは無かった。
何故いまこのタイミングで、互いに分厚い
だが彼女のしっとりとした頬と自分の頬が触れ合った感触だけは、忘れないように強く心に刻んでおいた。
「…………これくらいならば抜け駆けにはなるまい!」
カオルコ少佐はケイジを突き飛ばすようにして離れながら、そう大きな一人ごとを言うと、「ではな!」と手を振って今度こそ駆け出して行ってしまった。
ケイジが再起動するまでには、若干のタイムラグを必要とした。
『ワタシはジリジリとケイジ達がショテイのイチに着くのを待った。
あと数秒で、連中がその気になれば〈ジンリュウ〉に届くキョリとなるだろう。
せめてもの救いは、敵が火器を持っていないらしいということであった。
キョウイ的な速度とキドウ性を持ってはいるが、小型すぎてUVキャノンをつめないのだろう。
お陰でまだ〈じんりゅう〉には敵の攻撃によるダメージは無い。
しかし、艦にあのムスウの黒ムシめいたグォイドが取り着いてきてしまったならば……ワタシは地球に生息してるという象をもたおすグンタイアリが、エモノに群がるところを想像した。
もちろんそんな目にはあいたくは無い。
だが、避けることはできそうに無かった。
ワタシはこれからどうあってもハンテン回頭し、
それを行なうということは、同時にコウホウに迫る
もちろんカノウなかぎり近よせないつもりではあるが、全てはさけきれないだろう…………。
なんとか
今のワタシには、あのグォイドにタイコウする力は無い。
だから、せめてワタシは、いま一度彼女からのメッセージに思いをはせた。
彼女はワタシに“ある場所”へむかえと言ってきた。
それが唯一のキボウであり、また必ずそういうことになると…………。
それじゃまるで“予言”じゃないか! ……とワタシの話を聞いたエクスプリカは言った。
まったくそのとおりだとワタシも思う。
けれどワタシは、彼女のコトバをしんじることに決めたのであった。
他にセンタクシはなく、少なくとも“ある場所”は元から向かおうケツダンしていた
ワタシが彼女達にかえったあと、ジッサイに彼女達がそこまで〈ジンリュウ〉でたどり着けるかはあやしい。
だが、今はしんじるしかなかった。
いったい彼女がいうばしょにはなにがあるというのだろうか?
さいごの時を使ってワタシはひっしに考え――
[オイ
あせるエクスプリカの声に、ワタシのシコウはゲンジツにひきもどされた。
すぐにエクスプリカを通じて、〈ジンリュウ〉ハンテン回頭のカウントダウンをケイジ達につたえる…………。
[回頭5秒前……4……3……2……1……]
ワタシはクルー達がちゃんと何かにつかまっていることを祈りながら、〈ジンリュウ〉カンシュベクタードど各シセイセイギョスラスターをクシし、カンをピッチアップ180°させるとドウジにロールさせ、イッキ反転させると、カンビのメインとサブのスラスターゼンカイでカソクさせた。
トーゼン、さっきまでコウホウだったカンシュ方向には、ワタシをにぎりつぶさんと迫る
ワタシはカイトウしながらも、〈ジンリュウ〉の全シュホウ、全レーザー砲をうちまくりつづけ、黒雲その中へとつっこんでいった。
今うてるありったけの火力で
…………しかし、ムスウの黒ムシどもをいっぴきも近よせずに、黒ムシでできたカイロウをツウカすることなどかなわなかった……。
数十ピキの
ワタシがワタシでいられるジカンは、そこでゲンカイだった。
サイゴのイッシュン、うすれゆくイシキのナカで、ワタシはカノウなカギリのジョウホウをカノジョたちへのこし―――――』
「!!」
猛烈な危機感を覚えながらユリノは【ANESYS】より覚醒した。
少ないメンツでの無理矢理な【ANESYS】の代償は、猛烈な疲労感と靄がかかったような思考となって現れた。
さらに【ANESYS】中の記憶は、ごく表層的なもので終わるはずであったのだが、震える程の恐怖が、記憶の曖昧さなど打ち消した。
あるいは
――ヤバイ! 凄くヤバイ!
その研ぎ澄まされた認識がフルスピードで思考を駆け巡った。
――いったいどこへ向かえですって!?
ユリノは一番強く刻まれている
何がどうなって、そこに行くことが最後の希望となるのか皆目わからない。
しかも、〈じんりゅう〉はそこに辿り着こうが着くまいが墜落するのだという。
“墜落”とは“沈む”という意味なのか? この〈じんりゅう〉が……ここで。
ユリノは自分の一部が出した結論でありながら、もっと親切に教えて欲しいと思わずにはいられなかった。
だが詳しい情報の伝達があろうとなかろうと、〈じんりゅう〉が刻一刻と
そのままいけば、今すぐではなくとも〈じんりゅう〉は墜落する。
そんな状況下で、
だからわざわざ反転し、
しかもその判断には、明滅しだしたオリジナルUVDからのメッセージが絡んでいるらしい。
いくらそれが〈じんりゅう〉が
ユリノは〈じんりゅう〉が回頭することで、新たに目指し始めた方向に目を凝らして見た。
メインビュワーに映る景色は、艦を回頭させたはずなのにもかかわらず、【ANESYS】前とほぼ変わらぬ上方にインナー《内側》ウォール、下方に
その眼下から緩やかに湾曲して頭上に消えていく
が、少なくとも前方には、まだ目に言える目標たりえるものは確認できなかった。
代わりに艦尾ビュワーに目を移せば、【ANESYS】前には見なかったはずのおぞましい光景が広がっていた。
黒雲となって迫る無数の
すれ違ったことで一端は引き離されたはずなのだが、逆進して再び〈じんりゅう〉に追いつかんとしている。
いったいどんな手品を使えば、そんな急激な反転加速ができるのかも大きな謎だ。
黒雲に対し、
時折、後方カメラのすぐ前を、黒光りする刃物を組み合わせてできた甲殻生物のようなものが通り過ぎるのに気づき、ユリノは戦慄した。
それこそが
そんなものに艦内に侵入されてしまったら……ユリノは考えるだけで恐ろしくなった。
――【ANESYS】よりの覚醒から約2秒後――。
ユリノが状況を確認したのとほぼ同時に、バトルブリッジにかつて聞いたことが無いようなガツンガツンという音が、主砲やレーザーの発射合成音に混じって響いた。
それは真空無音の宇宙で、クルーに状況を感覚的に伝える為にコンピュータが作った音などではない。
実際に〈じんりゅう〉の船体に、ガツンガツンと何かが衝突し、船体を振動させバトルブリッジまで響かせている音なのだ。
強いて言えばデブリが衝突した音に似ていたが、この音はデブリの衝突音と違って、音色音程の一つ一つが不気味なほどに揃っていた。
「
ユリノが想像していた通りのことを、ほぼそのままサヲリが報告した。
やはり反転直後に
それは【ANESYS】の最後に、
もちろん悪い方向にだ。
しかし事態は、
「わわッ!」
ユリノは艦が急減速したことを示す突然のGによって、激しく前につんのめり他のクルーらと共に悲鳴を上げた。
艦長席のコンソールから瞬時にエアバックが展開し、辛うじて頭部の怪我から守られた。
「フィニィどうしたの!?」
「…………艦が…………艦が何かに引っ張られてるよ艦長!」
必死に頭を上げたユリノの問いに、〈じんりゅう〉操舵士が減速Gに耐えながら辛うじてそう返答した。
これまでのグォイドとの戦いではあり得なかった現象だった。
この状況下で、一体何が〈じんりゅう〉を引っ張るというのか?
それがどういう方法によってかはユリノにはまだ分からなかったが“何者”かについてはすぐに心当たりが見付かった。
……というより、消去法で他に犯人など考えられなかった。
ユリノは反射的に艦尾ビュワーを睨んだ。
画面下方に艦尾上部格納庫が僅かに見える。
その画面左下から上方に向かって――つまり〈じんりゅう〉右舷から艦尾上方に向かって、なにか黒い歪な紐のようなものが伸びているのが見えた。
一瞬信じられなかったが、紐の正体は明らかだった。
無数の
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