♯2
――『
満天の星野にぽっかりと空いた巨大な暗孔――その中心から一本の太く、果てしなく長く、そして恐ろしいまでに真っ直ぐな光の柱が天空へ向かって伸び、瞬いたかと思うと、それはその長大さを窺わせぬ俊敏さで東西南北へと、まるで無闇に枝を振り回す幼子のように高速で震えた。
それは夜の木星の半面から、木星圏にいる残存SSDF艦艇を狙って放たれた、
SSDF木星艦隊は、ガニメデ近傍に初めて
しかし、それで木星圏の人類を殲滅したとまでは、木星内部のグォイドは考えてはいなかったようだ。
その光の柱によって、木星をとりまく小サイズの衛星、極希薄なリング状微小衛星群、無人機やプローブ、人員退去済みのステーション等が、一瞬にして消し飛ばされていく。
それによるSSDFの被害は皆無では無かったが、人命を伴った深刻な被害は今のところ出てはいなかった。
すでに民間、SSDF問わず、人間は全て大赤斑からの
だが、だからといって人類に安心することは許されない。
基本的に、UVエネルギーによる光と、その他の人為的な光によって目標を発見する現代の戦闘では、灯火管制を行い、UV推進による加減速中の光を発しない限り艦艇を発見することはできない。
僚艦による木星外からの標的位置情報を得られない木星内部のグォイドからの砲撃は、手探り的なものでしかなく、敵がいいないことを確認する為、あるいは敵がい場合、その接近を阻む為のものであった。
逆に言えば、グォイドは木星圏に人類がまだいることを、発見はできずとも疑ってはいるのだともいえる。
そして間断なく続けられるこの砲撃が、木星自体を惑星間レールガンとしたグォイド・スフィア弾発射までの時間稼ぎでもあろうことは、すでに確認するまでもない事実であった。
砲撃が続く限り、人類側の接近可能範囲は著しく制限されるからだ。
人類にとって大赤斑中心部に固定された
本来であれば、
が、人類今、は紙一重でその事態を回避し、辛うじてコールドゲームであった戦いを延長戦に持ち込むことに成功したのであった。
「各攻撃艦の移動状況はどうか?」
テューラの問いに、すぐさま返答とともにホロ
リバイアサン・グォイドによる
――〈リグ=ヴェーダ〉内
――『
|ホロ大赤斑を囲むように迫る
これは大赤斑西側から接近する艦が、いざとなれば西から東へ流れるガス潮流に乗ればすぐさま大赤斑に接近できるのに対し、他の方向から迫る艦は、ガス潮流と重力の両方に逆らいつつ接近せねばならない為だ。
標的たるリバイアサン・グォイドのいる大赤斑周囲に、タイミングを合わせてSSDF艦隊が集結する為に、大赤斑北・東・西側より進行中の艦は、予め西側進行艦隊より早めに大赤斑に接近していたのである。
「現在『
「……分かったわ」
オペレーターからの報告に、テューラはそうとだけ答えた。
もう何度繰り返された質問と返答に、問う方も答える方もうんざりしてはいたが、それでも行わずにはいられなかった。
木星表層にまだナマコ型潜雲グォイドが潜んでおり、移動中の実体弾投射艦部隊が襲われないかが懸念されていたが、事前に放っておいたプローブでもそれらは発見されず、どうやらその心配は杞憂だったらしい。
「他に新しいニュースは来てる?」
「民間人を乗せた避難船は無事カリスト背面に到達。リバイアサン・グォイドを殲滅し次第、火星圏に向け移動開始の予定」
「修理が間に合わなかった実体弾投射艦44番艦が復帰、予定通り、ガニメデにて陽動攻撃部隊に加わる為〈第一アヴァロン〉を出発しました」
「…………ふむん」
テューラは呻くように頷くと、指揮官席で脚を組み直した。
第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦時に、テューラが座った巨大劇場サイズ作の作戦指令室にくらべ、高速移動性能優先の〈リグ=ヴェーダ〉内
が、逆に言えば必要な物までの距離が離れていないということでもあり、テューラは特に不満は感じていなかった。
さらにいえば作戦範囲は木星圏だけに限定されている。
土星から地球までを描いた超巨大ホロ
テューラは
「……ですが司令、先ほども報告しました通り、外部からの観測結果によれば、木星内部でのグォイド・スフィア弾の周回加速率が予測を上回って上昇しています。誤差の範囲ではありますが……」
「……」
最後に届けられた報告に、テューラは何も答えられなかった。
答えるべき言葉など、事ここに至ってはありはしなかったからだ。
『
ホロ木星全体に目をやれば、ごくわずかではあるが、再びの赤道部が膨らみ始めているのが分かった。
それは木星赤道部直下の【ザ・トーラス】内部を、グォイド・スフィア弾が発射にむけ加速し続けた結果、その遠心力によって【ザ・トーラス】の径が押し広げられたが故であった。
最新のAIによる計算では、月の半分の質量があるというグォイド・スフィア弾が、地球まで4週間で到達できる程まで加速され、大赤斑から飛び出すという。
俄かには信じ難いことであった。
だがそれが現実となった時、人類の滅びの連鎖が始まってしまうかもしれないのだ。
強力なUVシールドに包まれ、月と同等のサイズと、月の半分の質量をもち、SSDF高速実体弾投射砲弾と同等の速度で放たれるグォイド・スフィア弾を、発射後に無害化することなど、ほぼ不可能だからだ。
そしてグォイド・スフィア弾が地球圏に到達してしまえば、あとは地球はグォイドの思うがままだった。
その結果など、テューラは知りたくは無かった。
なんとしてでもグォイド・スフィア弾の大赤斑からの発射は阻止でねばならない。
そして……テューラは同時に心配せずにはいられなかった。
――あんな速さでぶん回されていて、お前らは無事なんだろうなぁ……!
木星内部をグォイド・スフィア弾と共に同じ速度で周回しているという〈じんりゅう〉に、テューラは思いを馳せずにはいられなかった。
〈じんりゅう〉は今、その意思は無くとも高速実体弾と同質の存在になっているのだ。
「司令、まだ攻撃開始まで時間があります。今の内に最後の休憩をとられてはどうです?」
ホロ
「イジワルなことをいうな、それが出来ればとっくにそうしてるさナンバーワン」
「これは失礼しました司令」
ようやく〈ヘファイストス〉から帰って来たテューラに対し、ずっと〈リグ=ヴェーダ〉に残され続けていたテューラの副官はいささか意地が悪かった。無理も無い話であったが……。
司令官たるもの、作戦前の休養も任務の内だが、それができる人間ばかりではない。
特にこれから行われる作戦は、人類史上かつてない木星そのものを舞台とした戦闘なのだ。
「随分とまた…………面倒な役回りを仰せつかったものですね司令」
言わば他所者であるVS艦隊の司令が、木星圏で行われる人類の存亡を掛けた作戦の指揮をとることを指して副官が告げた。
「まぁな。だが考えてみれば、木星防衛艦隊〈ベル・マルドゥク〉は土星から来るグォイドに関してはプロだが、木星の内部で起こってることに関しては、ここ一週間で今や我々の方が経験値を得てしまった感があるからなぁ……木星艦隊司令部が私に任せるのも仕方ない部分はある…………それに……」
「それに……なんですか?」
「仮にこの作戦が失敗したら、人類が滅ぼされるのがほぼ確定するんだ。私らが失敗した責任を取らされる心配など無いさ、どうせそれどころじゃなくなる」
「それは……朗報ですなぁ」
副官が呆れたように答えた。
「ついでにいうと、戦場は木星でも、戦うのはほとんどが第五艦隊〈トレビシュタット〉から預かってた実体弾投射艦だからな、第四と第五、そのどっちかの艦隊司令官が指揮するよか、そのどっちでもない我々に指揮を任せた方が、互いに作戦失敗時のリスク回避になると思われたのだろうよ」
テューラは自席のコンソールに攻撃艦艇リストを呼び出すと、指でつついてスクロールさせながら続けた。
『
必然的に参加艦艇は実体弾投射艦、およびUVミサイル駆逐艦が主体とならざるを得なかった。
幸運なことに、木星圏〈第一アヴァロン〉には、第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦の序盤での超長距離実体弾砲撃戦で損傷を負ったSSDF第五艦隊・大質量高速実体弾砲艦艦隊〈トレビシュタット〉所属の実体弾投射艦が、その修理の為に多数収容されていた。
メインベルト外縁部から、土星圏より進攻中のグォイド艦隊を減速、誘導するのが彼ら〈トレビシュタット〉艦隊の実体弾投射艦の主任務ではあるが、事態を考え彼らの協力を仰ぐことにテューラは躊躇いなどしなかった。
「……で、その判断による我々の心労及び作戦失敗時のリスクは誰が負うのでしょう?」
「その時はやっぱり人類が滅ぼされるのがほぼ確定するんだ。失敗した責任を取らされる心配など無いさ、どうせそれどころじゃなくなる…………心労については、SSDF航宙士になった自点で回避不能なリスクか、もしくは人類の救世主たる醍醐味とでも思え」
「それは…………思ってもみなかった思考アプローチですなぁ」
副官は再度呆れたように答えた。
「だが良い面もあるぞ、作戦が成功すれば英雄になれる」
「私は人類滅亡の責任者だとか、人類救済の英雄だとかいう極端な立場じゃなく、ごく普通で平穏な立場を所望しますがね司令」
「まぁな」
テューラは副官に素直に同意した。
もちろん、そんな高望みが叶うことなど、当分ないであろうことを承知の上で。
リバイアサン・グォイド攻撃開始まであと三時間、それは木星の夜明けと共に開始される予定であった。
キルスティが
何か気まずそうな表情で
「すいません、お忙しいところに……」
「気にするな、私が命じたことだ」
共に〈ヘファイストス〉から〈リグ=ヴェーダ〉へと移動していたキルスティに、テューラは答えた。
『
そして救出作戦が開始されるまでの間、彼女には一つの任務を命じていた。
「で、なんのデータだったかは分かったのだろう?」
「え、ええ……まぁ、それが……」
一枚のタブレットを胸に抱いたまま、キルスティは言い淀んだ。
テューラはそのリアクションを見て、彼女を人気が無い所へ連れてきた判断が正しかったことを確信した。
〈じんりゅう〉から高速高密度音声化で送られてきたデータは、そのほとんどが解析され、『
……にも関わらず、〈じんりゅう〉から高速高密度音声化で送られてきたデータには、まだ解析不能かつ内容不明な部分が残されていた。
これ以上いったい何のデータをユリノ達は送って来たのか? それを知る為にキルスティに動いてもらっていたのだ。
「ええ~とですね、まず何故、送られてきたデータの一部が解析できなかったのかを報告しますと、一種のプロテクトがかかっていたからなんです」
キルスティはおずおずと説明を始めた。
「プロテクト? なんでまた……」
「それは……〈じんりゅう〉の【ANESYS】にでも訊かない限り分かりません、わかりませんが…………」
いきなり沸いて出て来た疑問を尋ねるテューラに、キルスティの返答の歯切れは悪かった。
「不特定多数の誰かに見られたくないデータだからってことか?」
「…………まぁそのようなものだと思われます司令。…………というより多分、おそらく、まったくもってその通りだろうと私は考えます。
このデータは、ユリノ艦長達がまったく意図してないところで【ANESYS】中にうっかり送っちゃったデータなんだと思います……これは」
「なんだそりゃ、じゃそのデータは今回の作戦には役には立たない代物なのか?」
「はい……まぁ、間違い無くそのようなものです司令」
「…………分かった……もういい加減その解析したデータとやらを見せてくれないか? プロテクトは解けたのだろう?」
テューラは痺れを切らし、手を伸ばすとキルスティからタブレットを受け取った。
そしてタブレットに映されていた画像を見て、しばし固まった。
「因みにそのプロテクトは、エクスプリカ・ダッシュ内の〈じんりゅう〉エクスプリカ由来のメモリー・デヴァイスそのもとと、クィンティルラ大尉の生態認証をキーにすることで解除ができました………できたのですが…………司令?」
「…………なにこれ?」
しばしタブレットの画面にくぎ付けになっていたテューラは、そう問いながら画面をキルスティに向けた。
「あ~…………見ての通り、例の三鷹ケイジ技術三等宙曹ですね……背景から言って、恐らく航宙士後方支援艦〈ワンダービート〉でのイベント直後に、発進する〈じんりゅう〉のメイン・ブリッジから見た〈ワンダービート〉目視観測ウイングに立つケイジ三曹の姿です」
「…………」
「これは憶測ですが、先刻の〈じんりゅう〉との通信が繋がった時に、ケイジ三曹が応答に出たのが切っ掛けで、【ANESYS】時に皆が彼のことを思わず考えてしまい、こうして彼を最後に見た思い出が高速高密度音声化されたデータとして溢れ出ちゃったのではないでしょうか……」
「…………あいつらめ……」
キルスティの説明に、テューラはやっとそれだけ声を漏らした。
タブレットの画面には、航宙艦の目視観測ウイング内から、精一杯手を振っている少年の姿の短い動画が映し出されていた。
カメラで捉えた画像では無かった。
これの画像は彼女らの記憶を画にしたものなのだ。
〈ワンダービート〉慰問時に、ユリノ達がケイジ少年と結局どのようにコンタクトしたのか、テューラは詳しくは知らなかったが、この動画がその結果なようだ。
〈じんりゅう〉と限られた時間だけ通信が繋がった際、テューラ達はその応対をケイジ少年に任せることにした。
言いだしたのはキルスティだが、許可したのはテューラだ。
そうすることが〈じんりゅう〉クルーの励みになると考えたからだ。
馬の前にニンジンを釣るそうと考えたのだと言っても良い。
なにしろ〈じんりゅう〉ロスト以来、クィンティルラとキルスティの生還と報告があったとはいえ、それまで物理的に〈じんりゅう〉の無事は確認できず、仮に無事であったとしも、木星の高温高圧の雲海の底で、どのような精神状態になっているかは想像もつかなかったのだ。
大昔の地球洋上での戦争で使われていたという潜水艦が、深海から浮上できなくなった時のクルーの精神状態を想像すれば、テューラの心配は無理も無いことであったと言えるあろう。
テューラはケイジという存在が、彼女らの心のカンフル剤になることを期待して通信に出させたのだが、少しばかり効果があり過ぎたようだ……明後日の方向に。
「あ~……あ~……で、キルスティよ、このケイジの動画データなんだが……その他の連中にも解析はできるのか?」
テューラは両のこめかみを指先で捏ねながら尋ねた。
〈じんりゅう〉から高速高密度音声化で送られてきたデータは、経由した〈ナガラジャ〉を始め、〈第一アヴァロン〉他多くのSSDF艦艇・施設でも受信している。
ケイジと〈じんりゅう〉クルーとの関係を知らない人々が、今見せられた動画を見てしまったら…………テューラは思わず頭を抱えた。
ケイジと〈じんりゅう〉との関係は、今更語るまでも無いが極秘である。
「幸いにも、〈じんりゅう〉のエクスプリカのメモリー・デヴァイスと、クィンティルラ大尉の生態認証が無い限り、このデータを他者がこの動画に変換することは不可能です。だからその心配は無用です司令」
「あ~…………良かった」
キルスティの答えに、テューラはは思わず壁に寄り掛かってぼやいた。
「【ANESYS】のアヴィティラも、変なとこで自制心があるんだな」
「詳しいことは分かりませんが、【ANESYS】のアヴィティラというものは同時発現性多重人格的なところもあるようですから、本能的欲求と自制心が同時に働くこともあるのかもしれないですね」
自分で送っておいて自分で見れないようにした【ANESYS】の理由を、キルスティ自信無さげなりに説明した。
「はぁ……まぁ世にケイジのことがバレ無いなら、とりあえず良しとするか……キルスティ、御苦労だったな……元の任務に戻ってくれ」
「はい司令…………」
テューラはなんとか精神的疲労から立ち直り告げると、キルスティは敬礼し、下がろうとして……そこで立ち止まった。
「あの司令……よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
恐る恐る尋ねるキルスティに、テューラはなるべく彼女が気兼ねしないよう朗らかに訊いた。
「私…………正しかったんでしょうか!? ……そのケイジ三曹を〈じんりゅう〉に送りこもうとするだなんて……」
キルスティは溜めこんでいたものを吐き出すように言った。
だがその問いはテューラには、すでに予想されていた質問であった。
「キルスティは今はもう、少年を送りこむべきでは無いと思ってるのか?」
「それは……自分にもわかりません……でも、もしあの男子を〈じんりゅう〉に送っても、皆が帰ってこれなかったら? って思うとわたし……もう……」
テューラは彼女がそれ以上言葉を紡ぐ前に抱き寄せてやった。
さすがにそれそれ以上喋らなくとも、キルスティの心情くらいテューラにも分かった。
それらはかつて自分も味わったことがある葛藤だったからだ。
『
「ケイジ三曹については全て私が許可したことだ。その結果の全ては私に責任がある…………だからお前は気に病むことはないぞキルスティ」
テューラはキルスティの震える背中を撫でてやりながら告げた。
ケイジ少年が〈ワンダービート〉から拉致されて以来、時折見せてきた洞察力とも発想力ともつかない有能さが、【ANESYS】のアヴィティラ《化身》の能力が
テューラはこの説を否定も肯定もしなかった。
今、『
だがキルスティはそう簡単には割り切れず、ケイジの一件を、自分で進言しておいて自分で否定したくなってしまう感情を処理できず、自分で抱え込んでしまったのかもしれない。
こうして改めて彼女を抱きしめてみると、キルスティがようやくティーンエイジャーになったばかりのまだ幼い少女であることが実感できて、テューラは軽く驚いた。
〈じんりゅう〉や人類の命運など、その小さな肩にかけるにはあまりにも重い……。
「〈じんりゅう〉は戻って来る……必ず戻って来る……紐で括って引っ張り上げてでも戻って来させるから心配するな!」
テューラは自分にも言い聞かせるかのようにキルスティの背中に語りかけた。
それは、初代〈じんりゅう〉とレイカを失った時、自分が望んでも叶わなかった願いだった。
テューラはかつて自分が味わった喪失感を、彼女に味あわせる気など無かった。
「ケイジ三曹は多少掴みどころの無い奴かもしれんが、少なくともユリノたちの心を掴んでるのは間違い無いみたいだしな……大っぴらにゃなって無いが、そういう時の〈じんりゅう〉ってのは強いんだぞぉ~」
「そういう時ぃ?」
目元を赤くしたキルスティが顔を上げた。
「ああ! ……レイカとノォバ・チーフの時とか大変だったんだぞ」
「…………」
テューラの言葉に、キルスティは曰く言い難い表情でもって答えた。
テューラはキルスティを励ますには、今一つ例えが正しくなかったかもと思った。
そして、頼むからケイジよ……あとクィンティルラよ! 〈じんりゅう〉を救ってくれ! と願わずにはいられなかった。
――〈ヘファイストス〉第4パーツ格納庫――
――『
ケイジは恐る恐る、昇電を模したコックピットハッチをノックした。
「クィンティルラ大尉、そろそろ時間です」
そう告げてしばし待と、もう一度ノックしようとしたところで、ケイジが即席で作りあげた〈ユピティ・ダイバー〉の操縦シミュレーション・マシンのハッチはプシュという圧が漏れる音と共に開いた。
「ふぅ……時間か?」
「まだ一時間ありますが、パイロットの登場許可は出てます。こっから先のシミュはモノホンの〈ユピティ・ダイバー〉のコックピットでできますよ」
HMDのついたヘルメットを”ふう”と脱ぎながら尋ねたクィンティルラ大尉にケイジは答えた。
「じゃ、シャワーを浴びるくらいの時間はあるな……ん!」
「はい?」
汗の浮かんだ顔で手を伸ばしてきたクィンティルラ大尉に、ケイジは一瞬彼女の意図が分からなかったが、すぐに彼女の手を掴んで、即席シミュレーション・マシンから引っ張り上げた。
ケイジは〈じんりゅう〉との通信が途切れてからの一日を、クィンティルラ大尉の要望により、この〈ユピティ・ダイバー〉の操縦シミュレーション・マシンを作ることに費やした。
完全ワンオフ機である〈ユピティ・ダイバー〉の操縦感覚をパイロットに掴んでおいてもらうのは確かに重要だったし、その特異な立場上、ケイジは〈ユピティ・ダイバー〉の建造の手伝いには直接参加することができなかったからという理由もある。
ケイジは〈ヘファイストス〉格納庫にあった昇電のコックピット部を利用し、エクスプリカ・ダッシュの強力で木星ガス雲内部の情報と、〈ユピティ・ダイバー〉の予測操縦感覚を内部コンピュータにインストールすることで、〈ユピティ・ダイバー〉の操縦シミュレーション・マシンとすることに成功としたのだった。
「これから降下なのに、そんなに疲れて大丈夫なんですか?」
容赦なく体重をケイジに預けて引っ張り上げられるクィンティルラ大尉に、思わずケイジは尋ねた。
脱力はしていても、彼女の身体はその小柄な見た目の通りに怖いくらいに儚く軽かった。
「安心しろい! これでもお前よか休んでる! お前がこれを作ってる間に13時間は寝てた!」
「…………さ、左様ですか」
心配した割に元気に言い返され、ケイジはクィンティルラ大尉をコックピット横のタラップに乗せながらそうとしか答えられなかった。
「それよりオレは、お前がちゃんと寝てたのかの方が心配だがな……」
「ちゃんと寝てましたよ……気絶してたとも言えるかもしんないですけど」
普段右脚の義足の痛みで不眠症なケイジは、拉致されて以来不眠不休で働き続け、操縦シミュレーション・マシンを作りあげたところでようやく疲労の限界を迎え、深い睡眠に至ることができたのだった。
それは夢も見ない程に気絶に近い睡眠だった。
ケイジはこれからとんでもなく危険な行いをしようという時に、ここ半年で一番ぐっすりと眠れた自分に苦笑した。
知らない間に自分は随分と図太くなったのかもしれない、と。
「……クィンティルラ大尉?」
タラップを降りきったところでケイジはふと、返事の返ってこない背後を振り返った。
「とりゃ!」
まるでその瞬間を待っていたかのように、クィンティルラ大尉にタラップの中段くらいから抱きつかれ、ケイジは思わず「おわぁ!」と悲鳴を上げながら、済んでのところで彼女を抱えたまま倒れずにすんだ。
「大丈夫ですか大尉!? やっぱり根を詰め過ぎて疲れちゃったんじゃ――」
「大丈夫! 大丈夫だから!」
慌てるケイジの声を遮るようにクィンティルラ大尉が告げた。
「ちょっと……つい……わざとだ! 心配するな……これは――」
「ここここここ、これはなんですって?」
首に両腕をまきつかれ、頬と頬をくっつけるようにしてVS艦隊パイロットの美少女に言われ、ケイジは鼓動が危険な程に早まるのを感じながら尋ねた。
「これは……前借りだ!」
「はい!?」
顔を彼女に向けようとしたところで頭を掴まれそれを阻止され、クィンティルラ大尉に言われた言葉に、ケイジはただ問い返すことしか出来なかった。
「詳しいことは言えない! だが〈じんりゅう〉に到着した時、オレが参加できない分の前借りなのだ! 故に、黙ってしばしこのままでいろぃ!」
「…………」
ケイジには彼女に言っていることの意味が少しも分からなかったが、とりあえずそのままの状態をキープしておくことにした。
彼女にどうせ逆らえやしないことくらい、いい加減ケイジにもよく分かっていた。
ケイジは華奢で小柄に思えて、意外と柔らかさののあるクィンティルラ大尉の感触に、ただただ思考力を奪われるのを感じた。
そして彼女もこれからの任務に対し、人並みにちゃんと緊張し、恐れている事も、その震える肩と伝わって来る鼓動から知ることができた。
ついに、いよいよ、とうとう〈じんりゅう〉に向けての木星雲海への降下が始まる。
ケイジは改めて、覚悟を決める必要性を感じた。
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