♯4

 なんだかもの凄く悪い夢を見ていた気がする。


「艦長! 艦長ってば!」

「あああ~ユリノ艦長殿~、大変申し訳無かったデス! どうかお気をしっかり!」


 暗く深い海の底へ沈んだ〈じんりゅう〉が、巨大な頭足類に襲われる夢だ。

 ユリノはさらわれたクルーを救うべく艦尾へと向かい、そこで初めてその瞳で、怪物の姿を目撃するのだ。

 艦尾格納庫内奥に隙間なく、それもうみっちりと納まったグニャグニャの肉塊を。


「おいユリノ! 目を覚ませ! 大丈夫か!?」


 だが、そういえば、この【紅き潮流クリムゾン・タイド】開始の前日にクルー達と見た潜水艦映画の一つに、深界で巨大なイカ(頭足類)に襲われる作品があった。

 つまりこの夢は、その映画を見た影響に過ぎない。

 だって航宇宙戦艦たる〈じんりゅう〉の中で、イカだのタコだのに襲われるだなんてあるわけないじゃない! はっはっはっは~っ。


「おいユリノ、なにが可笑しいのだ? おい?」


 頭上からのカオルコの呼び声と共に、身体を揺すられるのを感じた。

 ユリノは支離滅裂な思考の中で、ようやく自分が眠っていることに気づいた。

 これは全部悪い夢なのだ!

 嗚呼、どうせ夢を見るならば、姉と姪のユイとで遊ぶ夢か……さもなくば例の彼と再会する夢が見たかったのに! と軽く憤った。


「う~ん……」

「おお、目覚めたか、良かった~」


 ユリノは頭上からのカオルコの声に、後頭部に彼女のふくよかなバストの感触を覚えつつ覚醒した。

 そして、おそるおそる片目ずつ瞼を上げ…………。


「ユリノ艦長、大丈夫ですか?」


 まず必死に手を団扇替わりにして顔に風を送ってくれているフィニィにピントが合い、そして……、


「わぁ~ん! 夢じゃ無かったぁ~っ!」


 ユリノは変らず艦尾上部格納庫の奥にみっちりと詰まっている不定形な塊を見て、思わず叫んだ。


 ――確かに何か情報が欲しいとは望んだけれど!


 ユリノは憤る他無かった。

 かぶっていたはずのヘルメットはとっくに脱がされており、改めて直接その目で見るそれは、格納庫の奥側の約8割を埋めており、微妙に蠢き、震えていた。

 見ようによって”もじもじ”しているように見えないこともないかもしれない。

 それはつまり、この塊が”生きている”ということであった。

 ともかく、格納庫奥にある開放中のハッチはこの塊で塞がれている為、とりあえず減圧の心配は無さそうであった。でなければこの場のクルーはとっくに皆死んでいるはずだ。

 確かルジーナはこの塊のことをスネークイドだと言った……。

 大赤斑の直下でナマコ・グォイドとオリジナルUVDを奪い合い、何故か〈じんりゅう〉を一度ならず助けてくれた謎の生物様物体は、ヘビからイカへと姿を変えることができる。

 木星軌道エレベーターで超ダウンバーストから守ってくれた時は膜状にまで姿を変えることができたほどだ。

 ……ならば、〈じんりゅう〉の格納庫内にみっちりと収まることぐらい可能かもしれない。

 大分質量は減ってしまったようだが……。

 しかしそれが何故〈じんりゅう〉の中にいるのだ?

 驚くべきことには、その塊は、自在に体表の色さえも変えられるようだった。それこそ周囲に風景に擬態する蛸のように。

 ユリノの見ている前で、それはパン生地のような白から、スライムのような半透明、水銀のような鏡面状、カエルの卵のような曰く言い難い模様へとと落ちつきなく変化していった。

 ユリノはその姿に、何故、自分らが格納庫内にそれが存在することを今まで気づけなかったのかの謎の答が、少しだけ分かったような気がした。

 これだけ自由自在に姿形と表面の見た目を変えられるなら、監視カメラの前に、己とルジーナがいない状態の格納庫内の画を投影したのではないだろうか?

 ついさっき、見えない壁に見えたものも、あれは透明な壁があったのでは無く、ルジーナと自分を消した状態の格納庫内の画を、自分の目の前に壁状に展開した己の体表に投影させたのではないだろうか……。

 その昔、地球上での人間同士の戦争で使われていたという光学迷彩や、グォイドがSSDFの警戒を掻い潜りこの木星やケレスへ侵攻して来た時に用いた慣性ステルスのように……。


 ――…………いやそうとしか考えられないけれど、そんなことが本当に出来るだなんて……。


 ユリノは底知れぬこの塊の能力に震撼した。

 自分はさておき、サヲリやシズを欺くことが出来るなどとは、俄かには信じられなかった。


「まぁ、気持ちは分かるぞユリノ……」


 そう言う背後でユリノを抱きとめていてくれたカオルコの身体が、僅かに震えているのをユリノは感じた。

 ユリノはこの状況に驚いているのが自分だけじゃないと分かり、少しだけほっとした。


「申し訳無いのデス艦長ぉ~」

「分かったからルジーナ! 事情を話してちょうだい!」 


 ユリノはカオルコに助けられヨロヨロと立ち上がると、塊の表面中央に出来た凹みの中で相変わらず土下座したままだったルジーナに尋ねた。


「あ~それはですね、ふと医療カプセルの中で彼女の声を聞いたのが、そもそものはじまりだったのデスが…………――」


 ルジーナは問われるままに、滔々と如何にして〈じんりゅう〉艦尾上部格納庫でこのスネークイドと出会うにいたったのかを話した。

 正直、ルジーナは話上手な方では無いので、理解するには聞き手側の努力を必要としたが、どうやら、スネークイドの声をルジーナのHMDゴーグルだけが拾うことができたことが、彼女がここに来て、このスネークイドと出会った理由のようだ。


「…………で、出会ってみたら、仲良くなっちゃったわけ…………そのスネークイドさんと」

「そうなのでありますデス! ……なんかウマが合っちゃって……」

「ウマが合ったって……ルジーナったら……あなたって子は……」


 床にぺたんと座りこんだフィニィが、ルジーナの行いに呆れたように呟いた。

 ルジーナが嘘をついているとは言わないが、すぐ信じるには精神力を必要とする話だった。


「見た目はアレかもしれませんが、とっても良い子なんデスよ! 危険はありませんからご安心下さい」

「うう……ほ、ホントにぃ?」


 ルジーナはそう言うが、ああそうなの……と安心出来うるはずも無かった。

 とはいえ、今ここでユリノ達にこのスネークイドだという塊をどうこうする術は無い。下手に刺激して艦内で暴れられでもしたら、ここにいる者の命が危ない。

 できうるのはとりあえず穏便に話を聞くことだけだった。

 ユリノはガクガクと脚が震えるのを誤魔化しながら、ルジーナの話を聞の続きに耳を傾けた。


「彼女は風呂敷状態で超ダウンバーストから〈じんりゅう〉を守り、ボロボロになった後、ハッチが開いていたここ、艦尾上部格納庫に避難していたのだそうデス」


「出会った経緯は分かったルジーナ。でも、なんで彼女・・なのだ? このスネークイドには性別があるのか? それにクラウディアンんん? の13号個体とはなんだ? そもそもこいつはいったい何なのだ?」

「え~っとそれは……」

『どうがぞごがらざぎば、わだぐじにぜづめいざぜでぐだざい』


 カオルコの矢継ぎ早の問いにルジーナが言葉に詰まったところで、先ほども聞えた恐ろしげな濁声が格納庫内に響いた。


「ああ……、やっぱり喋れるんだ…………」


 控え目に言っても、雪深き山の奥深くで遭遇したイエティの呻き声みたいなその濁声に、ユリノは思わずビクリと震えあがり呟いた。

 その濁声は、明らかにこのスネークイドだという塊から発せられている。

 ユリノは認め難くも、瞬時に理解した。

 自由自在に姿形を変えられるならば、空気を振動させて、声のような音を出す人間の喉から唇にかけての構造を模すくらい可能なはずだ、と。


『ヴぁ~、ああ~、ぶぅるるるぁ~……ヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁ………ああああああ~……あ~』


 その声は発生練習のような獣の遠吠えのような声を発し繰り返すうちに、みるみる濁声からソプラノボイスへと変っていった。

 と同時に、落ちつきなく対表面の色を変えていた塊が、乳白色の状態で止まった。


『どうもすみません、ナニブン、皆さんの生きているこの環境下で声というものを出すのは生まれて初めてなもので』


 先ほどまでのモンスターホラーのような声が嘘のように澄んだ少女の声音で、彼女は喋った。


『皆さま、改めまして自己紹介させて下さい。ワタクシはクラウディアンの第13号個体。お父様はワタシのことをサティと呼びます。だから皆さまもどうかそう呼んで下さい』


 ユリノ達は絶句したっきり何も言葉を発せなかった。


『あああ、どうしましょうルジ氏! 艦長らが固まってしまいました!』

「まぁ、予想された出来事ではありますデスなぁ……っていうかサティ殿、喋れるようになったんデスのね?」

『はい、ルジ氏の発声器官を観察して再現してみたら、意外とできました!』

「ああ……左様デスか…………あ~ユリノ艦長、カオルコ殿、フィニィ殿、どうかサティ殿の話を聞いて下さい」


 目の前でルジーナとごく普通に会話するサティとやらに呆気にとられていると、そのルジーナに肩を揺さぶられ、ユリノは我に返った。


「あ……え~っと、サティさんですって?」

『はい、サーティーン13号個体だから、お父様の本当の娘さんの名前にかけてサティと名付けられたんです』

「はぁ……そのお父様というのは……」

「(艦長、作戦指揮所MCから届いた情報にあったでしょう? ドクター・スィン・ヌニエルさんですよ!)」


 ぼんやりと尋ねたユリノに、横からルジーナが囁いた。


「………ああ!」


 ユリノは思わずポンと拳の底で掌を叩いて思いだした。

 つい二時間ほど前に行った【オリジナルUVD停止・回収作戦】直前、プローブによって木星上空作戦指揮所MCから送られてきた情報に、そんな内容が含まれていた気がする。

 その情報は、結局【ANESYS】に統合した状態でしかユリノは読み取れておらず、その内容についてはぼんやりとしか覚えていなかったのだが、ルジーナはいつの間にかちゃんと目を通していたらしい。

 ユリノはルジーナに軽く感心しつつ、サティと名乗る存在に話の続きを促した。


『ああああ、でもでも……いったい何をどこからお話すれば良いのでしょう……』

「ああ、それならサティ殿、例のアレをお見せしては?」

『ああ! それは良い案ですね』


 自分で言いだしておいて悩みだしたサティに、ルジーナが何やら助言すると、サティである塊はモゴモゴと蠢いたかと思う、塊である本体から二本の触椀状のもので掴んだ全長2メートル、直径1メートルほどのカプセルのような物体を取り出し、ユリノ前にそっと置いた。


『ワタクシのお父様であるドクター・スィンが、いつの日か、SSDFの方に会う時が来た時の為に、ワタクシが何者かを説明する為に託しておいたものです』


 そう言ってサティが置いた物体は、ユリノが見る限り昇電やUV弾頭ミサイルに搭載されているUVキャパシタの一種のように見えた。

 つまり人類が作った機械だ。

 何故そんなモノを中に抱え込んでいたのか、ユリノはサティの中からそのような物が出て来ることに、猛烈な違和感を覚えずにはいられなかったが黙っておいた。

「艦長、ここを見て下さい」

 ルジーナがそう言ってカプセルの中央を指さした。

 そこには掠れた文字で〈JUPPITER・OEV・CO〉とプリントされていた。

 つまりこれはドクター・スィンのラボがあったという〈ユピテルOEVコーボ製軌道エレベーター・ファウンテン〉内にあった機材なようだ。

 そしてその文字のすぐ下には、SSDFの機材でよく見かける暗証コードを打ち込む為の入力ユニットがあった。

 このカプセル状機械が何であれ、暗証コードを打ち込むことで動くらしい。


作戦指揮所MCから送られてきた資料の中には、そのドクター・スィン殿が残したという暗証コードもあったはずではないデスかな?」


 ルジーナがユリノの顔を覗きこむようにして言った。

 ユリノは即座に艦内通信でブリッジに呼びかけた。


「サヲリ、今までの話は聞いてた?」

『はい艦長、いま暗証コードを艦長の個人携帯端末SPADに送ります』

「お願い」


 ユリノは返って来た副長の声にそう答えながら、懐から出した個人携帯端末SPADを起動させると、すでに送られてきていた暗証コードを早速入力しようとして、寸前で一旦その指を止めた。


「サヲリ……これ爆弾だったりしないわよね?」


 自分で言っておいてから、そんなことあるわけ無いとも思ったが、それでも確認せずにはいられなかった。

 即されるままに、ほいほいとこのカプセルを開けようとはしているが、中身が何かは分かっていないのだから。


『ここからスキャンした限りではその兆候はありません。いわゆるUVキャパシタの一種であるようですが、UVエネルギーを蓄える為のモノでは無く、UVキャパシタの機能を利用して、木星の強烈な電磁波と放射線から内部を守る為のカプセルなようです』


 ユリノは返って来たサヲリの声に、すでにそこまで調べていたサヲリ(とおそらくシズ)に感謝感心しほっと胸を撫で下ろすと、改めて入力ユニットの封印シールを剥がしてカバーを開け、キーパッドに暗証コードを打ち込んだ。

 サティを含め、皆が息を飲んで見守る中、暗証コードが入力されたカプセルは問題無く起動した。

 そしてユリノ達の前に、白衣を着た見知らぬ初老の男性の姿が浮かび上がった。


『あ、お父様!』


 サティがユリノ達の緊張を余所に、やや能天気に言った。


[このAIホログラムを見ているということは、どうやらワシはすでにこの世には無く、だが諸君らはそこそこ平和的に我が子供達に会えたようだな]


 その男性は安堵したようにあご髭を撫でると続けた。


[ワシはドクター・スィン・ヌニエルの人格を模したAIプログラムだ。君らが遭遇したワシがクラウディアンと名付けた存在について、君らの疑問に答える為に残されたものだ。ただし、答えられる質問は限られている。どうかワシを有効活用し、彼女たちと仲良くしてやって欲しい]


 どうやらカプセル内に納められていたのはホロエミッターであったようだ。

 カプセルの上に浮かび上がったホログラムは告げた。












「博士、あの……その……クラウディアンとは何なのですか?」

 ユリノはおそるおそる眼前に現れたホログラムに尋ねてみた。


[よろしい、まずは彼女たちクラウディアンについての概要を説明しよう。

 すでに知っていることとは思うが、ワシが地球時代に発表した論文にもある通り、ワシは進歩進化するグォイドよりも、絶対不変なるオリジナルUVDが先にこの宇宙に存在し、それが宇宙を旅している最中にグォイドの先祖にあたる何かがオリジナルUVDに付着、寄生し、共に宇宙を旅している過程で今のグォイドにまで進化したのだと考えていた]


 ドクター・スィンのホログラムが、オリジナルUVDを内包したUDO船を描いた図へと変ると、ドクターの説明に合わせ、生物の教科書に描かれた進化の過程のように、最初期のUDO船から、駆逐艦級や強攻偵察艦級やナマコ型、シードピラー型グォイドへと分岐進化して行き、まるで大樹のような図へと広がっていった。


[だが、その仮設を証明するには、最低でもまだUDOと呼ばれていた時代の最初期のオリジナルUVDを確保し、そこに付着しているであろうまだグォイドにまで進化する前の起源グォイドの一部……便宜上”起源グォイド細胞”と我々が呼んでいるものを採集し、研究する必要があった……。

 常識でいえば到底不可能な望みだ。

 太陽系に襲来したUDO船は、既に全て破壊されていたからな。

 だがそれは、ワシのその仮設に目を付けた〈ユピテルOEVコーポ〉によって、ワシが木星に建設された軌道エレベーター・ファウンテン最下部に設けられたラボに呼ばれた事によって証明する機会を得ることができた。

 すでに知っているいることとは思うが、木星の大赤斑の底には、人知れずオリジナルUVDが存在し、当時、君らが言う所の非五大国家間同盟レフト・アウト地域がそれを他の宇宙進出国家を出し抜いて回収しようと目論んでいたところであった。

 ワシは彼らのオリジナルUVD回収計画に便乗することができたわけだ]


 ホログラムが木星大赤斑のそばに聳える軌道エレベーター・ファウンテンに替わり、その際深部に設けられたラボと、その傍でゆっくりと回転しているオリジナルUVDへとズームしていった。


[ワシらは数々の困難を乗り越え、木星オリジナルUVDから、付着していた起源グォイドの一部と思われる断片の採集に成功し、そしてその培養にあたった。

 すでに知っていることとは思うが、グォイドは機械というより生物に近い存在であり、その一部でも手に入れることが出来れば、培養し、有る程度は復元できると考えられていたからだ。

 とはいえ、その試みは困難を極めた。

 我々が入手した起源グォイド細胞は、木星オリジナルUVDから発せられていた極弱いUVエネルギーを餌にして生きていたわけだが、それはワシの予想を遥かに超えて現在のグォイドからかけ離れたものであり……またピュアな存在であった。

 生物学的に例えれば、幹細胞に近いものと言えるかもしれん。

 あらゆる環境に適応し、あらゆる機能を備えるように進化する可能性を秘めた驚異の宇宙細胞であると言えた。

 だが、入手した細胞には決定的に欠けているモノがあった]


 ホログラムがドクター・スィンが採集したという起源グォイド細胞の拡大図に変り、その隣に現在のグォイドの細胞が比較用に映し出された。


[誤解を恐れずに、その欠けている何かを言葉にするならば……それは生きるバイアスと言えるかもしれん。

 恐ろしく高性能なヒューボットがあっても、プログラムが何もインストールされていなければ役に立たないように、起源グォイド細胞には、生きる為の目的が何も備わっていなかったのだ。

 起源グォイド細胞は、オリジナルUVDから発せられる極弱いUVエネルギーで餌は充分得られていたし、木星雲海の奥底の環境は、厳しくもあったが、外敵もおらず、ある意味安定していたが故に……その状況で充分満足しておったからかもしれん。

 しかし、我々は欠けていた生きる為のバイアスを、地球産生物の遺伝子情報を流用して刷り込むことによって、この問題を解決し、起源グォイド細胞の培養に成功した]


 ホログラムの起源グォイド細胞が、猛烈な勢いで分裂していった。


[もちろん、これらの行いは全て、起源グォイドの謎を解くことで、現在のグォイドに対抗する術を模索する為であった。

 が、事態は我々の目論みを超えて進行していった。

 培養した起源グォイド細胞は、予想を超えて成長し、恐れをなした〈ユピテルOEVコーポ〉により、成長なかばにしてラボから外の木星大気層へと廃棄されたのだが、起源グォイド細胞はその行為によって、かえって深々度木星大気に適応した状態でさらに成長し…………そして君らの知る姿となった。

 彼女らは木星深々度の圧力と強風に耐えられるよう、自在に肉体の形を変えられる不定形な姿をもち、木星大気内に僅かに含まれる珪素を取り込みその肉体として成長させ、オリジナルUVDから発せられるUVエネルギーを動力源にして生きる、全部で13匹の個体となった]


 成長した起源グォイド細胞が、巨大なアメーバのような不定形な塊へと成長していった。


[我々は彼女らを〈雲に住まう人〉としてクラウディアンと名付けた]


 成長し続ける起源グォイド細胞が、ユリノの見知った巨大なヘビの姿となった、木星大気内を自在に動き回ったかと思うと、イカとも傘ともつかぬ姿になり、木星大気内に含まれると言う珪素を取り込む姿となった。


[そして……すでに知っていることとは思うが、彼女らは木星に適応して現在の姿形へと成長しただけでなく、我々とコミュニケーションがとれるだけの知能を得るに至った。

 ワシがこのホログラムAIを残した最大の理由がここにある]


 ホログラムが再びドクター・スィンの姿に戻った。


[彼女らクラウディアンは、俄かには信じてもらえないかもしれんが、実に良い子に育った。

 そのパーソナリティは、良くも悪くも全てワシによる教育の結果によるものだ。

 仮に彼女らの存在が人類に仇なす時がきたならば、人類の生存の為に彼女らを殲滅せんとすることを止めてくれとは言えない…………しかし、もしこのホロを見ている諸君らがであった彼女達が、諸君らに迷惑をかけない存在であったならば、どうかそっとしておいてほしい。

 これはドクターとしてではなく、彼女らを生みだした一人の父親としてのお願いだ。

 …………頼む]


『ああ、お父様…………』


 ユリノ達が何も言えない中、驚くほど悲しげな女の子のように聞こえるサティの声だけが響いた。

 ユリノはその声を聞いて気づいてしまった。

 ドクター・スィンのホログラムは何度も”彼女ら彼女たち”と述べていた……が、クラウディアンはナマコ・グォイドとの戦いにより、今はもうサティ一人になってしまったのだ。

 そしてドクター・スィンは、作戦指揮所MCから来た資料によれば、半年前に交通事故で無くなっているらしい。

 このホログラムが届いてる時点で、父は亡くなっているであろうと彼女は言い聞かされていたのかもしれない。

 サティは今、一人ぼっちになってしまったのだ。

 彼女の悲しげな声は、そのことを自覚してしまったが故なようにユリノには聞えた。

 ユリノは徐々に、この異形の存在の中に、ごく普通の女の子の心が宿っているような気がしてきた。

 ドクター・スインのホログラムは、そこまで喋ると【クラウディアンの概要】パートが終わったのか、直立したドクター・スインの姿のまま停止した。


「ドクター・スィンよ、何故、クラウディアンのことを彼女と呼ぶのだ?」


 何も言えないでいるユリノに替わって、カオルコがホログラムに向かって尋ねた。

 確かにカオルコの問いは最もかもしれない、サティは女性の声で喋りはするが、クラウディアン自体に性別があるとは思えない。


[やはりその質問が来たか…………。

 すでに述べたように、起源グォイド細胞を培養させるにあたり、ワシは地球生物の遺伝子情報を刷り込んだ。

 その使った地球生物というのが、私の亡くなった娘の遺伝子情報だからだ。

 マッド・サイエンティストの面目躍如と言われても仕方が無い行いだとは自覚しておる。

 …………とはいえ、彼女らと話してみたなら分かると思うが、彼女らはワシの娘の遺伝子とは関係無しにとても優しい子に育ってくれた。

 もちろん人間のパーソナリティと違うところは多々あるし、その誕生の経緯から世間知らず極まりないが、それでも人間に出会ったら、なるべく敵対はするな、もし出会った人間が困っている時は、出来る範囲で助けてやれと言いつけてある。

 彼女らに出会った諸君らを、自ら進んで傷つけることは無いと保証しよう。

 諸君らが彼女に優しく接してもらえることを切に期待する]


「…………」


 ユリノはドクター・スィンのホロの言葉に、人間の子を持つ親と、何ら変わることのない切なる願いを感じた。ユイの幸せを願う今は亡き姉レイカのように……。


「博士のその亡くなられた娘さんのお名前がサティなのね?」


 ユリノはホログラムにではなく、クラウディアン第13号個体に向かって尋ねた。

 サティは『はい、そのとおりです』という答えを聞くまでもなく、ユリノは既に確信していた。

 ユリノは〈じんりゅう〉の現状打開と、惑星間レールガンを用いたグォイドの企み阻止の為のヒントを探していたのだが、ヒントどころかあらたな課題を背負うことになってしまったことに、しばらく言葉が出てこなかった。

 だが、ドクター・スィンからの願いを無碍にする気など、ユリノにはまったく沸いてこなかった。

 彼女は〈じんりゅう〉の絶体絶命のピンチを救ってくれたのだ。恩を仇で返してはVS艦隊クルーの名が廃るというものだ。

 とはいえ彼女を助けるといっても、今は〈じんりゅう〉自体の運命が風前の灯なのだが。

「あなた達があのナマコモドキと戦っていたのは、オリジナルUVDを奪われないようにする為だったわけね?」


『そうです。オリジナルUVDが無いとワタクシ達のご飯が無くなってしまいますし、それにお父様からグォイドは敵だと教わっていましたから』


 ユリノの問いに、サティは快活に答えた。


「でも……一応訊くけれど、お前さんはそのグォイドの親戚なのだろう?」

『それは確かにその通りです。お父様にもよく同じ質問を繰り返されました。ですが、ワタクシはグォイドと同じ起源を持っていても、グォイドそのものでは有りませんし、ほんの僅かかもしれませんが人間でもあります。ワタクシ自身の感覚としては親近感が沸くのは、人類と〈じんりゅう〉なのです』


 すでにその問いに対する答は考えられていたのだろうか、カオルコの踏み込んだ問いに、サティは気を悪くした気配は感じられなかった。


「それにしても…………あのような無茶までして〈じんりゅう〉を救おうなどとは……そのお仲間も失ってしまったのだろう? お前さんだって、大分小さくなってしまったのではないのか?」


 カオルコが、オリジナルUVDを巡っての戦いでナマコ型潜雲グォイドによって沈められたスネークイドと、超ダウンバーストを受けて、そのサイズが大幅に減じてしまったサティを指して言った。


『ワタクシのお姉さま達が亡くなったことについては、確かに残念でした。が、避けようと思って避けられる戦いではありませんでしたし、お姉さま方の記憶は私が保存してあります。

 ワタクシが生きている限り、お姉さま方の犠牲は無意味では無いのです

 それに何よりも……』


 サティはそこまで言うと、言葉をフェードアウトさせた。

 いかに人語を喋れども、それまでどこか浮世離れしているように感じられた彼女の言葉が、ユリノには急にごく普通の女の子に思えた。


「それに何より……なんなのだ?」


 カオルコが尋ねた。


『それに何よりあのVS艦隊の〈じんりゅう〉がやってきてくれたんですよ! 絶対に助けないわけいかないじゃないですか!?』

「はいぃ?」


 急にテンションの上がったサティの声音に、ユリノはカオルコ、フィニィと共に、思わず訊き返した。


「ああ~ユリノ艦長、カオルコ少佐にフィニィ殿……サティ殿は、お父上が人類社会の現状の教育をする為の教材にアニメ『ヴィルギニー・スターズ』をお使いになられてですね……その……控え目に申しあげましても……VS艦隊の大々ファンなのでありますデス」


 ユリノ達の会話を見守っていたルジーナが、さも申し訳なさそうに告げた。

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