▼第六章  『紅き潮流』 

♯1

 木星の縞模様が裸眼で見える距離になって既に三日が経っていたが、それでもなお木星圏SSDFガニメデ基地への到着には至っていなかった。

 木星があまりにも巨大すぎて、遠くからでも見え過ぎてしまうが故の現象であった。

 そして自分達が乗っているこのSSDF汎用航宙士支援艦〈ワンダービート〉が、おそろしく鈍速であるからという事情もある。

 慰問イベントに来た〈じんりゅう〉が、木星にグォイド現るの報を受け慌ただしく出立してから三日――ようやく減速行程に入った〈ワンダービート〉は、それでもまだ、木星到着までさらに五日を必要としていた。

 〈じんりゅう〉クルーによる慰問イベント以来、何故か右脚の調子が良くなり、装甲宇宙服ハードスーツを着ての船外作業もこなせるようになっていたケイジは、木星圏到達を前に〈ワンダービート〉の外殻の上でのリハビリを兼ねた目視点検の任にあたっていた。


「あ~あ、このポンコツ艦のノロマっぷりにも参ったもんだよな~」


 飽きもせずに同じセリフを繰り返したのは、バディを組んで共に作業にあたっていたテヴィリス二曹だった。

 ケイジより三歳年上のこの陽気な黒人青年は、ケイジにとって〈ワンダービート〉内での数少ない友人と呼べる人間だ。


「積んでるUVDが旧式の中古品なんだもの、仕方無いよ。ロクなUVDは全部、グォイドと面と向かって戦う艦に回してるんだから」


 ケイジはバディのぼやきに律儀に返しながら、個人携帯端末SPADを使って〈ワンダービート〉艦尾エンジン部の点検を続けた。

 補修事態はすでにヒューボット達が終えているはずだが、その作業の確認は生身の人間が行わなければならない……少なくとも航宙士のリハビリと訓練の為の艦である〈ワンダービート〉ではそうせねばならなかった。

 さらにいえば、木星はその高重力やガス流もさることながら、強力な電磁波と放射線を発していることでも特徴的な惑星だ。

 その電磁波と放射線は、人体に有害というには生易しいレベルであり、航宙艦が木星へ近づくには、まずそれらからクルーを守る必要がある。

 もし耐電磁波及び放射線対策無しで木星圏に入ってしまえば、クルーはグォイドと戦うまでもなく、かなり惨い死を迎えることになってしまう。

 具体的に言えば、航宙艦の中が巨大な電子レンジ状態になるという。

 ケイジは第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦の直前、SSDFガニメデ基地に召集された時は、木星圏で耐電磁波及び放射線対策を怠った航宙艦のクルーが、どんな目にあったかをベテラン航宙士に怪談替わりによく聞かされたものだった。

 曰く航宙艦は無傷なのに中のクルーが蒸発していた……いや消炭になっていた……いや溶けていた……とそんな具合の話だ。

 幸い、現在はUVシールドでそれら電磁波も放射線もほぼ完璧に遮断することが可能になっていた。が、この〈ワンダービート〉はUVテクノロジー獲得黎明期に建造された老朽管であり、搭載UVDは旧型で出力も弱く、信頼性はかなり低い。

 ケイジ達は木星圏到達前に、艦の旧式UVDを総点検し、確実に作動しUVシールドが展開できるようにしているのだった。


「だけどよ~、このままじゃ木星のドンパチに間に合わないじゃんか~! せっかく全快したオレが華麗にVS艦隊のベッピンさん達と共に戦えるチャンスだったのによっ」

「なに、テヴィー二曹そんなにまた戦場に行きたいの?」

「少し違う! オレはただ〈じんりゅう〉のクルーのおそばにいたいだけなのっ!」

「…………なんて不純な……」


 テヴィリスが冗談で言っていることを祈りながら、ケイジは一応ツッコミを兼ねて反応しておいてた。


「お前さんは愚かにも〈じんりゅう〉クルーと握手してないから、そんな淡泊なことが言えるんだよ。オレちょっと感動しちゃったもん、ユリノ艦長なんか握手した時めっちゃ瞳を潤ませてさ、オレのこと見つめてくれたんだぜ!」

「あれ、テヴィー二曹ってユリノ艦長押しだったっけ?」

「いや! オレは断然おシズ様押しだね! でも握手の時は何故かめっちゃ睨まれたんだよね……オレ何かマズったんだろうか……」


 ケイジは内心――知らんがなロリコンめ! ――と思ったが黙っておいた。

 確かにおシズの愛称をもつ〈じんりゅう〉のゴスロリクルーのファンになる気持ちも、分からなくは無かったけれど、大っぴらに発言する勇気は無い。

 あの〈じんりゅう〉クルーの訪問によるフィーバーが過ぎ、〈ワンダービート〉内は、ようやくその熱が治まってきた頃だった。

 普段は『心なんていらない』はモットーとしているケイジでさえも、彼女らを迎える熱気にあてられたのか、エンジニア技術を活かし、〈じんりゅう焼き〉をはじめとした航宙艦〈じんりゅう〉のシルエットを模したタイ焼きやプチカステラもどきなどの金型を。艦内の3Dプリンタを駆使して作り上げ、少しだが売り子をやったり、巨大模型〈じんりゅう〉を組み上げ飾ったりして参加した。

 が、なぜか彼女らとの握手会自体には参加しなかった。

 元々あまり人混みが好きじゃないという性格もあったかもしれないし、今の傷の癒えていない姿を見せたくないという事情もあった。

 が、一番の理由は、何か実際に会って握手してしまうのが怖かったのだ。

 もし会ってしまえば、まるで昔からの知り合いみたいな馴れ馴れしい態度をとってしまいそうで、それが怖かった。

 なかでも〈通信士〉の柳瀬ミユミは、ケイジの記憶が正しければ……いや間違いなく、彼女はケイジの幼なじみの少女であった。

 ケイジは驚いた。

 半年前に〈ワンダービート〉で目覚めてみると、かつての幼なじみが様々な衣装で撮影されたホロ・トレーディングカードになっていて、艦内のいたるところで彼女のホロ・グラビアを見かけて驚いた……が、一番驚いたのはそこでは無かった。

 自分がかつての幼なじみが成長してVS艦隊〈じんりゅう〉の通信使士になっていることに、さほど驚かなかった・・・・・・・・・ことに驚いたのだ。

 普通の感覚で言えば――例えばテヴィリス二曹あたりであれば、それはもう驚き大騒ぎしてそうな出来事であるにも関わらずにだ。

 ケイジは自分でそのことが解せなかった。

 〈ワンダービート〉に運ばれる前、第五次迎撃戦の頃にすでに知っていたから……という可能性もあるが、ケイジにはよく分からなかった。

 それが恐怖となって、彼女らと面と向かって握手することができなかったのだ。


 ――やはり失われた記憶があるんじゃ……――。


 ケイジは目覚めて以来覚える記憶の違和感に、またしても襲われた。

 そして失われた記憶に〈じんりゅう〉が関係しているような気がしてならなかった。

 カウンセラー・ヒューボにも、生身のドクターにも相談は何度もしているが、第五次迎撃戦で乗艦していたデヴォンシャーⅣ級ミサイル駆逐艦が沈められてから、ここ〈ワンダービート〉で目覚めるまでの任務記録が存在しないことから、単なる気のせい診断されてしまっている。

 ケイジはカルテ上では記憶欠落を訴えている正常記憶患者とされてしまっていた。

 ケイジはその医者の判断に、表面上はただ頷く他無かった。

  







「あ~少しでも良いから彼女らの御傍にいさせて欲しいわ~」


 ケイジの心中を知ってか知らずか、テヴィリスが性懲りも無くまたぼやいた。


「俺、リハビリが終わって〈ワンダービート〉を出たら、〈斗南〉の第八艦隊〈じんりゅう〉整備科への転属を希望するんだ……」

「あなた技術科じゃなくて火器管制科要員じゃんか……」


 ケイジの指摘を無視してテヴィリスは続けた。


「――そいで、〈じんりゅう〉大浴場の整備のついでにそこのお湯を失敬するわけよ」

「なんでまた……」

「これを百倍に薄めてペットボトルに入れて、〈VS艦隊クルーの使った湯〉として一本500エンでネットで売りさばけば、そりゃもうがっぽがっぽと…………」

「そんな事ばかり言っていて、嫁さんの耳に入っても知らないよ~」

「げ! それは勘弁!」


 心底蔑むようなケイジの指摘に、この若さですでに故郷に妻子を残しているというテヴィリスは、割と本気で怯えながらそう言って、装甲宇宙服ハードスーツの無線がローカルになっていることを確認した。

 テヴィリス・カークウェル二等宙曹十九歳。ケイジより二周りは大きな体躯の持ち主で担当セクションは火器管制科だ。

 彼は〈ワンダービート〉で目覚めたケイジの元に、医療関係者以外で真っ先に駆けつけてくれた人物だった。

 何故なら彼が、ケイジが乗艦し、戦闘で爆沈してケイジ以外全員死亡したと思われていたデヴォンシャーⅣ級ミサイル駆逐艦のクルー……つまりケイジの同僚だったからだ。

 ケイジは彼と再会して初めて知ったことであったが、ケイジらが乗ったデヴォンシャーⅣ級ミサイル駆逐艦は、確かに爆沈はしたものの、ケイジ以外のクルーも全員生還していたのだった。

 ボーン・フィッシュのあだ名を持ち、艦首と艦尾の間が魚の骨のようなフレームで繋がれ、そこに対艦UV弾頭ミサイル・キャニスターが多数備え付けられた構造を持つデヴォンシャーⅣ級ミサイル駆逐艦は、その特徴的な構造により、主機関部が敵の攻撃で爆発しても、艦首ブリッジ部は破壊から逃れ、それ自体が救命ポッド替わりとなり、乗員の生還率を上げることができるのだ。

 テヴィリス含む残りのクルー達も、この船体構造が幸いして、全員生還することができたのであった。

 逆に艦尾補助エンジンナセル内にいたケイジの方が、生き残ったクルー達には死んだものと思われ悲しまれていたと、ケイジはテヴィリスに再会して初めて知った。

 だが生き残ったテヴィリスも、爆発時の衝撃でシェイクされたブリッジ内で、隔壁に激突して腰椎骨折等の大怪我を負い、こうして〈ワンダービート〉で治療中だったのだ。

 半年間の治療とリハビリで、テヴィリスとケイジは協力しあい、なんとか船外作業ができるまでになっていた。

 初めて配属されたデヴォンシャーⅣ級ミサイル駆逐艦で出会った頃は、火器科要員二曹であるテヴィリスと、技術科三曹のケイジとでは、階級も担当セクションも違う為に任務以外ではまったく会話をしなかった。

 が、こうして死線を潜り抜けて再会した今は、階級やセクションの違いなど些細なことだと思えるようになっていたのだ。

 テヴィリスも初対面の頃は、第五次迎撃戦を前にピリピリした性格だったが、それを乗り越え身体の治療もほぼなった今は、能天気と言っても良い程の明るい性格になっていた。

 それは基本的に人付き合いの苦手なケイジにとって、ありがたいことであった。


「だけどさケイジボーイ、やっぱ気になるぜ。グォイドは木星なんぞに何の用があるってんだ?」

「それが分かれば苦労しないし、たとえ分かっても俺達にゃ関係ない話だよきっと」


 ケイジはそう答えたが、木星へと先行した〈じんりゅう〉が、一体どんな状況になっているのかは、ケイジにも興味がある事ではあった。

 が、ケイジは航宙艦エンジニアとして、この〈ワンダービート〉が戦闘に間に合わないことも、自分一人が戦闘に加わったところで大して役に立てないことも重々承知していたので、テヴィリスのようには思えなかった。

 〈ワンダービート〉はつい昨日、ようやく艦尾を進行方向に向け、減速噴射を開始したばかりなのだ。

 どう考えても〈ワンダービート〉やそのクルーが、戦闘に間に合うとは思えなかった。

 そして……ケイジはやはり彼方へと去ってしまった〈じんりゅう〉の動向へと、思いをはせずにはいられないのであった。

 新型のグォイドに勝てたかはもちろん、オリジナルUVDはちゃんと問題無く稼働しているだろうか? クルー達はちゃんとしたご飯を食べられているだろうか? と。


「〈じんりゅう〉といえばさケイジボーイ」

「なにさ?」

「この船に〈じんりゅう〉が接舷したのって、この間のが初めてじゃないらしいぜ」

「んん?」


 もっと下らない事を言い出すと思っていたケイジは、意外と興味深い話題に個人携帯端末SPADから顔を上げた。


「……おや興味あるかいケイジボーイ」

「良いから話しなさいってば」


 ケイジは図星を指されたことを気にするのも忘れ、話の続きを即した。


「ふむ、あ~おっほん。なんでも半年前の例のケレス沖会戦が終わった直後の頃の話らしいぜ。ボロンボロンの〈じんりゅう〉がこの〈ワンダービート〉に突然やってきて、重体の患者一人を預けて、さっさと去っていってしまったって事があるんだそうな」

「ふ~ん、それだけ?」

「オレが聞いたのはな。つまりその話がホントならば、この艦には少なからず〈じんりゅう〉で過ごしたことのある怪我人が乗っているかもしれないわけだよ君ぃ……あの男子禁制の乙女の園たる〈じんりゅう〉に!」

「はぁ~そですか」


 別に他の何かを期待したわけでも無いが、ケイジはテヴィリスの話には大して興味がそそわれなかった。

 第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦の後というのは、大勢の怪我人がSSDFの航宙艦に運ばれてはひっきりなしにこの〈ワンダービート〉に運ばれていた頃だろう。

 〈じんりゅう〉だっていかに男子禁制といえども、怪我をした航宙士を見つけたなら救助したないわけ無いだろうし、状況的にその可能性が高そうだ。

 そんな大騒ぎするほどの話題じゃ無い。

 重体であったならば、たとえ〈じんりゅう〉の中に足を踏み入れたとしても、乙女の園とやらを満喫することもでき無さそうだ。

 そもそも、その運ばれた怪我人が男性じゃなく女性航宙士だった可能性もあるだろうに。

 ケイジは再び個人携帯端末SPADに視線を戻そうとした。


「まぁ、最後まで聞けってケイジボーイ。この話には続きがあって、一体どこの誰が〈じんりゅう〉から運ばれた航宙士なのかを、ここの医療管理コンピュータにアクセスして調べようとした奴がいるんだよ」

「はいはいそれで?」

「該当者は見つけられなかったんだそうな。あやふやなデータが多過ぎて……当時はまだ迎撃戦直後で〈ワンダービート〉も混乱していたからな~もろもろ記録が杜撰だったんだな」

「なんか最初から最後までハッキリしない話だね。〈ワンダービート〉七不思議にでも加えたらいいんじゃないの?」


 ケイジは、病院船も兼ねる〈ワンダービート〉につきものの、怪談系噂話を連想してテヴィリスに答えた。その内、その噂の怪我人は死んだ事にされて幽霊となって現れる話に変容していくに違い無いと。

 人が死ぬ限り、宇宙でもそういう話が絶えることは無かった。


「噂とはそういうもんだろ三曹? それに可能性が残されていた方がロマンがあるってもんさ。あ~噂と言えば!」

「まだ何かあるの?」

「こないだのイベントの時に目撃された例の超美人看護婦の話さ!」

「……」


 ケイジはその噂話には心あたりがあった。それも激しく。


「俺もそれっぽい看護婦見かけたんだよ。でもさ、あの日以来、誰もその美人さんに出会えた奴がいなくってさ~」

「ふ、ふ~ん……そなんだ」


 ケイジは務めて気の無い相槌をうった。

 〈ワンダービート〉内には女性航宙士も多数いたが、それでも男性航宙士が大半を占める艦内では、そうした話題はすぐに広まる。

 テヴィリスが言っている美人看護婦というのは、やはりあの日、目視観測ウイングで会った人のことだろう。

 その時の出来事について、ケイジは特に口を噤まねばならない事情は無かった……はずなのだが、何故か口外する気になれなかった。


「生身の看護師名簿にアクセスしてもそれっぽい人が見付からないもんだからよ、目撃者の見た場所と時間の情報を集めて、該当する艦内監視カメラの記録映像に映ってないか確認した奴がいるんだそうな……」

「……なんたる執念なんだ……それで、映ってたの?」

「それが、映ってたっちゃ~映ってたんだが、ことごとく顔が判別できる映像じゃ無かったんだそうな……他の人影で隠れてたり、ぼやけてたりで」

「は、ははは」


 ケイジはテヴィリスの話の顛末に、なぜかホッとしながら愛想笑いした。


「それでまた、この艦で昔亡くなった看護婦の幽霊なんじゃ無いかって噂になってだなぁ――」


 テヴィリスは半ばケイジの予想通りのことを滔々と語り続けていたが、ケイジは聞き流していた。替わりにあの日であった銀髪の看護婦のことを思い出していた。

 あの人は間違いなく幽霊などではない生身の人間だった。幽霊に脚の悪い人間が肩を貸してもらえるとは思えない……。

 あの人はなぜ、あそこに現れたのだろう? 今にして思えば、自分のように接舷した〈じんりゅう〉を間近で見たかったわけでは無いように思えた。


「お……おいケイジボーイ、ケイジってば!」


 いつの間にか幽霊談義を止めていたテヴィリスが、さっきまでのが嘘のような真剣な顔で呼びかけてきた。


「おい! ひょっとして……あれって……」


 そう言う彼が指さした三日月状に見える木星を見上げると、木星の夜の面に極小さな虹色の光点じわりと輝き、そしてゆっくりと消えていくのが見えた。

 ケイジが慌ててヘルメットのバイザーを降ろし、望遠映像に切り替えてその光点を見てみる。

 その光はじわりと七色に変化しながら消えていった。

 そして、その輝きの右側、木星の夜の面の東に向かって移動する、さらに小さな幾つかの光の粒が見えた。ケイジにはそれが遠くから見た航宙艦のスラスターの輝きだと分かった。

 今、自分達は木星上層部でのグォイドと、〈じんりゅう〉含むVS艦隊との戦闘航光と思しき輝きを、木星の夜の面に目撃したのだ。


「〈じんりゅう〉が勝ったんだよなぁ?」


 同じくバイザーを降ろして木星を見上げていた同僚の言葉に、ケイジは「当たり前じゃないか」と即答した。









 木星から遠く離れた所にいる自分らにはどうすることもできず、与えられた作業を終えると、ケイジはエアロックを抜け〈ワンダービート〉艦内へと戻った。

 更衣室で装甲宇宙服ハードスーツを脱ぎ、それに指し込んでいた個人携帯端末SPADを取り出したところで、愛用のその個人携帯端末SPADが、とうとう動かなくなっていたことに気づいた。

 ケイジが〈ワンダービート〉で目覚めた時、唯一所持していた私物だった。

 ケイジが宇宙に出て以来使い続け、第五次迎撃戦を乗り越えて酷使されてきたのだから、動かなくなっても無理の無い話だった。

 船外作業用に大仰なカバーで覆われたケイジの個人携帯端末SPADは、携帯というより弁当箱といった方が良い代物であったが、中身は大量に普及しているごく普通の携帯端末SPADだ。

 ケイジは多少の感傷を覚えながら、中身をとりだすべくカバーを開ける事にした。

 修理できるならそれにこしたことは無いし、データだって保存したい。

 すでにテヴィリスが出ていった後の装甲宇宙服ハードスーツ用更衣室で、一人携帯カバーを展開したところで、ケイジは中に挟まれていた身に覚えの無い紙片が落ちたのに気づいた。

 それはラミネート加工された一枚のホロ写真だった。

 そこに写された画像を見た瞬間、ケイジはホロ写真を持つてが震えるのを抑えられなかった。

 覚えていない……――思いだせない! ……なのに!

 〈じんりゅう〉メインブリッジらしき場所で撮影されたその写真の中で、ユリノ艦長や幼なじみのミユミら含む〈じんりゅう〉クルーに囲まれ、困ったような顔をして写っている自分の姿がそこにはあった。

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