その五.抑圧の石炭袋
その喫茶店の名が【
「――それで今夜、同い年の子と仕事に当たることになりまして」
「ふぅん」
霖哉は相変わらずけだるげな様子で鼻を鳴らした。
昼下がり、吹雪は霖哉と食事したあの喫茶店――【石炭袋】に顔を出していた。あれから吹雪はちょくちょくここに顔を出すようになっていた。
先日霖哉が言った通り、大抵彼は石炭袋の一番奥の席で眠たげにしている。
そんな彼に対し、吹雪は仕事に支障が出ない程度に日々の話をしていた。
「あまり同い年の子と行動したことがないから、ちょっと心配なんですよね……」
「……おまえ、学校に行ったことないのか?」
ちびちびとアイスを食べながら霖哉がたずねた。
その言葉に吹雪は苦笑する。
「扱い的には休学中ということになるのでしょうか。……十四歳くらいの時、遠足中に化物が出たときに退治してしまいまして」
当時の吹雪は、今よりもずっと未熟だった。
幼少の頃から才覚を示していた兄は十歳の頃にはもう父の仕事についていって、化物にとどめをさす役目を担っていた。
しかし体調を崩しがちだった吹雪が、本格的に化物狩りを始めたのは十三歳の頃。
その一年後にそれは起きた。
「あまり上手じゃなかったので……それでちょっと、いづらくなって」
天外化生流では【静謐】と【迅速】が特に重視される。
そのため恵まれた力と技にまかせてひたすら衝撃波を打つような剣は『やかましい』『粗雑』とされ、未熟の証とされた。
そのやかましい剣の使い手だった当時の吹雪は、あまりにも派手に化物を殺した。
派手に返り血を浴びた自分を見る級友の目を思い出し、吹雪はうつむいた。
「ふぅん。化物から皆を守ったのにいられなくなったのか。変だな」
「……多分、人間は行き過ぎると化物と区別が付かなくなるんですよ。その辺りの事を、当時の私はしっかり理解できてなかったので」
ストローで緩くソーダをかき混ぜながら、吹雪は薄く笑う。
すうっと霖哉が目を細めた。
「後悔してるのか」
「……少し。大人しくしていれば良かったなって思うことが、いくつか」
吹雪は一瞬俯いた。
しかしすぐに顔を振り、にこりと微笑む。
「でも良いんです。その経験から今はちゃんと自分を律するように注意してますから。それに今は父のお世話をできるだけで満足です」
「ふぅん……」
霖哉はけだるげに鼻を鳴らし、溶けかかったアイスをスプーンですくった。
そこで吹雪は小さくあくびをしてしまう。
「ふ、あ……あぁ、ごめんなさい。はしたないことを」
「別に。眠れなかったんだろ」
「え?」
「クマできてる」
霖哉がとんとんと目元を軽く指先で叩いてみせる。
吹雪は思わず目元に触れ、苦笑した。
「あぁ……ちょっと、雷の音がすごくて」
「まぁ、昨日の夜はやかましかったな」
「えぇ、それに……」
雷鳴とともに、明け方まで響いていた犬の声が脳をよぎった。
言い淀む吹雪に対し、霖哉はわずかに首をひねる。
「それに?」
「……最近、よく犬の声が聞こえて」
「犬? 犬なんてどこにでもいるだろ」
「それが少し、変な感じなんですよ。ずっと同じ声があちこちで聞こえてくるんです。それになんだか、犬とも思えなくなって……」
吹雪の言葉は徐々に小さくなり、やがて消えた。
小さく音を立て、霖哉は空になった硝子の器にスプーンを置いた。
「犬、ねぇ……」
霖哉はしばらく首をひねり、しばらく考え込んでいるようなそぶりを見せた。やがて彼は肩を落とし、水の入ったグラスに口を付ける。
「……おれには少しわからないな」
「ごめんなさい、霖哉さんにこんなこと話してしまって」
「別に構わない」
「でも、こんなよくわからない話で――」
こん、とグラスをテーブルに置く音が響いた。
グラスの内で揺れる水面を見つめつつ、霖哉は小さな声で言った。
「……おまえは少し人を気にしすぎているところがある気がする」
「え?」
想像だにしていなかった言葉に吹雪は戸惑う。
霖哉はしきりに顎を撫でつつ、ひどく言い辛そうに言葉を紡いだ。
「なんというか……誰かの助力を借りることを極力避けたいと考えているというか……なんだか、自分よりも人のことを優先しているような」
「……そうですか? 一応、座右の銘は『人に迷惑を掛けない』ではありますが」
「ふぅん……」
霖哉は眉を寄せ、しばらく考え込んだ。
「……もしかして、おまえの兄貴って結構わがままな奴だったりしないか」
「え、えぇ。傍若無人を形にしたような人間ではありますが。それが何か?」
「なるほど。まぁ、それだけが原因ではないだろうが」
どこか納得したように霖哉は深くうなずいた。
一方の吹雪は唐突な質問の意図が理解できず、首をかしげることしかできない。
「……あくまで感覚の話だが、おまえはなんだか窮屈そうに見える」
「窮屈……?」
「あぁ……まだおれとお前はそれほど長い期間過ごしたわけじゃない。それでも、時々そんな状態で苦しくないのかと思う」
「そんなに苦しそうに見えますか? 何故でしょう……」
吹雪は唇に指を当てて考え込む。
そんな吹雪に対し、霖哉はゆるゆると首を横に振った。
「考えても無駄だ……多分、自分じゃ意識できていない。あまりにもその窮屈な環境に慣れすぎて、当たり前のものとしか考えられない」
「え、えぇ。さっぱり思い当たりません」
吹雪はぎこちなくうなずいた。
故郷にいたときが窮屈だったのか、あるいは紅梅社中で働いている今が窮屈なのか――まったくそんなことはない。
霖哉はどこか上の空の様子でグラスを揺らした。氷がカラカラと音を立てる。
「……さらにおまえの場合は、おまえ自身がその窮屈さを作り出している気がする」
「私自身が?」
「あぁ……まるで自分で自分を絞め上げているような」
「――っ」
自分で自分の首を絞める――夜中に見た夢が鮮やかに脳裏に蘇った。
吹雪は一瞬大きく目を見開き、そしてゆっくりとうつむく。
霖哉は氷をかき混ぜ、肩をすくめる。
「全ておれの想像の話だ。あまり気にしなくていい」
「……例えばもし、本当に私が自分で自分を絞め上げているとして」
「ん?」
霖哉は首をかしげた。
吹雪はややうつむいた状態のまま、ちらと彼の顔を見上げた。
「どうすればいいと、思いますか?」
「――っ」
一瞬、虚を突かれたように霖哉が息を呑んだ。
何にも興味を持っていないように見えて、その実あらゆる物を見ている。そんな鋭い眼を持った彼ならば、その答えを知っているのではないかと思った。
そんな吹雪の期待をよそに、霖哉の顔は元のけだるげな無表情に戻る。
肩をすくめて、彼はグラスの中の氷を摘まみ上げた。
「どうすればいいんだろうな」
「あら……貴方なら、てっきり知っているものだとばかり」
「おれは愚鈍だ。それに」
霖哉は氷を口に放り込み、がりりと噛み砕いた。
「……おれも抑圧の中にいることには変わりない」
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