その四.兄はカフェにいる?
一睡もできないまま、吹雪は朝を迎えた。
「……食べたら、少し眠りましょうか」
小さくあくびをしながら、吹雪は食堂に足を踏み入れる。幸い今日は夜からの仕事なので、少しのんびりできることになっている。
朝食をを受け取り、テーブルを探していると、背中から陽気な声を掛けられた。
「おはよ! ブキちゃん!」
「あ……綾廣さん。おはようございます」
「こっちおいでよ! 空いてるからさ」
食事をしていた綾廣が向かいの席を手で示す。相変わらず白い歯が眩しいスマートな容貌だが、今日はやややつれているように見えた。
吹雪はその好意に甘え、彼の向かいに座ることにした。
「ブキちゃんも眠れなかった感じ? 昨日の雷、すごかったよねぇ」
「えぇ。とてもすごい音でした」
実際は雷鳴だけでなく、明け方まで響いていた犬の声も気になって眠れなかった。
しかしそれを隠し、吹雪は微笑する。
「なんかさ、大気が不安定なのかな? 先月から多いんだよ。雨も降らないのに雷がガンガン鳴るの。たまったもんじゃないね」
「困った天気ですねぇ」
吹雪が相槌を打つと、綾廣は芝居がかった仕草で大きくうなずいた。
「ほんっとに! オレさー、雷マジで無理なの! しかも寝る前に音がするとサッパリ寝れなくなる! 夜中の雷とか二重苦!」
「……貴方は本当に苦手なものが多いな」
「
綾廣がばっと振り返る。
その側で立ち止まったのは褐色の肌をもつ青年だった。均整の取れた長身に詰襟の黒いコートを着ていて、全体的に精悍な印象が漂う。
咎めるような綾廣の声に、褐色の肌の青年はうっすらと笑う。
「高いところも怖いし、暗いところも無理じゃないか」
「仕方ないだろー! オレはデリケートなの! 繊ッ細なの!」
「まぁ仕事ができればなんでも。――ん? そちらの子は?」
「あ、十真くん会ってなかったか。この子が例の新しい子だよ。――ブキちゃん、こっちは十真くん。オレ達と同じ紅梅社中の戦闘班だ」
「ふむ……私は
「あ、遠峰吹雪です。どうぞよろしくお願いします」
握手を求める十真に対し、慌てて吹雪は立ち上がった。
吹雪の手を握り、十真は不思議そうなまなざしで彼女を――正確には彼女の髪を見つめる。
「……真っ白だな」
「え、あ、はい。生まれつきです」
吹雪は自分の髪に触れ、少し困ったように笑った。
手を離した十真は軽く顎を撫でつつ、興味深そうに言葉を続けた。
「ふむ……しかしすごいな。まさかこの三日間で二人も髪が白い人に会うなんて」
「え、二人……?」
吹雪は目を見開く。
優雅に紅茶を飲んでいた綾廣も、十真の言葉に首をかしげた。
「ん? 年寄りとかじゃなくて、ブキちゃんみたいな感じの?」
「あぁ。私も一瞬老人かと思った。三日前、仕事を終えた後にあるカフェに行ったのだが、そこで私とすれ違った男が――」
「そ、それ、どこの――?」
やっと兄の手がかりを見つけたかもしれない。
早まる鼓動を抑えつつ、吹雪は白髪の男について十真にたずねようとする。
しかし、その言葉は途中で遮られた。
「小娘!」
「御堂さん……?」
食堂の入り口に時久が立っている。
時久は大股で吹雪達のテーブルに近づいてくると、吹雪に向かってたずねた。
「ちょうど良い所に。この後は暇か?」
「御堂、ブキちゃんは午前休みだぜ? 夕方までゆっくりさせてあげなよー。あ、それともまさかデートのおさそ」
「そんなわけがなかろう。――社長の用事だ、三十分だけあれば良い」
へらへらとした綾廣の言葉を叩き切り、時久は付け加える。
吹雪はじっと彼を見上げた。
「昨日の件、でしょうか?」
「……う、む。そうとも言えるかもしれない」
何故か微妙な表情で時久は視線をそらし、言葉を濁した。
綾廣が目を細め、紅茶を口に付ける。
「昨日のって――ん? もしかして、昨日おやっさんから聞いた案件かな?」
「あぁ。――とりあえず小娘、来られるか?」
「え、と……」
吹雪は一瞬悩み、十真の方を見る。
すると十真は申し訳なさそうな顔で片合掌をし、頭を軽く下げた。
「すまないが、私は今日と明日は仕事なんだ」
「そうですか……」
「だが明後日なら空いている」
がっくりと肩を落としていた吹雪は、その言葉にはっと顔を上げた。
十真は軽く顔を傾け、にこりと笑った。
「もしそのカフェが気になるなら明後日案内しよう」
「あ、ありがとうございます!」
吹雪はパッと顔を明るくして、十真に頭をさげた。
そして、時久に向き直る。
「今、参ります」
* * *
時久に連れられ、吹雪は紅梅社中の会議室に足を踏み入れた。
広い部屋の中央には、ちょうどロの字型になるよう長テーブルが置かれている。テーブルにはすでに夕子とサチが着席していた。
吹雪達の正面には黒板が掛けられ、演台が置かれている。その演台に慶次郎が立ち、ひどく渋い表情で飴を舐めていた。
「社長。連れてきた……なんだその顔は」
「うちの長女がよこした珈琲飴がクソ苦ぇんだよ」
「嫌がらせだろう。いい加減学習したらどうだ」
「うるせぇな。ここで負けてたまるか――とりあえず好きなとこに座ってくれ」
渋い表情をしたまま慶次郎がテーブルを示す。
無言の時久に促されるまま、吹雪は恐る恐るサチの隣の席に座った。
「吹雪ちゃんも、社長さんに呼ばれたの?」
声を潜めたサチにたずねられ、吹雪は小さくうなずいた。
「えぇ。これは一体……?」
吹雪はテーブルを見回した。
吹雪の隣にはサチ、その隣には夕子。そして今、その夕子の隣に時久が座った。時久は相変わらず表情が険しいが、夕子の顔も心なしか強ばって見える。
一体、なんのために集められた面子なのか。
首をかしげる吹雪の耳に、重々しい慶次郎の声が響いた。
「お前らを呼んだのは他でもねぇ。ちょっと厄介な仕事を頼みたいと思ってな」
「厄介な仕事、ですか」
昨夜の話をするのではなかったのか。
慶次郎は口の中の飴を噛み砕き、さらに顔をしかめた。
「あぁクソ、苦ぇな畜生――あぁ。今回の仕事にはサチと吹雪で当たってもらう」
「わたしと吹雪ちゃんで……?」
困惑の表情を浮べるサチに対し、慶次郎は「ああ」とうなずく。
「本当は吹雪には時久ともうしばらく組んでもらう予定だったんだがな。今回の案件は、サチと当たらせた方が良いと判断した。悪ぃな」
「いえ、構いませんが……どのような案件でしょう?」
吹雪がたずねると、慶次郎は側に置いていた地図を取り上げた。丸めてあったそれを広げ、会議室の奥にある黒板に貼り付ける。
「ここ――下町の方に、古い地下街があるんだがな。最近、ここに化物が出没しているらしい。運営商会から依頼があった」
「地下街に化物……ですか」
「あぁ、まだ大きな被害は出てないが、傷害事件がいくつか起きている」
「化物の種類などは? 私達で対処可能でしょうか?」
「あぁ。目星は付いてる。商会側から提示された痕跡を調べて、綾廣が割り出した」
吹雪の問いかけに慶次郎はうなずき、演台から一枚の紙を取り上げた。
「
黒板に張り出されたそれは、鼠に似た化物の絵だった。版画の写しのようだが、赤い眼を光らせて猫の死骸に群れている様はおどろおどろしい。
吹雪は目を細め、その絵をじっと見つめる。
「窮鼠……?」
「下水道とか地下鉄の線路とか、大都市の地下でたまに湧くんだよ。こいつらの面倒なところはな、まず数が多い。しかも増殖力が強ぇときた」
「一匹一匹は大したことがないんだがね……群れると、本当に厄介だ」
過去に相手にした事があるのか、夕子が重いため息をつく。
慶次郎は面倒くさそうに演台に置いてあったファイルをばさばさと振った。
「調べてみたらよ、どうもこの近くにあるゴミ処理場で先月に湧いてたんだよ。その時は会社側が駆除したらしいんだが――」
「あー……何匹か逃がしてたんだ」
「おう。多分ここから移動して棲み着いたんだな。そうして増えていった……ったく、おおかた安い退治屋を雇ったんだろ」
サチの言葉に、慶次郎は左目の眼帯を弄りながら深々とため息をついた。
代わって時久が口を開いた。
「発生したのは最近の事だ、まだ群れとしての規模は小さい。窮鼠封じで十分殲滅可能だ。今日の夕方、俺が貴様ら二人を地下街に連れていく。良いな?」
「御堂さんが……ですか?」
「なんだ。何か気になるのか」
時久がぎろりと睨み付けてくる。
その視線をものともせず、吹雪はいぶかしげに眉をひそめた。
「いえ……てっきり二人で勝手に行けというものかと」
「……最近帝都で若い女の失踪事件が相次いでいるからな。念のためだ」
「はぁ、そうですか……」
時久は素っ気なく視線をそらした。
どうにも言葉の歯切れが悪い気がする。吹雪は眉をひそめ、じっと時久の横顔を見つめた。
その隣で、サチがそろそろと手を挙げた。
「あの……」
「ん、どうしたサチ?」
慶次郎がたずねると、サチはどことなく居心地悪そうに身じろぎした。
「だ、大丈夫でしょうか? わたしと、吹雪ちゃんの二人だけで」
サチは不安げに瞳を揺らし、しきりに襟元を弄っている。
そんなサチに、慶次郎はふっと表情を和らげた。
「……安心しろ。なにも怖ぇことはねぇよ、サチ」
「でもわたし――」
「大丈夫だ。後までしっかり考えてある」
慶次郎はしっかりとうなずいた。そこでふと思い出したようにベストから懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「――っと、三十分か。とりあえず今日は解散だ。トキと夕子は残っていてくれ」
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