第45話

 中心部からやや外れた雑居ビルの周辺はビジネスホテルや古いビル群が連なっている。

 私たちはその中から周りの雑居ビルとは真新しさのあるちょっと豪華そうなホテルを選んだ。

 来年で西暦2000年を迎える節目である為、古い建物は改築されつつあるホテル群のなかでも一番最初に行われたホテルらしい。どうせならという理由で綺麗なところを選んだまでである。そういえば、私の学校も古くて改修工事なんてしていたなとどうでもいいことを思い出した。

 倒れた茜ちゃんを背負っていた緋真さんを見て、迅速な対応でホテルの最上階を借りる。

 ここならもし、外の景色も一望できるし、何かあった時に対応ができるようにするために、下の方の階は遠慮しといたのだ。

 三人部屋の高そうなベッドに茜ちゃんを横たえると、ようやく一息つけた。


「熱がひどいわね。……どこか痛むところとか、辛いところはあるかしら?」

「……関節と喉が痛みます」


 さっきまで聞いていた茜ちゃんの声が、はっきりと聞き取れるようになって初めて変質した声音に驚く。

 咳き込みながら答える茜ちゃんの額に手を添えながら、緋真さんが診察をしている。こんなとき何も出来ずにみているだけが私にとっては辛い。


「……多分、ただの風邪だと思うわ。二、三日は安静にしていた方がいいわね」

「ごめんなさい。ここまで来て私が足を引っ張ってしまいました……」


 弱気な声で萎んでいく茜ちゃんに緋真さんは頭を振る。


「そんな心配はしなくていいのよ。茜ちゃんは風邪を治すことだけを気にしていたらいいのだから」

「……はい。私、頑張って治します」


 気丈に振舞っているけど、それが限界で咳き込んでしまう。

 これはしばらくかかりそうだなと客観的に判断する。


「ねえ、病院に連れて行った方がいいんじゃないの? 見てて茜ちゃんがかわいそうだよ」

「ダメよ。私たち魔法使いは病院には出来るだけ行かない方がいいのよ」

「どうして? ばれていない今ならチャンスだと思うんだけど。それに、ちゃんとした医者に診てもらった方が茜ちゃんのことも安心出来るし……あ、いや緋真さんの診断を疑っているわけじゃないよ。ただ、こんな辛そうな茜ちゃんは見てられないから、早く治してもらいたいと思っているだけだから」


 診察をして、薬をもらっておいた方が病気の治りは早いはず。もちろん緋真さんがいてくれるのだから、心配することは何もないとは思えるんだけど、普段こういうことに慣れていない私には不安しかない。


「魔法使いの体の中に魔力が流れているのは知っているわよね」

「うん。怪我をしたりして血が流れると、魔力が一緒に流れてしまってばれてしまうかもしれないんだよね」


 茜ちゃんは手を怪我して、アンチマジックに正体がばれてしまった。それがきっかけで戦闘員がやってきて戦いになったのがつい数日前。血を流すことがどれだけ私たちにとって、危険きわまることなのか身をもって確認済み。

 私が自信をもって答えると、緋真さんはうなずいてくれる。


「その通りよ。例えば、病院に行ったりすると診察を受けるわよね。その時に体の中を調べられてしまって、内容によっては魔力が漏れてしまう可能性があるのよ」


 そこでふと思い至った。簡単なことだった。魔力が体内に流れているのなら、何かの手違いで発見される可能性があるということだった。


「そっか。もし体の中に医療器具を通したり、血液検査とかされると一発でばれてしまうね」

「そういうことよ。私たちにとってはね、病院は墓場なの。生きて帰ってこれる保障なんてないから、利用することなんて滅多にないのよ。いやでしょ? 棺桶が病院なんて」


 洒落になってない洒落に引きつってしまう。 

 それにしてもなんて理不尽な体なんだろう。行けるに行けない。私たちの健康の為の施設が私たちを脅かす施設になるなんて。手に入れた力は大きいけど、その分制約の大きい縛られた人生になってしまっていた。


「そういえば、父さんと母さんも病院に行っているところは見たことがなかった……かも。いつも市販の薬とか果物におかゆを食べてゆっくりと寝ていたっけ。私も体調が悪くなった時も母さんが側で看病してくれていたんだった」


 母さんは身の回りの整頓とバランスのいい食生活を心がけていたような気がする。あれはこの為だったんだな。

 昔は散らかしたものを片付けるようによく怒らていた。懐かしむように過去の記憶を辿る。


「魔法使いは医者に頼れない以上、自力で回復できるような最低限の民間療法ぐらいは身に付けている人が多いわね」

「えー、やっぱり必須じゃんそれ。私も何か勉強しないとっ」


 座学は苦手だけど、人間やろうと思えばなんとかなるもんである。夏休みの宿題を期限ギリギリで終わらせる。それと似たような感覚だ。

 やらなければいけない。その強い想いが力となって、なんとかなるのである。それを私は身を持って分かっている。

 最近のことでいえば、殊羅に殺されそうになった時だ。あの時も、気が付けば無我夢中で対抗していた。それを勉学に当て嵌めるだけ。


 茜ちゃんのため。自分のため。みんなのため。


私が苦手を克服すれば、こんなときでも手伝うことが出来るのだから。


「それもいいのだけれど。まずは自分の体調管理。それと、身の回りの安全の確保がしっかりと取れること。この二つさえ出来ていれば、無理しなくてもいいのよ」

「いや、それでも私は覚えておきたい。この先なにが起きるかも分からないし。それにほら、覚えておいて損はなさそうだし。簡単なところまででいいから、やってみたい」


 知識は力なり。

 広く浅くで全然いい。出来ることなら深いところまで理解したいのだけど、頭が壊れてしまう。呪文を詠唱するように単語をポンポン言って、高度な技術を身につけれたら、どんなにカッコいいことか。やろうと思えばなんとかなるとは言ったけど、限度はある。私の場合は、ものすごい低い限度だけど。


「分かったわ。お姉ちゃんが協力してあげるわ。とりあえずは民間療法さえ覚えておけば、なんとかなるわよ」

「あ、それ私の持論」


 世の中、大抵のことに不可能はないと思っている。何か行動すれば、何かが変わってくれるはず。気を張って生きていくよりも、多少の楽観的な生き方の方が疲れないし、望みを持っていられるというもんだ。


「……ふふっ」 


 口元に手を当てて、咳き込む茜ちゃんは微笑んだ。

 嬉しそうで楽しそうな、だけど、病人らしい控えめさが残るもの。


「彩葉ちゃんなら案外なんでもやれそうな気がします。いつだってそうでしたし。進学する高校を選ぶ時でも、少し上のレベルである私と同じところに行くために、頑張って勉強して一緒に入学できた結果が残っています」

「いやー……あはは……。あの日々は思い出したくないなぁ……」


 忘れようと思っても忘れられない日々が鮮明に蘇ってくる。

 ほぼすべての学生が通るであろう、半年間に渡る狂気の特訓。死にもの狂いでやっただけあって、成果は出たのだ。

 その代償に睡眠時間を削られ、体力的にも精神的に削られた。おもにメンタルが。


「あら、そうなの。すごいじゃない。今のを聞いて、彩葉ちゃんなら本当になんとかやってしまいそうな気がするわ」


 思いのほか、称賛を浴びる。


「ですが、あとから答案を見せてもらったら、ほとんど記号問題だけで点数を稼いでいたのです」

「いや、ほら。運も実力の内っていうわけだし、普通にすごいことじゃない?」

「――確かにすごいことだと思うわ。だけど、世の受験生が聞いたら妬みや羨ましさを掃除機のように吸い集めそうね」


 嫌だなぁそれは。そこまでの吸引力が私にはないと信じたい。


「私たちだけの秘密にしておかないと、彩葉ちゃんがパンクしてしまいそうですね」


 二人して私の方を見詰めている。この瞬間にでも二人の想いを吸い込んでいるのだろうか。だとしたら、このまま秘密もろとも記憶を私の中に閉じ込めてしまいたい。

 緋真さんの圧力プレッシャーと恐ろしいことを言った茜ちゃんが生み出した居心地の悪い雰囲気に、とりあえず話題を変えて逸らすしかないと即座に決断する。


「私のことはもういいでしょ。そんなことより、茜ちゃんが風邪を引くなんて……何が原因だったのかな? やっぱり体力の低下が原因?」


 体力の少ない茜ちゃんにとっては、苦痛な道のりだったはず。

 私ですら音を上げそうになるほどの経験だったのだ。


「それもあるかもしれないけど、一番の原因はアレだと思うわ……」


 アレと言って、緋真さんの表情が変わっていく。緋真さんにとって悪いことなのか、きっかけが緋真さんにあるのか、そのどちらかだと思う。


「露天風呂……ですよね」


 図星だったようで、緋真さんの顔色が変わった。


「やっぱりそうよね。川なんて見つけたから、湯を浴びれると思って調子に乗り過ぎたみたいだったわね。二人共慣れていないのに、真冬に露天風呂を用意したのが悪かったみたいだわ。お姉ちゃんがもっとしっかり気を使っていたらこんなことにはならなかったかもしれないわよね」

「そんなことないですよ。私にとってもいい思い出ができたので、緋真さんは悪くないですよ」

「そうだよ。あんなロマンチックなお風呂に入れることなんて一生涯ないと思うし、なにより緋真さんが私たちのことを想ってやってくれたんだから、感謝しかでないよ」


 あんな経験ができない一般の人たちにも体験させてあげたいと思えるほどに、気持ちのいいものだった。

 おすすめの露天風呂スポットとして名を売り出してもいいぐらいだ。


「ほめ過ぎなような気もするけど、満足してもらえたのなら良かったわ。けど、風邪を引かせたのはお姉ちゃんの責任でもあるから、最後まで看病するから茜ちゃんは大人しくしているのよ」

「責任なんて感じてくれなくてもいいのですけど……私の所為で迷惑をかけたくもないですし、頑張って早く元気になれるように。緋真さん。お世話になります」


 朗らかな笑み。和やかな時間に気分が落ち着ついてきているのかもしれない。


「茜ちゃんはもう寝ていた方がいいよ。微力ながら、私も手伝うから。あとは任せて」

「彩葉ちゃんにはいつも助けられてばかりですね」

「今さらじゃん。付き合いも長いんだし、心配しなくてもいいよ」


 今までに何度かお見舞いとして、茜ちゃんが学校を休んだ日に顔を出したことはある。

 けれど、風邪がうつると言われて、少し会話したら帰る程度のものだった。

 だが、今回は違う。正真正銘の看病をしてあげるのだ。不安はあるけど、頑張ってみようと思う。


「とりあえず、何か食べ物を用意した方がいいよね。コンビニの残りがあるけど、それだと病人にはよくなさそうだし。あと、風邪薬も用意しないと」


 手持ちはサバイバル開始前に買ったコンビニのパンしか残ってない。菓子パンや総菜パンはさすがにまずいだろう。


「いまから買いにいくのですか?」

「ん? そうだけど。欲しい物でもあるの?」


 いま行かずしていつ行くというのか。

 出かける準備をしていると、緋真さんも驚きの様子をしていた。


「大丈夫なの? 疲れているでしょう。お姉ちゃんが行ってくるから、彩葉ちゃんも大人しくしていた方がいいわよ」

「平気だって。買い物ぐらいならすぐだから――」


 途端に視界がぼやけて、世界にモザイクがかかったような景色が一瞬通り過ぎる。

 足に力が抜けて、おぼつかない足取りで沈み込む。

 ぐらつく脳髄。シャッフルされて弾ける思考。空白になった頭に何も思い浮かぶことがない。

 悲鳴をあげる神経が私の動きを封じ込める。

 気付いた時には、ベッドに腰掛けていたことを理解するまでに時間がかかっていたことに驚く。


「ほら。無茶しないで。彩葉ちゃんも疲れているのだから、今日はゆっくりと休んでまた明日考えましょう」


 一度落ち着いてしまったら、もう動くことすら敵わない。

 自分のものがこれほどまでに操作が出来ないなんて。手足を縛られているような感覚に口だけを動かす。


「……分かった。今日は茜ちゃんの介護でもしとくよ。――だからなんでも言ってね。出来ることならなんでもやるから」

「ですが、彩葉ちゃんだって疲れているのに私の所為で、苦労しなくてもいいのですよ」

「気にしなくてもいいって。友達が寝込んでいるのに何もしないわけにはいかないし。それに、これもこういうことぐらいは出来るようになっておきたいから、任せてほしいな」

「……それでは、無理しない程度に頼らせてもらいます」

 申し訳なさそうにする茜には悪いけど、こればかりは放っておけない。

「それじゃあ、あとはよろしくね」


 スタスタと扉に手をかけようとする緋真さん。

 その躊躇いの無さに思わず声をかけてしまった。


「――って緋真さん?! どこ行くの? さっき明日考えるって言ったのに。緋真さんは休まないの?」

「そうです。緋真さんこそ無理しないでください」


 てっきり、今日はみんなでゆっくりするもんだと思っていたのに、またみんなのお姉さん役として、体を張るつもりなのかな。

 それは絶対に止めさせたい。さすがに申し訳なさすぎる。


「今日はホテルで食事を取るから、その話をしに行くだけよ。さすがに外には出ないわよ」

「ほんと?」

「お姉ちゃんってそんなに信用ないのかしら。ちょっと悲しいわ……」


 表情は笑っているのに、わざとらしく口調だけそれっぽい声をだす。

 はめられているような気がするけど、ここは乗っておいた方がよさそう。


「嘘だって。帰ってきてよね」

「それじゃあ、行ってくるわ。大人しくしているのよ」


 念を押して、主に私の方を見詰めながら話す。

 信用されていないのは、むしろ私の方なんじゃないかと思えてきた。


「行きましたね」

「行ったね。緋真さんも限界のはずなのに、どうしてあんなにも余裕を持っていられるんだろう」


 まったくもって謎である。緋真さんの七不思議だ。一個しか知らないけど、他の六個はこれから出てくるはず。


「栄養ドリンクの飲み過ぎかもしれませんね」

「いや、それは……ないと思う……多分」


 それだけであんな無尽蔵に動けるはずがない。……だけど、そうと否定できないのはなぜだろう。あ、これも緋真さんの七不思議に入れておこう。

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