第36話

 あれから三日が経った。

 区画管理者の裏手から脱出した私たちは二十九区に向かう為、三十区の東側へと移動中だ。

 通常ならば、公共交通機関を使えばすぐに行けるのだけど、いまは使えないということで徒歩になった。

 しかも、私たちが逃げたことでアンチマジックによる捜索が続けられているらしい。おかげで公衆の面前に姿を現すのはあまり得策じゃないって言う理由で、公道を逸れて葉の抜け落ちた木々の間を横断することになった。


 だいぶ、奥まで入り込んだみたいで、見渡す限りが樹しかない。ジャングルみたいな同じ風景が続いている。あとは何もない。

 緑が豊富な野原町なだけあって、この時期になったらすべて枯れて茶色くなっている木々を見てると殺風景な感じですごく淋しくなる。

 でもその反面、これはこれで野原町の特色にもなっていてもう年中特色だらけだ。

「日が暮れてきたわね。今日はここまでにしときましょう」

「今日もまた野宿かあ……。ふっかふかのベッドが恋しい」

「ごめんね。彩葉ちゃんたちはこんなことには慣れていなくて辛いわよね」

 緋真さんは本当に申し訳なさそうに項垂れてしまった。

「緋真さんは悪くないですよ。むしろ、助けてもらっているのですから、感謝しているぐらいです」

「そうそう。それに、これも魔法使いとして生きていくための修行だと思えば余裕だよ!」

「そういってくれると、お姉ちゃんも気持ち的には楽になるわ」

 緋真さんは努めて明るく答えた。多分罪悪感で一杯でそれを隠すようにしているように感じられた。そう思うと私もわがままなんて言ってられない。

 近くにあった太い樹を背もたれにして一息つく緋真さん。

 それが合図となって私と茜ちゃんも適当な樹にもたれる。足は疲れて投げ出したくもなるけど、さすがに地面が土だと座る気も起きない。

 元々足場が悪いところでもあったし、三日かけてもここから出れそうにはなく、精神的にも体力的にも相当な疲れが溜まってきていた。

「食料もだいぶ減ってきましたね」

 茜ちゃんの手にはコンビニで買ってきた三日分ほどの食料が入っている。

 それをのぞき込んで確認したところ、もって明日の朝までだった。

「私の分を半分減らすわ。そうすれば、もう一日ぐらいはもつでしょう」

「えっ!? そんなことしたら緋真さんの体力が持たなくなるよ。私たち、緋真さんがいてくれないと困るよ……」

 たしかに言われた通り、そうすれば明日は持つと思う。けれど、そんなことをすれば一番最初にへばってしまうのは間違いなく緋真さんだ。

 もし、そんなことになってしまったら生きてここからでることも難しくなるだろうし、何よりもこの状況で、私では緋真さんを助けてあげることなんてできない。

「別に死にはしないんだから平気よ。それにこの調子だと明後日にはここから出れだから、少し我慢すればいいだけよ」

「あさってかあ。ここから出たらもう三十区の東側になるんだよね」

「そうよ。そうしたら、まずは彩葉ちゃんの希望通りにふかふかのベッドで寝ましょうか」

 あ――! それはいい名案。この木々の間に入り込んでからは毎日、地べたで寝ていたからさぞ格別のものに感じられるだろう。

「ですが、いいのですか? どこかの宿を借りるということですよね。目立たないようにするべきなんじゃないんですか?」

「さすがに五日も経てば、ある程度のほとぼりは冷めているわよ。魔法使いというのは毎日のようにどこかで見つかって、その度にアンチマジックが動いて、どこかで戦っているのよ」

「ということは、今この瞬間にもアンチマジックが私たち以外の魔法使いを追っている可能性もあるということですね」

「そういうことになるわ。戦闘員もそう多くいるわけではないから、一人の魔法使いに固執するわけにはいかないのよ」

 そう言われて内心ちょっとホッとした。可能性としては、もうすでに私たちのことも追いかけてきていないかもしれないということだから。

「だから、このままやり過ごすことが出来れば私たちの勝ち。 ――逆に見つかってしまえば振出しに戻るだけよ」

「……時間が解決してくれるってことかあ。簡単なようで難しそうだね」

 空を見上げると、徐々に暗くなってきていた。時間にしたら五時か六時ぐらいの夕食まえぐらいだと思う。

 ゆっくりと流れる時間。けれど、体感的にはもう随分と遅い時間のような気がする。そう思わせてくれる冬の季節に感謝してもいいぐらい。

 静寂に包まれる木々。まるでこの世界にはたったの三人しかいないような錯覚。


 冬の風が実っていたすべてを消し去られた木々の間を通り抜ける――


「いま、なにか音がしなかったかしら」

「風の音じゃないの?」

「私は何も聞いてませんけど」

 もちろん私も聞いてない。

 それ以前にこんな人も寄り付かないような場所で怪談じみたことを言われるとゾッとする。

 それでもアンチマジックが追って来ているかもしれないと思い、耳を澄ましてみる。

 なにも聞こえなければそれでよし。だけど、そんな楽観を打ち砕かれて、かすかに音が流れていることを耳が感じ取る。

「あ……! ほんとだ! 私にも分かった」

 自然のノイズのような、どことなく安心できるという心地よい音色のような、とにかくいやな感じがしなかった。

 茜ちゃんにもそれは聞こえたようで、しきりに目を瞬かせて驚いている。言われなければ聞き漏らしていたかもしれなかった。

 そんな私たちを見て、ねっ! と自分が正しかったんだと確信を緋真さんは得たみたいだ。

「あまり遠くの方ではなさそうですね」

「そうね。とりあえず確認はとっておきましょうか」

 私たちの有無も聞かず、暗闇の中を歩き出した。

「ちょ、ちょっとまってよ!」

 慌てて追いすがり、緋真さんの手を握る。そうして、私の手を茜ちゃんが握る。

 縦一列になって電車のように並ぶ。

「甘えん坊ね。彩葉ちゃんは」

「こうしておかないと迷子になるし。そうなったら私、泣くよ? 叫ぶよ? パニックおこすよ?」

 必死に主張すると、緋真さんは苦笑交じりで手を握り返してくれた。

「……それは困るわね」

 そう。困る。ただでさえおぞましい何かがうろついてそうなのに、一人になったときは、そりゃもうどうなるかは私にも分からない。

「彩葉ちゃんはこういう雰囲気は苦手でしたからね。私も後ろからついていますよ」

「ありがとう!」


 今の私は三連結の真ん中。 


 隣に誰かいる。触れている感触がある。挟まれている。


 それが安心感を与えてくれて心強いことこの上ない。

 怖い物なんてあるわけがない。心に余裕という隙間ができて、何が現れても平静でいられる気がした。

「もし、怪しい人影や霊がみえた時はすぐに伝えて。お姉ちゃんが焼いてあげるから」

「いや……その言い方はちょっと……」

 隙間は埋まった。

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