第20話
「さむー」
冷える手をホットの缶で温めながらつぶやいた。
先ほど、家を出た後に町のコンビニで買った物だ。
緊急を要した避難だったために戸締りもしておらず、電気が働いていたので、自動ドアが私たちを迎え入れた。
当然、店員などいない。だが、だれもいない店内に入っただけで自分たちが悪いことをしているような気がして、手早くホットの缶を棚から取り出した。
そのあと、金だけ置いてきたらいいものを律儀にも茜ちゃんがレジ打ちをし、レシートを張り付けて手に入れてきたものだ。
「やっぱり朝は冷え込みますね」
茜ちゃんもかじかむ手をホットの缶で温める。
白い吐息がその日の寒さを物語っているのが伝わる。
「どうしてこんな朝から外に出ないといけないの。昼頃からにしたらもう少しマシなのに……」
人の気配一つしない町並みでは、いつも以上に気温が下がっているように感じた。
冷たい風が頬を流れ、体を縮こまらせる。
「そういえば、彩葉ちゃんが寝坊した時もこんな寒さだったんですよ」
むくれた様子で茜ちゃんは三日前に私が寝坊して外で待ちぼうけしていた日を話題にだす。
袖で手を隠し、少しはみ出た白い指を吐息で温めていた姿を思い出す。
「うう、嫌な記憶を思い出した」
朝早くに目が覚め、時間に余裕がありすぎたあまりに二度寝をしてしまった。
というより、寒くて布団から出たくなくてそのままじっとしていたら寝てしまったわけなんだけども。あえてそれは言わないでおこう。絶対に怒られる。
「ごめんね。こんな寒いなか待たしてしまって。でも、よく我慢して待ってくれたよね。ありがとうね」
「そ、そんな。私と彩葉ちゃんの仲ですし……それに彩葉ちゃんが遅いことなんてたまにあることだからすっかり慣れてしまってますし」
茜ちゃんは本当によくできた子である。
文句ひとつこぼさず、真摯に待ち続けるのだ。そのたびに私は何度も謝り、しっかりと反省の色をみせるのだが、やはり朝は弱くギリギリになってしまう。
ごめんね。何度も何度も同じことを繰り返して。
いつしかそれは、冬の日の定番のやり取りにもなっていた。
かくいう今朝も日の昇っていない時間帯に目覚め、二度寝をした。
「それも今日で最後になるね。いざとなったら茜ちゃんに起こしてもらえそうだし」
猫なで声でお願いしてみる。
「もう、そうやっていつも甘えて……でも、仕方ないですね。これからのことを考えるとお寝坊さんでいられると困りますし……」
「やった! それじゃあ、明日からよろしくね!」
これで朝の悩みが解決されるかと思うと、つい浮かれてしまう。
自分で止めるまでうるさくなり続ける融通の利かない時計のアラームなんかよりも、よっぽど快適な朝を迎えることが出来るよ。
「ただし……」
「ただし?」
一度言葉を切る。
こういうタメがあるときは大抵何らかの条件があるんだよねぇ。簡単なやつだといいけど。
「たまに、ですよ」
「えー。いつもじゃないの?」
「だめです。彩葉ちゃんはすぐに調子に乗るんですから。それに、女の子なんですから、朝ぐらいは余裕をもって行動できるように早起きの練習もしましょう! 私、頑張って彩葉ちゃんを更生させてみせます」
「茜ちゃん。怖い……」
凄みと迫力のある言い方に観念する。
これからは毎日――波乱の朝がやってくる。そんな気がした。
心なしか、体が冷めてきたような気がする。
気付けば、カイロ代わりにしていたホットミルクティの缶が冷めてきていた。
缶のプルタブを開ける。かじかんでいた手も温められていたおかげで、すんなりと開くことができた。
一口含み、軽く一息。白い吐息が缶の上底を曇らせる。
ああ、心地いい。
「そういえば、」
「うん?」
二口目につけようとしたとき、茜ちゃんが話しかけてくる。
「緋真さんは大丈夫なんでしょうか。クマもできていましたし……あまり寝ていないのですよね」
「うーん。平気そうにはしていたけど、昨日も警戒してくれていたみたいだからさすがに今日は辛そうだったね」
緋真さんはアンチマジックの戦闘員に対して、昨日に引き続き夜通しで警戒していた。
戦闘員が襲撃をしてくる最も可能性の高い時間帯が町が寝静まった深夜だからだ。
魔法使いとて、人に違いはない。休息を取るならば当然夜となる。逆に裏をかいて日中を休み、深夜から動き始める者もいる。その方が即座に対処ができるかららしい。
まったく、これじゃあ休む暇なんてないじゃない。
「私たちもあれぐらいの警戒心をもたなければいけませんね。いつまでも緋真さんに負担はかけられませんし」
「そうだね。昨日は昼間も私たちに付き合ってくれていたし、申し訳なくなってくるね」
一昨日の私が魔法使いになってから今朝までで、締めて三十時間以上は活動していることになる。
常人ならば倒れてもおかしくはない状態だ。
だが、五年もの間続けていれば慣れてるとはいえ、見ていて痛ましいことはこの上ない。
「いまは寝かしといてあげて、私たちは緋真さんに頼まれている買い物を済まさないとね」
家を出るとき、緋真さんは眠りにつく前に旅立ちに必要なものの買い出しを命じられていた。
「私たち、これからどうなってしまうのでしょうか。こんな生活……生きた心地がしませんよ」
この先、どんな過酷な運命が待ちかえているのか想像もつくはずがない。
いままでは、雑誌やニュースなどで魔法使いの情報は知ることはあったが、どれもアンチマジックによる、魔法使い殲滅に成功し、平和と秩序が保たれたニュースばかりだ。
どう考えても、先行きは真っ暗だよ。
「心配することはないよ。生きていればいつかきっと、楽しいことができるはずだよ!」
「彩葉ちゃん……?」
弱気になる茜ちゃんを元気づけるように、明るく言った。
「私の母さんと父さんがそうだったから。毎日楽しそうに生きて、一緒に笑いあって、どんな時も支え合ってきたんだから」
「それは、……そうですね。彩葉ちゃんの言う通りかもしれませんね」
「かも、じゃなくてそうなんだよ」
きっぱりと断言する。
雨宮家の家族三人は誰がどうみても、幸せな家庭のはずだ。きっと隣近所みんなが口をそろえて言ってくれる。
子供一人に、仲の良い夫婦。昼間は学校へ行き、母は専業主婦。夫は家庭を支える大黒柱として活躍していた。話に描いたかのような順風満帆な生活を送っていた。
魔法使いや人の関係もなく、一つの人間としての生活を享受していた。
すべての魔法使いたちの理想そのものが、そこにはあったんだ。
「私たちもいつかなれるでしょうか。この騒動が終わったその先に、幸せな未来を築いていけるのでしょうか」
「なれるって! 母さんと父さんが出来たことが私たちに出来ないはずがないよ。そのためにも、いまはとりあえず生きておかないと」
「そうですね。纏くんや覇人くんともできれば今日中にでも会っておきたいですし」
纏と覇人は私と茜ちゃんが中学時代に出会ってから、以来共に助け合ってきた友達だ。
あのすべてを失った日の学校の帰り道以来、一度もあっていない。
連絡の取れない現状では、無事なのかどうかさえも不明だ。
せめて、旅立つ前にもう一度会って安否確認と別れの一言だけでも言っておかなければ気が済まなかった。
「私たちのことを知ったら、纏くんと覇人くんはどんな風におもうのでしょうか……」
親しき仲の人物が魔法使いだと分かった時、自分たちを温かく迎え入れてくれるのか。それとも、手のひらを返したように避けられてしまうのか。
再会したときの反応が恐ろしく感じる。
不安が茜ちゃんの心を支配し、再会を拒もうとする。
「そんなに心配する必要ないと思うけどな。私たちの友情がそんな安っぽいものな訳ないじゃない。ちょっと怒られてまたいつもの関係に戻れるよ」
私が力強く言ったおかげで、茜ちゃんの不安を消し飛ばしてやった。
たとえどんなことがあってもこの四人で過ごした日々は、固い鎖で結ばれたかのように、決して簡単には引きちぎれない頑丈さがあると信じ切った想いが含まれていた。
「……はい! 一緒に怒られちゃいましょう」
屈託のない笑みを浮かべて答える茜ちゃん。その表情にはさっきのような翳ったものはなく、吹っ切れた様子だ。
「それじゃあ、早く二人を見つけよう! しばらく離れ離れになるから、別れの挨拶ぐらいはしておかないとね」
私たちは今晩ここを立ち、魔法使いたちが集う秘密犯罪組織――キャパシティへと向かう。
行けば、しばらくは戻ってこれないだろう。
だが、行かなければいけない。魔法使いとなった私たちがいま、安全に生きていけるところはそこしかないのだから。
そして、父さんはそこへ向かうようにお膳立てをしていた。
「二人のことも大事ですけど、緋真さんの頼みの方も忘れてはダメですよ」
「分かってるよ。夜頑張ってもらった分、私たちは昼間に活動して、緋真さんの手助けになるようにしないとね」
昨夜はひどい疲れがあって、いまごろはぐっすりと眠っていることだろう。
緋真さんは私たちのそばに寄り添い、ずっと外からの来訪者に警戒を配っていた。
いまだ、魔法使いになったばかりとはいえ、緋真さんに任せっきりとなっていたのだ。その結果、今朝は体調を崩し、旅立つその時まで休んでおくことになった。
「家をでて、すぐに愚痴をこぼしていたセリフとは思えないですね」
「いや……それはほら……看病して付いていてあげるべきかなぁって思っていたわけで……。それにあまりの寒さについ口をついて出てしまっただけでして……」
狼狽しながらも言葉を紡ぐ。
違うよ違うからね。
誰だって寒いのは嫌に決まっている。それも朝だ。
昼ごろまでは緋真さんの面倒をみて、そのあとは纏、覇人の捜索に行くべきだと思った。
どっちみち、こんな朝早くではあまり人も集まっていないだろうし、情報源がなければ捜索のしようもないことは明らかだと思ったからだ。
「冗談ですよ。彩葉ちゃんが緋真さんのことを心配している気持ちは分かっていますから」
試したような口ぶりで茜ちゃんは言った。
「私も緋真さんことは心配ですし、帰りに何か果物でも買って帰ってあげたほうが良さそうですね」
「だね。何がいいかなぁ」
私は残っていたミルクティを飲み干し、バケツ状の網目の入ったゴミ箱に缶を投げ入れた。
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