5章 キャパシティ
第86話
研究所を飛び出した後、父さんたちと一旦別れることになった。
キャパシティまで同行してくれるのかと思っていたのだけど、アンチマジックからの追跡の可能性を考慮に入れて、けが人二人は組織の副リーダーと紗綾ちゃん、汐音が連れて帰るとのこと。
そして、私たちは普段のメンバーに戻って覇人の道案内でキャパシティへと向かうことになった。
だけど、アンチマジックの対応は早く、その日の夜には活発に動き始めていた。
あの研究所襲撃事件が一石を投じ、夜の静寂は瞬く間に波紋を広げていくように壊れていく。
ざわめき始めた裏社会に夜の狩人が粛清を上げ始める。
彼らの手によって、この辺りに隠れ潜んでいた魔法使いが次々と犠牲になっていった。またしても、私たちが起こした騒動のせいで罪なき魔法使いたちが命を散らせていく。
そして、今日もまた知らないところで誰かが亡くなっているんだろう。
初日よりも数を増していく戦闘員たちとの戦闘は人知れずところで行われている。
研究所から離れたところにあるホテルの一室。そこで滞在すること数日、いまだ出発へのチャンスは訪れることはない。
「父さんたちは無事でいてくれてるのかな」
「そいつは大丈夫だろ。一番が付いてんだから、万が一のことなんてねえよ」
組織の副リーダーのことだね。雰囲気からして只者ではなかったから、安心はできそう。
「ですが、彩葉ちゃんのお父さんと緋真さんは大分弱っていましたし、やっぱり気になりますよ」
血液を抜き取られている二人は、体力的な部分での心配がある。別れた直後の時点で、すでに辛そうにしていた。アンチマジックが活発に動き回っている現状、あんな状態でうまく逃げきれているのか。そこが気になるポイントだね。
「いまは気にしてもしょうがないわよ」
「蘭は緋真さんのことは気にならないの? せっかく会えたお姉ちゃんだよ」
「ああ……お姉ちゃんなら無事に決まってるわよ。あたしのお姉ちゃんはそんなに簡単に倒れたりしないわ。長年お姉ちゃんと暮らしてきたあたしが無事を保証してあげるわ」
蘭が言うと、妙に説得力があるのはなぜだろう。まあ、緋真さんならちょっとやそっとじゃあ、倒れるような心配はないかもね。なにせ、四十二区で逞しく生き延び、研究所から脱走することもできたから。
「緋真さんなら大丈夫そうだけど、父さんはちょっと心配かも。私、魔法使いとしての父さんのことは全然知らないの」
私の中では、父さんはずっと家でなんだかよく分からない研究に没頭している姿ぐらいしか知らない。家にいることが多いせいで、体力がなさそうなイメージしかないから、不安しかないよ。
「でも、研究所内で見た彩葉ちゃんのお父さんは、すごく強かったじゃないですか。それに、研究者なだけあって戦略の切れもよさそうでしたし、この状況でも上手く切り抜けていると思いますよ」
「うん。私も実の娘ながら、うちの父さんって意外とやるなあって思ったよ。それでも、私の中での父さんのイメージが邪魔して不安があるの」
魔法使いとしての父さんはきっと優秀なんだと思う。でも仕事とはいえ、家に引きこもってばかりいるから、いまいち実感が湧いてこない。
「キャパシティで再会する約束をしたんだ。いまは信じていよう。それよりも、俺たちがどう切り抜けて行くかを考えてくれ」
アンチマジックが警備を強めているせいで、困ったことに私たちはずっと立ち往生してしまっている。
そもそもは大人数で動くこと自体が危険だと判断されたから、二手に分かれてキャパシティを目指すことになったんだけど。そのほかにも敵の戦力を分断させる狙いもあったりする。
するんだけども、どう見ても私たちの方に戦力が集中しすぎているような……? と言うほどに警戒が強すぎる。
夜でも昼でも外に出ると、まず間違いなく遭遇してしまうぐらいにいる。
「敵はよっぽどの数を導入しやがったみてえだな。それか、単に一番の方への追手が少なすぎるだけかもしれねえけど」
「確かに多すぎますね。戦力を分散させるつもりで私たちも別れましたのに……」
「研究所が襲撃されただけじゃなく、重要な魔法使いにも脱走されているのだから、必死にもなるわよ」
父さんと緋真さんはアンチマジックがわざわざ生きて捕えた魔法使いだ。その上、組織の幹部という立場でもあって、アンチマジックからすれば大物魔法使いを確保出来たことになる。
その二人が揃って脱走してしまったんだから、必死になる理由が分かる気もしなくもない。
「総力を上げて捜索をしている様子みたいだな。それなりの作戦を立てなければ、キャパシティに向かうことも難しいだろうな」
難航しそうな状況。
相当な数の戦闘員が徘徊しているいま、できる限り戦闘は避けて通りたい気持ちがある。でも、そう簡単には行かないことこそが事実。
たった一人にでも見つかってしまえば、たちまち他の戦闘員が駆けつけてくるはず。その瞬間、大乱戦が始まってしまう。
ここ数日の間で、幾度となく繰り返されてきている。それを私たちは知っているから、うかつには動けない。
敵は要所ごとに待ち伏せしており、それとは別動隊で町中を徘徊している戦闘員がいる。ほとんど私たちには逃げ場なしであり、ホテルで滞在していても、見つかるのは時間の問題となってきそう。
何もいい案が思い浮かばず、ただ頭を抱えているだけの時間が過ぎていく。
そんな中、携帯のバイブ音で悶々とした思考が弾け飛んだ。
「……っと、わりぃな」
携帯の持ち主は覇人だった。組織内で連絡を取り合う為に、一部のメンバーには持たされているらしい。ということは、通話相手は何となく想像ができそうだった。
社交辞令のような会話を一言、二言交わした後、覇人はスピーカーを起動させて、私たちにも聞こえるようにしてくれた。
『……私の声が聞こえてかしら?』
「お姉ちゃん?!」
聞こえてきた声は緋真さんだった。
『その声は蘭ね。覇人から聞いたのだけど、ホテルに滞在しているんだってね。そこに全員いるのかしら?』
「ええ、いるわ」
蘭が代表して答えてくれる。
『そう、良かったわ。全員、まだ無事でいてくれているのね』
「うん。こっちは大丈夫だよ。緋真さんの方はどうなの?」
『私と源十郎さんは何とか本調子に戻りつつあるわ。彩葉ちゃんたちに心配されるようなことは何もないわよ』
向こうの状況はどうなっているのか分からないけど、無事ならそれでいっか。元気そうな声が聴けて良かった。
「本当にそうなんだろうな? あれから戦闘員がやけに大量に動員されていやがるけど、どうなってやがんだ?」
『そのことね。確かに、いままでの比じゃないぐらいに動員されているわね』
「何度か回収屋として研究所を襲撃してきたが、今回ほど騒ぎ立てて追ってくるようなことはなかったはずだぜ」
そういえば、覇人は過去にも三回襲撃しているんだった。その時と今回を比べると、やっぱり戦力に違いがありすぎるみたい。
「言われてみるとおかしいわね。あたしが戦闘員をやっていたころには、ここまでの数が一斉に動くなんてことは一度もなかったはずだわ」
「そうなのですか?」
「これだけの規模を動かすなんて、あたしが知る限りでは屍二の惨劇ぐらいかしら」
「それじゃあ、もしかすると緋真さんと彩葉ちゃんのお父さんが脱走したことが関わっている可能性とかはどうなのでしょうか」
裏社会に潜む謎の秘密犯罪結社の幹部級である二人。アンチマジックからすると、再び野に放つわけにはいかない人物たち。研究員たちは自分を魔法使い化してまで、全力で阻止しようとしてきたぐらいに危険人物扱いされている。
「最重要の人物だからな。その可能性もありそうだな」
『残念だけど、すべて違うわ』
茜ちゃんたちの推理を一蹴した緋真さん。ただ、言葉には何らかの確信めいたものがあったから、私たちは思わず口を閉じた。
「そっちでは事情が掴めてるみたいだな」
『大体はね。だけど、あまりいい話ではないわ。というより、事態は最悪の方向に向かってると言っていいわね』
「――? 一体何があったって言うんだよ」
緋真さんが沈黙する。相当言いづらいことなのかな。口を閉ざされてしまっては、かなり悪い話なんだろうってことには想像がついた。
しばらく黙っていた緋真さんは、ようやく重い口を開いた。
『アンチマジックの組織内で動きがあったらしいわ』
「本当なのか?」
『具体的に言えば、リーダーの変更よ』
組織の長が変わる。それってつまり、今後の組織の動き方が変わるってことだよね。
「新リーダーは誰だ?」
『元S級戦闘員の天童守人よ。そこにいる纏くんのお父さんね』
「――な! 嘘だろ……」
纏が絶句する。それだけじゃなく、私も驚きのあまり言葉が出なかった。
『生け捕った戦闘員から、この異常な状況を聞いてみたのだけど、どうやら研究所襲撃の夜に組織内で何らかの騒動があったらしいわ。その次の日には、リーダーが変更されたみたいね』
「よりによって、あの野郎か」
「守人は魔法使い殺しには一切手を抜かない戦闘員だわ。その守人が指示なら、この異常な数の戦闘員が動員されていることにも納得できるわ」
「新リーダーに親父が就いたということは、おそらくこの事態に一刻も早く終止符を打ちたくて、全力で俺たちを狩ろうとしているんだろう」
天童守人のことなら、実の息子である纏が誰よりも理解している。たぶん、纏の予想は当たっているんだと思う。
「まずいわね。もしかすると、今後の裏社会の動向が大きく変わるかもしれないわ」
「ですね。魔法使いに対して一切の容赦がない人がリーダーなのでしたら、私たちにとってはかなり脅威的な組織になってしまいましたね」
魔法使いの殲滅がいままで以上に加速していってしまう。非常に困ったことになってしまった。
『そういうことだから、彩葉ちゃんたちの方も――』
突如、緋真さんの言葉が途切れ、激しい戦闘音が鳴り響く。
爆発音……かな。
血晶と呼ばれる魔具を用いられた様子が脳内に描けてしまう。
怒声……らしき声も聞こえる。
かなりの数の戦闘員から襲撃を受けている様子が脳内に描けてしまう。
こちらの部屋でも茜ちゃんが心配になって、必死に通話口に向けて呼びかけている。
一分ぐらいかな。それほど待っていなかったのかもしれないけど、体感的には長く感じた緊張の時間を過ごした後、不意に戦闘音が途切れる。
やや遅れて、緋真さんからの声が返ってきた。
『……心配かけたわね』
「怪我はしていませんか?」
『平気よ。こっちにはキャパシティの最高戦力が集まっているのよ。滅多なことではやられたりしないわ』
「まあ、お前らに限ってそんなことにはならねえとは思ってるよ。つーかそんなことより、まさかとは思うが戦闘員からの襲撃だよな。今のは」
『そうよ。奴ら、とうとう昼夜問わずに仕掛けてきたわ』
魔法使いとの戦闘は基本的に深夜だ。昼間だと人目に付きやすく、かえってパニックを煽ってしまう可能性もあるため、住民が寝静まった深夜が丁度いい。なのに、昼間に襲うだなんて。
「お姉ちゃん、いまどこにいるのよ」
『組織への道中、人気のない道を選んで進んでいるわ。だからこそ、連中に眼を付けられてしまったのかしらね』
町中では全面的に戦闘員が見張っている。だからこそ人気のないところを選ぶ手段もあるけど、失敗したみたい。
戦闘を起こしたということは、一般人さえいなければすべての場所が戦場になっているんだね。
纏が言っていた通り、もうなりふり構わず隙さえあれば襲ってくるんだ。
私たちが首を差し出さない限り、いつまでもこの状況は続きそう。でも、当然ながらそんなことをする気はない。
何とかして事態が収拾される方向に進んでくれるといいけど、待っていたって終わるわけがない。こちらからも行動を起こしてみるべきかも。
『覇人。お互いに組織で再会できるように、私たちの方で敵を引き付けておくわ。その間にあなたたちは組織へと向かいなさい』
「無茶よ。どれだけの戦闘員がいると思ってるのよ」
『あのね、蘭。戦力的には、こちらの方があなたたちよりも遥かに上なのよ。現に蘭たちは身動き取れずにホテルで滞在しているじゃない』
「それはそうだけど」
なにせ、キャパシティの副リーダーに幹部が二人もいる。私たちとの戦力の差は歴然だね。
「引き付けておくって言ってもよ、何するつもりだよ。……お前が言い出すと、あまり良い予感がしねえんだけど」
『それは秘密よ』
研究所の地下を丸ごと焼き払うようなことをするぐらいだし、確かに派手なことをしそう。
「策があるというのなら、俺たちの方は逃走する準備をして待っていた方が良さそうだな」
『ええ、そうしておいた方がいいわね。また近い内に連絡するわ。それまで、無事でいなさいよね』
「緋真さんもですよ」
『あなたたちのお姉ちゃんは不滅だから心配ご無用よ』
謎の説得力がある言葉を残して通話が切れた。
あまりいい状況とは言えないけど、緋真さんが打開策を用意してくれるらしいから、あとのことは任せておくしかない。
私たちには、その時が来るまでただ待っているしかなかった、
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