第77話

 暗い暗いどん底に飲み込まれる。

 深海を泳ぐように下る闇の中。そう思っているだけで実際は侵されているのかもしれないけど、なんとなくどこかに進んでいるんだなという感覚が付き纏う。

 辿り着いたその先が本当にどん底なのか、まだ更に下があるのか。暗すぎてよく分からない。

 果たして底に辿り着いたのか。

 まるで霧が晴れるようにして視界が取り戻されていくと、そこはどこかの建物の中だった。

 廊下が迷路のように入り組んでて、歩いているうちに同じところを実は回っているんじゃないかとすら思えてきた。目印となるような物でもあればいいのに……変な建物。

 適当にあっちこっちとうろついていたら、階段があった。そこでなんでか知らないけど寒気がした。

 私にとっては都合がよくない場所で、今すぐ離れたいという気持ちが表れてくる。

 それを更に強く駆り立てさせたのは、下から這い上がって来る衝撃音。

 何かが暴れているような、爆発でも起きたみたいな。そんな感じ。


「ここは……止めとこっかな。うん。そうしよ」


 振り向いて戻ろうとすると、視界にノイズが走った。

 眼が気持ち悪い。景色がはっきりと見渡せないことがこんなにも苦痛だなんて知らなかったよ。

 何もかもがブレる。焦点が上手く合ってくれないことで、余計に気持ち悪くなってきた。

 ふらつく足元をそれでも何とか耐えきって前を見ると、すでに廊下は消え去っていた。立ちくらみにも似た感覚のあとで、一瞬でワープでもしたみたいに。入り口のような場所で七人の人が立っていた。

 後ろ姿でノイズが走っているから結局だれなのか分からないんだけど、それでも誰なのかはっきりとさせたくと、一歩一歩よく判別できるぐらいの距離まで移動しようとしてみる。

 突如、朱い何かが入り口付近まで飛んで行ったかと思うと、鼓膜を破るような轟音と震え上がる風が肌を叩きつけてくる。

 炎上し、視界が朱く染まる景色は夕焼けを見ているように鮮烈で、瞳に焼きついてしまうほど。

 直視するには、あれはあまりにも鮮やかすぎる。

 目のダメージ防ぐため、私は視界を手で遮ってしまう。

 指と指の隙間から覗いてみると、こっちに人が飛んできた。まるで、キャッチボールのように綺麗な軌道を描いて、そのまま受け取り手もなく地面に落ちた。

 ボールみたいにバウンドなんてしなくて、ぐったりとしている人。

 目の前の七人がようやく視界に慣れてきたっぽくて、我先にと駆け寄っていく。

 一体誰が飛んできたのか、知りたかった私はノイズがかかった七人の間から覗くようにして見てみた。


「え――? この女の子……あのときの……」


 私は知っている。この子のことを――

 その女の子にはノイズが走っていなくて、はっきりと姿が写っている。

 ダミー声みたいな変に聞き取れる謎の七人の会話。

 慌てふためいているということぐらいしかこの人たちの状況は分かんない。でも、それは私もだよ。


「ねえ、あなたは何者なの?」


 自称魔法使いを名乗った――時計塔で見たあの女の子が横たわっていた。

 綺麗に整った顔つきで、表情が亡くなった女の子。

 出てきたのが炎上しているところからだから、えっと……ああ、頭がパニックになってくるよ。

 つまり、七人の内の一人がさっき投げていた朱い何かでこの子を攻撃したってことだよね。

 じゃあ、この人たちは戦闘員? でも、なんでこの人たちは慌ててるの?

 あの時、蘭が疑っていたみたいに本当にこの子は魔法使いなのかな。それとも、戦闘員なのかな。

 どっちか分からないから、もうどっちでもいいけど。とりあえずこの状況はどうしたらいいんだろう。

 炎上した中から更に二人のノイズ人間が出てくる。次から次へとなんであんなにも人が出てくるの? もしかしたらあの炎はどこか別の世界と繋がっているんじゃないのと変な考えがよぎってしまった。

 せめてノイズさえなければいいのに……私が観たい視界を邪魔しないで欲しいんだけど。


 二人いるノイズ人間の内、背が高い方が腕を振りあげた瞬間――


 一度味わったことがあるような、そんな吹き飛んできた大気が天井を壊す。

 砕けた部分から連鎖して、ひびが入り。やがては土砂降りの雨のように落ちてくる天井。


「ちょ、ちょっと?! メチャクチャすぎだよ」


 逃げないと……っ! そう思って二人のノイズ人間がいるところに駆け出そうとすると、その先に人型の光が見えた。

 おかげで足が止まり、食い入るようにその姿を凝視してしまった。


 あ、いま。不敵に笑ったような……


 降って来る瓦礫に気を掛けずに、私はふと感じるものに意識を向ける。


 うん。やっぱりそうだ。この感じ、前に一度あった。


 まるで本当のことのように思える現実。

 嘘を嘘だと否定できるように。真実のような現実を捻じ曲げるために。

 あの光はきっと、知らせに来たんだ。


 ――私は知っているよ。


 光で形作られているのは私自身。私の心の奥底に眠っていた魔力の根源。

 魔法使いになったあの日、私の前に現れた存在。


 ああ……そっか。

 またなんだね。

 また、何かが起きるってことでいいんだね。


 これは悪夢――虚構の世界が見せる不幸の一端。


 目を覚ますといつも通りの私が出迎える。

 その時には、全部綺麗さっぱり忘れていると思うけど、それでいい。

 怖いものは覚えていたくなんてないしね。

 絶対にこんなことが起きるとは限らないよね。だって、夢なんだし。

 瓦礫に潰された私はもう一度、あの日のように意識が途絶えた。

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