二話 闘技場の吸血鬼 その二十八 目は口ほどにものを言い、涙は目より物語る

 リィンは要点だけを簡潔に話した。尾けられていたこと。気付かぬふりをして袋小路に誘い込んだこと。化物が姿を現し、ウィルが警告をするも無視され、そこから戦闘になったこと。最初のタックルでウィルはもはや戦闘不能なほどの打撃を受けてしまったこと。そこから膝を斬り、みぞおちを貫いたこと。それでも化物は倒れず、立ち向かってきたこと。背中から胸へと剣を突き立て貫通させたこと。そこまでやっても化物は倒れることもなく、反撃をもらってしまったこと。漆黒の衣服に身を包んだ大剣使いに助けられたこと。漆黒の男の手を借りてウィルとともにその場を脱出したこと。


 シンカは黙って話を聞き、手帳に一言一句漏らさず書き留めた。書き留めた文章を見直した。シンカの眉根に皺が寄った。


「にわかには信じられないわね……。あ、別にリィンを疑っているわけじゃないの」

「ええ、わかるわ。私も自分で言っていて……、不思議な気持ちになる」


 リィンは胸中にある恐怖感を不思議な気持ちと言い換えた。恐怖をそのまま口に出してしまえば、シンカに臆していると思われかねない。プライドの高いリィンがそのようなことを口にできるはずがなかった。


「そうね。とても不思議で、かなり気味の悪い気持ちになりそうね。腹と胸を突かれて死ぬどころか反撃してくるなんて、悪夢でしかないわ。これがあなたとウィルが見た白昼夢ならいいのに」

「白昼夢が騎士を病院送りにしたりはしないだろう?」

「そこが現実の恐ろしいところね。ところで、あなたの腰の得物、一本足りないのは化物に奪われたせい?」

「ええ。化物が馬鹿力で地面に叩きつけたせいで刀身が反ってしまったから、どうせ安物だし、あの場に捨て置いてきた。脱出するためには拾う時間も惜しかったのもあるが」

「一応回収させておくわ。どの程度の馬鹿力なのかこの目で確認もできるしね。それはそうと、前から気になっていたんだけど、この際だから聞くわ。なぜあなたは二本の剣を、それも左右に一本ずつ差していたの? そっちの剣は一見かなりの業物に見えるけど、このあいだの件でも抜かなかったし。普通剣は利き手とは逆の腰に差すものだけれど、あなたは剣を一本失っているというのに、まだ右の腰に差しているわね。契約書にサインするとき、あなたは右でペンを持っていたから、あなたは右利きだと思ったんだけど、ひょっとして左手でも剣を扱えるとか? でなければ、普通は左腰に差すもの。それとも、その剣には何か『特別な事情』があったりして?」


 リィンの聖剣に注がれるシンカの目は、無垢な好奇心に満ちていた。


 『特別な事情』という言葉に、リィンの胸はドキリと大きく打った。聖剣には『特別な事情』がありすぎるし、『特別な事情』はリィンにとってかなり『心苦しい事情』だった。それを馬鹿正直に話すとなれば、聖剣を受け継いだ経緯を話すということになる。それは自分が国を追われているという不名誉まで話すことになる。むろん、押し着せられたいわれなき罪によるものなのだが、不名誉には変わりない。だから『特別な事情』は、正直には絶対に話せない。


「いや、無理にとは言わないわ。言いにくいことなら別に話さなくていいから」


 押し黙ってしまったリィンを見かねてシンカが言った。


「あまり多くのことは話せないけれど、これは大事な人から預かっているようなものだから、普段使いしないように利き手の方に差しているの。騎士たるもの普段使いの剣も必要だから、そっちはしっかり利き手とは逆に差している」

「なるほどね。あ、そろそろ着くわ」


 言って、シンカは目線を馬車の左の窓の外へと向けた。リィンもそちらへ目を向けた。窓の外はしばらく軒が連なっていたが、すぐに途切れ、よく手入れされた桃色の小さな花が咲く生け垣が現れた。


「この生け垣の向こうがウィルの担ぎ込まれた病院よ。それにしてもこの生け垣、すごくきれいでしょう?」


 生け垣に見とれながら、シンカが言った。


「ええ」


 リィンは同意した。半分社交辞令だった。リィンは特別花が好きというわけでもない。嫌いというわけでもない。きれいはきれいだと思うが、シンカのように見とれるほどきれいだと思わない。見とれるほど花に興味を持ったことがない。


「これが知り合いの見舞いでなければ、もっと楽しめるのだけれど」


 シンカはため息まじりに言った。


「そうね」


 リィンは、これには本心で同意した。


 二人は二分ほど生け垣を観賞した。リィンにとっては飽きるほど長い時間。シンカにとっては束の間の楽しい時間。


 馬車は生け垣の切れ目に吸い込まれるように左に折れた。生け垣をくぐった先には噴水があり、噴水が中心となってラウンドアバウトを形成していた。さらにその先には白い屋敷がそびえ立っている。それが二人の目指す病院だった。この国で病院を示す『赤いリボン』のシンボルマークが建物正面になければ、病院に見えないほど、豪勢な建築物だ。三階建て。正面には芝生と花や樹木に彩られた庭園があり、二階にベランダ、三階にバルコニーがあるという一風変わった構造が、余計に病院らしくない。まるで大貴族の別荘地のようだ。


 二人を乗せた馬車は病院へと真っ直ぐ進んだ。ラウンドアバウトは左側通行。左に折れ、ぐるりと回って病院が左側へ来ると、馬車はもう一度左に折れた。病院の玄関前で馬車は鼻面を右へ向けると、馬車のドアと病院の玄関が正対した。


「着いたわ。降りましょう」


 シンカはドアを開け、降りた。リィンも続いて降りた。


「ここが、病院……?」


 リィンは、まだここが病院とは思っていなかった。目の前にある豪勢過ぎる建物は、彼女の中の病院像とは一致しない。病院というのは質実剛健、質素倹約、無駄を排し、利便だけをとったものだと思っていただけに、リィンが困惑するのも無理はない。


「ここはね、高級かつ金持ち貴族しか治療を受けられない病院なの。金持ち貴族相手だから、建物自体も貴族趣味というわけ」


 シンカは口調には若干病院を小馬鹿にするニュアンスが含まれていた。リィンとしても彼女の気持ちはよくわかった。


「さぁ、行きましょう」


 二人は玄関を開け、院内へと入っていった。玄関ロビーは広く、採光窓が大きいため、外から日光が大いに降り注ぎ、広い建築物にありがちな暗い場所というのが見事になかった。その分、多少日当たりの強すぎるところもあり、そこの壁や床板は若干褪色している。受付には看護婦が椅子に座って二人の方を一瞥した。短く髪を結い、それが乱れぬようナースキャップを被り、動きやすそうなゆったりしたスカート、純白のエプロン姿だ。それが若く美人なのは、これも貴族の趣味の一環だ。看護婦の背後には、これまた美人な看護婦が数人控え、なにやら事務作業をしている。受付の隅、二人からは見えにくい隅に屈強な男が数人控えている。彼らは警備員だ。彼らに貴族趣味的な部分は見いだせない。警備員に求められるのはいつだって腕っ節だ。


 シンカが足早に受付に向い、一歩遅れて後ろからリィンが続く。シンカは受付の台に肘をつき、半身を乗り出した。


「ウィル・コーダーが運び込まれたと聞いた。私は彼の同僚、シンカ・カウンス」

「ウィル・コーダー様は一○五号室に入られております」


 受付の看護婦を目深に会釈しつつ、資料の類を何も見ずに即座に答えた。それができるだけ、この病院の入院患者数は少ない。高級貴族というのは少数しか存在しないが、どれも金払いが良い。貴族趣味な病院は少数精鋭、量より質を地で行っている。


「こちらを」


 言って、看護婦は右手を右に突き出した。右手の先には通路があった。


「真っ直ぐ突き当りに。そこを左に曲がって奥になります」

「ありがとう」


 シンカは礼を言った。


 二人は足早に彼女の指し示した方へと歩を進めた。シンカはどんどん加速していゆく。いてもたってもいられないのだろう。ウィルの容態がどのようなものか、それが気になって仕方がない。ウィルについての様々な想像がシンカの頭を駆け巡る。何にしても、ウィルの無事を祈らずにはいられない。


 受付の看護婦は、足早に去ってゆく二人の騎士が見えなくなるまで、ずっと慇懃いんぎんにお辞儀し続けていた。


 ほとんど駆けるように急いだおかげで、外見通りに広い病院内ながら、すぐに一○五と書かれた札のある病室にたどり着いた。二人は病室の扉を前に立ち止まった。面会を禁じるような張り紙やらなんやらがあったわけではない。ただ急いで駆けつけたので、シンカは気息を整える必要があった。


 気息を整え、耳をすませば扉の向こう側から何やら物音が聞こえた。微かに話し声さえ聞こえる。


 シンカは扉を軽くノックした。ノックの音はシンカが思った以上に病院の廊下に響いた。扉の向こうで足音がした。それはゆっくりと、二人の方へと近づいてくる。


 がちゃり、と音を立て、ドアノブが回り扉がとてもゆっくり開いた。現れたのは見知らぬ男だった。真っ直ぐでさらさらの顎下まで伸びた黒髪が風もないのに揺れている。首から踝までをすっぽりと覆うローブを着ている。この男は医者だ。ローブの胸のこの病院にもあった赤いリボンのシンボルマークを見て、リィンは思った。


「ご家族の方でしょうか?」


 医者の声は低かった。


「私は治安維持部隊の騎士。ウィルの同僚よ。隣も同じ」

「ああ、そうでしたか。ご家族方がいつ頃みられるかはご存知ありませんか? こちらから連絡しても全くの梨のつぶてで」

「彼のトコはね、複雑なのよ。請求書なりなんなり、必要なことは治安維持部隊によこして。家族代わりだと思って」

「わかりました。では現在の容態を説明しましょう」


 医者はきびすを返して病室の奥へと進んでいった。二人は病室に入り、扉をそっと閉めてから彼に続いた。


 病室は無駄尽くしだった。無駄に広く、無駄に豪奢。いかにも高級そうな絵画、壺、家具がちりばめられている。自分の宿より、ここの病室の方がはるかにリッチだ。リィンはちょっぴり悲しく思った。


 奥に純白で、これまた滑らかな光沢を放つカーテンで仕切られた向こう側が病床らしい。


 医者を含めた三人はカーテンの奥へと進んだ。


 そこにウィルはいた。純白のベッドの上、薄く柔らかな毛布が胸までかけられ、眠っていた。一見するとただ眠っているように見えるが、十秒も観察すればそうでないことはすぐにわかった。時折、呼吸が荒くなり、苦悶の表情を浮かべる。顔や首は生気が薄く青白く、小さなキズがいくつかあった。唇は紫に近く、見るも痛々しい。彼の、化物に打たれた部分はもっと痛々しいことになっているだろう。


「命に別状はありません。ただ、いくら魔法による最高の治療を施したといっても、すぐには退院できないでしょう。今は『静眠せいみん』の魔法をかけ、回復を促すと同時に痛みによる苦痛を和らげています」


 医者が言った。


「そう……」


 シンカの声はかすれていた。


「何かありましたらお呼びください」


 そう言って、医者は二人を残してカーテンの向こうへと消えた。遠くで扉の開く音がして、閉まる音がした。重い静けさが病室に充満していた。


 リィンはしばらくベッドに横たわるウィルを眺めていた。あのとき、もっと上手く立ち回っていれば……、後悔と怒りが再びリィンの中に沸き起こった。しかし、上手く立ち回るといっても、どう立ち回れば正解だったのか、今でもわからない。それが余計にもどかしく、余計に悔しい。


 化物への復讐を胸に誓ったリィンは、ふとシンカを見た。その時、シンカの頬を一粒の涙が顎へと伝い落ちていった。顔の筋肉がひきつったようにぷるぷると震えている。シンカは崩れ落ちるようにウィルの眠るベッドに取りすがった。


「ウィル……」


 シンカのウィルの名を呼ぶ声は涙と深い愛情に濡れていた。


 リィンは思わず彼女から目を離した。その顔はきっと他人には見られたくないだろうし、こちらも見るべきじゃない。リィンは思った。


「シンカ、私は先に宿に戻ってる。何かあったら宿に連絡を」


 ウィルとシンカの関係性を悟ったリィンは、短い言葉だけを残し、足早に病室を出、足早に病院からも出た。日は暮れようとしていた。沈みゆく陽がリィンの頬を赤く染める。宿への路の途中でリィンは何度も取りすがるシンカを思い出し、その度に化物への復讐の決意を固くした。恋愛ごとには縁が薄いリィンだが、他人の美しい愛情の光景に心動かされないほど、情が薄くはない。

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