二話 闘技場の吸血鬼 その二十五 連行
騒々しく、いくつかの足音が聞こえてきたかと思うと、サッと波が引くように、人混みはリィンとウィルから離れていった。足音の正体は兵士だった。五人いる。ノッポ、チビ、デブ、ガリ、中肉中背とバラエティに富んでいる。共通しているのは、どれも軍服を着ているのと、槍を手に持つことだ。
傷つき倒れているウィルを見て、きっと誰かが通報してくれたのだろう、そうリィンは判断した。
「いいところに来てくれた! 早く彼を病院へ……」
そう言うリィンに兵士は誰一人手を貸さなかった。それどころか、彼らはリィンとウィルをぐるりと取り囲み、槍の穂先を向けていた。
リィンは小さくため息をついた。しかしこの場合は仕方のないことだった。リィンとても、立場は違えどこういった経験はいくつかある。事件の現場というのは、そこにいる人物が一見して加害者なのか被害者なのか、即断しかねることがままある。この場合もそうだった。警察騎士団の制服を身に纏った男が倒れていて、顔面を怪我した素性の知れない女がその男の側にいる。兵士の目から見て、リィンとウィルが仲間である証拠はどこにもなかった。
「手を頭の後ろに上げ、跪け! 抵抗すれば容赦はしない!」
もちろん無実であり、そして何より貴族であり、騎士であるリィンがこのようなことを宣告されるのはいたくプライドに響くが、お互いの立場を鑑みても、これは従うほかはない。リィンは唇を固く一文字に引き結び、兵士に従った。
背後の兵士がリィンを後ろから押し倒した。大通りの硬い石畳と手荒い兵士の腕がリィンの身体を圧迫した。腰の聖剣は取り上げられ、両手は後ろ手にやられ、手錠をかけられた。ここまで酷くやられるとは思ってもみなかったリィンは、怒りとあまりの屈辱に思わず涙が溢れそうになった。目を固く閉じ、溢れそうになる思いをぐっと堪えた。リィンは自らに言い聞かせた。手錠をかけらればもはや抵抗は不可能。だから従容とするんだ。これでいいのだ。プライドは問題ではない。ウィルは一刻を争う危険な状態かもしれないのだ。それを思えば、自分のことなど大した問題じゃない。そう思うことで悔しさをなんとか抑えることができた。
リィンは兵士二人がかり、力ずくで引き起こされた。乱暴極まりなかったので肩がどうにかなりそうだった。
「ウィルは……、警察騎士団の制服を着たれっきとした警察騎士団の彼を早く病院に運んであげてくれ」
リィンは自らの悲憤を抑えて兵士に言った。
兵士らはリィンの目を一瞥し、それからつま先から頭の天辺までじろじろ睨め回した。嫌な目つきだった。それは明らかにリィンを女として意識していた。嫌悪感が、リィンに更なる怒りを呼び起こした。しかし怒ったところで今はどうにもならない。リィンはもはや彼らに期待などせず、時が過ぎ、この状況が好転するのを待つことだけに意識を集中した。
「連行する」
兵士の一人、『デブ』がしゃがれた声で言った。
デブと中肉中背がリィンを両サイドから窮屈にはさみ、リィンは強制的な三人四脚のような様相で歩かされた。チラリと、デブの腰に自らの聖剣が差してあるのを見た。大事な聖剣をどこぞの馬の骨に触れさせるのは忍びなかったが、それを今言い立てても詮無いことだった。
やがて彼らが手配したと思われる馬車に乗せられると、馬車はゆっくりと走り出した。馬車の中でもリィンはサンドイッチ状態だった。馬車はデブがいるとはいえ、それほど狭くない。それなのにリィンは圧迫感と嫌悪感に苦しまなければならなかった。両サイドの男はリィンに己の身体をすり合わせて楽しんでいるのだ。酷いセクハラだ。権力というのはときに人間の醜さを際立たせる。
リィンはこのような辱めを受けるのは初めてだった。エタイトでは彼女を知る者も少なくなかったし、何より騎士団の制服がその身分を証明していた。しかし今では祖国を追われる身となり、警察騎士団の騎士ではなくなり、貴族の生まれであることを証明するものもなく、ただの浮浪の身。背景を持たぬ者の厳しさ、辛さ、悲しさ、難しさを初めて知った。その上、リィンは女なのだ。女であることの風当たりの強さを身にしみて知った。
リィンは後ろ手に繋がれた両の拳を強く握り締めた。短めに切りそろえられた爪が食い込み、血が滲むほど強く。リィンの閉じられたまぶたの奥では双眸が強い光を宿していた。故郷から離れた異国の地の荒波は彼女の身に堪えた。しかしリィンは折れない。めげない。腐らない。温室から投げ出された薔薇は、強く太くたくましく、そして美しくなろうとしていた。荒野に咲く花は花屋に並ぶ花よりも尊いゆえに美しさもまたひとしおなのだ。
これは試練だ。とリィンは己に言い聞かせた。人生の転機においてままある、人を成長へと導く試練なのだと。『あの事件』からある程度の時間が経った。不運の坂を転げ落ち、栄えある騎士から流浪の無職にまで成り下がった。どん底だ。しかし底にたどり着いたなら、あとは登るだけだ。人生に立ちふさがる苦境という名の壁を乗り越えてこそ、初めて道は拓ける。ここへ来てから運が向き始めた。少なくとも無職ではなくなった。今回の事件を乗り越えることで、また新たな高みへと進むことができるはず。リィンはそれを強く信じた。信じ込むことで己を鼓舞した。
リィンの胸の奥で勇気が熱い炎となって燃え盛った。リィンは固く目を閉じ、暗くなった視界の中で不死身の大男を見つめた。必ず自らの手で己とウィルの雪辱を果たす。そう自らに固く誓った。
連行される馬車の中で、リィンはひたすら瞑目していた。全神経を集中させていた。頭の中は、どうやって先程の大男を倒すか、このことでいっぱいだった。馬車の振動も、両隣からくる圧迫感さえも忘れてしまうほどだった。
馬車はひたすら走った。大男への復讐へ燃える少女を乗せたまま。ゆっくりと、カラカラと音を立てて。
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