二話 闘技場の吸血鬼 その二十一 怪しい本

 リィンとウィルは不気味な空間を散策した。三つの棚を一周するのに一分もかからなかった。広さは七、八畳くらいだろうか。地下室には棚とそこに置かれた物以外は、こもったカビ臭い空気と、羽虫の死骸、蜘蛛とその巣、それらがほとんどだった。差はあれど、どれも埃にまみれていた。


 部屋の大まかの様子もわかったところで、今度は棚にあるものを調べるために、ウィルはもう一度棚を巡ることにした。


 棚には瓶や本が無造作に並んでいた。並んでいるというよりは、子供のおもちゃ箱のように乱雑に放置されていた。空の瓶。液体の入った瓶。生き物の死骸の入った瓶。液体と生き物の死骸の入った瓶。


「吸血鬼というよりは、童話に出てきそうな魔法使いの隠れ家みたいだな?」


 ウィルが瓶の一つを手に取り、リィンにそれを見せながら言った。


 それを見せられ、リィンは強張った微笑みを浮かべた。リィンはこのおどろおどろしい雰囲気にかなりビビっていた。その様子がウィルには愉快だった。ウィルはあえて怖いことを言い、怖いものをリィンに見せつけることで、その反応を愉しんでいた。可愛い反応を示す可愛い女の子で愉しむのは、男の性というやつだ。


 ウィルは瓶を棚に戻し、今度は本に目を向けた。動物皮が装丁に使用されている高級そうな本もある一方で、文庫本のような薄い紙でいかにも安っぽい装丁の本もあった。どれも程度の差はあれど汚れ、一部破れている。


 ウィルは取り敢えず目についた一冊を手に取った。動物皮の時点並みに大きく分厚い本だ。びっしりとついた埃を手で払い、それから息を吹きかけた。埃が煙幕のようにあたりに広がった。ウィルは少しむせた。


「頻繁に出入りしていたわけじゃないんだろうな。酷い有様だ」


 言いつつ、ウィルは本の表紙に手燭を近づけ、そのタイトルを読み取ろうとした。灯りに照らされ、表紙が浮かび上がった。赤茶けた表紙にはタイトルも何も、文字らしきものは記入されていなかった。表紙をめくってみた。一ページ目。そこにも何も書かれていない。二ページ目と三ページ目を見る。そこにもない。ページをぱらぱら送る。どこにも何も書いていない。


「何も書いてない」


 言って、ウィルはその本をリィンに差し出した。ビビり顔を硬直させ、ウィルの作業をジッと見守っていたリィンは、ぎこちない動作でそれを受け取った。恐る恐るページをめくった。


 その間に、ウィルは二冊目を手に取っていた。ウィルもぱらぱらとページをめくっている。


「本当ね、何も書いてないわ」


 リィンが言った。


「こっちの本にも何も書いていない。何なんだこの本は」

「これから何か書き込むつもりだったのかしら?」

「普通は書いてから本にするものだろう。本にしてから書くなんておかしくないか?」

「そうね。じゃあ、これは何のために作られたの?」

「皆目見当もつかないね」


 二人はそれから適当にいくつかの本を手にとって見た。やはりどれも白紙だった。意図の見い出せない白紙の本ほど、興味の失せるものはない。ウィルはこれ以上二人でここを調べるのは不必要だと判断した。手間な上に、全くの無駄に終わる可能性があった。


「リィン、一先ずここを出よう。ここにあるものは兵卒に運び出させ、本部でまたの機会にゆっくり調べよう」

「わかったわ」


 リィンは開いていた白紙の本を棚に戻した。直後、棚から軋む音が聞こえた。二人は音から嫌な予感を感じ取った。当たりだった。直後にリィンが本を置いた棚の真ん中の台が折れ、載っていた瓶やら本やらが落下した。落下の衝撃で一つ下段が崩壊し、崩壊の衝撃でさらにひとつ下の段が崩れた。玉突きの要領でリィンの置いた段から下は全て崩壊した。崩壊の音は地下室に耳をつんざくほどに響き渡った。砂嵐のように埃が舞い散り、それがおさまったときには、唖然としているリィンの顔が、わずかな灯りの中でもウィルにははっきりと見えた。


「大丈夫か? リィン」

「ええ、私は大丈夫……、けど棚が……」

「大したものはなかっただろうし、別に構わないさ」


 言って、ウィルは崩壊した棚へ目を向けた。骨格と上三分の一ほどは原型を保っていたが、それ以外は惨憺たる有様だ。瓶は割れ、ガラスの破片が折り重なった本にキラキラと輝き降り積もっている。陰湿な地下室にこの惨状はある意味でマッチしてると言えなくもない。


「ん?」


 ウィルの目に何かが見えた。一瞬、あの惨憺たる山の奥不覚に何かが見えた。よく目を凝らせば、やっぱり時々何かが淡く光っているように見える。ウィルは瓦礫に近づき、屈み、手で瓦礫を掻き分けた。すると出てきた。本だ。さっきリィンが開いていた本だ。その表紙の一部が微弱な光を時折放つ。光の羅列が現れる。それは文様のように見えるし、異国の未知の文字のようにも見えた。表紙は濡れていた。割れた瓶の液体がかかったらしい。そのせいで、光を放つようになったのだろう。開いてみると、先程まで白紙だったはずのページの一枚一枚に、弱々しく光るものがある。それは表紙と同じような文様、あるいは文字が、整然と並んでいる。まるで誰かが書き記したように。とても液体の付着で偶然そうなったようには見えない。それらが何を意味しているのかウィルには即座に判断はできない。だが、事件の予感はあった。


「リィン、よくやってくれた」


 ウィルは本を閉じて言った。


 リィンは彼の本心からの褒め言葉を皮肉と受け取った。自然に考えれば、本棚を崩壊させて褒めてくれるはずはない。リィンはムッと眉をつりあげた。


「ウィル、確かに私の不注意もあったかもしれないわ! けどそんな言い方って……」

「リィン、これを見てくれ。君のおかげで見つかった」


 ウィルは弱々しく光る表紙をまず見せ、それから中身を開いて見せた。


「私には文字に見える」

「でも読めないわ」

「私も読めない。この国の言葉じゃない。だが一つ思い当たる節がある。古代語だ。古代魔術は古代語のみで記されていると聞いたことがある。リィン、この国では古代魔術は違法だ。もしこれがそうなら、焼死してしまった店主は禁術に手を染めていた可能性がある。それが私たちの追う吸血鬼とつながりがあるかはわからないが、何にせよこれも見逃せない犯罪だし、これが原因で店主は殺されたとしたら、それもまた犯罪だ。この本は充分に調べてみなければならないな」


 そう言って、ウィルは本を懐に収めた。


「とりあえずこの一冊を優先して、後は兵卒に言って、本部に送ってもらおう。一先ずこの酷い空間から出よう。埃で喉がおかしくなりそうだ」


 リィンは頷いた。こんな酷いところに一秒だって長くいたくないのはリィンも同感だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る