二話 闘技場の吸血鬼 その十八 馬車の車窓から

 ウィルは御者に行き先を告げつつ馬車のドアを開いた。開いたドアを手に持ち、半身をリィンに向けて、もう片方の手を振り、リィンに先に乗り込むように促した。女性優先がこの国の習わしだ。リィンの故郷でもそれは同じだ。


 しかしリィンはその手の扱いを受けたことはあまりなかった。というのも、両親を早くに亡くしてから、彼女は『アットレイル』の家を守る手段として婿を貰うのではなく、自らが騎士になることを選択した。


 騎士になるということは、ある意味では男になるようなものだ。


 世間的には、男女の役割というのは明確に分かれている。職業、ファッション、習慣、これらにおいて、男らしさ、女らしさははっきりと区別される。


 世間的に言えば、騎士は圧倒的に男らしい職業だ。特に、リィンの養父ともいえる存在、ガレウンの時代には、それは絶対的だった。


 世界中が野心と栄達、繁栄と滅亡をかけた戦争を飽くこともなく続けていた時代が終え、そこから数十年の歳月を経ると、戦争という破壊的消費活動の代わりに、生活のための生産と消費が活発になると、人々の生活に段々と余裕が出てくる。


 余裕は国も人も富み肥やす。人口が増えると、競争が激しくなる。優れた地位につくには優れた人間でなくてはならない。優れた戦士である騎士には、力の優れた人間であることが望ましい。力が優れているのであれば、性別は問うべきでない。


 競争の激化、これこそが男女の境界を外すのに必要なことだった。


 人間という生物は、一般論では女より男の方が力の上で優れていることが多い。それはあくまでも一般論。一般的ではない力を持つ者が、一般的な力を持つ者を凌ぐことだってある。


 リィンは一般的騎士ではない。彼女は女だ。それは誰が見ても一目でわかる。騎士の格好をしていても華奢だ。女らしい格好をすれば、それが騎士とはとても思えないほど、ただの少女に見える。日々の鍛錬と、騎士の訓練により体躯は女性の平均値よりかはいくらか大きいのだが、少女の範疇を出ない。ゆえに、単純な腕力では一般的騎士の後塵を拝す。


 だが、騎士に求められるのは単純な腕力ではない。騎士に求められる第一条を一言であらわすと『強さ』だ。これは古来からの絶対条件だ。昨今では『品格』も求められるような風潮になってきたが、それは平和時の安穏のせいだろう。いざ国の非常時には礼儀作法よりも『強さ』がものを言う。


 リィンは強い。彼女の腕力は最低クラスだが、魔力という一般的でない能力の『神速剣』は圧倒的な『強さ』を誇る。さらには、幼い頃からガレウンの手によって鍛え上げられた剣技は達人の域。『神速剣』はその達人の腕前に支えられている。


 腕力それ即ち強さではない。腕力は強くなるための材料の一つに過ぎない。たとえ材料がいくつか乏しくても、結果的に競争に勝ち抜くだけの強さがあればそれでいい。


 そういう風潮が徐々にあらわれ始めてはいるのだが、やはり長年の慣習、伝統というのは一朝一夕では変え難く、古来からの男らしさ、女らしさは今も変わらず根付いている。


 男職場とされる騎士にあってリィンは、ほとんど女として扱われなかった。別にそれに不満を感じたことはなかった。そんなことは騎士に叙任されるずっと前から覚悟していたし、それが当然と考えていた。幼心に見てきたガレウンと父の背。紛れもなく立派な男の広い背中。騎士の背だった。彼女は立派な背を持つ、騎士である彼らに憧れた。ガレウンの時代、立派な騎士は立派な男だった。ガレウンの背を見て育った父も、立派な騎士であり立派な男だった。それら二人の背を見て育ったリィンが立派な騎士に憧れるということは、立派な男に、素晴らしき男の世界に憧れるということとはほとんど同一の意味を持っていた。


 リィンの目指す騎士像、そこには男らしさが濃密に漂っている。


 青春の多くをそんな男社会で過ごしてきたリィンだから、女性らしい扱いを受けるのはこれがほとんど初めてだった。


 かつて同僚が、その物珍しさからリィンを女の子扱いしてからかったことがあった。その時は怒りに怒った。騎士として受けた侮辱を十二分にお返して溜飲を下げた。そのお返しがあまりにも苛烈だったから、その後同僚たちは彼女をからかわなくなった。


 だが、ウィルの扱いはかつての同僚のそれとは違う。からかいやふざけた様子はどこにもない。彼は純粋に紳士だった。


 リィンはなんとも恥ずかしかった。普通に対応すればいいはずなのだが、その普通がわからなかった。公私共に騎士であることを心がけてきたせいで、女性としての感覚は心の奥底の箱に入れられ、鍵をかけられ、ホコリを被っていた。それがウィルによって急激に弄くられたから、反応は不自然極まりなくなる。


 リィンの頬が赤い。熱い。嬉しいような照れくさいような複雑な感じ。


「リィン……?」


 固まっているリィンを見て、ウィルは小首をかしげた。

 リィンははっとなった。


「うっ……、いや、何でもない……」


 リィンは赤くなった顔を見られまいと、顔を俯かせ、ウィルの開いた馬車に足早に飛び乗った。


 すぐ後からウィルも乗る。ウィルがドアを閉めると、御者が鞭を打ち、馬車は緩やかに発進した。


 すぐさまリィンは窓の外を流れる景色に顔を向けた。光の加減で時折窓に映る自分の真っ赤な顔が余計に恥ずかしかった。


「体調でも悪いのか?」


 隣から声がかかる。


「大丈夫。なんでもないわ」


 顔も向けずにそっけなく返す。


「それならいいんだ」


 その後は馬車を降りるまで互いに無言だった。一度だけ、リィンはチラリとウィルを見た。彼もリィンと同じように窓の外を眺めていた。

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