mission13-39 戦場の救世主



 作戦は失敗だった。


 当初の目論見通りであれば、ヴァルトロとエルロンドの両軍の長の息子が前線に立つということで兵の士気を上げ、明朝から勢いづけて攻め込んでいるはずだった。


 ところが、まずライアンが皆の前で名乗ろうとした瞬間にエルロンド軍から非難の声が上がった。なぜエルロンド側ではなくヴァルトロ側が先なのか、と。


 この作戦を仕切っていたガルダストリアの将兵にはそこまで深い意図はなく、ただ単にライアンの方が場慣れしていて年長者だからという判断だった。だが、疲弊した兵士たちはそんな意図を汲むような余裕を持ち合わせてはいない。


 エルロンド軍からの非難の声を皮切りに、両軍の兵士たちは次第にどちらが優れているかのいがみ合いを始め、すると今度はガルダストリア軍の兵士たちが彼らを黙らせようと発砲し、強行手段に出始めた。もう、何が正気で何が狂気なのか分からない……収拾がつかなくなっているうちにルーフェイ軍からの奇襲を受けたというわけだ。


「ウーズレイ! ウーズレイ! 聞こえたら返事をするんだ……!」


 両陣営の兵士の怒号が飛び交う中で、ライアンは一人の少年を探し続けた。誰もその名を知らない。ライアンだけが知っている。……影として戦場に立たされた哀れな少年のことを。


 強い陽射しが容赦なく降り注ぐこの場所で、風に吹かれるだけでも消え去ってしまいそうなか細い影。ライアンにとっては何の縁もない少年だが、どこか放っておけなかった。ソニアを見ていてもそうだが、故郷で待つ弟のことを思い出すからかもしれない。


 戦いの心得などほとんど持たない彼のことを側にいて守ってやるつもりだった。だが、思った以上に前線は敵味方入り乱れて混沌としていて、あっという間に逸れてしまった。かすかに返事をする声が聞こえるような気もするが、鳴り響く兵士たちの叫び声がこだまして幻聴が聞こえているだけかもしれない。


 後退すれば砂が積み上がってできた小高い丘がある。一度そこまで戻って戦場を見渡した方が早く見つかるかもしれない。


 ライアンがその場を離れようとすると、「おい」と何者かに強く肩を掴まれた。振り返ればガルダストリア軍の兵士がライアンのことをじっと睨んでいた。軍服の胸元のバッジを見る限り小隊の隊長格か。ライアンよりも大柄な男で、見下すような視線を頭上から投げてくる。


「どこへ行くつもりだ」


 尋ねていながら有無を言わせない圧力をひしひしと感じる。嫌な雰囲気だ。


「第一王子を探しに行きます。このままでは命を狙われてしまう」


「必要ない」


 耳を疑うようなことを、男はきっぱりと言った。


「お前たちが戦いの中で死ねば、それはそれで兵士たちの士気が上がる。最もやってはいけないことは、味方が戦っている場所から背を向けて逃げることだ。お前の父親ならそれくらい教え込んでいそうなものなのにな」


 そう言って男は鼻で笑う。本人は余裕のあるそぶりをしているつもりなのだろうが、その表情には色濃く疲労が現れていた。頬はこけ、目の下にはくまができて、髭や髪は整えられずにぼさぼさと伸びている。長い間この前線にいるのだろうか。戦うことを他人に強要していながら、戦いに何も希望など抱いてはいない、虚ろな眼をしている。


 彼だけではない。前線で戦っている者たちのほとんどがそうだ。味方も、敵も。誰もこれ以上の戦いを望んではいないのに、退くに退けずに惰性で戦い続けている。そして誰かが終止符を打ってくれることを望みながら、誰かにその功績を奪われることを忌み嫌う。


 ——いっそ死んでしまえたら楽なのに。


 そう感じている者たちが生み出す空気は、いつしかその場の美徳モラルに変わっていく。


 ——守るべき者のために犠牲になる、死こそが平和への礎なのだ。


 そんなもの、現実から目を背けた者たちの言い訳でしかないというのに。


 ライアンはまぶたを閉じ、自らの胸の内に響く声に耳を澄ませた。




 やはり、早く終わらせなくては。


 一刻も早くこの戦争を。


 誰もやらないのなら、自分がやらなくては。




 ライアンは相手に悟られないようそっと剣の鞘に手を添える。上質な皮の鞘ごしに剣の魔力が伝わってくるのを感じた。


 この剣があればできる。自分なら、できる。


 黙り込むライアンを不審に思ったのか、男がライアンをどつこうとする。だが、ライアンにその手首を掴まれびくりと身を震わせた。温厚な青年のものとは思えない力の強さだったからだ。


「……確かに父上なら勝つまで戦うべきだと言うでしょう。ですが、私は父上とは違います」


 そう言って、ライアンはもう片方の手で素早く剣を引き抜いた。


「お前っ!? 何を」


 斬られると思ったのか目を泳がせる男。


 剣身の宝玉がぎょろりと彼を睨む。小動物のように怯えだす男に、ライアンは哀れみの眼差しを向けた。


「あなたは悪くない。悪いのは——」


 悪いのは、何だろうか。


 口の中が乾く。


 答えはまだない。


 それでも、力を使うことに迷いはなかった。そうしなければ、この戦いが終わることはないから。




「悪いのは、きっと……こんな風に歪んでしまった世界なんでしょうね」




 ライアンを中心に風が渦巻いていく。


 周囲の兵士たちから何事かと視線が集まる。いや、彼らもまた、ライアンの持つ剣の魔力に引き寄せられていたのかもしれない。皆あやつり人形のように呆然とした表情でライアンの周りを固めていく。互いに身体が触れ合うほどに密着しても気にするそぶりはなかった。とても先ほどまで激しい戦いを繰り広げていた者同士とは思えない光景だ。


 風が、彼らの頭上から何かを吸い上げていく。


 透明で、蜃気楼のように揺らぐそれは、ライアンの掲げる剣の中に勢いよく吸い込まれていった。


「うっ……!」


 剣が収束してくる風に翻弄される。おまけにそれを持つ右腕にびりびりと電流のようなものが走る。片手では持っていられない。ライアンは左手で支えながらも必死でこらえる。


 最初にライアンに絡んできたガルダストリア兵はライアンの身に縋るような形で押し寄せる人々の圧に耐えているが、その表情は別人かと疑うくらいにすっかり晴れやかになっていた。


「ああ……ああ……! なんて気持ち良いんだ……! 頼む、もっと、もっと……!」


 彼の言葉に周りの者たちも触発されたのだろう、口々にライアンに向かって言った。


「俺にもやってくれ!」


「俺にも!」「私にも!」


「はは……なんだこれは! 身体が羽のように軽いぞ!」


「そうか、もう戦わなくて良いんだ……!」


「救世主……」「救世主だ」




「「「「あなたこそ救世主だ!」」」」




 まるで神のように崇められ、称えられる。


 だがライアンには彼らの声を聞く余裕などない。


「ううっ、ぐっ……」


 以前から薄々気づいてはいた。


 剣の力で人々の心を浄化すればするほど、自分の内に禍々しい何かの気配がどんどん大きくなっていくことを。


"見て見ぬ振りをしてしまえ"


"諦めてしまえ"


"他人のせいにしてしまえ!"


 が囁いてくる。


 それは自分にしか聞こえない幻聴だと分かってはいても、声は次第に大きくなり、彼の頭の中を支配していく。


 柄を握る指先が痺れて震える。


(でも、ここで手放すわけにはいかない……! 戦場から憎しみを消し去るまで……!)


 歯を食いしばり、指先に力を込める。


 ライアンに縋る者たちがまるで餌を求める魚のように口をぱくぱくと開けて何かを言っているが、内なる声と戦うライアンの耳には届かない。


"しぶとい奴め……だが、貴様は一つ忘れているぞ"


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