mission13-20 リフィルの意思
それから、三週間が経った。
アランはついに薬を完成させた。薬は二種類。二つ混ざった血を分離させるものと、そうして分離した血のうち片方を変質させ、時間をかけて体外へ排出させるものだ。まだ完全にファシャルになりきっていない間しか効かないため、あと少し完成が遅ければ手遅れになるところであった。
とはいえクロードがこの薬を未完成のまま止めていたのには理由がある。副作用が患者の身体にかなりの負担をかけるからだ。アランが完成させた今もそれは変わらない。すぐにでも試したがったアランを抑え、クロードはまず彼とリフィルで話をする時間を与えることにした。その上で彼女が同意するなら、クロードが責任を持って処方しよう、と。
診察室の中で、普段クロードが座る椅子には今アランが座っている。対面にはリフィル。クロードはアランのすぐ後ろに立って、向かい合う二人の様子を見守っていた。
「まず、間違いなく現れるとすれば貧血の副作用だ。悪寒、めまい、吐き気がしばらく続くだろう。血が完全に分離した後は十分な血が行き届かない臓器で機能不全が起こる可能性があるから、そっからは都度輸血しながら外科手術を行う。体力の浪費、それに手術痕の痛みは免れない……。そして最後にもう一つの薬でファシャルの血を中和するが、飲んだ後が重要だ。ファシャルの血を活性化させないために食事は断ち、なるべく人に触れない隔離室で——」
「もういいよ」
早口でまくし立てるアランの説明を、リフィルは笑って遮った。
「危険なことはわかった。それでもアランは私のためにこの薬を作ってくれたんでしょう。まともに寝ずに……こんなにやつれて」
彼女は愛おしげに
「私はアランを信じるよ。クァリファの血を失うのは悲しいけど……アランと一緒に生きていけないのは、もっと悲しいから」
「リフィル……」
「でも、困ったな。私がリフィルじゃなくなったら、サマルのファシャルたちは私をどうするんだろう? 裏切り者って言われるのかな。もうここで暮らしていけないのかな」
うーんと首を傾げるリフィルの手を、アランは強く握った。
「心配するな。薬が上手く効いたら、その……」
「え?」
「そそそその、あれだよ、俺と……俺と……」
肝心なところでもごもごと口ごもるアラン。リフィルはきょとんとした表情を浮かべてはいるが、彼の言いたいことを薄々察しているらしい。柔らかく微笑み、続く言葉をじっと待っていた。
アランは頭から湯気を
絞り出すようなアランの声が診察室に響く。
「……一緒に暮らそう。俺とお前の、二人で」
リフィルはすぐには答えなかった。ただ、言葉で返していなかっただけで、彼女はアランの手に指を絡ませ、強く握り返していた。瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。彼女は空いている方の手でそれを拭い、笑顔を作って言った。
「そしたら私、どこでもない場所に住みたい。内戦がなくて、人間とファシャルの区別もなくて、ありのままの私とアランでいられる場所に……」
アランが席を外した後、クロードは薬の準備に取り掛かった。リフィルをベッドに横たわらせ、彼女の細い腕に注射針を刺す。一つ目の薬は点滴で血管に直接流し込むのだ。
「本当にいいのか?」
クロードは念を押すが、リフィルは満足げに頷くだけだった。
「私が死んだらアラン君は悲しむでしょ。そんなの、かわいそうだもん。だから私はファシャルになるのを諦めて、人間に戻る。何もおかしくはないよね」
まるで彼女自身に言い聞かせているかのように聞こえて、クロードはため息を吐くと薬瓶の棚から小瓶を一つ手に取って少女に見せた。
「万が一気が変わったらこの薬を飲みなさい」
「これは……?」
「分離させていた血を再び結合させる薬だ。アランには秘密で作っておいた」
するとリフィルはくすりと笑ってその薬を受け取る。
「クロードは心配性だね。……でも、ありがと」
薬液が少しずつ彼女の体内へ入っていく。リフィルは少し苦しそうに表情を歪めた。効いている証拠だ。二つの血が分離し始めて、体温が上がったり下がったりを繰り返す。ただ、この先に待ついくつもの苦痛に比べればまだまだ序の口だ。何かあった時にすぐに対応できるようにとクロードは彼女のそばに居続けた。静かな診察室の中で彼女の早まる吐息が聞こえてくるのが辛くなり、普段無口なクロードにしては珍しく自分から声をかけた。
「なぁ。ずっと気になっていたことを聞いていいか」
「うん。いいけど……何?」
「……なぜあいつのことを慕う?」
するとリフィルはぷっと吹き出して笑った。
「意外。クロードはそういうことに興味ないんだと思ってた」
心外だ、とクロードは顔をしかめる。
「馬鹿にするな。私にもかつて妻がいたことがある。ガルダストリアを離れると決めた時に別れてしまったがな」
「そうだったんだ……。悲しいね、好きだった人同士が離れ離れになっちゃうなんて」
「人の気持ちは変わるものだ。恋人や配偶者だって所詮は他人、相手の感情をコントロールすることなどできず、結局最後まで寄り添ってくれるのは自分自身の意思しかない。……まだ十代の君たちには分からないだろうが」
「言いたいことは、分かるよ」
リフィルは
「私ね、自分の身体が死にかけてることを知って、それでも自分がどうしたいのか分からなくて……すごく辛かった。もっとちゃんといろいろ考えて決めてたら、こんなことにならなかったのかなって……」
彼女は自らのやせ細った腕を見て、小さくため息を吐き、「でもね」と続けた。
「アランといると、なんか気持ちが楽になるの。ほら、アランってちょっと強引なところあるでしょ」
ちょっとばかりではないけどな、とクロードが口を挟むとリフィルはくすくす笑う。
「そうかも。……でも、そういうところに救われたんだ。いつまでも意思がはっきりしない私の代わりに、こうすればいいって引っ張ってくれる。今まで見たこともない道が見えてくるの」
「なるほどな。それが、理由か」
「うん。あとはちょっと憧れるんだよね。ああいう風に気持ちを素直に表に出せるところ」
「自分とは違うと?」
「そうだね……」
リフィルはクロードから視線を逸らし、どこか遠くを見つめた。
「でも、大好きなのは本当。そこだけはちゃんと表に出そうと思って」
「ああ、よく分かるさ」
「ふふふ。いつもごめんね。本当に好きで、好きで……アランのこと、た——」
何かを言いかけて、彼女は口をつぐんだ。
そしてふっと微笑んで呟く。
「クロードに言っても、仕方ないか」
クロードはやれやれと肩をすくめ、小さな子どもにするように彼女の黒い髪をわしゃわしゃと撫でた。
「そうだな。あいつに言いたいことがあるなら自分で直接言え。そろそろ
クロードの言葉にリフィルは「もう」と頬を膨らませて、クロードに背を向けるようにして横になった。
「ちょっと寝ようかな。その方が楽になりそうな気がするし」
その方がいい、とクロードは頷くと、彼女の眠気を邪魔しないよう静かに診察室を出た。
それから、五日もしないうちのことだった。
リフィルが死んだ。
薬の副作用のせいではない。
いや、薬は確かに彼女の身体を蝕んでいたのだろうが、最終的に彼女の命を奪ったのは彼女自身の意思だった。
リフィルは……自ら命を絶ったのだ。
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