mission13-7 異端神官シメオン



「あなたが偽の創世神話を広めた神官……!?」


「の、亡霊ね。まぁ正確に言うなれば神通力によってこの楽器に宿らせた眷属ということになるけどね」


 そう言って男は弦楽器を手に取り、慣れた仕草でぽろんと音を鳴らす。その場にいるミハエルたちには確かに音が鳴ったように聞こえたが、館内に入る他の者たちが音に気づいてこちらへやってくる気配はない。男の姿が見えているのも、声が聞こえているのも、ミハエルの千里眼の力があってこそなのである。


「眷属なんて……そんな、ことが……」


「できるよ、巫女の素質を持つエリィの一族なら」


「っ!」


 確かに、過去に大巫女マグダラは自分の死後も活動できる眷属を生み出したことがある。逆に言えばそれだけの神通力の持ち主でなければこのような芸当はできない。


「あなたは本当に、エリィの一族だっていうんですか」


「そうだよ。シメオン・エリィ、それが私の名前さ。ナスカ=エラでは一切語られることはないだろうけどね」


「いえ、一族の出生記録で見たことがあります。ですが、そこには若くして亡くなったと」


 男の口の端がにやりと吊り上がる。


「実際には牢獄塔バスティリヤに収監されていたんだよ。しばらくはごまかして文教院で働いていたんだけど、あることがきっかけで神通力が高いことを見破られてしまってね。それからは死んだ者として世間から抹消され、暗い牢獄塔の中で理不尽な暴力を受けながら長い時間を過ごした……この眼はその時に失ったものだ」


 巻いているターバンをずり上げると、そこには潰れた両眼があった。いや、それだけじゃない。よく見ると顔のあちこちに痣や深い傷、火傷痕が残っている。記録によればシメオン・エリィが生まれたのは今から百五十年ほど前。現在よりも忌み子や異端に対する扱いが酷かったのかもしれない。生まれた時代が違えば自分もこうなっていた……そう考えるとぞっと身がすくむ思いがした。


「けど、バスティリヤにいたならどうしてアトランティスに」


 言いかけて、ターニャはミハエルと顔を合わせてはっと息を飲む。


 牢獄塔バスティリヤとは、世界各地の極悪人たちに終身刑を課し生き地獄をその身に刻ませる恐ろしい牢獄。ゆえに当然脱獄不可能な造りになっているし、場所が聖地であるがゆえに死刑が行われることはない。ただ、歴史上ターニャの前に一人だけそのどちらも破ってみせた男がいる。


「そう。どうやら君が私の声に気付いたのも、この縁によるものかもしれないね。忌み子として疎まれ、牢獄に繋がれ、それでも性懲りも無く俗世の空気を求めて脱獄する。そして君はこの原初の大地へやってきた。まるで私の運命を辿るかのように」


 シメオンはニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべて言った。からかっているのだ。だがミハエルも冷静だった。口を結び、きっぱりと断じた。


「僕はあなたとは違います。ミトス神教会や兄弟たちに復讐しようとは思いません。だから、死刑にもならない」


「どうしてそう言い切れる?」


「仲間がいますから。人を、世界を案じ、行動できる大切な仲間です。彼らと一緒にいれば道を間違うことなんてない。万が一僕が何か間違ったことをしそうになったとしても、きっと彼らが止めてくれます」


「ほう……」


 シメオンはあごを撫で感心したように呟いた。


「私と同じ運命を辿りながらも別の結末を迎える。本当にそんなことができるのなら見届けてみたいものだね。死人には叶わない夢だけれど」


 光も見えないんだった、と付け足して自分でケラケラと笑う。


「それより、あんたはどうしてこんなところに眷属なんか残したの? 何も目的がないわけじゃないでしょ」


 ターニャが尋ねると、シメオンは「その通り」と頷いて弦楽器を持ち直し、あぐらを組んで座り込んだ。


「バスティリヤに監禁される前から、私の中では疑問があった。ミトス文教院で発行している創世神話とは、本当に正しい創世神話なのかと」


「どういうことです……?」


「おやおや、君だって知っているだろう? “神格化”の力が使えるならば、創世神話には世の中に出回っていない『原典』が存在することを」


 その通りだ。ミハエルはぐっと押し黙る。


 “神格化”のことを知ったのは、ルカたちがジーゼルロックの封神殿から持ち出してきた原典の解読を行ったから。原典の内容はミトス神教会の上級神官や各国の王族など、一部の人間にしか明かされておらず、世間に普及している創世神話には”神格化”の内容は記載がない。


「いいかい、忘れてはいけないよ。創世神話とはあくまでミトス神教会の手で編纂されたものだ。教会にとって不都合な歴史や世界の秘密は静かに消されている。”神格化”だけじゃない……この地に住まうファシャルの民についてもね」


 シメオンはすっと一息吸うと弦楽器を奏で始めた。十二本の弦がそれぞれ響き合い、どこか哀愁漂う旋律を作っていく。


「私は知を求めるものに、私が知り得た世界の秘密を伝えるためこうして眷属を残した。信じるか信じないかは君たち次第。……さぁ、聞いておくれ」


 楽器を奏でながら、彼は美しい声で歌い始めた。




遥かなる時の彼方

それは創世の時代、最後の神議かむはか

神々の話し合いは二つに分かれた


やがて訪れる終焉を

人の手に任せるべきか、否や?


人を信じた者たちは、残る力を振り絞り契りの神石を作った

人を信じなかった者たちは、神血イコルを注いでファシャルを作った


おお、哀れなり、神々よ

人を二つに分けてしまうことこそが

厭世の念の源となるというのに

人を二つに分けてしまうことこそが

すべての争いの源となるというのに




 歌い終えてシメオンはぺこりと頭を下げた。


「私から伝えられることはここまで。気になるならば自らの手で調べるといい。真実はこの砂の大地に眠っているよ」


 そこまで言うなら今教えてくれてもいいのに、とターニャは不満を漏らそうとしたが、彼の身体が消えかかっているのを見てそれが難しいことなのだと悟った。人が生み出すことのできる眷属の能力は限られている。一つの目的を果たしたら消えてしまう。


「問題ありません。あなたからはキーワードを教えてもらった。それさえあればいくらでも調べられる」


 ミハエルがそう言うと、シメオンは満足げに微笑んだ。


「惜しいな。もし同じ時代に生まれていたら君とは良い兄弟になれていたかもしれないね」


「そうかもしれません。ですが、僕は真実を知ったからといって、偽の創世神話を出回らせてこの歌通りのことを試そうとなんてしませんよ」


「……くく、そこは意見が合わないようだね」


「ただ、あなたのことは止めてあげられたかもしれません」


「…………」


 シメオンは笑みを浮かべたまま答えない。


 彼の身体はもうほとんど消えてしまっていて、残すところは胸から上だけになっていた。


「何か、言い残したことはある?」


 ターニャが問うと、彼は思い出したように言った。


「そういえば私が死んだ後は捕まったのかい」


「彼女?」


「私の脱獄を手伝ってくれた少女だよ。ほら、髪を肩のあたりに切り揃えた不思議な雰囲気の少女さ」


「いえ……あなたの処刑の記録では確か他に捕まった者や処刑された者はいなかったかと」


「そうか。なら今もどこかで逃げ延びているのかな。あちこち瞬間移動できる便利な力を持っていたしねぇ」


「!? 待ってください、あなたが脱獄したのって百年くらい前じゃ——」


 答える前にシメオンの姿は消えてしまった。


「結局、聞きたいことは聞けずじまいかぁ」


 静けさを取り戻した空間の中でターニャはうなだれる。ミハエルはもう一度”千里眼”で視てみようとしたが、彼の気配はどこにもなかった。


 彼の話に出てきた脱獄を手伝った少女。


 特徴はウラノスとぴったり一致する。だがドーハの話によれば彼女が生み出されたのは十一年ほど前になる。どう考えても時系列が合わないのだ。



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