mission11-6 村長フロワ



「今、って言った……?」


 和やかだった食卓に緊張が走る。


 ヴァルトロでマティスを補佐する「フロワ」と言えば、四神将の一人である「フロワ・ティガー」以外に思い当たらない。


「ドーハ。まさかお前、これも知ってておれたちをここに案内したってわけじゃないだろうなぁ……?」


 パキパキと腕を鳴らしながら迫るルカに、ドーハは慌てて首を横に振った。


「違う! 違うってば! 言っただろ、おれこの辺詳しくない、って……。フロワがここの村長を兼任してたなんて話、聞いたことなかったんだ」


 さらに言えば、先ほどダンが話して聞かせたヴァルトロの歴史や父親の過去についても、半分以上は初耳だった。彼が知っていたのは、ガルダストリアの片腕から世界の覇者へと勝ち上がった、強者の集団としての一面だけだ。父がかつてフリームスルス族に家族を奪われ、苦汁をなめる日々を送っていたことなど、本人の口からは聞いたことがない。


「とにかく、気づかれる前に逃げようぜ。こんなところで四神将と鉢合わせたらますます覇者の砦が遠くなる」


 グレンの言葉に反対する者はいなかった。荷物をまとめ始めるルカたち。ダンだけが戸惑った様子で引き留める。


「ど、どうしただ! これから村長にあんたらのこと紹介しようと思うとったに」


「ごめんダンさん、おれたち追われてるんだ」


「ええっ!? 一体どういうことさね。あんたら、何か悪いことでもしたち?」


「悪いことしたつもりじゃないんだけど、その」




「私らは敵対する関係。そうだね?」




 言いよどんだルカの言葉を代弁するように、おっとりとした口調がダンの家の扉の向こうから響いた。聞き覚えのある声だ。


「フロワだ……」


 顔面蒼白で呟くドーハ。


 彼女がここへ来た理由はおおよそ察しがつく。ウラノスからドーハとルカたちが覇者の砦に向かっていることを聞いて、飛空艇の不時着地点付近を捜しにきたに違いない。


 そして、ここまで来られてしまっては逃げ場はない。


 観念するルカたち。


 ダンはおろおろとルカたちの顔を見ながらも扉を開ける。


 そこには浅黒い肌に橙色の髪の女将軍が立っていた。ごつい甲冑が足元の雪で反射してきらめく。彼女はにこにこと笑みを浮かべながら、必要以上に大きな声で言った。


「久しぶりねぇ、ブラック・クロスの坊やたち。とりあえず、飴ちゃんいる?」






「ええーっ!? あんたマティス様の息子のドーハ様だったち!? 気づかなんだぁ、お父上と違って冴えないお顔しとるで」


 フロワの口から事情を聞いたダンは目を丸くしていた。小さい頃からずっと「どちらかというとお母様似ですね」と言われ続けてきたドーハはしゅんと肩を落とすが、今気にすべきはそんなことではない。


 フロワはダンの家の中にルカたちがいることを確認すると、彼らを引っ張り出すどころかずんずんと家の中に入ってきたのだ。


「あら〜美味しそう。今夜はクマ鍋だったのかい」


「ああ、今日仕留めたばっかの獲物だ」


「さっすがダン、相変わらずいい腕してるねぇ。せっかくだし、いただこうかしら」


「もちろんもちろん! 村長なら大歓迎さね」


 ……そんなわけで、なぜかヴァルトロ四神将の彼女と肩を並べて同じ食卓につく羽目になったのである。


 フロワが加わったことで、ダンの家はぎゅうぎゅう詰めになった。物理的な意味での息苦しさもあるが、ドーハにとってはこの不可解な状況に対する居心地の悪さも相当なものだった。


「フロワは俺たちを探しに来たんじゃないのか……?」


 しびれを切らして尋ねると、彼女はむしゃむしゃと料理を口に運びながら答える。


「まぁそうだけど、ほら、『あめ玉一粒、しかばね一つ』って言葉があるじゃない?」


 聞き慣れない言葉にルカが首を傾げていると、ダンが口を挟んだ。


「ニヴルヘイムのことわざち。あめ玉一粒が一人の命を救うこともある、転じていくさの前には食糧を惜しむなっちゅう意味さね」


「つまり戦う気満々ってことじゃん……」


 ターニャは呆れながら呟くも、この緊張感のない雰囲気に流されたのかダンから次の一杯を受け取っている。そしてその隣で飲み続けるクレイジー。


「フロワ・ティガー……二つ名は”鉄狼守護壁てつろうしゅごへき”だっけ。こうして直接会うのは初めてかな?」


「あら。あなたみたいなかっこいいお兄さんに名前を知られているだなんて光栄ねぇ。でもね、私もあなたのことよーく知ってるよ、元・仮面舞踏会ヴェル・ムスケのクレイジーくん。昔、あなたがマティス様のお屋敷にちょこちょこ出入りしてたのは知ってたけど、あえて見逃してあげてたんだ。なんでだと思う?」


「さて、なんでかな」


「あなたがあのわがままなルーフェイの王女様を殺すのを待ってたのさ。私らヴァルトロが二国間大戦に参戦するには、あの王女が邪魔だったからねぇ。だから、身内に殺されてくれるのが一番理想だったんだけど」


「ハハ……それはご期待に添えず」


 クレイジーはへらっと笑うが、持っていたグラスをあえて音を立てて机の上に置いたところを見るに苛立っているのは間違いなかった。


「フロワ。あんまり母上のことを悪く言わないでくれ。……その、お前が母上と仲が悪かったのは知っているんだけど」


「あらやだ、ドーハ坊ちゃんがあの王女様に毒されたかと心配になって、つい思ったままのことを言っちゃったみたい。おばちゃんになると口が緩くなるのよ〜やあねぇ、もうっ」


 悪びれる様子もなく、フロワはにこにこと無邪気な表情で言う。フロワは四神将の中で最も人当たりがいい人物だが、だからこそ敵対すると厄介だ。現にこの場ではドーハ含め全員が彼女にペースを握られてしまっている。


「そうそう、ウラノスちゃんから話を聞いたんだけど。ドーハ坊ちゃん、あの子のことを疑ってるんだって? 破壊神を逃したどうとかで……かわいそうにウラノスちゃん、ドーハ坊ちゃんに急に怒られて怖かったって、泣いて帰ってきたわよ」


「それは……っ」


「ダメよぉ、自分より年下の女の子いじめちゃ。ヴァルトロの男子たるもの、弱き者に対して強く出るのは恥ずべきことだと何度も言い聞かせたでしょう?」


「違う! 違うんだよ! 頼むよフロワ……俺の話を聞いてくれ。お前ならきっと俺が言うことを分かってくれる!」


 懇願するドーハに、フロワは一度口を閉ざす。一行が様子を見守っていると、彼女はやがて深いため息を吐いた。


「……それが、人にものを頼む態度かしらねぇ」


「え……?」


 フロワはすっと立ち上がる。ダンに対してにこやかに「ごちそうさま」と伝えた後、彼女は再びドーハに視線を戻した。


「あなたがお父上に逆らうというなら、きっちりヴァルトロの流儀にのっとってもらわないと」


 そう言って、腰のベルトにくくりつけてある鞭を手に取り、ビンと強く引っ張った。


「表へ出なさいな、ドーハ坊ちゃん。あなたの言うことを聞くかどうかは、あなたが私に勝つことができたらの話。ここはヴァルトロ、弱き者には発言権すら与えられない。お父上の元を離れた時点で私らと戦う覚悟はできていたはずでしょう?」


 ドーハはぐっと唇を噛み締める。


 フロワの言う通りだ。自分たちが今から話をしようとしている相手は情け容赦だけで話し合いに応じてくれるような者たちではない。それは幼い頃から散々身に染みて知っていたはずだった。


「分かった。けど、一つだけ言っておく」


 ドーハも立ち上がり、ルカたちの方をちらりと見やる。


「今の俺はルーフェイに行って一回り強くなったんだ。一緒に戦ってくれるこいつらもいる。だから、訓練でへっぴり腰だった俺と同じだと思わないでくれ」


 するとフロワは豪快に笑った。


「いいねぇ、面白くなってきた! みんなまとめてかかってらっしゃい! ……ただ」


 フロワの視線はターニャとクレイジーに向けられる。


「そこの二人はやめときな。随分飲んでいるようだし」


 来たばかりのフロワにも飲みっぷりが伝わるほど、二人の席の前には何本も空き瓶が並んでいる。


 だがそれでも素面しらふ同様の顔色をしたターニャは不敵に笑って立ちあがった。


「ふっふっふ……舐めない方がいいよ? あたしの剣筋はお酒ごときで鈍ったりはしないからね」


 そう言って腰に差している白銀の剣を鞘から引き抜いた。


 ……が、「ありゃ?」と言って首をかしげる。


「どうしたんだ」


「うーん……おかしいんだよね。さっきから気になってはいたんだけど、ヴァルキリーの声が全然聞こえないというか」


 どこかで聞き覚えのある症状に、ルカとユナは思わず顔を見合わせる。


「それってもしかして……」


「あ、ほんとだ」


 のんきに声をあげたのはクレイジーだ。


 彼は袖をまくって刺青の入った腕を前に伸ばしていた。普段ならそこからナイフが浮き出てくるのだが、今は何も反応がない。


「だ、ダンさん、これはどういうことなんですか……? お酒に何か悪いものでも入っていたんですか?」


 ミハエルに問われ、ダンははっと何かを思い出したようだった。


「あーそうだったそうだった! 滅多に飲まんもんで忘れとった!」


 彼は空になった『氷兎馬ひょうとば』の瓶を掲げる。ラベルの貼られている裏側には、氷の巨人とそれから逃げる人々の絵が描かれていた。


「こん酒はな、昔フリームスルス族から身を隠すために使われとった特別な酒ち。飲むと一時的に神通力を分解して、巨人たちに気づかれんようになるんよ」


 つまり、シアン特製シナジードリンクのように、神石との共鳴を弱めてしまうものということだ。


「そ、そんなぁ……」


 唖然とするターニャをよそに、クレイジーはあっけらかんとしている。


「じゃ、戦いは若者たちに任せよっかな。ボクらは飲みながら見守ってるから」


「もう飲むなよ!!」


 ルカはぷんすかと怒りながら、『氷兎馬』に手をつけなかった面々を見やる。ユナ、グレン、リュウ、ミハエル、そしてドーハ。じゅうぶん戦えるメンバーだ。


「いいねぇ、こっちも四霊星君含めれば五対五でちょうど数が揃うし」


 フロワは満足げにそう言うと、扉を開ける。促されるようにして、ルカたちはひんやりと冷える家の外へと足を踏み出すのだった。



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