mission11-5 ヴァルトロの歴史


 フリームスルス族。別名、霧氷むひょうの巨人。


 その名の通り全身が氷でできていて、身体の大きさは人間の数倍から十倍ほど。太古の昔、それこそ創世神話が語る創世期からこのニヴルヘイムの地に住んでいるとされる。


 彼らに寿命という概念はなく、中には数百年以上生き続けている者もいるという。それができる理由は、彼らが有機物としての肉体を持たず、神通力を繋ぎとして生きているからだ。言い換えれば、神通力を外部から取り込み続ければ永遠に生きることができる。


 ゆえに彼らは人間を狩る。個体差はあれど、動物の中では人間の持つ神通力は抜きん出ているからだ。


 だからニヴルヘイム大陸に住む人々はフリームスルス族の好む北側の地から離れ、南側に住居を構えた。それがスーネ村の起源だ。そして万が一フリームスルス族と遭遇した時に備えて、個々人が肉体を鍛える風習がついたのだという。


「そもそも、ニヴルヘイム大陸の外に逃げることはできなかったんでしょうか」


「無理さね。昔はお隣のヴェリール大陸とは地続きじゃねがったし、ガルダストリアの人らはオデらのご先祖様が移住すんのを許可しねぇだろうから」


「それはなぜ……?」


「オデらのご先祖様はな、ガルダストリアからしたら罪人だで。昔のニヴルヘイムは流刑地だったんよ」


「……!」


 ダンの話によると、かつてガルダストリアで罪を犯した者たち、あるいは王政にとってあだなす可能性があるとされた者たちは皆、この極寒の地に島流しにされたのだという。それはフリームスルス族に生贄を送り込むことで、ヴェリール大陸に侵攻させないための取引の意味もあった。


 地殻変動によって土地が隆起し、二大陸が地続きとなってからはその風潮も無くなっていったというが、それでも罪人の血を引くニヴルヘイム大陸の人々はガルダストリア国内では忌み嫌われてきた。たとえそれが罪人としてニヴルヘイム大陸に送られた人々の何世代も先の子孫だとしても、だ。


「だからな、オデらはこん土地で生き延びるしか選択肢が無かったんよ。んで、フリームスルス族から身を守るために作った自警団のことを『ヴァルトロ』と呼んだ」


 ヴァルトロに入るには十人試合というメンバーとの十連続の勝負に勝つ必要があり、所属するだけでも称賛を浴びせられた。名声を求め、ヴァルトロには大陸中の腕利きの者たちが集まってきて、徐々にその組織は大きくなっていったという。


「そんでもな、フリームスルス族にはかなわんかった。何度か反乱を試みたけんど、ことごとくやられて戦死者も多かったんよ。せいぜい自分らの村を守ることしかできんかったヴァルトロは、いつしかフリームスルス族に勝つことを諦めて、他所よそん国で傭兵として出稼ぎに行くようになったち」


 当時——今から三十年以上前——のヴァルトロ傭兵団の評判はなかなかに酷いものだった。確かに腕は立つのだが、金次第で裏切る、任務外の暴力を振るう、依頼主を脅して報酬の吊り上げをせびる……など、横暴を繰り返していたのだ。


「オデの親父もヴァルトロん一人だったち、耳疑ったさ。誇り高いあん人らがそんなことするわけねぇっで。んで、話聞いでみっと、どうも足元見られでたらしいなぁ。ニヴルヘイムの出身だからって初めから報酬少なめに設定されたり、罪人の子孫だってバカにされたりな。だから暴力で反抗するしかながった……」


 ダンは悲しげに肩を落とす。ルカたちが食事の手を止めると、ダンははっとしたように顔を上げてぶんぶんと首を横に振った。


「すまねすまね、これももうオデが子どもん頃の話だち。ヴァルトロは変わったんよ。いんや、マティス様が変えてくだすった」


 そう言って彼は席を立つと、部屋の中に立てかけてあった一振りの剣を手に取った。獣の毛皮でできた鞘はぼろぼろで、ずいぶん使い古されているように見える。


「かつて十人勝負で一度も膝をつくことなく勝ち上がった少年がおった。十五くらいの少年に、ヴァルトロの腕利きの大人たちが一勝もできんかった。オデの親父もこの剣で戦ったが、かすり傷すらつけることができんかった。……その少年が、マティス様だ」


 当時、ヴァルトロの中には少年マティスのことを知る者は誰一人いなかった。それもそのはず、彼が住んでいた集落は彼が幼い頃にフリームスルス族に襲われて滅んでしまったからだ。


「オデもその時のマティス様にうたことがあるが、とても十五には思えん覇気を感じた。百戦錬磨の武者のようにも、あるいは気が立っている獣のようにも見えた。家族をフリームスルス族に殺されてから、ずっと一人で色んな場所を転々としながら生き延びとったらしいでな……孤独と復讐心があん人を強くしたち」


 ヴァルトロへの入団を認められた少年マティスが真っ先に言い出したのは、フリームスルス族に反旗を翻すことについてだった。


 大人たちは皆、彼の言うことをまともに取り合おうとはしなかった。


 フリームスルス族には敵わない。戦ってはいけない。それが長い歴史の中でニヴルヘイムに住む人々の生存本能に刻み込まれた忌避意識だ。


 先人たちの失敗を顧みない者は痛い目を見るに決まっている。いくら少年マティスの腕っ節が強かろうと、フリームスルス族に挑んだら返り討ちに遭うだけだ。


 大人たちは非協力的で、マティスの発言を若気の至りだと馬鹿にした。


 それに対し、マティスはただこう言ったのだという。


『だから貴様らは弱いままなのだ』


 マティスは彼の考えに賛同した数名の血気盛んな若者を引き連れて、フリームスルス族の居住地へと向かった。


 しばらく音沙汰はなかった。


 誰もが彼らは死んだものと思っていた。


 だが、ひと月たった頃……。


 ヴァルトロの人びとは皆目を疑った。


 若者たちが帰ってきたのだ。


 全身ボロボロで、出血はひどく、骨はあちこち折れていてとてもまともに歩ける状態ではなかった。


 それでも彼らは帰ってきた。




 フリームスルス族たちの背に乗って。




「和解した、ってことですか……?」


 ダンの話に聞き入っていたミハエルは、前のめりに尋ねる。


「『和解』というより、『畏怖』に近いさね。人間は一方的に蹂躙されるための生き物だと考えとった巨人たちに対し、マティス様は日々仇を打ち倒すことだけを考えて生きてきたち、覚悟と執念が違った。戦いはマティス様らが優勢、人間離れした力を前に、フリームスルス族らはマティス様のことを戦神として崇め降参したという。マティス様は彼らを皆殺しにしようとしたが、それを同行した若者の一人が止めたんよ。『これであなたの目的は果たされる、だけどそれで満足か? フリームスルス族を生かせば、あなたはもっと高みを目指すことができるはずだ』とな」


 飢えた獣は一瞬考えを巡らせた後、その言葉を受け入れた。


 胸の内では分かっていたのだ。フリームスルス族を倒せば、自分の生きる目的を果たしてしまう。だがそれでは満たされない。自分の内にある強さへの執着心は、とうにニヴルヘイム大陸の中では収まるようなものではない……と。


「なるほど……今の覇王マティスがあるのは、その人のおかげでもあるってことですね」


 ダンは頷く。


 フリームスルス族を手なずけたマティスは若くしてヴァルトロのリーダーとなり、傭兵団としての組織を大きく作り変えていった。


 飛ぶ鳥を落とすかのような勢いに、一時期はガルダストリア王政にとって脅威になるのではないかと懸念されたが、マティス自らガルダストリアの配下として働くことを申し出たことによりその不安は払拭され、むしろガルダストリア国内で重用ちょうようされることとなった。


 彼の強さに憧れた団員たちは、他国で罪人の末裔と嘲笑われようと動じなくなった。他者からどう思うおうと、自分たちにはマティスがいる、彼の信じる強さはこんなことでは折れたりしない、と。言葉より行動で示すことが良しとされ、その結果徐々にヴァルトロ傭兵団は罪人の子孫たちの集まりではなく、実力主義の強者たちの集まりとして認識されるようになっていった。


 ルーフェイの王女エルメとの政略結婚、二国間大戦、『終焉の時代ラグナロク』の幕開けと、ヴァルトロにとっては何度か過渡期が訪れたが、そんな時はフリームスルス族との戦いでマティスに提言したという若者がいつでもそばにいて、彼の目指す理想がどこにあるのかを説いたという。


「すごい人なんですね……補佐官の鏡というべきでしょうか」


 ミハエルが感心していると、ダンはにこにこと嬉しそうな表情を浮かべた。


「んだんだ。そんで、その補佐官の鏡っちゅうのがオデらの村長でもあるわけだが——」


 ちょうどその時、扉を叩く音が聞こえた。


 ダンが扉を開けると、そこには息を弾ませた村人が立っていた。




「ダン、朗報だ! が帰ってきたち!」




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