mission10-54 言い渡された任務



 ミトス創世暦九八四年——


 クレイジーが二十歳を迎えたその日、ラウリーは彼を行きつけの酒場に誘った。そこは十九番街にある小さな酒場で、無口な白髪の老紳士が一人で営んでいた。


「爺さん、腰が弱ってそろそろ引退するっていうからさ、世話になったぶん俺がここを継ごうと思ってる」


 ラウリーは差し出されたグラスを片手にそう言った。


「そしたら仮面舞踏会ヴェル・ムスケはどうするの?」


「辞めるよ。そろそろ王家も仮面舞踏会も世代交代だ。今のお前なら安心して筆頭を任せられるしな」


「……そっかァ。そしたら時々飲みに来るよ。先輩みたいにガサツな人がマスターじゃ、潰れるのも時間の問題だろうしね」


「この、言うじゃねぇか」


 けらけらと楽しそうに笑うクレイジーの頭を、ラウリーはこつんと小突く。


「にしてもお前、なんか丸くなったよな」


「そう?」


 別に太ってはないけど、と筋肉で締まった腹をつまもうとする後輩にラウリーはやれやれと肩をすくめた。


「そうじゃねぇよ。昔は何考えてるかわからねぇ人形みてぇな奴だと思ってたけどよ、最近のお前は普通に話しやすいし、こうやってちゃんと反応返ってくるからさ。なんつーか、血の通った人間って感じがするよ」


「ふぅん……」


 クレイジーはラウリーの言葉に肯定も否定もせず、くいっとグラスを傾ける。


 子どもができて、変わった。


 なんとなくその自覚はあった。つい無意識のうちに首からかけているロケットペンダントに手がいくのがその証拠だった。ロケットの中には幼い我が子の絵が描かれている。


 そんなクレイジーの肩をぽんぽんと叩いた後、ラウリーはふと真面目な顔つきになって声をひそめた。


「……なぁ、クレイジー。お前なら気づいてるだろう? 大巫女マグダラを中心に回ってた時代はもう終わりだ。ルーフェイとガルダストリア、二大国の発展はピークを超えて、これからは大国同士で血で血を洗う修羅の時代がやってくる」


「嫌な時代だねェ……」


「そうなったら俺たちも今まで通りじゃいられねぇ。俺はジクード様と共に前線を退く。だが……お前はどうする?」


「どうするも何も、ジグラルさまが後を継ぐんだから、ボクは派閥の筆頭として新しい王をお支えして」


「そうじゃねぇよ」


 ラウリーは周囲を一瞥した後、クレイジーに耳打ちした。


「そろそろエルメ様のことにけじめをつけろ。特に、今の生活が幸せなんだったらな」


 クレイジーは口をつぐむ。


 幸せかどうか。


 難しい問いだ。


 だが、ここ最近は以前ほどエルメに会いたいという気持ちが薄らいでいるのも確かだった。それは北と南の大国同士の緊張が高まっていて簡単に会いに行けないというのもあるかもしれないが。


 考え込んでしまったクレイジーを励ますように、ラウリーは彼の肩を叩いた。


「心配すんな。お前にとって簡単な問題じゃねぇことは分かってる。何も今すぐ決断しなくてもいいけどよ、いずれ答えを出さなきゃいけない時がくる。だから、今のうちに考えておくといいさ」






 だが、時代の流れは残酷で、クレイジーにゆっくりと考えるための時間を与えてはくれなかった。


 ジクードの病が進行しているのが国内でも周知の事実になると、来たる戦争への不安から国民の間でエルメの帰還を望む声が増えてきたのだ。


 それは敵地へ嫁いだ姫の身を案じてのことでもあるが、どちらかといえばジクードに比べカリスマ性の劣る戦争強硬派のジグラルよりも、ガルダストリア側の事情を知っていて戦争回避に向けて動ける可能性のあるエルメに期待が高まっていたのが大きかった。


 やがて貧民街を中心に抗議デモが勃発。デモは徐々に中央都に広がっていき、一向に主張が受け入れられる様子がないと分かると暴徒と化していった。対応に追われるジグラルはストレスでやつれ、苛立って周囲に八つ当たりするいることが増えた。それが一層彼の立場を悪くして、反ジグラル派の風潮は議会や城内にも蔓延し始めた。


 このままではガルダストリアとの戦いの前に国が二分してしまう、そして自らの王位が危ぶまれる——そんな不安がよぎったのだろう。


 ジグラルはついに究極の判断を下した。


 元凶そのものを断つしかない、と。


「クレイジー。君に重要な任務を命じる」


 重々しい口調で、ジグラルは告げた。


「エルメを殺せ。そしてあの女がルーフェイの情報を敵方に流していたと国民に周知させ、士気の向上をはかるのだ」






 任務に出る前、クレイジーは一旦家に戻った。


 すっかり夜は更け、ホタルたちが静かな闇の中を幻想的に照らしている。


 クレイジーが扉を叩くと、ルカの夜泣きが終わってやっと寝かしつけたばかりのリアが寝ぼけ眼で出迎えた。


「おかえりなさい。もしかして、今から出かけるの?」


 クレイジーは黙って頷き、玄関先でリアをそっと抱き寄せた。


「ヴェニス?」


「……次の任務は、生きて帰ってこれないかもしれない」


「どうしたの、珍しく弱気じゃない」


「うん。それだけ難しい任務なんだ。正直、上手くやれる自信がない」


 リアはクレイジーの仮面に手を添えた。


 今にも想いがはち切れてしまいそうな、苦悶に歪む表情が露わになる。


「それでも、引き受けてきたの?」


 リアの問いに、クレイジーは言葉を返すわけではなく彼女の胸にその顔をうずめた。リアの腕が、彼を優しく包み込む。


「苦しい選択をしたのね。あなたは偉いわ。それでも仮面舞踏会の筆頭としてジグラル様の命令を——」


「違う、そうじゃない」


 クレイジーはくぐもった声で遮った。


「ボクは自分勝手だよ……。ジグラル様の命令かどうかだなんて、正直どうでもいい。だけど、この任務は必要だと思ったんだ。……君と、ルカと一緒に生きていくために」


 顔を上げる。目があったリアの瞳が、一瞬うるんだように見えた。彼女がすぐに顔をぬぐってしまったせいではっきりとは分からなかったが。彼女の声は、かすかに震えていた。


「ありがとうヴェニス……」


 そして彼女は言った。この任務が終わったら、仮面舞踏会を抜けて家族三人で慎ましく暮らさないか、と。


 クレイジーは笑う。そしたら先輩の継ぐ予定だった店を先に継いじゃおうかな、と。


 クレイジーはリアに軽く口づけし、中央都を後にした。それが、家族で談笑できる最後の日になるとも知らずに……。


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