mission10-6 鬼人族の里




「厄介なことになったな……」


 ルカはぼそりと呟く。


 リュウの母親は、破壊の眷属に襲われていた自分たちの救援に来てくれたわけではなかったらしい。


 リュウの鳩尾みぞおちに勢いよく拳を叩き込んだ後、間髪入れず彼の頭を殴り、リュウは彼女とまともに会話を交わさないまま気絶してしまった。


 あっけに取られているルカたちをよそに、彼女は軽々とリュウの身体を担ぎ上げると、ぴゅうと指笛を吹く。するとあらかじめ示し合わせていたのか、岩陰から続々と屈強な鬼人族たちが現れた。


「あの……これは……?」


 どういうことなのか——それを尋ねる前に鬼人族たちはルカたちを押さえ込んで縄でてきぱきと縛り上げる。抵抗しようにも、ポイニクス霊山の磁場によって増強されている鬼人族の腕力には全く敵わなかった。


 鬼人族たちは聞き慣れない言語で互いにやり取りして、一列に並ばせたルカたちを引っ張って登山道を歩き出す。


「なぁ、さっきからこの人たち何て言ってるんだ?」


 ルカは試しにミハエルに尋ねてみる。


「分かりません。おそらく鬼人族たち固有の言語なのだと思います。以前読んだ言語学書の分類によると、文字が存在せず、里に住んでいる鬼人族たちしか話せない言語なので、座学で習得することはできないんですよ。こうして生で聞けるのは貴重な機会です」


 ミハエルの後ろにいるターニャは呆れたようにため息を吐いた。


「ばか、そういう呑気な話じゃないんだよ。あたしらがどうしていきなり鬼人族たちに襲われて、今からどこに連れられようとしているのか、それが問題なんだってば」


 ターニャの言う通りだが、あまりに突然のことすぎていまいち自分たちの状況が飲み込めない。何か鬼人族の気に触るようなことをしたのだろうか。山に登る前の出来事から順を追って思い出してみるが、それらしい原因に心当たりはなかった。


「もしかして、クレイジーさんやグレンも同じように捕まっちゃったのかな……?」


「うーん、いくらこの辺りが鬼人族の独壇場とはいえ、あのクレイジーが簡単に捕まるとは思えないけどな……」


「ま、もし彼らも捕まってるんなら、この後会えるんじゃない? ……どういう状態でかは分からないけどね」


「ちょっと、ターニャ……怖いこと言わないでよ」


「いえ、あながち間違いではないかもしれません。古い文献ですが、数百年以上前の鬼人族の家の跡地から人間を捕食していた痕跡が見つかったという記録を読んだことがあります」


「「「え……」」」


 ミハエルの言葉に、それまで茶化していたつもりだったターニャも少しだけ顔色を曇らせる。だが、当のミハエルは少しも冗談を言っているような雰囲気ではなかった。


「おれたち……もしかしてこの人たちに食われちまうのか……?」


 ルカはわざと先頭を歩くリュウの母親に聞こえるような声で言った。だが、彼女は何も答えず、どこか機嫌良さげに下手くそな口笛を吹いて歩き続けるだけであった。






 ゆるやかな傾斜の登山道の先に、山の中腹が口を開けるようにしてぽっかりと開いた洞穴が見えてきた。その入り口には人の身長の倍以上はある巨大な角が二本、旅人たちを迎え入れるようにして立てられている。


 ここが、鬼人族の里。


 ようやく目的地に着いたわけだが、ルカたちはぐったりと疲れきっていて感慨を覚えるどころではなかった。


 身体の自由が効かない上に、鬼人族たちの歩幅は大きく、彼らのスピードに合わせて登山道を歩くのはなかなかの苦行だったのだ。おまけにポイニクス霊山の中でも火山活動の活発な地域に向かっていくので、登山道の脇にマグマの河ができていたり、地面のところどころから噴煙が上がったりして、まるで全身蒸し風呂に浸かっているような暑さが襲いかかってくる。


「わかる……わかるよ……こんなところに住んでたら全身真っ赤にしたくなるって……」


 さすがのターニャも、口調からはいつものような余裕が消え去っている。こういう時こそミハエルが鬼人族の体質についてうんちくを語りたがりそうなものだったが、一行の中で一番体力のない彼には今、相槌を打つ気力すら残ってはいないようだ。


 二本角の門を抜けると、目の前には一風変わった集落が広がっていた。


 巨大な溶岩を削ったり、あるいは岩石を積み上げてつくられたいびつな形の家が並び、それぞれの軒先には獰猛そうな獣の毛皮が干されている。おそらく、どんな獲物を仕留められたかで腕っ節の強さを誇示しようとしているのだろう。


 里を取り囲む洞穴は案外広く、数千人が住んでもまだ余りがありそうなほどだ。集落のところどころにはマグマの河や池があり、それが洞穴全体に反射して全体的に赤々としている。


「なんだろうあれ……」


 ユナが見ていたのは集落の中央に置かれている、溶岩を削り出してつくられた巨大なオブジェだった。それは鳥のように大きな翼を広げているが、尾が七つあり、わしのようにいかつい足が四本、そして首は二つあってその顔は鳥というよりもドラゴンに近い形をしている。オブジェの足元には干し肉や高山果実、あるいは色あざやかな花が供えられていて、鬼人族が何人かそれを取り囲むようにして座り、こうべを垂れて祈りを捧げていた。


「あれはこの霊山に宿ると言われている神獣、不死鳥ですね」


「不死鳥?」


「ええ。創世神話の外伝に少しだけ登場します」


 ミハエルの言葉にユナは目を丸くした。


「待って、創世神話に外伝なんてあるの?」


「一応あるんですよ。確か、ミトス神教が盛んな土地にしか流通していないはずなので、あまり知られていないですけどね。ちなみに内容はこうです。『ポイニクス霊山には神獣あり。数百年に一度、劫火にその身をひたして再生す、不死の鳥なり。霊山の化身、天にいななく時、地殻は鼓動しその地表を灼熱によりて浄化するだろう』……かつて、ミトス神教会が各地に創世神話の教えを広めようと宣教師活動を積極的に行っていた時代に、鬼人族の里ではあまり教えが浸透しなかったので、逆に彼らの土着信仰を創世神話の外伝に取り入れたと言われています」


「げ、外伝ってそんなせこい成り立ちだったのか。どうりで昔読んだ時に話が点々としてて一貫性がないなとは思ったけど」


 ユナの後ろでそんな感想を漏らしたのはターニャだった。


 そういえばキッシュでシスターに扮していた時も、まるで本物の聖職者であるがごとく創世神話を子どもたちに読み聞かせていたのを思い出す。


「ターニャって、意外と創世神話に詳しいよね」


「あはは、意外ってひどいなぁ。これでも元は貴族の娘だぞ? 旧エルロンドは王家がエリィの一族の遠い親戚だってことを主張したがっていたから、貴族は必ず創世神話の隅々まで勉強しなきゃならなかったんだ。まぁ……革命の後に王家の宝物庫で創世神話の原典を見つけるまでは、エルロンド王家がエリィの一族の血を引いてるなんてずっと嘘なんじゃないかと思ってたんだけどね」


「あれ……ってことは、ウーズレイさんとミハエルくんは遠い遠い親戚だってこと?」


 ミハエルは頷く。


「原典が王家に受け継がれていたことが何よりの証明なのでしょう。それがきっかけでターニャは破壊神が厭世の念によって生み出されることや、”神格化”の力のことを知った。そしてこれ以上破壊神が誕生しないよう、各地の神石を壊して回り……僕たちが住むナスカ=エラにたどり着いた。そして一方、同じ時期に原典の解読を進めるためにルカさんたちもナスカ=エラにやってきた。牢獄塔に閉じこもっていた僕は、皆さんに出会ってようやくあの場所を離れる決心がついたんです。よくよく考えたら、その三者が今こうして一緒にいるなんて……なんとも不思議な感じですね」


「まあ確かに……こんな状況じゃなかったらもう少し感慨に浸れるんだけどね」


 そんな話をしている間にもルカたちを拘束する鬼人族たちは歩みを止める気配はなく、どんどん里の奥の方へと進んでいた。


 やがて、最奥の洞穴の壁に向かって長い階段が伸びているのが見えた。階段の両脇には里の入り口のような巨大な角が立ち並んでいる。階段を登るにつれ、上方から太鼓や笛を吹くような音と、何かがぐつぐつと煮える音が聞こえてきた。


「なんか嫌な予感がするぞ……」


 先頭を歩かされているルカはごくりと唾を飲み込む。


 音はだんだんと近くなってきていた。


 階段を登りきると、そこには祭壇のようなものがあり、巨大な釜が置かれていた。なんの香辛料か知らないが、食欲をそそるような香ばしい匂いが漂ってきている。釜の周囲に鬼人族たちがあぐらを組んで座っており、上半身で踊ったり、楽器をかき鳴らしてお祭り騒ぎだ。


「ルカ!? それにユナまで!」


 喧騒の中、ルカたちの名前を呼ぶ声がした。釜の前に同じく縛られたグレンが座らされていたのだ。


「グレン! 無事……じゃないよな、この状況は。クレイジーも一緒なのか?」


「……いや、クレイジーさんはあそこに」


 グレンは声を震わせながら上を見上げる。


 よく見ると、ぐつぐつと煮立った釜の上に木の棒で吊るされている人影があった。今にも釜の中に落とされそうな状況であるにも関わらず、彼はルカに気づくと相変わらず血の気のない紫の唇をにぃっと吊り上げた。


「やァ、ルカ。遅かったねェ。おかげで待ちくたびれちゃったよ……ボクじゃなくて、鬼人族のみなさんがね」



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