mission8-43 後悔の行く末



「施設には同じような境遇の子どもたちがたくさんいたわ。だから自分が特別不幸だなんて考えたことはなかった。幼い頃から家族がいないということが、私たちにとっては当たり前だったの」


 その施設は小さなオアシスのそばにぽつんと佇む、慈善団体が運営する一軒家だった。近隣の集落で行き場を失った子どもたちを最長十五歳になるまで面倒を見て、里親か働き手を求めている事業者たちに紹介し、彼らを社会に送り出す役割を担っていたのだ。


「施設の大人たちはみんな優しくて、他の子たちもいい子ばかりだった。だけどソニアと私はなんだかその輪の中に馴染めなくて……そのうち、馴染めないもの同士で一緒に過ごすことが増えていったの」


 ソニアは当時から無口で無表情な子どもだったが、アイラだけには徐々に心を開き、四つ年上の彼女を「姉さん」と呼んで慕うようになっていったのだという。


「私が知っている限り、当時のソニアは口数少ないだけで、何を考えているかとか、どんなことをして遊びたいかとかは普通の子どもと何一つ変わらなかった。ただ……」


 アイラは一瞬口をつぐむ。


「みんな、あの子の眼のことを怖がっていた」


 現在は眼帯の下に隠されている、光を一つも映さない漆黒の右眼——ハデスの神石のことだ。


「あの眼は昔からなのか?」


「ええ、生まれつきみたい。彼は内戦で壊滅した街の出身で、死んだ妊婦の腹から取り上げられて生まれたそうよ。腹の中に溜まった血が固まって石になったんじゃないかって、施設の大人たちはそう言っていたわ」


「……眼のことを恐れられていたのは、外見だけが原因じゃないだろう?」


 リュウの問いに、アイラは「そうね」と頷く。


「ソニアには時々死人の姿が見えていたらしいの。本当に何も無い場所をじっと見つめて、『姉さん、ほらあそこに』って言うのよ。私には見えなかったけど、人をからかうような性格でもなかったから、あの子には確かに見えていたんだと思う」


「死人が見える……その頃からハデスの力と共鳴していたということか」


「ええ。『終焉の時代ラグナロク』が始まる前のことだから無意識のうちにだったんでしょうね。そして……ソニアの眼のことを恐れていたのは子どもたちだけではなかった」


 アイラは一瞬苦々しげに表情を歪め、言葉を続けた。


「施設の大人たちもソニアの眼を忌み嫌っていて、次第にソニアに対して冷たく当たることが増えていった。他の子どもたちにはどんないたずらをしても優しく接してくれたのに、ソニアに対してだけ無視したり怒鳴ったりしたの。私には最初、どうして彼らがそんな態度をとるのか分からなかった……だけど、ある日ソニアが言ったの。施設の大人たちにはたくさんの死霊がまとわりついてる、彼らは人を殺している、って」


 アイラの顔がだんだんと青ざめていき、彼女は口をおさえた。


「大丈夫か」


 リュウは駆け寄って彼女の背をさする。


「ごめんなさい……当時の記憶は、口にするだけでもおぞましくて」


 荒い息遣いを整えながら、アイラは脂汗の浮かんだ額を拭った。


「とにかく……ソニアがそう言ったことが、私たちの運命の分かれ道だった。私にはどうしても大人たちが人を殺しているだなんて思えなくて……その時だけは彼が言っていることを信じてあげられなかった。だけど、後から身をもって知ることになるのよ……ソニアの言葉が本当だったって」


「それは——」


「ええ。私はあることがきっかけで、施設の大人たちに殺されそうになった。あの時の恐怖は一度たりとも忘れたことがないわ……もしソニアが助けに来てくれなかったら、私は今ここにいなかったでしょうね」


 あらかじめ施設の大人たちのことを怪しんでいたソニアは、アイラが彼らに呼び出されたことを不審に思い、密かに後をつけていたらしい。


 そして、彼の感じていた嫌な予感が的中した瞬間、その場は漆黒の闇に包まれた。


「まさか……”屍者の王国”か?」


「そう。おそらく先日ここでソニアが使った力の前身のようなものだと思うわ。闇に包まれた瞬間、私を襲おうとしていた大人たちはすでにこと切れていた。私を助けようとしたばっかりに……ソニアは初めて人の命を殺めることになった」


 ほどなくして、『アトランティス民族解放軍』と呼ばれる二国間大戦中に結成された武装集団の兵士たちが施設を訪れた。施設の大人たちは彼らに支援金を渡す代わりに、戦争孤児たちを施設に連れて来てもらう取引関係にあったのだ。


「兵士たちは驚いていた。自分たちの活動支援をしてくれていた人間が全員傷一つなく死んでいるんですもの。そして彼らを殺したソニアを危険人物とみなして勝手に連れて行ってしまった……。施設の大人たちの悪事には触れさえしなかった。兵士たちも、施設の子どもたちも、誰も信じてくれなかったの。ソニアに味方する人は、私以外誰もいなかった……」


 それから、残された子どもたちはやがて働き口を見つけて散り散りになっていった。アイラはキャラバン隊の踊り娘となり、訪問する先々でソニアの噂を聞いて回った。そのうちに、彼は牢でしばらく囚われたのち、人手不足で兵士として強制的に駆り出されることになったが、ある人物に引き抜かれて民族解放軍のもとを去ったという噂を聞いた。


 だが、結局会えないまま……スヴェルト大陸の地にて、『終焉の時代』が幕を開ける。


 大災害に見舞われ、アイラが所属していたキャラバン隊は壊滅した。


 ソニアの無事を確認するすべもなく……彼女はガザと出会い、ブラック・クロスに入ることになった。


 そしてヴァルトロと対峙するようになって数年——敵の動向を探るうち、ソニアがヴァルトロ四神将の一人になっていたことを知ったのだ。


「あの子がどういう思いで四神将になったのか、今では想像もつかない……。私にはもう、あの子が何を考えているのか分からないの。そう、ずっと後悔を抱えて生きてきたわ。全てはあの時、私がソニアの言葉を信じていれば……!」


 ガシャン!


 部屋の外で物音がして、アイラとリュウはハッとした。リュウがゆっくりと部屋の扉を開ける。そこには割れた水差しの破片が散らばっていた。


 破片を拾っているヨギは、リュウと目が合って気まずそうに頭をかいた。


わりい……盗み聞きするつもりはなかったんだけどよ」


「何の用だ」


 リュウが警戒を露わに問うと、ヨギはむすっと頬を膨らませた。


「別に……ただ、あんたに礼を言っておこうと思って」


「俺に?」


「ああ。あんた、"屍者の王国"で何度もオレ様を助けてくれただろ。別に頼んじゃいないが……嬉しかったよ。オレ様たち鬼人族は奴隷兵士時代に盾として使い捨てられることが多かった。誰かに守ってもらえることなんて、ほとんどなかったからさ」


「……そうか」


 むずがゆくなって、リュウは彼から目を逸らし、破片を拾うのを手伝った。


 大切な人を守るための戦い方。


 もともとは幼い頃にヨギを守れなかった後悔を胸に、必死で身につけてきたものだ。


 過去のできごとがなかったことにはできないように、後悔もなかなか消え去ることはない。


 だが、同じ過ちを繰り返さないために必要な原動力なのだとしたら。


 部屋の中から布を持ってきて、水差しからこぼれた水を拭くアイラに、リュウはぼそりと呟いた。


「アイラ。お前のその後悔も……いつか報われる時が来るさ」


 アイラはどこか自信なさげではあったが、口の端を緩めて笑う。


「そう、信じたいわね」


 二人のやりとりの意味が分からないヨギだけがきょとんとしている。


「なんだかよくわかんねぇけどさ、邪魔じゃなけりゃ今晩はここにいさせてくれよ。なんか……城中しんとしてて息が詰まるっていうかさ」


 強気に振舞っていても、ヨギはまだ十三歳の少年だ。身近な人を失って心細いらしい。


 アイラはリュウとヨギの二人を部屋に招き入れる。元王城の一室であるこの部屋は、三人でも十分に広々としたスペースがあった。


「ヨギ、お前はこれからどうするんだ? このままゼネアにい続けるのか」


 リュウが尋ねると、ヨギは肩をすくめた。


「さぁ……ターニャねえちゃんがどうするのかさっぱり分かんねぇしなぁ。場合によってはしばらく何もやることがなくなるかもしれねぇ」


「なら一度ナスカ=エラに囚われているお前の父親に顔を見せてやれ。グエンはお前を迎えに行くためにターニャの脱獄を手伝って、その罪で牢獄塔に収監されているんだ」


「そうか……オレ様の父親は生きているのか」


 ヨギは俯いて、小さな声で呟いた。


「考えとくよ。会うなら早いうちがいいもんな。人は……いつどこで死ぬのかわからねぇからさ」


「ああ。そうしてやれ。グエンもお前の顔を見たらきっと喜ぶ」


 しばらくの間、三人は他愛もない話を続けた。


 別に何か話したかったわけではないが、黙ってしまうと夜の王城の静寂さに飲まれてしまいそうだったからだ。


 アイラはふと思い出したようにヨギに尋ねる。


「そういえば、他の人たちは今どうしているか知ってる?」


 するとヨギはうーんと首をひねった。


「ターニャねえちゃんとユナは玉座の間にいたけど、ミハエルとルカってやつはどこに行ったかわかんねぇな。確か部屋にはいなかったような……」



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