mission8-40 うなされる将軍


***




 ソニア・グラシールの乗る飛空艇は、ゼネア近海をつと、東に位置するヴァルトロ帝国に向かって進んでいた。


「ソニア様、どうしたんだろうか……戻ってきてからどこか様子がおかしいというか」


「ああ、普通なら任務が終わったらすぐ寝るはずなのに、そうでもなさそうだしな」


 飛空艇内の通路を巡回するソニアの部下の二人は、不安げに彼の私室の方を見やる。


 時折部屋の中から、低いうめき声が聞こえてきていた。


 ゼネアから海上の飛空艇に戻ってきたソニアは、軍服を真っ赤に染め、全身傷だらけで、顔からは血の気が引いて今にも倒れそうな状態であった。そんな身体で苦痛を感じないという方が無理な話である。だが、心配する部下たちに対して、ソニアは「部屋には絶対入ってくるな」の一言だけ告げると、まともな治療も受けないまま自室に閉じこもってしまった。


 彼が部下たちに素っ気ないのは今に始まったことではない。だから、部下たちは「説明されないこと」に慣れているはずだった。


 それでも彼らが不安に感じているのは、”将軍”の名を冠すほどに実力を誇る彼が、あそこまで傷を負って苦しんでいる姿を見るのは初めてだったからである。


「そんなに恐ろしい敵だったのだろうか、ゼネアの銀髪女シルヴィアとやらは……」


「どうだろうな。単純な兵力で見ればスヴェルト大陸の任務の時の方がよほど大変だったと思うが」


「まぁ、確かに。あの時も俺たちは飛空艇に残るように言われて、ソニア様は一人で民族解放軍どもを倒しちまった」


「ソニア様が神石の力を使った途端、敵の兵士たちがパタパタと倒れていく……あの光景は味方ながら恐ろしかったよな」


「ああ。以前はどこか神石の力を避けているような戦い方だったが、最近は容赦がないような気がする。”屍者の王国"だったか? 戦わずして人を死に追いやるなんて……一体、どんな気分なんだろうな」


「それはやられた側の話か、それとも使い手側の話か?」


「はは、なるほど。どっちにしたって良い心地はしない、か。……そういえばお前、は知ってるか?」


「噂?」


「ああ。ソニア様が人よりたくさん寝るのは、眠りが浅くて常に寝不足だからって」


「なんだそれ、矛盾しているだろう。眠っているのに寝不足になるってか?」


「ああ。なんでも、寝ている間は死霊たちの声がずっと頭に響いているんだとか」


 話を聞いていた兵士の顔は、みるみるうちに青ざめていく。


「お、驚かすなよ。あくまで噂なんだろ」


「そう信じたいがね。俺は時々ソニア様のことが怖くなるよ。悪い人じゃないんだが、何を考えているのかさっぱり分からないし」


「まぁ、それは同意。だが、かといって性格に難ありのキリ様やアラン様の部下ってのも大変そうだよなぁ。四神将の中じゃ、フロワ様の部下が一番当たりか」


「いや、そうでもないらしい」


「え?」


「訓練兵時代の同期がいるんだが、飴を勧められすぎて虫歯に悩まされる日々だと言っていた」


 兵士はやれやれと肩をすくめる。


「……四神将にまともな人はいないのかねぇ」






 私室の中、ベッドの上でうずくまるソニアの頭の中に、ハデスのからかうような声が響く。


"ふふふ。噂も案外、的を射ているものだねぇ”


「なんの、話だ……」


"お前もたまには部下どもをいたわってやったらどうだ? あまり信用されていないようだぞ"


「……はっ。そんなもの……無い方が、まし……」


 ソニアは胸を押さえて激しく咳き込んだ。ターニャに刺された場所だ。出血は止まらず、深い傷が彼の呼吸を妨げる。


 ソニアは枕元に置かれている小瓶に手を伸ばし、中身を一気にあおった。以前アランから処方された痛み止めの薬だ。中毒性が強く、よほどのことがない限り飲まないようにと言われているが、今のソニアにはそんなことを気にしている余裕はなかった。つんとした薬草の臭いが口内に広がり吐き気を催す。それを耐え、薬が喉を通り過ぎると、徐々に全身の痛みが麻痺していった。


 ソニアはゆっくりと起き上がり、血で汚れた軍服を脱ぎ捨てると、淡々と傷口に包帯を巻いていく。


“まったく……本来こういうことを言うのはワタシの役目じゃないが、神石の力を使うのはしばらくやめた方が良いぞ?”


「……」


“なぁ、お前も気づいているだろう……理不尽にもたらされる死によって、人々からの厭世の念が自らにまとわりついていることを"


「……ああ、分かっている」


“分かっているならなぜ……! 厭世の念はお前に苦痛を蓄積させ、やがて禁忌の領域タブーを踏み越える。そうなればお前もワタシもただでは済まない”


「心配するな。お前に迷惑をかけるつもりはない」


“ああそうかい。なら、そろそろワタシに目的を教えてくれてもいいんじゃないかえ? お前が心を開かないせいで、ワタシにはお前の考えがところどころ読めないのだ”


「目的、か」


 ソニアはふと、あらゆる感情を込めて自分を睨みつけていたアイラの表情を思い出し、自嘲気味に笑う。




「俺の目的は七年前からずっと変わらない。世界一の嫌われ者になる——ただ、それだけだ」




 ハデスが呆れたように”なんだよそれは”と言うのが聞こえたが、ソニアは多くを語らない。無口な性分だからというのもあるが、ハデスに詳しく知られるわけにはいかなかったのだ。


 「嫌われる」対象の中には、ハデス自身も含まれているのだから。


 ソニアはベッドに仰向けに横たわると、ゆっくりと瞼を閉じた。薬の副作用か、眠気が襲ってくる。そして眠気とともに、自らが死に追いやった人々の声が聞こえてくる。


 その中には、先の戦いで”屍者の王国”に取り残された、ウーズレイ・クリストファー・エルロンドの声もあった。




——ひとつ、やり残したことがあります。


——私の友を……ライアンを、よろしくお願いします。




 彼がターニャとの別れ際に彼女に囁いた声が、ソニアの脳内で何度も響く。


(まさか、俺の他にも戦場でのライアン様を知っている生き残りがいたとはな)


 破壊神の姿に成り果てる直前の、ライアン・エスカレード。


 彼の側にいた者たちのほとんどは、破壊の眷属になるか、地割れに飲み込まれるかして生き延びてはいないものと思っていた。


(だが、他に知っている者がいたとしても、俺のやるべきことには変わりがない。ああ、そうだ。この程度の苦痛、ライアン様が背負われたものに比べれば……)




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