mission8-33 悲劇の閉幕
死霊たちで溢れる船上での戦いをなんとか突破したリュウ、ヨギ、ミハエルの三人は、黒い渦を通って船とは別の場所にたどり着いていた。
「ここは、玉座の間……?」
ミハエルが周囲を見渡して呟く。
白と黒の格子模様の大理石の上に真紅の絨毯が敷かれ、極彩色の花の壁画に、玉座へ向かう通路の脇に掘られた清水の流れる溝。この世に二つとない豪勢な空間は、まさしくエルロンド城の玉座の間だ。
だが、今この場に流れる空気はどう考えても自分たちが元いたはずの場所とは違う。
どんよりとしていて何か気味の悪いものが見えない場所で這いずり回っているような、そんな息苦しさが満ち満ちている。
「リュウ……!? それにミハエルくんにヨギも……!」
その声でリュウたちはようやく、玉座から少し離れた場所で白い布でぐるぐる巻きにされているのがユナだと気付いた。ヨギが反射的に駆け出し、「すぐに助ける!」と言ってその布を裂こうとする。だが布はまるで生き物のようにするするとヨギから逃れ、ヨギの足を絡めとるとひょいと彼を逆さ吊りにしてしまった。
「ぐっ! 何をしやがる! 離せ!」
あがけばあがくほど、布はもつれ絡まっていく。
“ふふふ……そう暴れるんじゃない。お前たち人間のマナーに習うのなら、劇というのは静かに座って観るものだろう?”
その声の音、話し方。甲板で聞いたものと全く同じだった。
「くそ、どこにいやがる! お前、あの眼帯男の神石なんだろ!?」
“ここだよ”
「——ッ!」
突如目の前に色白で虚ろげな瞳の女が現れ、ヨギは思わず息を飲んだ。女はにぃっと黒い唇を吊り上げる。
“いやはや良かったねぇ、間に合ったみたいで”
「間に合ったって、何に……?」
“ほぅら、あそこをご覧……今まさにとっておきの悲劇が始まろうとしているんだ!”
そう言って女は玉座の方を指差す。そこには玉座に腰掛け眠る王と、その側で薄衣をまとう女が誰かを強く抱きしめている。ヨギは目を疑った。抱きしめられている方の輪郭がどこか曖昧で、まるで薄衣の女に溶けこんでいるかのように見えたのだ。
「あれはまさか……ウーズレイ……!?」
ヨギは助けに行こうともがくがやはり布の拘束を抜け出すことはできなかった。ミハエルは呪術を唱え、遠距離から布を焼き切ろうとするも、彼の足元からも白い布が湧き出して詠唱を妨げてくる。相手の力量を察したリュウは即座に神石トールの力を解放しようとしたが、今度はヨギの側にいたはずの女が不意に背後に現れ、冷たい腕で彼の両手の自由を奪ってしまった。
全員身動きが取れない状態になり、女はけらけらと笑う。
“ああ楽しみだねぇ。天涯孤独で影武者としての人生を背負わされた青年が、『
「ウーズレイさんっ……!」
ユナは精一杯の声で叫んでみたが、やはりウーズレイには届かなかった。
このまま彼が母親に呑まれていくのを見ていることしかできないのか——そう思った時、ウーズレイの母親がふと怪訝な表情を浮かべるのが見えた。
「あなた……何を笑っているの?」
彼女は低い声で尋ねる。
呑み込まれかけていたウーズレイが肩を震わせ笑っていたのだ。
「すみません、さっきから死神が言っていることがおかしくておかしくて」
「死神……?」
"ワタシか? ワタシが何か面白いことを言ったかえ?"
ウーズレイの母親には見ることのできないハデスは、彼女の背後に移動して空中で楽しげに身体を揺らす。
ウーズレイはそんなハデスを一瞥すると、にっこりと微笑んだ。
「ええ。悲劇悲劇と連呼して……あなたは一体何を勘違いしているんです?」
“勘違い、だと?”
ウーズレイはおおげさに頷いてみせた。
「そうです、勘違いですよ。だってこんなの悲劇なんかじゃない……せいぜい頑張って喜劇にしかならないですよ? だって、いい年した大人二人が、いつまで経っても自分の運命を受け入れられずに甘い夢を見続けているんですから。二人とも、すでに死んでいるのにね!」
——ドクン。
ウーズレイの放った言葉が合図になったかのように、一瞬空間が揺らぎ、彼は母親の抱擁から解き放たれた。
「ううッ……うあぁぁぁぁぁッ……」
王の方には何も変化がなかったが、ウーズレイの母親は頭を抱えて呻き始め、そのしなやかな肢体は徐々に萎れて黒ずんでいく。
その現象はリュウたちにとっては既視感のあるものだった。”千里眼”の力がなくとも、この後何が起こるかは容易に想像できる。ミハエルはウーズレイに向かって叫んだ。
「ウーズレイさん、離れてください! ここの人たちは自分たちの死を自覚すると死霊になって襲いかかってくるんです……!」
だがウーズレイの方は落ち着き払った様子だった。
「おぞましい死霊、ですか。それこそが母さんに一番ふさわしい姿ですよ。王に利用されて、出し抜くつもりが騙されて、危うく私に毒を盛りそうになったあげく、王の怒りを買って殺されてしまった、哀れな母さん。そんな弱くて汚くて、結局自分のことしか考えていないあなたこそが私の母親なんですよ」
「やメて……ッ! ああううう……うーズレい、私、ハ……」
「あなたにもう一度会えたこと、嬉しくなかったわけじゃない。ですが、ふと思い出したんです。かりそめの家族愛を信じるふりをするのは、辛いことだって。そんなものがなくたって私は生きていける。七年前に私は誓ったんです……もう二度と、自分の本音に嘘はつかないと。私の嘘を簡単に見抜いてしまう人がすぐそばにいますから」
ウーズレイはうめき声をあげる母親の横をすり抜け、玉座の前に立つ。
「あなたもあなただ、クリストファー十六世……いい加減、目を覚ましたらどうです!?」
次の瞬間、その場にいた者たちはウーズレイがとった行動に全員息を飲んだ。
彼は眠っている王の左腕を思い切り引っ張ったのだ。
すると王の身体は引っ張られるわけではなく、左腕だけがするりと抜けて、まるで湯に触れた角砂糖のようにぼろぼろと床に崩れ落ちた。
王はまだ目を覚まさないが、眉間には深くシワが刻まれ、ウーズレイの母親と同様に低い唸り声を上げ始めた。
「ウグ……余から……余から隠れられると、思う……な……ターニャ・バレンタイン……」
「ターニャ!? まさか王の夢の中に」
ウーズレイはそのまま王の身体を揺すり彼を起こそうとした。だが脇から突き飛ばされて、真紅の絨毯の上に倒れこむ。
「サセない……さセナいわ……! こコは私ト陛下の楽園……! タトえ息子ノあナたでも……邪魔すルナら、許サナい……! 陛下は、私ノ……私ダケのモの……!」
立ちはだかったのは彼の母親、そして彼女の背後に寄り添うハデス。
“ああ、本当にお前は余計なことをしてくれたねぇ……これじゃつまらん。ちっとも満たされん。だが”
ハデスはふわりと浮遊してウーズレイの母親の正面に回ると、その白い指で彼女の額に触れる。
“まだ地獄も捨てたもんじゃないねぇ。この女の嫉妬深さは……そう、冥界に住まう魔精の魂にふさわしい”
「ア……」
ハデスがつんと額を小突いた瞬間、ウーズレイの母親の周囲に漆黒の風が吹き荒れて彼女を覆い尽くす。
「母さん……!?」
やがて風が止んだかと思うと、ヒュッという音がして反射的に後方へと躱す。直前までウーズレイが立っていた場所は黒い炎が絨毯をぷすぷすと焦がしながら燃えていた。
「母、さん……?」
母親がいたはずの場所には、こうもりのような黒い翼を生やし、血の気のない皮膚をした女が黒い炎の松明を持ってこちらを睨んでいた。顔は母親そのものだが、その姿は人間というよりも魔物に近い。
「許サナイ許サナイ許サナイ……! 陛下ハ私ダケノモノ……! 私ガ陛下ニ愛サレルタメニハ、アナタハ要ラナイ……排除シテアゲルワ……!」
そう言ったかと思うと、耳障りな金切り声をあげ、ひるんだウーズレイに向かって飛びかかってきた。
(しまった、避けられない……!)
致命傷を覚悟したウーズレイであったが、ほの温かな薄桃色のベールに包まれたかと思うと、誰かに腕を引かれ魔物の一撃から逃れていた。
「ユナさん……! それにヨギも……!」
いつの間にかハデスはこの場から消え、彼女の力である白いストールによる拘束はなくなっていたのだ。だが、姿が見えないだけで、どこかで様子を伺っているのだろう。彼女の声が全員の耳に響く。
“ふふふふふふふ……上出来上出来……。存分に暴れるがいいぞ、嫉妬の冥精・メガイラよ……”
応答するかのように、メガイラに変貌したウーズレイの母親は再び金切り声をあげる。
彼女の背後には左腕を失ってもなお眠り続けている王がいる。容易に近づくことはできない。だが、眠りが浅くなっているのか、先ほどから何度もうわ言をつぶやいたり、玉座の上で姿勢を変えたりしている。
(ターニャ……今度は私が、あなたを助けますから……!)
ウーズレイはユナ、リュウ、ヨギ、ミハエルの四人と視線を交わし、自らの腰の剣を鞘から引き抜いた。
「みなさん力を貸してください。あの魔物を倒して元の世界に戻るために……!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます