mission8-24 繰り返す悪夢


「クソッ……だよ……!」


 ターニャは悪態をつきながら砂に突き刺さった白銀の剣を引き抜く。彼女のすぐそばにいたルカも、連戦の疲れと喉の渇きでため息すら吐く気力がなかった。


 この二国間大戦の戦場を模した砂漠に来てからというもの、二人は何度も何度も同じことを繰り返している。


 まず、破壊の眷属化した元奴隷兵士たちに囲まれ、応戦する。彼らを振り切って砂漠を進んでいくと、やがて砂嵐の中から砂漠に対応させるための特殊兵装の馬に乗ったエルロンド王・クリストファー十六世が現れる。クリストファー十六世の腕っ節の強さは並の兵士をはるかに上回り、ターニャとルカには逃げるという選択肢がなく、彼との戦いを余儀なくされる。だが、やっとの思いで彼を打ちのめし、ターニャが迷うことなく王の心臓を突き刺す——その瞬間、王の姿は砂煙となって跡形もなく消え、振り出しに戻ってしまうのだ。


 何度繰り返しても、砂漠の終わりは見えないし、行く手を阻む者たちの顔ぶれも変わりはしない。


 唯一変化があるとするならば、ターニャの左腕の様子だった。破壊の眷属のように黒く穢れた彼女の腕は、初め見た時は肘までだったのが、今は肩のあたりまで黒ずんでしまっている。


「あんたのその腕……ほっといて大丈夫なのか?」


 ルカが尋ねると、ターニャはけらけらと笑った。


「別に大したことはないよ。これはどうせ夢なんだから、目が覚めれば元に」


“愚か者が”


 低く澄んだ声が響き、ターニャはぴくりと肩を震わせる。その声はルカにも聞き覚えがあった。キッシュの時も、ナスカ=エラの時も耳にしている。ターニャの神石である審判の女神ヴァルキリーの声だった。


“ターニャよ。そなたも気づいているのであろう。ここは夢ではない。ここにあるのはそなたの肉体ではないが、紛れもなくそなた自身の精神体だ。精神体が穢れるということの意味は分かるな?”


 神石に咎められ、ターニャはむすっと口を尖らせた。


「……分かってる。あたしの意志がぶれてるって言いたいんでしょ」


“ならばもう二度と言わせるな。我が共鳴者が禁忌の領域タブーに踏み入れたとあっては洒落にならん。その時はそなたを殺してでも阻止させてもらうぞ”


 殺気のこもったヴァルキリーの声に、ターニャは「はいはい」と肩をすくめる。


 禁忌の領域……それは神石に対する契約違反のようなもの。


 以前ナスカ=エラでジューダスに聞いた話によると、”神格化”まで到達している共鳴者が禁忌の領域を侵すと、破壊神のような現人神あらひとがみとなってねじ曲がった意志による暴走をしてしまうという。


「……聞こえてた?」


 ターニャに尋ねられ、ルカは頷く。


「じゃあ分かったでしょ。ヴァルキリーって怖い奴なのよ。もう一回怒られる前に、さっさとこのわけわかんない場所を抜け出さないとね」


 そう言って彼女は立ち上がろうとする。だが、砂に足を取られてバランスを崩し、その場に倒れこんだ。荒い息遣い。かなり消耗しているようだ。


「一旦どこかで休もう。その左腕のせいで身体のバランスが崩れてるんだろ」


 ルカはターニャに肩を貸そうとする。


 だが彼女は首を横に振り、右腕に重心を乗せてゆっくりと起き上がった。


「本当に平気だってば。かつてあたしがこの場所にいた時は、左腕も、顔半分も、両足も、全部穢れるとこまでいってんだよ。これくらい……まだ序の口だっての」


 額に脂汗を浮かべながら、自分に言い聞かせるようにターニャは呟く。


 先ほどヴァルキリーが言っていた通り、この世界にいる自分たちが生身の肉体ではなく精神体だけならば、彼女が参っているのは体力の問題ではなく気力の問題ということになる。


 この光景を初めて見るルカでさえ気が滅入っているのだから、襲い掛かってくる元奴隷兵士たちや、クリストファー十六世のことをよく知っているターニャにとってはなおさらのはずだ。


 これ以上同じことを繰り返す前に、突破口を見出さなければ。


「なぁ、一つ聞いていいか。以前のあんたはどうやって破壊の眷属化から元に戻れたんだ?」


 ルカの問いに、ターニャはふっと笑みを浮かべた。


がいたんだよ」


「あいつ?」


「そう……あたしは知らなかったんだ。あいつまで戦場に駆り出されることになっていたなんて。だから本当は自暴自棄になってた。仲間たちと同じように化物になってひと暴れしてやりたいと思ってた。だけど砂嵐の中であいつの姿を見つけて、そんな考えが吹き飛んだ。あいつを助けてここから逃げ出さなきゃ……そう思ったら、あたしは無我夢中でこの剣を握って、王の心臓を貫いていた」


 そう言って彼女は右手に持つ白銀の剣を眺める。


 その時、砂丘の向こう側から破壊の眷属たちのおぞましい咆哮が聞こえてきた。また振り出しに戻ったのだ。


「もう、ほんっとしょうがないなぁ……」


 破壊の眷属たちに向かっていこうとするターニャであったが、ルカは彼女の腕を引き、彼女の身体を無理やり背負った。


「ちょっと! 何すんの!」


 憤慨するターニャであったが、ルカの背からもがき逃れるほどの力は残っていないらしい。ルカ自身も疲れてはいたが、彼女を背負って歩く気力はまだ残っていた。


「ひとまず逃げよう。あんたが自分の身体をなんとかする方法を思いつかなきゃ、戦っても負けるだけだよ」


 ターニャの深いため息がルカの肩にかかる。彼女はルカに体重を預け、珍しく覇気のない声でぼやいた。


「そんなこと言ったってさ……ここは現実とは違ってあいつがどこにもいないんだよ。どれだけ砂煙の中で目を凝らしても、あいつが見つからない。いつも鬱陶しいくらいそばにいるくせに……。もう、どこにいるんだよ、馬鹿ウーズレイ……」



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