mission8-14 玉座の間
ウーズレイに案内されたのはエルロンド城の最上階、街を一望できるバルコニーのある玉座の間だった。
白と黒の格子模様の大理石の上に敷かれた真紅の
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ、ブラック・クロス」
玉座に座る銀髪の女は頬杖をつきながらそう言った。
荘厳なこの部屋にはふさわしくない、だが最も素の彼女らしい、タンクトップにショートパンツという涼しげな格好だ。玉座の脇にはあの白銀の美しい剣が鞘に入った状態で立てかけられている。
ターニャは立ち上がり、肩をすくめて何も持っていない両の手を掲げた。
「君たちと会うのはこれで三度目……だけど、こうして武器を持たない状態で話すのは初めてかな?」
「違う」
ルカが一歩前に進み出る。
「キッシュで初めて会った時は違ったよ、ジルさん」
ルカの言葉に、ターニャはふっと笑みを浮かべた。
「……ああ、そんな名前を名乗っていたこともあったっけ」
そう言って彼女は傍らの剣を手に取り、玉座が設置されている段を降りてルカたちの方へと歩み寄ってきた。大きな黒目がちの瞳がブラック・クロスの面々の顔を覗き込む。
「で、君たちは一体何の用でわざわざこの街まで来たのかな? 観光するには少々居心地の悪い街だと思うけど」
茶化すような調子だった。
だから、今の彼女なら同盟の話をしても聞いてくれるのではないかと、そう期待してしまっていた。
だが、ルカが口を開きかけた瞬間、ターニャは急に鞘に入ったままの剣を手に取り、ルカの首に向かって薙ぎはらった。剣の軌道は首筋に触れるか触れないかのところでぴたりと止まる。白銀の剣の鋭さが、鞘越しであってもひしひしと伝わってくる。
「……もし、もう一度つまらない綺麗ごとを吐きに来たんだったら、全部言い終わる前にこの剣で首をはねてあげよう。そういうのは聞き飽きたんだ。あたしが今聞きたいのは、観光客としてこの街を見た感想だよ、ルカ・イージス」
見透かすような視線がルカに突き刺さる。彼女はふざけてなどいない。本気だ。発する言葉を間違えれば、本気で自分たちを殺す気なのだろう。
ルカはゆっくりと唾を飲み込んだ。
「正直驚いたよ。噂に聞くようなエルロンドの都とはまるで正反対だ。汚くて、がさつで、貧しくて……だけど生き生きしてる。元〈チックィード〉らしき人を何人も見たけど、みんなどんよりしてなくて、今を生きることを考えている。前向きなんだ」
「なるほどね。……じゃあ、そのあたしたちが前を向ける理由はなんだと思う?」
「理由?」
「そう、深い傷を背負って、大切な人をすでに失って、それでも前を向ける理由だよ」
ルカが言いよどんでいると、ターニャはけらけらと笑って剣を引いた。
「もうこの世にいないからさ。恨むべき相手は、この剣であたしが殺してしまったから」
「王様のこと、だよな……本当に殺す以外の選択肢はなかったのか?」
「ないね。〈チックィード〉のような持たざる者たちは、自分を縛る鎖を解かれるだけじゃ安心はできない。鎖そのものが消えてしまわないと、再び縛られる恐怖に怯え続けることになる。だから、元凶をぶち壊す必要があったんだ」
ターニャはつかつかと歩き、玉座の方へ戻っていく。そしてその豪勢な椅子の前で、剣を鞘から引き抜くと——白銀に輝く切っ先を玉座に向かって突き刺した。ぶすりという鈍い音ともに、座面の中の綿が飛び出して宙を舞う。
ルカたちの方を振り返ると、彼女は微笑んで言った。
「なぁ、君たちはそれでも『救うべきだった』なんて説教を垂れるつもり? この街を見てもなお、そんな甘いことが言える?」
玉座の間はしんと静まりかえる。
ルカも、アイラも、ユナも、リュウも、誰も言葉を返すことができなかったのだ。
もし七年前この国にいて、ターニャと同じ立場だったなら。
虐げられ、死んでいく同胞たちを目の前にして、次は自分かと震えながら日々をしのいで、もしそんな中で一本の剣が自分の手中にあったとしたら。
自らの胸を貫くもよし、憎い相手の息の根を止めるのもよし。
後者の方がはるかに苦しい選択だ。相手を殺めることができたとしても、側近たちに取り押さえられてしまっては終わりだし、自分だけが逃げおおせても残った同胞たちに怒りの矛先が向かって、より一層迫害されるようなことがあるかもしれない。
それでもターニャは、白銀の剣で王を殺し、自らが指導者となって同胞たちを率いて守ることを選んだ。
一体どうして彼女はそんな決断をできたのだろう。
ユナの頭には、先ほどのヨギの言葉が引っかかっていた。
あの人のため。
それが憶測ではなく、真実なのだとしたら。
「ターニャ……あなたはそれで良かったの?」
「ん、何が?」
「ターニャが選んだこと、間違っているとは思わないよ……だけど、他のたくさんの人を救えても、絶対に救えない人が一人いる」
ユナの言葉に、ターニャは眉をひそめる。
「何が言いたいの?」
「ターニャ、あなた自身のことだよ」
「は……?」
怪訝な表情を浮かべるターニャに対し、ユナは進み出て、鞄からイェレナの木箱を取り出した。
木箱の蓋を開けると、その中には美しい木彫りの装飾が施された櫛が入っていた。それを見るなり、ターニャの目の色が変わる。
「これは、母さんの櫛……! なんであんたが」
「メイヤーさんに渡されたの。きっとあなたが必要としているだろうからって」
「あたしが……?」
「メイヤーさんはきっと心配しているんだよ。誰かを救うために自分の手を血に染め続けるあなたのことを……。すべてを破壊するなんて、本当にあなたのやりたいことなの? もしも私たちが出会ったジルさんがほんの少しでもあなたの一部なら、たとえ相手が憎い敵でも、傷つけることに葛藤を——」
カン!!
ユナの言葉を妨げるようにして、乾いた音が響いた。ターニャが差し出された櫛と木箱を床に叩きつけたのだ。
わなわなと手を震わせ、ターニャはこれまでに見たことのない形相で声を荒げて言った。
「そういうのが綺麗ごとだって言ってんの! できる奴がやらなくちゃ、このクソみたいな世界はまともに回らないんだよ。それはあたしだけじゃない、あんたたちだって同じだ……!」
ターニャは玉座に突き刺していた剣を抜くと、その切っ先をルカたちに向けた。
「わざわざここまで来たことに免じて、もう一回勝負してあげるよ! 負けたほうが勝ったほうの言い分を認める。いい加減、それで決着をつけようじゃないか」
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