mission8-10 作戦よりも
「イカサマだ!」
「ヨギ様しっかりして!」
「俺たちの金を返せよーっ!」
ヨギに賭けていた者たち、ヨギに憧れていた者たちからのブーイングが四方八方から飛び交っていたが、ヨギが観客席の方を一睨みしただけでその喧騒はあっという間に収まってしまった。
「おめぇらギャーギャーうるせぇよ! ここはそもそもトリシェ競馬場だ! 汚ねぇ手を使ってでも這い上がるのがゼネアの人間の戦い方だろうが! 文句あんなら黙って出て行きな! じゃねぇとこの子とゆっくり話ができねぇだろ!」
大声でそう叫んだかと思うと、今度はユナの方を見てふにゃっと顔を緩めた。まるで母親に甘える幼子のような顔だ。強気なことを言っているが、彼はまだ声変わり途中の少年なのである。
「なぁ、悪いようにはしないからウチに来ないか? この競馬場でオレ様に勝ったのなんてターニャねえちゃん以来なんだよ。この先あんたみたいな強い女と会える機会なんてそうそうないだろうし」
「ちょ、ちょっと待って、私そういうつもりでこのレースに参加したわけじゃ」
「なんだよ、他に男がいるのか? オレ様よりいい男が?」
直球に尋ねられ、ユナの顔はぼっと赤らんだ。
「だから、そういうことじゃなくて……!」
「なぁんだ、いないんなら別にいいじゃねえか! さっ、こっち来いよ。早速ターニャねえちゃんやウーズレイに紹介しないと」
ヨギはさっと馬を降りると、ユナの馬の
「ど、どこに行くつもりなの?」
するとヨギは顔を上げて歯を見せて笑った。
「王城だぜ! そこにターニャねえちゃんたちがいるからな」
「でも、王城に行く橋は壊れているんじゃ」
するとヨギはきょとんとした表情を浮かべた。
「橋? 違う違う、王城に行くには別の——」
ヨギは途中で言いやめて、素早く振り返る。
直後、ヨギのすぐそばで風を切る音がしてヨギは音がした方へと回し蹴りを放った。
ガキン!
激しい音がして、大鎌の神器を持ったルカが姿を現わし、ヨギの蹴りを神器で受け止めた衝撃で一歩後ずさるのが見えた。
ユナは思わず息を飲む。
一連のヨギの動き……なんて反応の速さだ。ルカは神石の力で高速移動していたのだから、常人の目には捉えることができないはず。だが、おそらく鬼人族特有の鋭敏な感覚で気配を察知し、ルカが攻撃を仕掛けるよりも先に応戦したのだ。普段リュウを見ていても、自分たちとは身体のつくりが違うことに驚かされるが、ヨギはなおのこと自分の身体を上手く使いこなしている。
「くかか! 何だお前、ここの係員のくせにオレ様に殴りかかってくるとはいい度胸じゃねぇか!」
作業服に扮したルカのことを、ヨギはすっかり係員だと思い込んでいるようだ。
ルカはルカで、変装の目的などここに飛び出してきた時点ですっかり頭から飛んでしまっていたが。
「その手を離せよ。ユナが困ってるだろ」
ルカはいつもより低い声でそう言った。ヨギはムッと顔をしかめる。
「あん? 邪魔する気か? お前にその権利はあんのかよ。この子の恋人か何かのつもりか?」
「こっ……!?」
ルカが言葉を詰まらせるのを聞いて、ユナは少しだけ胸が痛むのを感じた。確かに自分も、ヨギに聞かれて上手く答えられなかったのが悪いのだけれど。
「と、とにかくユナを離せ!」
「はんっ、嫌だね! この子はオレ様のもんだ!」
——バンッ!
突如として銃声が響き、会場全体がどよめいた。
作業服を着ている女——アイラが、神器で宙に向かって砂弾を放ったのだ。
「はぁー、もう見てらんない。ユナはわけわかんないことに巻き込まれてるし、ルカは勝手な行動するし……だから仕方なく作戦変更しようかしらね」
彼女は煙草をふかしながら競技場の中心へ向かって歩いていく。脇にコゼットを抑えこみ、空いた片手で彼女のこめかみに銃を突きつけながら。
「おいおいおいおい。なんのつもりだこれは」
「こうなったら力づくよ。この子を無事に返してほしければ、私たちをターニャのところまで案内しなさい」
ヨギの表情が陰る。ルカが相手の時はまだ余裕がありそうであったが、涙目で助けを求めるコゼットの顔を見て一気に怒りの頂点に達したのだ。
「おめぇらが何なのか知らねぇけどよ……どうしてもオレ様に殴られたいらしいな!?」
ヨギが力強く踏み込み、アイラの方へ向かってきた。
そう来たか。
コゼットはあくまで交渉に使おうと思っていただけで、実際に彼女に危害を加える気はさらさらない。アイラはコゼットを抱きかかえるような形で一旦引くと、短く叫んだ。
「リュウ!」
「ああ、分かってる!」
競馬場の脇からヨギとアイラの間に割って入る形でリュウが飛び出し、ヨギの拳を受け止める。ヨギの拳は熱でたぎっていて、受け止めたのが鬼人化した腕でなければ火傷してしまっただろう。
ヨギはリュウの赤く染まった腕、そして額の一本角を見て怪訝な表情を浮かべた。
「次から次へと……お前もあの女の仲間だな」
「ヨギ、俺だ。リュウ・ゲンマだ。覚えてないのか?」
ヨギは一瞬目を細め——強い力でリュウの腕を振り払った。
「知らねぇよ! オレ様にそんな
「そうか……言うことだけは父親にそっくりだがな!」
リュウは体勢を立て直し、再びヨギに向かっていく。ヨギはというと馬の背に預けていた鎖鎌を取り、ぶんぶんと振り回し始めた。
競馬場の真ん中で繰り広げられる、鬼人族同士の激しい戦い。レースの結果にブーイングをしていた観客たちも、いつの間にか二人の戦いに魅入って歓声を上げ始めていた。
場内が興奮に湧き上がっていく。
だが近くにいたユナは、二人の殴り合いを見ていてだんだんと悲しさと腹ただしさ、その相反するような感情が入り混ざっていくのを感じた。
普段あまり感情を表に出さないリュウが、珍しく苦々しげに唇を噛んでいる。
先ほどは無邪気な子どもの表情をしていたヨギが、突然縄張りを荒らされたことに対する怒りに顔を歪めている。
自分たちはこんなことをするためにこの街にやってきたのだろうか。
周囲を見渡すと、景品台の上にコゼットに奪われた木箱が置かれているのが目に入った。
そうだ、争い合うためにここにきたわけじゃない。
前へ進めば 小石につまづき
声をかければ 人違い
さらばと殻にこもってみるも
気にかける者無き空しさたるや
ユナは戦いへの気力を奪うメルポメネの歌を歌った。ヨギに対してだけではなく、ルカやリュウに対しても。
「ユナ? 一体何を……」
その場に手をつくルカたちの問いに答えることなく、ユナは馬を降り、イェレナの木箱を手にとってヨギの目の前に立った。
「正体を隠していてごめんなさい。私たちはブラック・クロス。ターニャ……そしてあなたたちと手を結ぶためにこの街に来たの」
「なんだって……?」
眉をひそめるヨギに、ユナは木箱を裏返して底に彫られた名前を見せた。イェレナ・バレンタイン。その名前を見て、ヨギはハッと目を丸く見開く。
「イェレナさま……ターニャねえちゃんの母さまの名前……! どうしてこんな大事なものがここに……!」
驚くヨギに対し、ユナは落ち着いた口調で言った。
「これは私たちに協力してくれた人たちから受け取ったものなの。ターニャが必要としているだろうから、渡してくれって。お願い、ヨギ。私たちは彼女と話がしたい。ターニャのところまで案内してもらえないかな」
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