mission7-30 初めての敗北
これまでの経験で、賞金首たちがだいたいどのような宿を使うかは見当がついている。路地裏に点在する身分チェックのない安宿だ。何軒か回ることで今回のターゲットも簡単に見つけることができた。
小さな宿の二階の窓際の部屋。そこがブラック・クロスの二人が宿泊していると思われる場所である。周囲にいた浮浪者に聞いたところによると、手配書に描かれた二人の似顔絵と一致する人物を見かけたというのだからおそらく間違いない。壁を登れば浸入することも可能だが、リュウはそれをせずただ耳を澄ませて様子をうかがう。
メルクリウス・フェストを楽しんでいる客の気分を害さないよう、ターゲットの確保は人目につかない場所でやるように——この仕事を始めた当初にキッドから伝えられたルールだ。リュウはこのルールを守り、ターゲットが宿から出てきたタイミングで人通りのない場所に誘導して身柄を確保するようにしていた。
しばらくして、まだ明かりのついているその部屋から小さな話し声が聞こえてきた。
「メルクリウス・フェストってのは賑やかな祭りだなぁ。久しぶりに本部から出てきたけど、こんなに人が多いのはなんていうか懐かしい気がするよ。ほら、あの、初めてガルダストリア首都に行った時みたいな」
「確かにあれ以来しばらく街には出ていなかったですもんね……でも、そんなことより私は心配ですよ。ブラック・クロスは今やあなたが思っている以上に世界各地で目をつけられているんです。これだけ人がいる場所じゃどこかに刺客がいてもおかしくはないですよ」
「ははは、シアンは心配性だなぁ。仕方ないだろ、やらなきゃいけないことは山ほどあるけど、今のブラック・クロスは少人数の小さな組織だ。俺だけが本部であぐらかいてるわけにはいかないよ」
「でも」
「大丈夫だって。なんて言ったって、俺には君がいるから」
「も、もう! はぐらかさないでください!」
「それよりそろそろ街の様子を見て回ってみようか。俺たちのターゲットも活動し始める頃合いかもしれない」
その言葉とともに部屋の明かりが消えた。
リュウは身を引き締める。
ターゲット——幼いヨギをさらったように、また誰かをさらうつもりなのだろうか。
(そうはさせるものか)
リュウは仕事道具として持ち歩いていた小型の爆竹に火をつけると、二人が宿の玄関から出てきたタイミングで彼らの足元に放った。
「うわ、なんだこれは!」
「爆竹です、下がって!」
狭い路地の中にもうもうと煙が湧き立つ。
リュウはその煙に紛れるようにして、わざと足音を立てながらその場から駆け出した。追跡させて、いつもの襲撃場所である”狩り場”に誘い込むのだ。
背後から聞こえる足音からして、追ってくるのは一人だけ。おそらくあの補佐の女だろう。見た目ではどう考えても男の方が体格が良く強そうだったが、女一人で十分だと判断されたのだろうか。舐められたものだ。今まで色んなターゲットを仕留めてきたが、腕自慢の者かあるいはボディガードをつけているものが大半で、華奢な女を相手にしたことなど一度もない。
(だが容赦はしない。ヨギをどこに連れ去ったのか吐かせてやる!)
薄暗い袋小路に誘い込むと、リュウは壁沿いに積んであるタルの山をよじ登る。追ってきたシアンが袋小路に入ってきた瞬間に、背後から飛び降り後頭部を狙って強い打撃を与えればどんな強者でも意識を失うか、少なくともその場に膝をつくはず。
「うおおおおお!」
予定通り、彼女の背後から鬼人化させた拳を叩き込む——はずだった。
シアンはこちらを見ないままさっと身を翻す。そして拳が宙に浮いたせいで体勢を崩したリュウの腹に向かって強烈な蹴り。
「がっ……!?」
間髪入れず後ろ手に組まれ、反撃を防がれる。まともな武芸を学んでこなかったリュウは、鬼人化させた拳で殴る以外に手段を知らず、腕を封じられてはもがく他に何もできなかった。
前傾姿勢になってもがくリュウの頭の後ろから、冷静な女の声が聞こえる。
「なんだ、まだ子どもじゃない。手練れの賞金稼ぎというわけでも、この辺りの不良というわけでもないわね。君は何者? 仲間はいるの?」
「……」
何も答えないリュウに、シアンは呆れたようにため息を吐く。
「ただのいたずらなら見逃してあげるから、これ限りにしておきなさい。でも、もし本気でノワールに手を出すつもりならどんな相手だろうと容赦しないわよ」
リュウはしばらく黙っていたが、やがて絞り出すような小さな声でぼそりと呟いた。
「……だ」
「何?」
「……俺は自警団だっ!」
リュウはシアンが拘束している腕のあたりを鬼人化させ、体温を一気に上げる。急な体温変化は体力消費が激しく、身体に負担がかかるが致し方ない。シアンが熱さで反射的に拘束を緩めた隙にリュウは袋小路を飛び出した。
「あ、ちょっと待ちなさい!」
そうは言いつつも、彼女が追ってくる気配はなかった。絶対的な自信があるがゆえなのだろう。この程度の相手なら再び襲撃されたとしても返り討ちに出来る、そう思われている証拠だ。リュウにとってはそれが何より悔しかった。
走りながら、血がにじむまで強く拳を握り締める。
(こんなの……こんなの初めてだ……! 俺があんな女に負けるなんて……! だめだ……今のままじゃヨギのことを取り戻せやしない……俺はまだ、弱い……!)
自警団の詰所に戻ると、キッドはまだ起きて手配書の整理をしていた。
「おや、もう戻ってきたんだね。ブラック・クロスの二人は見つかったの?」
「ああ……だが、今はまだ……力が足りない」
俯いて答えるリュウに、キッドは何かあったのではないかと尋ねたがリュウはただ首を横に振った。
「そうかい……まぁ彼らもすぐに悪事を働けるほど準備は整ってないだろう。何かが起こる前に取り締まれば十分さ。そう焦る必要はないよ」
「悪いな。今日は少し鍛錬してから寝る」
すっかり肩を落として裏庭に出ようとするリュウ。そんな彼にキッドはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべて声をかけた。
「ほどほどにね。身体を壊したら元も子もないからさ」
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